第十六話 消えゆく遺志
「我が名はランド……岩の精霊よ我が声に答えその姿を顕せ……厚き壁となりて我が友の盾と成れ……我が名はランド……岩の精霊よ……」
呪文を繰り返し詠唱しているランドをロジェが見ていた。
不思議な声色であった。耳から聞こえるようであり、心に語りかけてくるようでもあった。
ロジェは数瞬見とれていたが、己のすべき事を思い出し叫んだ。
「早く逃げて! 長くは持たないって言ってました!」
岩の壁はいくつか突き出して来ており、仲間たちは全員壁の手前側にいるが、巨人兵も数体が内側に入り込んでいる。
マティアス達は負傷者を助けながら、大広間に入って来たときの扉を目指した。
「ロジェ! 君も急ぐんだ!」
「僕は……」
術の詠唱中は意識を極集中していると聞いたことがある。周りは見えているようだが、敵の攻撃に対し、これまでのような反応速度では対応出来ないはずだ。誰かがランドのそばについていなければ危ういのではないか……。
判断に迷うロジェにマドレーヌが痛みに耐えながらも答えを示す。
「わ……私達が退がるまで……ランドも逃げられないわよ……」
はっとした表情に変わり、ロジェはランドを視界に収めたまま、素早く後方にステップを踏んだ。
ゲルベルト達もこの好機を利用して、反対側の扉から通路へと退避することに成功していた。
これで全員が退避する形が整った……とその時、ランドの創り出した岩壁を越え、あの老人の声ならざる声が室内に降りそそいだ。
「これは……土の属性魔法……そして…ランドじゃと……? 汝は我が……クーメの民のランドか?」
思いもよらない所から自分の名前が呼ばれランドは集中を切らせてしまった。岩壁が崩れ落ち、広間中に乱立する巨人兵の中にランドは孤立してしまった。
戸惑いつつも背に背負った剣を抜き、周囲に目を配るが、先程まで暴れまわっていた巨人兵たちの動きは停止し、ただの動かぬ石像と化していた。
喧騒覚めやらぬ場景が、吐息の音さえ聞こえてきそうなほど静まり返り、荘厳たる広間に乱立した巨人兵が、あたかも絵画に描かれた神話の場面であるかのような様相を醸し出していた。
「なぜオレを知っている……? お前は誰だ?」
「やはりそうか……その髪色……そして至大なる魔力……この消えゆく意の中に残る記憶と相違ない」
動きを止めた巨人兵にまだ注意を払いながら、ランドは老人の陰影に向けて剣を構え、その言葉の続きを待った。
「大なる力を授かりし者よ……我が魔力は今にも尽き果てようと……しておる。もはや結界を……保つことも……ほどに」
「大なる力……何の話だ。お前は何者だ、悪いが死霊や物怪に知り合いはいないぜ」
噛み合わない会話にランドは焦りと苛立ちを覚え始めていた。
「そうか……その身にあって……その手にはまだ……」
突然巨人兵の一体が足元から崩れ落ち、砂塵となって床に広がった。
「我が名はエーブラハム・マクローリン……クーメの王にして……アクレース神ノ……代弁者タル者」
巨人兵がまた崩れ落ち、一体、また一体……と姿を消していく。
巨人兵の数が減っていくたびに、老人の陰影の言葉は弱々しく、そしてたどたどしくなっているように感じた。
「お、おい……クーメの王って……」
「汝を救いシ騎士からハ……ナニモ聞いテ……ノカ」
ランドの表情が驚愕の色合いに染まった。
「おい、何て言った……オレを救った騎士だと?ヴェルナーを知っているのか!」
「名ハ知らン……我ガ友……タノミ……汝……スクワセタ……」
ランドは混乱したままで情報の整理が追いつかない。まさかこんな所であの日の事、あの人のことを知っている者と出会うとは。
「スクワセタ……救わせただと!? お前がオレを助け出すようにあの人に言ったのか!?」
「友に……タノんデナ……」
ついに巨人兵の像が全て砂塵へとその姿を変え、室内に横たわる兵士たちの遺体を慰めるように砂で包んだ。
「全てノモノ……ツチニ……カエル……ゲロゲロ……理…………オモイダセッ! ……ランド……オマエハシッテイルノダ……」
「ゲロゲロって何だよ! なぜオレを助けた!? なんでオレなんだっ!?」
「モウ……キエル……キミニ……コレヲ…………」
いつの間にかランドの頭上に、光に包まれた一本の杖が浮かんでいた。3段櫓の中段に飾られていた物だ。
ゆっくりと宙を降りてくる杖をランドが受け取ると、光は消え失せランドの手に杖の重みを感じさせた。
「この杖は……?」
再びランドが顔を上げると、すでに老人の陰影はその形を失っていた。
「おい! ちょっと待て……待ってくれよ! わかんねぇよ! 何にもわかんねぇよ!」
「サイショウ……アウノダ……」
大広間は水を打ったように静まり返り、陰影の声が聞こえることは二度となかった。
マティアス達が退避していた出入り口で、開いた扉に手を付き、自身が立っているのもやっとのロジェが、ランドを気遣うように声を掛けようとした。
「ランドさ……」
その時突然、ロジェが手をついていた扉の裏側から人影が飛び出した。
人影は壁沿いに大広間の奥へと瞬く間に移動して行く。
ゲルベルト隊の兵士と同じ装備に身を包んだその人物は、片腕の仲間を手に掛け、ランドをつけて来たあの兵士であった。
兵士はランドが大広間に到着し、マドレーヌを庇いに飛び込んだ後、人知れず開いた扉の裏側に潜り込み、事の成り行きを伺っていたのであった。
この男の動きに瞬時に反応出来たのはマティアスのみであったが、マドレーヌの支えとなっていた彼が出来たのは、兵士の狙いを周知することだけに留まった。
「魔導書だ!」
大広間奥、3段櫓の最上段には未だ一冊の本が飾られていた。先程まで繰り広げられていた魔術戦、魔力によって操られていたのであろう巨人兵などが、最上段に飾られた本が単なる本ではなく、魔導書であると確信させる根拠となっていた。
飛び出せたのはランドだけであった、他の者達は皆満身創痍で、動くことは出来ても駆け出すほどの与力は持ち合わせてはいなかった。
そしてそのランドもすでに一度限界を迎えた体である。万全であれば遅れを取るような相手ではなかったかも知れないが、広間の床は平らな面が無いほど荒れ果て、所々に転がる兵士たちの死体や、砂塵の山がランドの行く手を阻んだ。
それでも櫓まで一直線に進む事ができた距離的優位が高じて、ランドがわずかに先んじて櫓に足をかける。
広間の壁沿いに回り込んできた兵士は、迷わず腰の剣を抜くと勢いもそのままにランドへと斬りかかった。
右手には先程受け取った杖、左手には土の魔導書を持っていたランドは、抜剣することが出来ず杖で斬撃を受け止めたが、完全には勢いを殺しきれず、背中から床へと叩き落とされた。
「うぐっ……しまった」
息を詰まらせながらもなんとか起き上がったランドの横を、櫓から飛び降りてきた兵士が通り過ぎる。
すれ違う兵士に対し、ランドが振り向きざまの一打を浴びせるが、杖は兜を弾き飛ばしただけで、兵士はよろめきながらもそのまま駆け抜けていった。
ランドは続いて追いかけようと試みたが、この時遺跡中を揺るがすほどの揺れがランド達を襲い、ランドも逃げる兵士も思わず足をよろめかせる。
「また何かの仕掛けか!?」
マティアスが周囲を警戒する。櫓に仕掛けがあったのか、先程の陰影が消えたことと関係があるのか、原因はわからないが今度の揺れは収まる気配がなく、そして程度が大きい。
天井からは砂埃だけでなく、天井を構成する石膏の塊なども落ちてきて、一同の脳裏に浮かんだ不安をロジェが代表して声にした。
「これ……崩れるんじゃ……」
「急ぐんだ、逃げるぞっ!」
マティアスの声を合図に、皆来た道を戻り始めた。
時刻は酉の初刻(十七時頃)になろうかとしていた。上空はすっかり黒雲に覆われ、地上に届くはずの光を遮っていた。
遺跡入口封鎖戦を興じるフレッドとルーは善戦を続けていたが、胸中では決して楽観視していたわけではなかった。
「ル、ルー……そろそろ、ヤバいよ……」
「あぁ、わかってるぜぇフレッドォ……」
ルーが所持していた暗器は全て投げ尽くし、回収するには一度入口の外に出ねばならない。外側にはまだ数十人の兵士たちが突入の機を見計らっている。先に実践したヒット・アンド・アウェイ戦法はもう通用しないであろうし、何度も敵を鉄の鎧越しに斬りつけて来た結果、ルーの剣は刃こぼれの激しさが目に見えてわかるようになっていた。
一方フレッドの戦鎚には全く問題はなかったが、彼には別の不安要素が存在した。
「もう夕ご飯の時間だよ……も、もうお腹が空きすぎて……力が入らないよ……」
レイモンド兵の方でも問題を抱えていた。
入口にも兵士の死体が横たわり、隙きを見て急襲を仕掛ける際に邪魔になりそうなのである。
事態は膠着状態に陥ったか、と思われた時、場の空気を動かす新しい風が吹いた。
「ルー、フレッド、大丈夫!?」
緋色の髪をなびかせ現れたのはやや疲れた表情をしたアリナとテランスであった。
ルーとフレッドは満面の笑みを見せ、アリナ達と互いの無事を喜んだ。
それぞれの状況を簡単に説明し終えると、ルー達は亡くなった仲間の死を悼んだ後、善後策を手短に話し合った。
「とりあえず武器が持たねぇぜぇ」
「ボ……ボクはお腹が持たないよぉ」
「一人たりともここは通せないわ。入口を抑えつつ敵の数を減らさないと」
「とりあえず退路は確保しないとな。マティアス達が戻ってきた時、敵に追われていたら挟まれることになるぞ」
アリナが皆の意見を総括した。
「フレッドは入口を死守、他は打って出るわよ。三人固まってお互いの背後をカバー。ご飯は彼奴らを片付けてからよ。ルーの武器は……」
アリナは足元に横たわる兵士の側に落ちていた剣を、つま先ですくうように蹴り上げた。宙を舞った剣をルーが手に取る。
「――それよ」
遺跡の外から中の様子を伺っていた兵士たちは、前触れ無く飛び出してきた三つの影に戦慄を覚えた。
つい先程までは二人だけだと認識していた敵が突然三人に増えている。しかもよく見れば、先程までの二人とは違う顔姿が二人いるではないか。
不意の攻撃に仲間たちが斬られていくのをただ見守りながら、変化した状況に対し急ぎ認識を追わせた。
「奴らの仲間かっ!」
「気をつけろ! まだデブがいるぞ!」
「他にもまだ中にいるかも知れん! 入口から目を離すなよ!」
アリナ達の個々の技量の高さと連携の巧みさに加え、正確な兵力がわからない不安も重なり、レイモンド兵たちは混乱をきそうとしていた。
「えぇい狼狽えるな! 目前の敵に集中しろ!」
指揮官の騎士は自身も戸惑いながらも指示を飛ばし、部隊の瓦解を防いだ。
「三班は入口前に回り込め! 残りは全員で敵を囲んで応戦しろぉっ!」
指示は的確なものであったが、実行に移るまでは至らなかった。
指揮官の指示を耳にしたアリナ達は、互いに言葉を交わすこともなく分散し包囲されることを拒み、兵士たちはどの敵を囲むべきかで新たな混乱に襲われた。
一人二人の兵士を斬るとアリナ達はまた一つ所に集まり、そしてまた別れて戦った。
「アリナァ、さすがにキツいぜぇ!」
「ハァ……ハァ……一度退こう」
「そ……そうね。キリがないわ……」
タイミングを見計らうため泳がせたアリナの視線が、指揮官の騎士を射程内に捉えた。
――一息三閃の剣撃が宙を裂く
敵の射程距離を見誤った指揮官の騎士は、部隊の瓦解を防ぐため前方に寄りすぎていた。
己の誤ちに気付くこともなく、斬り刻まれた指揮官は馬上で絶命し、頸から上だけが地に転がった。
「戻るわよっ!」
三人の意識が遺跡入口を目指す。
だがその視線の先には、入口内部に向かって戦鎚を構え、後ずさりしながら出てきたフレッドがいた。