第十九話 みんな主人公
クーメ上空を侵略し尽くした黒雲が、地上を走る幌馬車に容赦なく雨を叩きつけていた。
幌の中ではランドが横たわり、先に起き上がっていたベルパルシエがマティアスと話をしていた。
治療のために別行動をとったのはランドとベルパルシエのみで、マティアスは付き添いである。残りの者はマドレーヌの指揮下でゲリラ組と連絡を取り、順次アサラへと帰投して行く。
「帰投組は何人生き残ってくれてるかな……」
マティアスが切なげに呟いた。遺跡潜入組は三人の死者を出したが、それでさえマシな方だと感じられた。シュトルンの謎の言動によって見逃されてなければ、果たして何人が生き延びていたことか……。
「そんなに強かったんすか」
実際に戦闘を見ていないベルパルシエは、アリナやランドが遅れをとる相手と言うのが、どうにも信じ難く感じられた。
「アリナに聞いたが、奴に斬りかかった時、気付いたときには奴が移動していた……まるで自分だけ時が止まっていたかのように感じた……と言っていたよ」
「時が……?」
「あぁ。“無刻”の異名は伊達じゃなかったってことさ」
「“無刻”……動いた時間を無かったことにするってことっすか。そんなの勝てるわけがねぇ」
「傍から見てたら普通に動いてるように見えたんだけどね。ただ、奴の動きに対して、アリナもランドも、なんだか反応がおかしかったのは確かさ」
だがランドは二度もその攻撃を凌いだ。目を覚ましたらその辺りの種明かしを是非ご教授願おう。
そんなことを考えつつ、マティアスが寝ているランドに目を向けると、丁度ランドが目を覚ましたところであった。
「痛っ……」
身を起こそうとするが痛みがそれを許さない。ランドは仕方無しに、寝たまま今の状況を確認する。
マティアスから一通りの流れを聞いたランドは、何処を見るともなく、天面の幌を見据えながら呟いた。
「また……生かされたか……」
奇跡的に命拾いしたわりには、どこか他人事のように独りごちるランドに、ベルパルシエが不思議そうに声をかけた。
「なんだか生き残ったことに不満でもありそうな言い方だな。オレなんか富くじが当たったような感じだぜ」
マティアスは革の水筒をランドに投げ渡し、とりあえずは目覚めるほどまでに回復したことに安堵した。
「中身は酒だよ……かなり出血したうえにこの雨だ。体を暖めておいたほうがいい」
ランドは痛みに耐えながら上半身を起こし、水筒を口にするがむせ返してしまった。
「ごほっ……オ、オレだって幸運だったとは思うさ。でもな、オレはどこにでもいる平民だぜ。しかも十三年前なんてまだ五歳の頃だ、あの人にしろ、遺跡で会った赤い奴にしろ、なんでオレなんかを……」
視線を落とすランドに、マティアスは諭すように語りかける。
「特別な存在……なのかもな」
言いたいことがわからなかったが、ランドは水筒を口に運び、酒を含みながら言葉の続きを待った。
「人は誰でも特別な存在だ。友や恋人、親と子。臣に君あり……だ。奴らにとっては、君が何かに対しての特別な存在で、生かす価値があるってことだろう。……今のところはらしいけどね」
シュトルンは去り際に可能性を示せと告げていたが、それが何に対しての可能性なのかをランドは知らない。自ら探し求めろと言うことなのか……。
「誰でも……か。あんたもそうなのかマティアス」
短い茜色髪の男は悪戯めいた笑みを浮かべると、胸を張って答えた。
「もちろん。僕は『明けの明星』の団長だからね。いろんな人から見て特別さ」
なんと迷いの無い返事だろう。その笑顔にランドは羨ましさをも感じたが、不意にマティアスは表情を改め、真面目な話をランド達に聞かせた。
「ただ……このまま貧民街の、裏稼業の顔役で終わるつもりはないよ」
ランドはマティアスから貧民街で聞いた話を思い出した。
「国を動かすってやつか?」
「あぁそうだ。遺跡で魔導書を手に入れることが目的じゃない。国を動かすための手札を揃えるためさ」
話の規模がいきなり拡大し、ベルパルシエも興味深げに耳を傾ける。
「まずフルオルガ相手に出しぬける力があることを実績をもって示し、次に彼奴ら相手に戦力となり得る魔導書の存在を知らしめる。勝てる公算が成り立つのなら、話に乗ってくる勢力はあるはずさ」
「でもマティアスさん。結局魔導書は一冊だけだったんすよね?」
ベルパルシエは疑問に思うところを素直に聞いてみた。
魔導書が一冊あるだけで戦局が覆せるのであればクーメ魔法王国が滅ぼされることはなかったであろう。ならば目算が甘すぎるのではないか……と。
マティアスもそのことは承知している。理想は大量の魔導書を発見することにこそあった。
単なる一地方規模の領地しか持たないクーメが、第一次タニビエス会戦ではフルオルガ軍相手に勝利を収めている。これは魔法の影響力を切り離して語ることは出来ないであろう。
今に至っても『廃魔禁研令』をもって、魔導書の根絶と医療にも役立つはずの研究を禁じていることが、いかにフルオルガ国が魔法を恐れているのかが見て取れると言うものだ。
もし大量の魔導書を手に入れることが出来ていたのであれば、まだ当時のクーメ魔法王国よりも国力の勝る東西南の三国に、天下を目指す野心を焚き付けることができたかも知れない。
当時のクーメは政策上の鎖国状態で、魔導書などは国外不出となっていたが、今ならクーメ領主のレイモンド公爵さえ抑えればなんとでもなると言うものである。
「確かに一冊しか手に入らなかったのは痛手だ。しかし手札が揃わないからと言って、勝負そのものから逃げたりはしない。賽はすでに投げられたんだよ」
「なんであんたはそこまでするんだ?」
ランドは本心から不思議に感じていた。魔導書は売り飛ばして銭に変えるものだと思っていたが、国を動かす勝負と言うのは、今回のように命を落とすほどの危険を冒してまで行う価値のある事なのか。
「今、どの国を見渡してみても、多くの民人は飢え、虐げられ、苦しんでいる。誰かが声を上げ変えなければこれからもこの苦しみは続いていくだろう?」
理屈は理解できる。しかし、だからと言って自分が死んでしまえば元も子もないのではないか。
「あんた自身がやる必要があるのか?」
「誰かがやるまで待ってはいられないのさ」
明快であった――。
明快であるがゆえにこの男は立ち止まらず、ついて来る者達も迷わない。
そしてランドにはそれがなかった。
幼い頃は親の下、クーメを出てからはヴェルナーの庇護下に、その後は誰にも頼らず、また頼られることもなく、ただ生きるためだけに狩りをし、採集し、盗みを行って来た。
何かのため、誰かのために考え、行動し、剣を振るう。そういった経験……考え方そのものが今までのランドには無かったのである。
だが、ランドの意識は変化しつつあった。
今回の依頼を受けたのは報酬と、クーメまで来る目的のためではあったが、アリナ達の暮らしぶりに触れ、他人のために剣を振る真似事をしてみたくなったためかも知れない。
それで命を落としていたとしても、この先もずっと一人で生きて行くよりか、少しはマシな人生だったと思えそうな気がしていたのだ。
「どうしてそんなふうに思えるんだ。あんたは昔からそんな感じだったのか?」
「……どうだろうな。アサラに来る前までは、僕はキュラントの地方貴族の下で、騎士を生業にしていたんだ。その頃は騎士の矜持と言うか、名誉こそって感じで生きていたよ」
キュラントが滅び、主君であった領主が消え、騎士でさえなくなった今でも、その誇り高い精神を失ってはいないようだ。
主君の仇を討つためか、貧しく虐げられている民人を救うためか、どちらにせよ、この男は信念をもってその剣を振るっているのである。ランドはこの男の心を羨ましく思えた。
「君にはそう言うのは無いのかい? ……でもいつか来るさ、そう言うものが心を埋め尽くす日がね」
どうだろうな……とランドはポツリと呟いたが、心の底ではその言葉を信じずにはいられなかった。
「マティアスさん村が見えてきたぜ。あの村すかね?」
ベルパルシエが指し示した先に、寂しげな集落が見え始めていた。
雨はまだ、止む気配を見せはしなかった……。
時はすでに亥の初刻(二一時頃)を迎え、引く気配のない黒雲と、そのもたらす風雨がクーメ公爵領を深く闇に染めている。
クーメ領主、レイモンド公爵の居館は公爵軍本営を兼ねており、いくつもの灯りが館内の至るところを照らし、まるで昼日中のような明るさを保っていた。
その館の門前に一人の騎士が佇んでいた。兜は失い、具足は所どころ破損し、体中傷の無い箇所はないほどに負傷している。
後頚部で結んだ若竹色の髪が、雨を含んで重く垂れていた。
館の中に数ある部屋の一室で、表で雨に濡れている男に劣らず傷ついている騎士が、跪き伏せた顔を脂汗に蹂躙されていた。
「げ……【玄神之書】だとぉーっ!!」
館内に響き渡ったのは館の主、レイモンドの声である。
主の前に跪き頭を垂れていたのはゲルベルトであった。
ゲルベルトは遺跡での経緯を報告するためレイモンドの前に戻って来たのだが、主の機嫌はキュラント公国のファソン火山のように噴火寸前であった。
レイモンドは領内で続発したゲリラ的な暴動騒ぎに翻弄され、とりわけ主眼を置いていた遺跡探索隊からは何の音沙汰もなく、ようやく戻ってきたかと思えば指揮官以外の探索隊は全滅していて、増援隊も半数の死者を出し、成果は何も持ち帰ってはいないと言う。
レイモンドの湧き上がった不機嫌の波を鎮めるため、ゲルベルトは秘蔵の手札を惜しみなく切ることにした。
「……その時に見た魔導書。その表紙に施された装丁は、仄聞するところの九鼎の書物、【玄神之書】であったと確信致しております」
これを周りで聞いていた騎士や兵士たちは口々に驚きを表す。
「九鼎とは……国宝ということか」
「私も国宝の書の話は伝え聞いたことがあるが、確か現在は行方が知れぬと……」
ゲルベルトは自らの切った手札が好転をもたらすことを信じて疑わず、好悪を併せ持つ万能札であったことに気付いていなかった。
レイモンドはゲリラ勢力に領地を荒らされ、対応を見誤ったため対応が後手にまわり甚大なる被害を被っている。
その失態を取り戻す逆転劇の主演となり得るのが魔導書であったのだが、その魔導書を目前としながら入手し損なったばかりか、それが単なる魔導書ではなく、国宝の書であったとなれば事は穏便には済まされない。
レイモンドはいくつもの失態を冒したが、悪い意味で単なる無能では無かった。
彼は自らを救済する策を頭の中に捻り出すと、すぐさま一発逆転劇の幕を開けた。
「者共! 謀反人ゲルベルトを捕らえよ!」




