第一話 丁々発止の前 〈挿絵あり〉
大海を北に臨み、南には峻険な山容を連ねるロウエム大陸の中心地を、十数騎の騎馬隊が駆けている。
馬上の人間たちは皆鉄の鎧に身を包み、盾や旗指し物には亀の甲羅を模した紋章が記されていた。
「七……八…………十五騎か」
遠く離れた高台から、騎馬隊の様子を眺め見る者たちがいた。
騎馬隊の数を確認していた女が、面白くもなげに振り返るが、仲間たちにその表情を隠そうとはしない。
女はロウエム大陸に広く布教されている、アクレース教の修道服を着ている。
黒地に赤のラインが刺繍されており、峰を駆ける鹿のようにしなやかな足を深いスリットから覗かせている。
頭巾は被らずケープ状に垂らし、肩から流れ落ちる緋色の髪を指で梳きながら、不機嫌そうに四人の仲間たちを見やる。
若干のあどけなさを残しつつも凛とした面持ちは、その装いも相まって、初めて会う者には聖母を連想させるほどの清廉さに満ちていた。
だが、仲間たちの興味は彼女の魅力的な外見にではなく、紅蓮の炎のように赤く燃え輝く真紅の瞳と、修道女にはありえない、腰に帯びた剣にあるようだ……。
青墨色をしたクセ毛の少年が女の視線に答える。
「フルオルガ国の騎馬隊ですね。チルセン駐屯所からクーメに向かっているところでしょう」
「朝から四隊目だ。チルセンにはもう数えるほどの守備隊しか残ってないだろうぜ」
大身槍を手にした金髪の長身戦士がクセ毛の少年に続くと、腰を下ろして聞いていた他の二人も待ちくたびれたと言わんばかりに加わってくる。
先に口を挟んできたのは、戦鎚を杖代わりに重い体を持ち上げながら、呻くように声を絞り出した巨漢の戦士だ。
「よい…………っしょ。今からなら日が暮れる前にチルセンまで行けるよ。いつも通りなら最初に見た騎馬隊が帰ってくるよりボクたちのほうが早いよ」
「フレッドォ……」
若草色の髪を持つ最後の一人が、手持ち無沙汰に弄んでいた短剣を巨漢戦士のたるんだ腹部に指し向け、畳み掛けるように軽口を叩く。
「そりゃぁテメェがその腹の中に豚一頭しまい込んだままぁ、人並みの速度で移動できたらって話しだろうがぁ!」
「ふふん。歩くのは遅いけど、力ならルーには負けないもんね。ルーは足が短いから歩く回数が多いだろうけど頑張ってね」
不機嫌な面持ちだった修道服の女は、そんな二人のやり取りを聞いてか、気付けば表情が緩んでいた。
女は先程まで騎馬隊が駆けていた街道に視線を戻すと、皆に確認するように告げる。
「このあいだ受けた依頼の実行日が明日だから、やるなら今日だとは思ってた。相手の動きもここ数日のものと同じ、アジトにある食料の備蓄もそろそろ底をつく……」
「決まりだなアリナ、ファヴリスに乗ってくか?」
近くの木に繋ぎ止めていた馬の手綱を引いてきた長身の戦士が、修道服の女に騎乗を促す。
「ありがとうベル。でも ファヴリスはロジェに譲るわ」
不意に指名を受けた青墨色の髪の少年ロジェは、修道服の女アリナからなにやら指示を受けると、皆より一足先にその場を後にした。
騎馬隊が駆けていた街道を東に一刻(約二時間)ほど進むと、小高い山の谷間に陣が設けられていた。チルセン駐屯所である。
軍事用と言うよりは、南北に繋がる街道を往来する人々から、通行料を徴収する関所の警備を目的としている為、軍事的な地の利や防衛力は他の駐屯施設と比べると低い。
合わせて、周囲は柵で覆われ、四方に構える門には兵士が常駐しているが、関所に守備兵を派兵し、また、多くの兵は別の任務で屯所を離れているため、陣内に残留している部隊は少数で、警備も密とは言い難い。
哨戒時刻になると四、五騎の兵士が周囲を巡回するが、その士気は仲間内でカードを楽しむときにも劣っていた。
「ふぅ……今日も変わらず平和だなぁ」
「おいおい気を抜き過ぎだろう。最近はゴブリンだのオークだの、魔物どもの動きが活発化してきてるって話だ。その辺の茂みから飛び出して来るかもしれんぞ」
馬上から山森の方に注意を促してはいるが、その口調、表情は緊張とは対極にあるようだ。会話が聞こえていた仲間の兵士も嘲笑をもって答える。
巡回兵が通り過ぎてからしばらく経つと、森の木陰から怪しい人影が駐屯所に向かって飛び出してきた。
人影は柵の側まで一息に駆け寄ると、手にしていた物を柵の上部から投げ込んだ。
投げ込まれた物は農耕具で使われる熊手鍬の金具部分で、三本の鉤爪状のものにロープが結ばれており、手繰り寄せると先端が柵に引っ掛かった。
間をおかずロープを利用し、哨戒兵に気付かれぬまま、まんまと柵を乗り越えた人影は魔物ではなく、年若い青年であった。
薄汚れた布の服を着ているのみで、甲冑などの防具は身につけておらず、山中を抜けてきたときに着いたのであろう木の葉が、茶褐色の髪にアクセントを添えていた。
美男子とまでは言えないが、それなりに整った容姿をしている。均整の取れた体つきをしており、焦げ茶色の瞳が鋭く周囲の様子を伺っている。
周りには幕舎が並び、広い陣内には木造の小屋も見える。
青年は背中に背負った剣の柄に手を掛けつつ、幕舎の陰で身をすくめる。
「いやぁ正規軍は規律正しくて良いねぇ。こう毎日同じ行動を取られると、逆に罠かと思っちゃうよねぇ」
誰にともなくつぶやきながら辺りを見回すと、大量の兵糧が積み上げられている一画で視線を止めた。
「さてと……」
何やら身を引きしめた様子で大地に両手をつくと、静かに目を閉じ呟く。
「我が名はランド……八百万の友よ、我が問に答えよ…………」
不思議な声色であった。耳から聞こえるようであり、心に直接語りかけてくるようでもあった。
……………………が、何か変化が現れるわけではなかった。
「……ふむ、駄目か。やっぱり魔導書がないと声が届かんな」
――魔法。
第八代フルオルガ国王ヒルブランド・ディアークは、支配者としての権力を惜しみなく行使し、いくつかの善政と、多くの悪政を施行した。
その悪政のひとつ、ロウエム大陸歴五一二年に発布された『廃魔禁研令』は、魔法の実行、新たな術の研究を禁止しただけでなく、すでに世にある魔導書すべての廃棄を定めたものであった。
術を執り行うには魔導書が必要とされるため、この法をもって地上から魔法は消えた……。
ランドは周囲を警戒しつつも、兵糧の積まれたテントの前を大胆に駆け抜け、さらに奥に見える甕が並ぶテントの前で足を止めた。
「うひょー! 久しぶりの酒だぜ!」
木の蓋の上に投げ置かれていた柄杓をおもむろに掴むが、思い直したのか蓋をずらし落とすと、そのまま腰を落とし甕を傾け、文字通り酒を浴びながら飲んだ。
「………………っぷはあぁ! 生き返ったぜぇ。酒があれば伝説の回復魔法もいらねぇなぁ」
テンションは高いが声は抑えている。口元に滴る酒を袖で拭うと、持参の水筒に酒を汲み入れ、次の目標に意識を移す。
そこは高床式に建てられた木造の小屋で、入り口に戸はなく、代わりに簾が垂れ下がっていた。
青年は剣の柄を右手で握りしめ、音を立てないよう小屋の入り口まで忍び寄ると、中に人気のないことを確認し、不敵な笑みを浮かべた。
陽はすでに一日の終りを告げ始め、微酔青年の頬をごまかすかのように、辺りを紅く染め上げ始めた。
小屋の中に灯りはなく薄暗いが、青年にはかえって都合が良いようであった。
四半刻(約三十分)ほど前、青年がチルセン駐屯所に忍び込んでいた頃、その南門を守る衛兵は、自陣に向かって走ってくる怪しい人影を確認していた。
近くまで来ると、どうやら野盗に追われている修道女であることがわかったが、どうにも様子がおかしい。
野盗の数は四人。先頭で馬を走らす青墨色の髪をした小柄な男は、修道女との距離を詰めると馬の足を止め、修道女に向かって矢を放ち、射程から外れるとまた馬を走らす。
馬の後ろを走ってくる金髪と若草色の髪の男たちは、遠目から見ても本気で追いかけているようには見えない。疲れない程度に駆けている……という印象を受ける。
そして、怪しさの最たるものは最後尾に続く巨漢の戦士だ。おおよそ走っているという表現は憚られ、兜を脱いで顕になった表情は、疲労の色を微塵も隠そうとはしない。すみれ色の髪からあふれ落ちる汗は滝のようで、戦闘用であろう鎚は体を支える杖代わりに使われている。
「助けてー!」
修道女の叫ぶ声が門まではっきりと聞こえる距離まで近付いて来た。
門衛には二人の兵士が配置されていたが、野盗が正規軍の陣営に近付く、などという命を捨てる行為に理解が追いつかぬまま、互いの顔を見合わせ当座の対応を打ち合わせた。
「おい、あのあからさまに怪しい奴ら、とりあえず斬っていいよな?」
「あの修道女も怪しくないか? とりあえず相手は四人、こっちは二人だ。応援を呼ぼう」
壮年の衛兵は不測の事態に備えるべく、門の内側に備えてあった銅鑼を大きく一度鳴らした。
衛兵たちが修道女の足の速さを読み誤ったことに気付くまで、さほど時間はかからなかった。修道女は衛兵の応援が来るよりも早く、門まで逃げおおせてきたのだ。
だが、守備体制が整う前に修道女が到着したからと言って、特に問題はないと衛兵たちは判断した。野盗は四人いるが、とりあえず相手にするのは突出してきている騎馬一人だ。
壮年の衛兵は修道女にも注意の意識を向け、万全を期すべく静止を命じる。
「おい女。そこで止ま……ぐふぅっ!」
言い終えるより早く、修道女は駆けて来た勢いのまま壮年の兵に抱きついた。壮年の兵はあまりの勢いにむせ返る。
「騎士様お助けください! 巡礼中、野盗に出くわしここまで逃げて参りました!あぁ、こうして騎士様にお会いできたのも我が神アクレースのお導きによるもの……!」
「ちょ……待てっ……! わかっ……わかったからちょっと離れよ!」
騎馬の野盗が迫っているため急いで修道女を引き離そうとするが、弱々しくも高潔に輝く真紅の瞳に思わず心奪われる。ふくよかな胸が押し付けられていることを視認するが、鉄の鎧がその感触を完全に遮断していることにやるせなさを感じた。
もう一人の衛兵も、同僚の体たらくにげんなりとした視線を送ってはいたが、修道服の深いスリットから垣間見えるしなやかな生足に、一瞬となく目を奪われていた。
「おーい!」
「何事だー!」
この時ようやく衛兵の応援部隊が五人ほど駆けつけたが、現状ではこの南門が最前線であることを、一体何人の者が認識できていたであろうか。
すでに青墨色の髪を風に晒した騎馬兵が門前まで迫り、構えた弓から必殺の矢を放つ。
銅鑼の音に慌てて飛び出してきたのであろう、応援部隊の先頭を走る兵士は兜を被っておらず、首より上は無防備であった。
矢は門兵二人を素通りし、その先頭を走る兵の喉元を貫いた。先程まで修道女に放っていた騎射とは打って変わり、正確で力強い一矢である。
応援部隊は突然の出来事に数瞬動きが止まり、反して騎手ロジェは馬を蹴ってさらに勢いをつける。
応援部隊は反射的に身を反らし馬の突進をかわすと、馬はそのまま陣中へと駆け抜けていった。
「おい!貴様…………!」
最後尾にいた兵士が慌てて呼び止めようとしたその時、後背にある門から叫び声が上がり、今度はそちらに意識を取られた。応援部隊はすでに混乱状態にあり、一つひとつの事象に都度反応してしまい、正しい判断が出来なくなっていた。
叫び声の主は南門の衛兵であった。
ロジェの駆る馬が門前へと迫った時、ようやく後手に回ったことを悟った衛兵は、体制を整えるべく修道女を仲間から引き離そうと、その華奢にも見える肩を掴んだ。
一瞬の出来事だった。
少なくとも斬られた方にとっては瞬く間の厄災であり、生涯に残る不覚であったろう。
衛兵に肩を掴まれた修道女アリナは、抱きついていた壮年の兵の腰に装備されていた剣に手をかけると、振り向きざまに一閃――。
自分の肩を掴んでいた相手左腕の付け根を下から上へと斬り上げた。腕が上がっていたため脇部分は鎧の隙間となっており、振りかぶらずとも致命的な一撃となる箇所を的確に捉えていた。
衝撃で弾け飛んだ肩当てと共に、斬り飛ばされた腕が弧を描いて宙を舞う。
アリナは伸び上がった体の重心を足元に戻しつつ、体をさらに半回転させると、先程まで抱きついていた壮年の兵士を正面に捉え、天高く振り上げた剣をそのまま一気に打ち下ろした。
初撃に反し、しっかりと体重を乗せた重い一撃は、鉄の鎧を打ち裂き相手を絶命へと導いた……。
「今度はあの世で神様に抱きしめてもらうのね」