第二十二話 可能性
ハーフエルフの女ララアテは想起させるようにランドに尋ねた。
「ランド……お主、傷は痛むか?」
問われた男は初めて知ったかのように驚き、改めて自信の体をまさぐり見返した。
「そういえばあまり痛くない……傷が、もうかさぶたができてるぜ!」
「本当かランド! 君は腹に穴が空いていただろう!?」
「化け物かよ! オレなんてまだ喋っただけで肺の辺りが……いててて」
一人だけ冷静なララアテは椅子に腰を下ろし、三人にも座るよう促した。
「エーブラ……法王は宰相に会えと言った、と申したな。初めに言っておく、私が宰相じゃ」
「「えぇっ!」」
マティアスだけは驚いていない、どうやら知っていたらしい。だから街ではなくこの辺鄙な村に連れてきたのである。
「ランド、お主魔法は使えるんか?」
「あぁ使えるぜ。だが今は無理だ、魔導書はここに来ていない奴が持ってる」
言葉を受け、ララアテは数瞬の間沈黙の時を数えると、自らの脳裏で話を整合してから言葉を綴った。
「なるほどな……ランド、お主は魔法と言うものがまるで理解出来ちょらん」
魔法とは――。
言葉に魔力を乗せ精霊に語りかける。これを術と言う。
術者と精霊とが同じ属性であればその声は精霊に届き、精霊が術者の声に応じ現に顕現すれば、そのこと事態が現象を起こし、効果となって現れる。この一連の式を魔法と言う。
魔法の帰結には大きく別けて二つあり、一つは一時的な現象や効果をもたらす一過性魔法。これは効果をもたらしている間、術者は基本的には継続して術を行い続けなければならない。
今一つは、一度精霊が顕現すれば、術者が意識を切らしても効果が継続される永続的魔法。精霊は術者から独立した存在となり得るが、その自律の程度は術者の意思や魔法の型により違いがある。
そして魔法には方位と位置があり、北は水、南は火のように属性が存在し、東西南北の属性が陰と陽に別れ、それぞれに付随した魔導書が存在する。
陽の魔導書に記された呪文は誰が見ても同じ文句なのに対し、陰の魔導書は手にする者によって文句が異なり、陽の魔法は帰結が一通りであるが、陰は術者の魔力等に応じて複数種類の現象、効果をもたらす。
「そしてランド、お主にはすでに招来されし精霊の加護が備わっちょるんじゃ」
「え……?」
突拍子もないことを言われ、ランドは唖然としたまま固まってしまった。
「その回復力は精霊の加護によるものじゃ。なんの精霊かは……今のお主に言っても仕方がないじゃろうな」
「な、なんだよ……そこまで言ったんなら教えろよな」
「教えたところで今のお主じゃ行使できんばい。己で気付かねばなぁ……まずは信じることから始めろ、精霊は常にお主の側におるが、信じてもいない者の言葉など誰にも届かんばい」
ララアテは戸棚から医薬品を持ってくるとベルパルシエの傷を手当てし始め、別の者が持っているという魔導書について確認した。
「で、法王から渡された魔導書は今どこにあるんじゃ? あれは魔導の最高位にある究極魔法の書で、誰でも手にして良いと言う類のものではなかとよ」
「「……え?」」
「……え?」
ランド達とララアテは、互いに話が噛み合っていないことを共有した。
法王からランドに渡されるはずだった魔導書は、既のところでレイモンド兵に奪われてしまっている。ランド達の言う魔導書とは隠し部屋で見つけた土の魔導書のことであった。
「なぁんばしよっとかぁっ!! あれは一冊あれば国が滅ぶきゅ……究極の……」
ララアテはその美しい顔を真っ赤に染め、今にも卒倒しそうな勢いであった。
「いや、そんな事言われても……なぁ?」
ランドはマティアスに同意を求めたが、マティアスはランドに背を向け、壁際に飾られた花を見てるふりをしている。手当てを受けているベルパルシエは目をつむり聞いていないことにしたようである。
「取り返してこぉいっ! エ……エイブラハムが……し、死してなお、ま、守り通した……」
室内の空気が突然流動し始めたことをランド達は感じとった。空気の流れはララアテの眼前に集中しだし、次第に渦を巻き始めた。
「行くぞランド、ベルパルシエ!」
「「お、お邪魔しましたーっ!!」」
三人は逃げるように部屋を飛び出すと、そのまま馬車に飛び乗り夜の闇に駆け出していった。
去り際のランドにララアテが言い捨てる。
「これだけは覚えておけランド! 魔法はお主の力にして力に非ず! 勘違いしてはならんばい!」
逃げ去るランド達を哀れんだのか、降り続いていた雨はいつの間にか止み、雲の隙間から漏れ出た太陽の光が、放射状に地上に降り注いだ。
降り続いた雨が夢であったかのように、ロウエムの空を朝日が駆け上がり、昨夜の雨に濡れたフルオルガ城の城壁を綺羅びやかに照らし出している。
厳威に満ちあふれた王の間では、壇上の玉座に着座した国王ヒルブランドの御前に文武百官が居並び、この日の朝議が行われていた。
ヒルブランドは興味なげに報告を聞き流し、代わりに老宰相が議題を取りまとめていく。
各地で執り行われている公共工事の進行具合、魔導書探索の定期報告、賄賂を積み上げて朝議の場まで上り詰めてきた民草の嘆願など、いくつかの案件を済ませると、やがて王の間に一人の騎士が入場して来た。
文武官に挟まれた、中央の深紅の絨毯で跪拝する騎士は、真っ赤な具足で全身を固め、傍らに兜を脱ぎ置き頭を垂れた。
その様子を見守る文武官は皆、侮蔑の視線で赤毛の頭を見下している。
「昨日拝命仕りました御意に対し、調査がまとまりましたのでご報告に上がりました」
「なんと……ご下命が下されたのは二日前のことだぞ」
「これほど早く結果を持ち帰るとは……」
文武官たちは小声でささやき合い、老宰相も目を見開き、その実行力の早さに感嘆した。
「さすがは“神速”で知られる元帥殿ですな、それで……?」
「は……アサラ領近郊にて疑われていた不穏分子は、アサラの貧民街に屯する難民たちで組まれた徒党であるものと断定致してございます」
周りのざわめきは一層の激しさを増した。
事の黒幕がアサラ領主であるフリーデマンであったのだとすれば、事態は即内乱の規模に至り、国王の逆鱗に触れるような事案に対し軽々しく発言して目立つことは避けたいが、首魁が何の後ろ盾もない難民と言うことであればそのような忖度は不要である。
だが老宰相はその長い経験と、実績に基づく猜疑心からさらなる可能性を模索した。
「元帥殿。アサラ伯が裏で糸を引いている……と言う線はないか?」
「は……チルセン駐屯所にて聞き及んだ情報によりますと、彼の地での物的被害は食糧のみだったとか、仮にアサラ伯が首謀者だと考えると、その目的がはかりかねます」
難民主体の犯行であれば、食べ物だけを狙った動機にも説得力があると言うことである。
これまで朝議にさしたる興味も示さなかったヒルブランドが、頬杖をついたままおもむろに片方の腕を前に伸ばした。
「元帥よ大儀であった。難民の犯行と言うことであれば後の始末はフリーデマンに任せておけばよかろう。卿とは久方ぶりに一献酌み交わしたい、後で予の部屋まで来い」
「御意のままに……」
――国王ヒルブランドの居室にある窓からは、フルオルガの城下町が一望でき、外郭の外に広がる平原の先には海までをも見渡すことが出来る。
「王都に寄るのは久しぶりであろう。ここでは遠慮は無用だ、くつろいで行け」
部屋中央に配置された長椅子に腰掛け、若王は赤毛の騎士に対し気さくに話しかけた。
「ありがとうございます。失礼致します。」
ヒルブランドと向かい合って長椅子に座ったたシュトルンは、女中が用意して来た茶を座卓に置く仕草を黙って見ていた。
金髪の若王は何気ない会話を赤毛の騎士と交わしながら人払いを命じ、皿に盛られた茶菓子を一つ口にする。
「……どうだシュトルン。息苦しい宮廷から解放され、外の風を感じて久しかろう。まだ中には戻らんか?」
「恐れ入ります陛下……」
「陛下はよせシュトルン。私達は幼き頃より共に同じ師を仰いだ仲ではないか、私はお前のことを友と思って招いたのだ」
「は……ヒルブランド様。我ら『宮廷騎士団』が国内外において不当な目で見られているのは先代の件だけが原因ではございません。それどころか、一部の者たちからして見れば手段としての理由として騒ぎ立てているのです」
「軍事の最高権力を握る『宮廷騎士団』、つまりお前を邪魔に思う者たちがいる……と言うことだな」
「御意にございます。ですので外で功績を上げ、また同胞の盾となり信望を集めようとも、その一部の者たちを排斥せぬうちは、宮廷内に戻ることは危険であると考えてございます」
二人は同じ茶菓子に同時に手を伸ばした。茶菓子は同じ焼き菓子が皿に盛られているが、数種類の味付けで変化を楽しませてくれる。
数瞬の間視線を交わし合った二人は、茶菓子からは手を離さぬまま、それぞれの主張を展開させた。
「おいシュトルン。私が明太子味を好きなことは知っておろう。大人しく手を引くが良い……」
「友として申し上げます。ヒルブランド様は私が去った後にでも、同じ菓子をお求めになることが出来ましょう。ここは天下の覇者として器量が求められるところですぞ……」
茶菓子を摘む指に力が入る。負荷に耐えきれなくなった菓子は真ん中で割け、それを見た二人は黙って自らの口元に運んだ。
「ところでヒルブランド様。アサラの調査の折に“可能性”と出会いました」
ヒルブランドの顔が一瞬で強張った。ゆっくりと茶を一口すすると、二人だけが共有する隠語をもって会話を繋げる。
「……それで、花は咲いていたか?」
「いえ、残念ながら蕾もついてはおりませんでした」
ヒルブランドは自嘲するような笑みを浮かべると、軽くため息をこぼした。
シュトルンはそのため息の理由を理解している様で、憂うような眼差しを金髪の友人に向けると、そのまま言葉を付け加えた。
「ですが芽は出ていたようです。あの方は確かに“可能性”を遺して逝かれました」
「ヴェルナーめ、私の巡幸を本気で突破出来ると思ったのか」
「致し方ございませぬでしょう。あの時ほどの好機は二度と来るようなものではございませんでした。僅かな可能性ではございましたが……」
共通の思い出に二人は思いを馳せたが、シュトルンが思い出したように新たな人物の名を挙げた。
「そう言えば、“可能性”と対面したクーメの遺跡で、アリナ・シュミットと思われる女も確認致してございます」
「なんだと!」
「恐らくは間違いないかと……母親は数年前に死亡していると申しておりました。私は彼女がアサラの件に深く関わっていると考えております」
「アサラの……」
ヒルブランドは顎に手をやり少し考えると、赤毛の騎士に対し命を下した。
「“赤”の一隊はまだアサラにいるのだったな。そのまま分隊を残しアリナ・シュミットを見張れ」
「御意……“可能性”の方は如何なさいますか?」
「そっちは放任しておけ、あくまでも可能性があると言うだけだ。覇者たる者が蜘蛛の糸にすがるような真似をしていては民が迷惑しよう」
その民からは“弑逆の王”と噂されるヒルブランドであるが、少なくとも赤毛の騎士にとっては唯一絶対の主君であった――。




