第十七話 最強の格
遺跡入口前に出てきたフレッドの側まで戻ってきたルーは、怒りもあらわに問いただした。
「テメェフレッドォ! 何出てきてんだぁ……」
「危ないルー! さ、下がって……」
常に弱気なフレッドが、妙に語気を強めて制止するので思わずルーは気勢をそがれ、何がフレッドに影響を与えたのか、入口の闇の中に興味を覚え身構えた。
闇の中から姿を現したのは、兜を失い若竹色の髪をあらわに剣を構えているカミルであった。その後ろには憮然とゲルベルトが立っている。二人ともに全身傷だらけで鎧も各所痛みきっていた。
「こいつら……先程の賊の仲間か」
「閣下のささやかな威光を理解せぬ輩でございましょう。すぐに斬ってご覧に入れます」
アリナはその端麗な顔を歪ませ、不味い事態に陥ったと、無言のままに表現した。
テランスも状況を理解している。
「こちらが合流する前に挟まれたか……」
しかも現状ではマティアス達の安否が定かではない。ある意味マティアス達が全滅しているのであれば、一目散に逃げ出すことも出来るであろうが、生存の可能性が残る以上は、踏みとどまって退路を確保する必要がある。
「ア、アリナ……こいつ、強いよ……」
「バァカ、ビビってんじゃぁねぇぜぇ」
強がってみせるが、隙きのないカミルの構えに、ルーも迂闊に仕掛けられずにいる。
足の止まったアリナ達に対し、乱れる寸前まで陥っていたレイモンド兵たちは、混乱しつつも既の所で持ちこたえた。
「囲めぇっ!」
入口前の天蓋の下で輪になり、互いの背を守る隊形をとったアリナ達をカミルらが取り囲む。アリナの透き通るような柔肌の頬を、一粒の汗が流れ落ちた。
「これは……ヤバいわね」
この上ないほど具合の悪い展開に、アリナ達は有効な打開案が思い浮かばぬまま、時間だけが経過していった。
全身からにじみ出るような殺気を放ちカミルがにじり寄ると、気迫に押されフレッドが下がる。その動きに合わせてアリナ達の陣形が動けば、兵士たちの包囲網も移動する。
互いに牽制し合いながら、二重の輪は少しずつ移動を繰り返した。
そして、悪い事というのは重なるものだと言うことを、アリナ達四人は思い知らされる。
「これは何事だ!」
遺跡の側面から姿を現したのは十騎程度の騎兵隊であった。皆全身を真っ赤な具足で整え、ただ外套の裏地のみが黒い。
「なっ、“赤備え”!」
驚いたのはアリナ達よりもゲルベルトらのほうであったかも知れない。
その強さは出会ったことのないアリナ達より、同国の軍属であるゲルベルト達のほうがよく知っていた。
戦場には神出鬼没、鬼神の如き働きを示し、団長のシュトルンは大陸一の呼び声高い剣の使い手で、国内外を問わず、軍籍にある者で知らない者はもぐりと言われる。
「“無刻の……”」
ゲルベルトが苦々しげに視線を向けた。
「まさしくあれは“無刻のシュトルン”。閣下より爵位は下でございますが、階級は天地の差がございます」
シュトルンは国内外最強と謳われる『宮廷騎士団』の団長であるが、爵位はゲルベルトの“子”より下位の“士”であり、貴族としては最下位にあたる。だが階級となるとフルオルガ国における軍事の最高階級である元帥号を持っており、一領主の下で、一部隊を率いるのみのゲルベルトからしてみれば雲の上の存在である。
だが“王家赤備え”と呼ばれる騎士団の特殊な事情が、その差を精神上では反転させている。
「ふん、裏切り者の遺児どもが。陛下の覚えが良いことにいい気になり、このようなところまで出しゃばってくるとは……しかもこのような時に……」
何はともあれ上官である。ゲルベルトは隊を代表して状況を説明しなければならない。
アリナ達はカミルに任せ、シュトルンの前に出ているロルフの下へと歩み寄る。
この時、その場に居合わせた全員の意識が“赤備え”へと向けられていた。
アリナ達でさえ、周囲に刃を向け牽制しつつも、新たに現れた敵兵の規模とその実力を見計らっていて、遺跡入口から兵士が一人、気配を殺して出て来ていたことに気付いた者はいなかった。
兵士は兜を被っておらず、灰色の髪から滴る流血が、頭部への負傷を表していた。
兵士はそのまま、“赤備え”が来た方とは逆側の森に姿を消して行った。
シュトルン達からも遺跡の壁が邪魔をし、死角となってその存在を察知してはいなかった。
ゲルベルトは簡単に状況を説明した。遺跡探索中賊に出くわしたこと、遺跡深部で魔法使いの魔物と戦闘になり、無数の巨人兵を相手に部隊が壊滅し、ひとまず善後策を練るため撤退して来たこと。
ただし、最深部の大広間で見た魔導書のことは伏せていた……。
「あれは部隊を再編し私が手に入れてみせる。“赤”なんぞに横取りはさせぬ」
差し当たっての状況を把握したロルフが、馬上から後ろのシュトルンに指示を仰ぐ。
「とりあえずそこの賊を片付けますか?」
「いや……見てみろロルフ、修道女の剣士がいるぞ。アサラの貧民街で見た女だ」
ロルフはゲルベルトに赤備え側の事情を説明し返し、賊に対し尋問等取り調べを行うため、その身柄は“赤備え”が預かる旨を伝えた。
「なんと! 彼奴らは私の部下を何人も斬っておるのですぞ、それを貴殿らに渡せと仰るか!」
語気を荒らげたゲルベルトに対し、ロルフの眼光が鋭く突き刺さる。
「兵たちは貴様の私兵ではない! 全ての兵はヒルブランド国王陛下の御為のものであり、シュトルン元帥閣下はその総大将たるご下命を賜っておいでであるぞ!」
「まてロルフ……」
シュトルンがロルフの横に馬のくつわを並べて制止に入った。彼が下馬すると全ての部下たちも遅れず下馬する。
「部下が失礼致した。しかしゲルベルト卿、命を落とした部下の無念は遺跡探索の成果にこそ帰されるものでしょう。今は部隊を再編し、遺跡深部で出会ったという魔物どもの討伐をこそ優先なされるべきかと……」
その剣技は時を止めると噂される“無刻のシュトルン”と相対し、ゲルベルトは背筋が寒くなる思いであった。意地や矜持などより、一刻も早くこの場から立ち去りたいと、認めたくはないが胸中はそのような思いで満たされていた。
結局、渋々ではあるがゲルベルトは残存の兵力を連れ、一度本部まで引き上げていった。散々な目にあいながら成果は何も無く、自らも深く傷つきながら帰路につくゲルベルト達を、降り出した雨が無情にも打ち据えていった。
「さて、君たちに聞きたいことがある」
シュトルンら“赤備え”はアリナ達を囲みもしないが、その必要もない、と言わんばかりの絶対の自信を彼らが持っていることを、アリナ達は肌で感じ動くことが出来ずにいた。
「チルセン駐屯所を襲ったのは君たちか?」
アリナの体が僅かに反応を示す。無言のまま細身の剣を握る手に力が入る。
シュトルンはアリナ達の反応を見ているだけで返答を催促せず、次の質問へと移った。
「目的は遺跡への援軍の足止めか? しかしもう来ていたとはな。危うくすれ違うところだったかな」
おもむろにシュトルンが歩き出す。何の警戒も見せず無防備なように見えるが、アリナ達の緊張の度合いは極限に達しようとしていた。
アリナ達まで数歩の距離まで近づいたところでシュトルンは歩みを止めた。アリナはあることを感じ取り奥歯を噛み締めた。
「これが彼の距離……私の射程にはまだ遠い……」
「さて、次の質問には答えてもらうよ」
シュトルンの視線が真紅の瞳を捉えた。アリナは視線を外すことが出来ない。相手の一挙手一投足に全神経を集中させていた。
「ここでの目的は魔導書か? それを手に入れてどうする? 国に対し謀反でも起こすつもりか?」
アリナは降ってきた雨と冷や汗に濡れた頬を拭いもせず、口角を上げ不敵な笑みを浮かべ言葉を絞り出した。
「な……【夏に嬉しい半袖トゥニカ・スカプラリアン夏号】が眠ってるって聞いてね……あなたも主に導かれてみる?」
「貴様っ……!」
抜剣するロルフをシュトルンが手で制す。
「なるほど肝は据わってるようだね。では質問を変えよう。ちょっと気になってることがあってね……」
アリナは生唾を飲み込み相手の出方を伺う。
「君の出自はどこだ?」
「アリナ! 大丈夫か!」
木霊した声はランドのものであった。その声は緊張で張り詰めていた空間を切り裂き、抑え込まれていた衝動を解き放った。
テランスが飛び出し、眼前で無防備に立っているシュトルンを目掛け戦斧を叩き込む……叩き込むための一歩を踏み出した。
「ダメ……!」
アリナの制す声が場に轟いた時、すでにテランスの首は宙を舞っていた。
気が付けば、いつの間にかテランスの側まで移動していたシュトルンが、刀を鞘に納めているところであった。
遺跡の入口で声を掛けたランドは一体何が起こっているのか全く理解が出来なかったが、共に出て来たマティアスは、真っ赤な具足で身を固める一団を見て瞬時に相手の正体を見極めた。
「な……“王家赤備え”。なぜここに……」
理解が追いつかない現状に予期せぬ敵、見えない攻撃に誰もが混乱したが、マドレーヌだけは冷静に、ランドの手からそっと杖を受け取り、道具袋の中に隠し入れた。
そしてその全ての原因とも言えるシュトルンもまた、別の理由で明らかに動揺していた。
「アリナ……アリナだと……?」
シュトルンはゆっくりと、緋色の髪へと視線を動かし、己で意識しているのかどうかも定かではないまま、アリナへ向けて手を差し伸べようとした。
「アリナ退がれ!」
ランドが雨の中にその身を投じ、シュトルンに対し体重を乗せた一撃を浴びせる。
ロルフが素早く間に割って入り、ランドの剣を打ち返し間をとった。
「ランドあなた大丈夫なの!?」
ランドが身をひねり二合目の打ち合いを仕掛ける。ロルフは正面から打ち返し互いに三合目を挑み合った。
ロルフは闘いながら後背を気に掛けていた。シュトルンの様子が明らかにおかしい。何か、心ここにあらずといった様子が感じられる。
その隙きを逃さじとアリナが飛びかかる。放心状態とも取れるシュトルンの喉元目掛け繰り出した一撃を、これもロルフが打ち落とし、返す刀でランドに斬撃を見舞った。
ならばと、今度はランドがシュトルンに対し袈裟に斬り落とそうとするが、再びロルフが打ち払い、休む間もなくアリナに牽制の一打を叩き込む。
この目まぐるしい戦闘を眼前に収めながら、まるで他人事のような眼で見守っていたシュトルンが口を開いた。
「退がれロルフ……」
「は……?」
戦闘を継続しながら、間の抜けた返事をしてしまったロルフは自分の耳を疑い聞き返したが、シュトルンの返した言葉は先程と変わらぬものであった。
「退がっていろロルフ。他の者も手を出すな」
シュトルンの言葉が聞こえたランドとアリナも、徐々にロルフと距離をとり間をはかった。何の魂胆かはわからないが、攻撃を仕掛けてこないのであれば余計なリスクは避けたい。二人ともにロルフを難敵と認識していた。
ルーやフレッドらランド側の陣営も手出しを控えている。
「お前がランドだと……? 来てみろ、一騎打ちだ」
シュトルンが軽く腰を落とし、刀に手を掛け鯉口を切る。
「なんだ? またオレを知ってるのか。まぁ人外にもいたんだ。もう驚かねぇよ」
一騎打ちと聞きアリナも手を出しかねていた。下手に手出しすればまた先程の騎士が割って入ってくることはわかりきっている。
黒雲に染まりし天が唸る。降りしきる雨を裂いてランドの剣がシュトルンを襲う。
ランドの剣は一打一打に体重をしっかりと乗せた重い打撃であったが、シュトルンはこれを一つひとつ丁寧に捌いた。
「君の剣は軽いな」
「何をっ!」
ランドは剣筋を変え斬撃を見舞った。この場に居合わせた何人の者が、この剣の描く軌跡を見極めきれたかという流速の剣であったが、シュトルンはこれも見事に受け流しきる。
「……筋は良い」
「テメェはぁ!」
無数にも感じられる突きがシュトルンを襲うが、この攻撃も全て弾かれ、いなされ、受け流された。
「この程度か……よくわかった」
少し間を取り、シュトルンは刀を鞘に納めると深く腰を落とした。
ランドは受けに集中し剣を構え直す。
――刹那。
本能的な感とでも言おうか、ランドは無意識のうちに身を捩った。
つい先程まで数歩離れた場所にいたシュトルンが、気がつけば目の前にいる。
そしてその手に握られた刀はランドの脇腹を突き抜けていた。
まさにその異名よろしく、シュトルンだけが、間合いを詰めて来た時間を消し飛ばしたかのようであった。




