第二十話 無慈悲
即座に君命に答えられた者は一人もいなかった。
皆、ゲルベルトが何故に謀反人と断定されたのか理解出来ず、君命を聞き間違えたのではないかと自分の耳を疑ったのである。
ゲルベルトは一部隊長という、さほど高くない階級ではあったが、貴族としては子の爵位を有し、何より軍人としての才覚と、部下たちからの人望はその階級以上の影響力を備えていおり、この場にはゲルベルトより上位の将軍たちもいたが、皆素直に君命に従うことが出来なかった。
そして、この君命に最も衝撃を受けたのはゲルベルトだったのではないだろうか。
「わ、我が君……何故に私が謀反などと……」
「黙れこの痴れ者がっ! 貴様がわざと【玄神之書】を入手し損じたことを私が気付かぬとでも思ったか!」
「「な、なんとっ……!?」」
周りの騎士、兵士、下人たちが総じて動揺し、レイモンドはその様子を見て満足気に薄ら笑いを浮かべている。
そして彼は躊躇いもせず第二幕へと移行していった。
「その遺跡深部で遭遇したという、魔物や賊の話も疑わしいものだなゲルベルトよ。おおかた事前に手引しておいた貴様の仲間だったのではないか?」
――このままでは罪人とされる。ゲルベルトは君臣の礼に外れようとも反論せずにはいられなかった。
「なにを言われますか! 私の申し上げたことが真実であることは部下たちに聞いて頂ければわかります! “赤備え”も賊の存在は承知致してございますれば……」
「えぇい、黙れ黙れぇい! あの放浪軍団なんぞどこにおるやも知れず、国王陛下でもない者が連絡なんぞ取れるかぁっ!」
『宮廷騎士団』通称“王家赤備え”は、数年前より国王直属の機関として独立した行動をとっており、フルオルガ首都の事務官でもなければ連絡の取りようがなかった。
片膝をつきながら身の潔白を訴えるゲルベルトの面前までレイモンドは詰め寄り、容赦なく包囲網を狭めていった。
「貴様の部下の証言にしても、すでに懐柔されておるやも知れぬではないか! そうか、わかったぞ! 各地で乱発した暴動も貴様の手引によるものだな!」
ここまで来ると、ゲルベルトはただ口を開けたまま言葉が出てこなかった。
そして一つの可能性が脳裏を過る。
「まさか、レイモンド様は私に全ての罪を着せるおつもりでは……」
ゲルベルトはこれまでには覚えがないほど思考を全快稼働させた。
魔導書の件だけであれば、まだレイモンドを説き伏せることが出来たかも知れない。
ロウエム大陸歴五〇五年に起きた第一次タニビエス会戦の折、国王ヒルブランドより【玄神之書】を預けられていたフリーデマンは、その紛失に対して直接の責任を負ったが今も生きており、自領の家督相続も認められている。
ならば国王の親族であるレイモンドが今回の件で重刑に処されるとは考えにくいが、事はそれだけに収まらず、暴徒による損害の罪までもレイモンドは押し付けようとしているようだ。
ここまで考えて、ゲルベルトの思考は悪い方向へと傾いてしまった。
自らの潔白を証明し、受け入れられたとしても、それはつまり主に罪を突き返すと言うことに他ならない。それは騎士道に、君臣の道に外れはしないのであろうか?
主君は罪の肩代わりを求めているのだ……と。
ゲルベルトは考えることをやめ覚悟を決めた。
「何をしている。早く私を縛れ。主君の命が聞こえなかったのか?」
兵士たちは恐る恐る行動に移った。その中には先日フルオルガ首都法王院にて、ハイラムと密談していた巡礼者の男も兵士に扮し紛れていた。
クーメ公爵館前でゲルベルトの戻りを待つカミルの下に、一人の兵士が駆け寄って来た。
兵士は息つく間もなくカミルに告げる。
「お逃げくださいカミル様。ゲルベルト閣下は謀反の咎を負い投獄されました。御身にも不幸が迫っております」
カミルの全身を衝撃の稲妻が走った。
雨は未だ止む気配を見せはしなかった――。
夜は魔物たちの活動が活性化する。
旅人たちは道中で夜を越すことが無いよう旅程は計画的に練り、宿場町などを利用して夜をやり過ごすが、不慮の事故や様々な事情等により、思うように行かないのが旅である。
「あーもう真っ暗っ! 何も見えないじゃない!」
「不味いですね……角灯でもこの雨じゃいまいち先が見えません」
「フレエェッドォ! テメェはオレの前を歩くんじゃぁねぇ! ただでさえ前が見えねぇのによぉ!」
「アリナ……お、お腹空いたよぉ……」
ゲリラ隊に撤退を伝えに向かったアリナ達はクーメの森の中を彷徨っていた。
当初の予定としては近くのゲリラ隊と早々に合流し、ゲリラ隊が拠点として用意した宿営で一晩を越すことになっていたが、レイモンドが再編した討伐隊によってゲリラ隊はすでに壊滅していたのである。
仕方無しにアリナ達は次の活動地点まで移動したが、そこでもまた、生きた仲間に出会うことは出来なかった。
ゲリラ隊の劣勢を感じ取ったアリナ達は、危険を承知の上で森の中を突っ切り、次に向かう活動拠点までの時間を稼ごうと考えたのであったが、雨の夜の行軍である。思うように進むはずもなかった。
やにわに、先頭を進むアリナが歩みを止めた。
「どうしたぁアリナァ。神の声でも聞こえたかぁ?」
「静かに……何かいる……」
皆動きを止め、周囲に警戒の意識を飛ばす。ロジェはそっと角灯に布を被せた。
辺りが暗闇に染まる中、聞こえるのは雨が葉に、岩に、土に打ち付ける音だけであった。
何も起こらないことを確認し、ルーが緊張の糸を紐解く。
「なんだぁアリナァ、勘ち……」
「あぶ……っ!」
闇の中からルーを目掛け何かが飛んできた。
フレッドが咄嗟に差し出した戦鎚頭部に当たって弾かれる。
アリナがフレッドの前に躍り出た。
「巡礼者を襲えば死罪よっ! 出てきなさい!」
細身の剣を抜き、遅ればせながら頭巾を被り修道女を気取ろうと試みるが、片手のうえ雨で湿っているので上手く被ることが出来ずもたついた。
奇襲が失敗に終わったので正攻法に切り替える気になったのか、相手が暗闇から姿を現した。ロジェが角灯に掛けた布を外し相手の正体を確かめる。
暗闇の中、灯りに照らされ浮かんだ顔は一同を驚かせた。
雨に濡れた長い黒髪から覗く成熟した女の顔は、久しぶりの獲物を前に興奮を抑え切れず、口から唾液を垂れ流していた。
「クーメにも居るんですね。そう言えば嵐雲の化身とも呼ばれているんでしたっけ」
「嫌な事思い出したわ……」
「なんだぁアリナァ、退がってても良いんだぜぇ」
皆一様に不敵な笑みを浮かべ相手を見据えていた。それぞれ武器を構え戦闘態勢をとる。
女は暗闇から足を踏み出し、アリナ達との間合いを詰めてきた。その足は巨大なトカゲのような形をしており、鋭い三本の爪が地を掻くようにして進んでくる。
獅子のような胴体に大蝙蝠の羽を持ち、蠍のような尻尾を生やしていた。尻尾の先には毒針がついていたが、先の不意打ちで飛ばしたため今は無くなっている。
並の冒険者であれば、遭遇しただけで死を覚悟するほどの魔獣マンティコールだが、アリナ達は驚くほど冷静で、落ち着いていた。
「嫌な事って、あの時のことですよね……」
――ロウエム大陸歴五一二年。この日も激しい雨が大陸南部を襲い、キュラント北東に連なる山脈地帯にも等しく降り注いでいた。
当時十歳であったアリナは、今と同じ細身の剣を手に、同じような魔獣に対し、同じように向き合っていた。
違っていたのは、アリナの後ろには十数人の子供たちが居たことである。
「アリナ! オレも戦えるぜ!」
金髪の子供がアリナの背後から加勢を申し出る。背丈はすでにアリナを超えているが幼さは隠しきれない。片手には長身槍を持ち、片手には女児を抱いていた。
「ベルはメロディを守って!」
「クソォ……おいフレッドォ、オマエはデカいんだから闘えよぉ!」
ルーの前に立つフレッドは八歳ですでに大きな体躯に育っていたが、まだ戦鎚は手にしておらず、両手には二人の幼児を抱えていた。テオフィルとペパンであった。
突然現れた魔獣に、子供たちは皆恐怖し、怯え、泣き叫んだ。
魔獣は子供たちの声を威嚇と受け取ったのか、負けじと甲高い遠吠えを暗雲の空に木霊し獲物へと襲いかかる。
アリナは素早く魔獣と子供たちとの間に身を投げ出した。
力強い斬撃を叩き込むが魔獣の強靭な肉体を斬り裂くには至らず、突撃の勢いに押されて地に倒れ込むと、魔獣はアリナを飛び越え後ろの子供たちに襲いかかった。
「うわぁー!」
「キャー!」
暗闇を血飛沫が赤く彩り、子供たちの鳴き声が悲鳴に染まる。
当時まだ五歳であったロジェは恐怖に慄き、ただ神に祈るのみであった。
「神様……助けて……」
「やめてーっ!」
アリナの剣が執拗に魔獣を斬り刻むと、さすがに魔獣も目標をアリナに定めて襲いかかる。
アリナは魔獣の鋭い攻撃を剣で受け、巧みに勢いを殺し受け流すが、力強い魔獣の重撃を受けるたびに弾き飛ばされ、地に、木に、岩にその華奢な体を打ちつけた。
だがアリナは倒されるたびすぐに起き上がった。
自分が魔獣の注意を引き付けていない間に次から次へと子供たちの命が失われていく、その現実が彼女を休ませることを許しはしなかった。
せめて子供たちを先に逃がすことができれば……。
しかし魔獣は執念深く子供たちを狙っている。自分から離れた場所で子供たちが襲われれば為す術がないことはわかりきっていた。
「ここで殺るしかない」
黒雲が低く唸り雷鳴が轟く。
酷く傷つきながらも立ち上がる修道服を着た女剣士は、雨で重く垂れ下がる緋色の髪で端麗な顔を隠し、前髪の隙間から覗き見る真紅の瞳を赤く光らせた。
魔獣の動きは素早く不規則で、容赦なく子供たちを襲ったが、それでもアリナは諦めることなく食らいついた。
「私が……護るんだ……私が……」
体の傷が増していくのに反し、アリナの動きは拍子を上げていった。
アリナの剣技は幼い頃、父親に師事しただけであったが、母親から習った魔法よりも、アリナは剣を好んだ。
「――魔法って、つまり精霊にお願いして精霊の出来ることをしてもらうんでしょ。私は自分が出来ることを増やしたいのよ」
「うわぁっ!」
魔獣の尻尾の先が勢いよく射出され、また新たな犠牲者を生み出した。
「もうやめてーっ!」
アリナは必死になって魔獣の気を引こうとするが、相手は無抵抗の獲物ばかりを追い求める。
一瞬でも気を抜けば、その代償は子供たちの命となってアリナの心に後悔の楔を打ち込んだ。
「止まってはダメ……動くのよ。一瞬でさえ無駄にできない……息をするのも惜しいくらいに……」
夜の森に降り続ける雨は、アリナの髪も、服も、心をも重く湿らせていったが、その頬を滴が伝うたび、アリナの動きは勢いを増していった。