第二十四話 つかんだ夢と消えた願い
フルオルガ首都は二重の防壁に囲まれている。王城を守る城壁と、その外側の城下町を取り囲む外壁である。
王城は小高い丘の上にそびえ立ち、城壁を越えて城下の町並みを見渡すことができる。
町並みの中には、建物の屋根の上に造型された十字に二重円の信仰の対象も見え、その対象の下には、ロウエム大陸全土にまたがり布教される、アクレース教の総本山たる大法院がその威容を放っていた。
ロウエム大陸歴五〇九年より法王座に着いたハイラムが、大法院の一室で巡礼者との面会に応じている。
だが巡礼者と話していたのは信仰や懺悔に関するものではなく、ロウエム大陸歴五一二年の親征軍襲撃事件のことであった。
「……そのクーメで起きた“国王暗殺未遂襲撃事件”の後、それでも情報にあったクーメ東部の教会跡まで、私は親征軍と共に向かったのですが……」
ハイラムが一人語り続けるのを床に伏して聞き続けている巡礼者は、つい昨日にもこの部屋を訪れ、クーメの領主館ではゲルベルト捕縛の現場にも居合わせた男であった。
この巡礼者はクーメでの魔導書探索の状況を、いち早くハイラムに知らせるために送り込まれていた言わば密偵である。
昨日の夕刻頃にクーメに戻った密偵は、ゲルベルトからレイモンドにもたらされた報告を聞くや、取るものも取り敢えず馬を駆って本来の主の下へと走り帰ったのであった。
ハイラムは過去に思いを走らせながら話を続ける。
「――だが我々は驚愕した。その教会の入口には何人にも……この私でさえ解除できない強力な結界が張られていたのです」
「それほどの結界が……」
「そうです、それほどの結界で護られるものなど、宝物殿の中でも選りすぐりの国宝級一品だとしか考えられませんでした」
だが、何をどうしても結界を破ることが出来ず、結局その後の調査をレイモンドに託し、親征軍は手ぶらで帰還せざるを得なかった。
落胆したハイラムの心情は悲壮から数日後には激昂に傾きはじめ、王都帰還後に国王より早々に発令された『廃魔禁研令』の推進に大きく関与し、特にクーメ国王エーブラハム・マクローリンの消息を執拗に追い求めていた。
日中であるのに薄暗い部屋の中、人目をはばかるように会話を進めるハイラムの表情が次第に恍惚と変化を遂げる。
「それで……ゲルベルト卿は確かにそう話したのですね?」
「はい猊下、子爵閣下は申されました。【玄神之書】を見た……と」
――やはりあの教会跡には国宝級の宝物が眠っていたのだ。しかも実際に国宝そのものである【玄神之書】であったとは。
ハイラムは涎を垂らさんばかりの満面の笑みを浮かべた後、すぐ現実に意識を引き戻し、とるべき行動を確認した。
「すぐに再調査の兵を向かわせるよう陛下に進言致しましょう。教会跡には何の用か“赤騎士”も現れたと言うが……ともかく【五帝神書】は一刻でも早く我が手中に収めなければ、あれが外にあるうちは私が自由に動くことが出来ません」
「それでは拙僧は再びクーメに戻ります」
「貴方には苦労をかけますが、アクレース神は必ずやその高い信仰心をご覧になられています。貴方にアクレース神のご加護があらんことを」
ハイラムの下を去った巡礼者が向かうクーメでも、雨と共に一夜が明け、昨晩の名残を表す街道の水溜りを馬車の車輪が二つに裂いた。
「なぁマティアスさん。とりあえずは野宿で一晩凌いだけどよ、これからオレらどうするんです?」
幌馬車の荷台で、自身の体に包帯を巻き直す金髪の長身戦士が今後の方針を尋ねた。同じ金髪でも若王とは品位の面で差が生じているようである。
ランドも同じことを聞きたかったらしく、ハーフエルフのララアテから持たされた宿題を確認する。
「横取りされた魔導書を取り返せって言ってたけどよ、敵の本丸に三人で斬り込むわけにもいかねぇだろ」
「その通りだランド。僕たちはこのまま、一度アサラに戻る」
本来はまだララアテに色々と尋ねたいこともあったのだが、魔導書を取り返すまでは会いに行けばこちらの命が危ないと、マティアスは冗談交じりに語った。
彼はまた、手に入れるべき手札を揃え損ね、少なからず計画に変更を加えなければならなくなったようである。
「ま、思うようにはいかないさ……」
悟ったように自らに言い聞かせたが、悪いことばかりではないとも考えていた。
「ララアテ様とは、キュラントにいた時分に特使としてクーメに赴いた際、何度かお会いしたことがあってね――」
ロウエム大陸歴五〇八年、クーメにフルオルガ軍が襲来した折、すでにララアテは国政の第一線からは退いており、限られた者とだけしか会わない生活を続けていた。
マティアスはあくまでも主の使者として、クーメ魔法王国の宰相であった当時のララアテと数回会談したことがある……と言う程度の付き合いでしかなかったが、“千里眼”とまで言われるマティアスの鼻の良さと、その人となりをララアテが快く思っていたことが、今日までの二人の付き合いを繋いでいた。
マティアスは“山”に札が一枚増えたと考えていた。
ララアテはランドのことを知っていて、助言するようなことを告げていた。
昨晩は怒らせてしまい逃げるように飛び出して来たが、うまく折り合いがつけば何かと力になってくれるかも知れない。
詳細は不明だが、法王エイブラハムがララアテに託した遺志もあり、少なくともランドに対しては好意的な動きを示してくれるようになる可能性は高いと見ていた。
「この“札”を引くことができれば……」
秘策を胸に思いを巡らすマティアスの横で、ベルパルシェがランドに尋ねる。
「ランドもとりあえずオレ達と一緒にアサラまで戻るだろ?」
ランドの探し人はシュトルン曰くすでに死んでいる、と言うことを指して聞いた言葉であった。
ランドは遺跡探索後はクーメに残りヴェルナーの行方を訪ねて回るつもりであったが、シュトルンの話を信じるのであればその目的は失われる。
長年ラージの山奥で暮らしてきたランドにとっては他にやることなど無く、だからこそ自分のことを何かしら知っているララアテに対して、自分でもよくわからない感情で囚われているような感じを覚えていた。
「魔導書を取り返せば何か聞けるのかも知れないな……」
一人では無理だ。奪われた魔導書はクーメ公爵レイモンドの手中に渡っているに違いない。シュトルン一人に対して手も足も出なかったのに、軍隊を相手にそう思うように事は運ばないであろう。
幸いなことにマティアスも魔導書奪還に乗り気なようである。しばらくの間はマティアスの側で状況の変化を見守り、必要であれば協力して魔導書を取り返す。
「我ながら消極策だなぁ……」
ランドは自嘲したが、今はこれで良いと自らに言い聞かせた。今はまだ、己の進むべき道が見えないでいる。そんなときは他人の道を歩いても良いのではないか、我が道を行くばかりが正解ではないはずである。
所変わってフルオルガ南部アサラでは、一年に一度の祭りの準備に街が湧いていた。
アサラの街は大きく円を形取り、外周を壁で覆っている。
この円はロウエム大陸で広く布教されるアクレース教において、“愛で包む”を意味する円を模しているとされ、流通と交易の街として知られるアサラでは、一期一会の出会いを大切に、この街の中で奇跡的な出会いを果たした人々を大きな愛で包みましょう――と言う趣旨で『邂逅祭』と銘打ち、三日三晩の間飲めや歌えやの大騒ぎを演出している。
この祭りでは一年の労をねぎらう者がいれば想い人に愛を告げる若者もおり、商人たちは在庫整理に余念がなかった。
街の四方の門から伸びる道は、中心部にある“全ての者へ恵みを”を趣旨として造られた泉の周囲で交わり、アサラ領主であるフリーデマンの居館もこの中心地にそびえ立っている。
その中の一室では、館の主である伯爵フリーデマン・シュトルフトが密かな来客を迎え、その客が持参した手土産に恍惚の表情をもって返礼としていた。
「こ、これは……」
手にした土産に魅入られるフリーデマンの足元にかしこまる客は、各所を痛めたフルオルガ軍の鎧に身を包み、その体も傷だらけで、灰色の髪を赤く染め上げた血はすでに乾ききっていた。
この男こそクーメの遺跡でランドの目前で魔導書を持ち去った兵士で、レイモンド兵に扮し、ゲルベルト隊に紛れ込んでいたフリーデマン麾下の者であった。
「確かにこれは【玄神之書】だ。よくぞ持ち帰ったなバシリウスよ」
「はっ、長らくクーメに潜入していた甲斐がございました。なんの魔導書かは存じませんでしたが、まさかこれが彼の【玄神之書】であったとは……」
フリーデマンがそっと書の表紙を開いてみると、そこには白紙の頁があるだけであった。
「ふ……タニビエスを思い出すわ。あの時もやはり白紙であったが、今ではその理由もおおよそ見当が付いておる」
フリーデマンは薄暗い室内を見渡した。先日シュトルンを迎えた書斎とは違い、この部屋の棚を埋め尽くす本の山は、全て魔法に関する研究資料であった。
「長年における研究の成果がついに示される時が来る……何が宮廷騎士団、何がフルオルガ国だ……狭き人の世の児戯などに私を縛ることなど出来はしないのだ!」
空はすでに晴れ渡っていたが、領主館の一室だけは未だ暗雲に包まれているようであった。
――数日後、ランド達はアサラの街へと帰って来た。
街には西門から入ったが、馬車に乗っているおかげで蔑まれるようなこともなかった。
貧民街まで来るとマティアスが先に別れを告げた。
「それじゃぁ僕は一足先に失礼するよ。報酬は後日連絡する。あとランド、魔導書については『明けの明星』で調べさせるから、何かわかればキミにも知らせるよ」
「助かるよ、よろしく頼む」
マティアスと別れた後、今後の身の振り方を考えながら歩くランドにベルパルシェが提案を
した。
「ランドは行くとこ無いんだろ。とりあえずオレ達のアジトに来いよ。後のことはアリナが戻ってから考えようぜ」
ララアテからは全治二ヶ月と診断された金髪の長身戦士は、愛用の長身槍を杖代わりに歩きながら、気さくにランドに話しかける。
「いやぁ、やっぱりマティアスさんはカッコ良かったぜ。しかしまさか元クーメの宰相様と顔見知りだったとはなぁ」
まったくである。マティアスが居なかったら数ヶ月単位で宰相を探す旅を続けていたかも知れない。
遺跡の件と言い、“千里眼”とは視野の広さもさることながら、情報量の多さこそがその名に含まれる最大の特徴なのかも知れない。
「そう言えばランドの探してた人はもう死んじまってたんだよな? 何か聞きたいことがあったみたいだけど……残念だったな」
「あぁ、その人が子供の頃オレの命を助けてくれた話はしたよな。オレの他にもたくさんクーメ人は居たのに、なんでオレだけを助けてくれたのか、それを聞きたいと思ったんだ」
貧民街の女児がランドの方を物色するように見ている。先日この辺りでシュトルンとぶつかった女児であった。ベルパルシェはこの女児のことを知っているようである。
「よう“当たり屋チェルシー”、こいつは文無しだ他所を探しな」
思い切り舌を出して走り去る女児を見送り、ランドは自らの気持ちを確認するように再び会話を戻した。
「あの人がなんでオレを助けてくれたのかがわかれば、オレがこの先どう生きていけば良いのかがわかる気がしてたんだ」
ベルパルシェは理解しかねる、と言った表情をランドに向け、理解出来ていることをランドに教えてやった。
「ランドは難しいこと考えてるんだな。オレらはいつもその日食う物のことばかりだぜ。貧民街じゃ生きる意味なんて考えてたらやってらんねぇからな。オレらは意味があって生きてるんじゃねぇ、生きてるから意味があるんだぜ」
思いつくままに話したベルパルシェの言葉に、ランドは少なからぬ感銘を受けた。
確かに意味のない生など考えられない。だが、長い年月を人里離れた山奥でただただ無為に過ごしてきたランドの生に、自ら意味を見出すことはランドには難しく思えた。
ヴェルナーから命を救われた理由を聞くことができれば、そこから見えてくるものもあるかも知れない。ランドはそう思っていた。
もう、叶わぬ願いとなってしまったが――。




