第十五話 魔法使い
遺跡最深部において混戦を演じているゲルベルト隊とマティアス達は、技術巧者が揃っていることもあって、遺跡入口でフレッドらが演じる膠着状態とは別次元での一進一退を繰り返していた。
打開策を模索していた両陣営だが、ついにゲルベルト隊が人数の優位性を多分に活かし、均衡状態の脱出を試みた。
大広間の中央部でベルパルシエとしのぎを削り合うカミルの後背を、大広間奥の櫓を目掛け駆け抜ける兵士の姿があった。
「させるか!」
アロイースが弓を構え阻止を図るが、ゲルベルト兵が突き出した槍を避け態勢を崩してしまった。
そして飛び出した兵士が長椅子に挟まれた中央通路を抜け出したとき、異変は突然その場にいた者たち全員の注意を引き付けた。
巨大水晶が放っていた色彩豊かな輝きは、まるで光が意志を持つかのように歪曲に動き出し、いつの間にか天井付近で立ち込めた霧の様相を醸し出した。
そして吸い込まれるように帯を成して宙を旋回したかと思うと、飛び出した兵士の眼前で収束し、次第に人型の影を形成していった。
飛び出していた兵士は唐突現れたその現象に動くことも出来ず、目の前に人の顔のような陰影が現れる様子を、ただただ見守るだけであった。
輝ける陰影がはっきりと人の体を成すと、大広間にいる全ての者たちは、その陰影の思念とも心慮とも取れる、声ならざる声を聞いた。
「神聖なる領域に踏み入りし者たちよ、我が残念が護りし秘宝を求め参ったか……」
その場に居合わせた全員の思いを代弁するかのように、ベルパルシエが自らを襲った感覚を言葉で表す。
「なんだこの声は……耳から聞こえてるのか? 直接頭の中にあの陰影からだとわかる言葉を突っ込まれた感じがするぜ」
「分不相応な至宝を望むからには、見合う覚悟も心得ておろう。その思い、我が魔力に勝るか試すがよい」
人型の陰影の口元から、目の前の兵士へ向け吐息のような気流が吹き付けられた。
兵士は驚きと恐怖のあまり動くことも出来ぬまま、顔の正面からその気流を受け止めた。霞がかりおぼろに包まれた頭部は、もやが晴れると、驚くことに石と化していた。
「魔術かっ!?」
陰影の赤く光る目がカミルの声に反応したかのように動き、何かをすくい上げるようにゆるりと腕を持ち上げると、急に掌だけを招くように返した。
途端にカミルの足元が床面ごと大きくめくれ上がり、側にいたベルパルシエと共にカミルは体制を崩した。
せり上がった床はそののまま裏返り、二人を押しつぶそうと倒れ込んで来る。どちらとも後方へ大きく飛び退き、長椅子を砕き潰した床面は砂埃をたて動きを止めた。
「「距離を詰めろ!」」
マティアスとゲルベルトが同時に叫んだ。通常の対魔法戦闘では、術者が呪文の詠唱を終える前に攻撃を仕掛けるか、さもなくば射程範囲内から退避するのが王道である。
敵の正体は不明だが、魔法で攻撃を仕掛けてくることはわかった。しかも兵士を瞬く間に石化する威力と、即座に次の術を行使する瞬発力を見せられ、両指揮者には状況を分析する猶予が与えられず、王道通りの対応を余儀なくされた。両指揮者の脳裏に等しく過ぎったのは、「人間の相手をしている場合ではない」と言うことだけであった。
「待って! 無闇に飛び込んじゃダメ!」
この場に居合わせた者たちの中で、マドレーヌだけは気付いた。敵は呪文の詠唱を行っていない。詠唱なしに魔法を行使してくるのであれば、策も無しに近付くのは自殺行為に等しいと……。
「無詠唱で魔法を行使……あの陰自体が魔導生命体。精霊か何か知らないけれど、かなり高位の魔術士だわ」
そしてマドレーヌが瞬時に導き出した見解が正しかったことは、敵の制止に応じなかったゲルベルト兵が身を持って証明した。
突進するゲルベルト兵たちの足が突然床にめり込んだ。つい今しがたまで硬い煉瓦が敷き詰められていた床は、突如として泥のように柔らかく兵たちの足を咥え込み、沼のように身動きを絡めとった。
「ちぃ……っ!」
カミルとベルパルシエも足を取られ身動きが制限される中、陰影の足元から飛び放たれた煉瓦の弾幕を全身に浴び、後方へと撃ち飛ばされた。
陰影はより人の姿を強く形造り、はっきりと老人の姿を現すまでになり、その表情までをも見て取れるように可視化され、言葉に合わせて口元が動いていることさえ確認できた。
「汝らの手に委ねるべき宝はここには無い。早々に立ち去らねば、その命をもって禁処に踏み入りし報いを受けることになろうぞ」
老人が手を前方に差し出すと、沼地化した床の中から泥の巨人兵が姿を現した。手には戦鎚のような物をもっており、泥が流れ落ちると馬面の兵士の姿を現し、ゲルベルトがうんざりとした表情で吐き捨てた。
「また馬面か!」
泥床の中からは次から次にと巨人兵が湧き出て来る。最初はなんとか対応出来ていたが、皆すぐに体力の限界を感じ始めた。
弓から短刀へと持ち替え戦うロジェを庇いつつ、マティアスは撤退のタイミングを見計らっていた。
「チッ……立ち去る機会を与えてもくれないのか」
「きゃぁっ!」
マドレーヌが戦鎚の勢いを殺し損ない吹き飛ばされた。後ろ腰に備えていた皮袋がちぎり飛ばされ、中身が床に散乱する。
「くぅ……魔導書が……」
「あれはっ!」
ゲルベルトが目ざとく魔導書の存在を確認するが、巨人兵の攻撃が激しくそれどころではない。
倒れ込んだままのマドレーヌに巨人兵が追撃の一打を浴びせようと振りかぶるが、誰も庇いに行く余裕など無く、マドレーヌも思わず目をつむった。
重い一撃がマドレーヌの頭を打ち砕くかに思えたが、地を這うように飛来した紫電が、マドレーヌの閉じたまぶたの寸前を通過し、巨人兵の戦鎚がマドレーヌに到達する既の所で思い切り撃ち砕いた。
至近で鳴り渡った鈍い不協和音に、マドレーヌは目を閉じたままでいられず、何事が生じたのか確かめようと目を開いた。
「ランドッ……うわっぷ」
鋼鉄にも見えた巨人兵の戦鎚が砕け散り砂塵と化していく。マドレーヌの顔にも砂埃が降り掛かり、再び視界を闇に戻す。
火急の事態に取り急ぎ駆けつけたランドは非現実的でもある状況に戸惑いを見せた。
「こいつらは一体……何がどうなってる!?」
聞いた側も聞かれた側も訳がわからないのが現状であった。
現在この大広間には、マティアス達の勢力がいて、ゲルベルトが率いるレイモンド公爵隊の勢力があり、突如現れた老人の姿を模した陰影と、その支配下にある巨人兵の勢力が存在している。
各勢力はそれぞれ対立しているが、目下のところ、老人勢力の圧倒的な人外戦力に、人間の二勢力がただただ防戦に追われているのみであった。
ようやく隙きを見つけ、マティアスが走り寄って来た。マドレーヌに肩を貸しながらランドに礼を述べる。
「体は大丈夫かい? おかげで助かったよ」
「すでに筋肉痛だ、まぁなんとか動けるさ。それより……」
この状況をどうするのか、と聞く暇もなく新たな巨人兵がランドへ戦鎚を打ち付けてきた。
ランドは頭を屈め攻撃を交わし、すれ違い際に巨人兵の腹部を斬り裂いた。
「ちっ……斬っただけじゃ倒れねぇのかよ!」
「一度退がったほうが良いんじゃないですか!」
マティアスの後ろを駆けてきたロジェの意見を、マドレーヌが痛みに顔を歪めながら肯定する。
「さ、賛成だね……これはもう戦なんて次元の戦いじゃあないよ……」
巨人兵のさらなる攻撃が今度はマティアス達目掛け打ちかかり、マティアスはマドレーヌを抱いたまま、後方へ思い切り身を投げだし危機を逃れる。
戦鎚は大広間の壁を削り飛ばし、飛び散った破片がマドレーヌを庇うマティアスの背中を無情にも打ち付けた。
「うぐっ!」
ロジェにも破片が降り掛かり、頭部にも塊が当たり床に倒れ込む。
「ロジェッ!」
ランドが駆け寄ろうとするが、背後から振り下ろされる戦鎚の気配を感じ、身をよじって交わしきる。
「僕は大丈夫です! それよりも……」
ロジェの視線が指し示す先には、倒れたまま起き上がることのできないベルパルシエの姿があった。
「シジスモンド!」
長椅子の上から上へ、仲間に合図を送ってアロイースが飛び出した。離れた場所からシジスモンドも巨人兵の合間を縫ってベルパルシエのもとへと駆け寄る。その間もマティアス達は巨人兵の攻撃を交わしつつ、徐々に通路の方へと退いていった。
「ダメ……マティアス……魔導書が……」
「今は駄目だ。まずは君たちの命を優先する」
傷口を抑えながら、マドレーヌは外傷とは違うところの痛みに堪えていた。
ランドはマティアス達を逃すため、その場に踏みとどまり巨人兵の足を止めていたが、攻撃を受け捌くだけで手一杯の様子であった。
「クソ……腹が減って力が出ねぇぜ」
負け惜しみを吐き捨てながらも善戦していたが、とどまるところを知らない巨人兵の連撃がついにランドを仕留める。
「ぐぅっ!?」
戦鎚の重い一振りが受けた剣ごとランドを吹き飛ばした。
「うぇっ!」
丁度起き上がったロジェにぶつかり二人揃って床に投げ出される。
「あぁ! なんかごめん!」
申し訳無さそうに謝るランドの目に、一冊の本が床に落ちているのが見えた。
「大丈夫かベルパルシエ! ……くそ、デカいぃ」
アロイースがベルパルシエを肩に担ぎ抱え起こすが、ベルパルシエの身長が高すぎて上手く動かせない。シジスモンドが周りの巨人兵を牽制して道を確保しようとしている。
すぐ側ではゲルベルトがカミルを救助しに駆け付け、彼らを護るように周りで兵士たちが戦っていた。
「閣下……私などのためにその非力なお体で……」
「えぇい、兵たちよ道を作れ! この部屋から後退するぞ!」
ゲルベルトはシジスモンドと一瞬目が合ったが、お互いの状況はよく理解し合っていた。今は逃げることに集中するべきである。
……だがどうしても未練は残る。再来するつもりではあるが、ゲルベルトは櫓の最上段に飾られた本がいったい何の本であるのか、少しでも情報を仕入れるために、この近距離から今一度目視で確認した。
「あの本は……!」
ゲルベルトの視線は確かに本を捉えたが、同時に見たくもないものまでその視界に潜り込んできた。
老人の姿をした陰影が、両掌を全面に突き出す仕草を見せたのである。ゲルベルトは戦慄を覚え、カミルを抱えたまま身構えた。
急に地鳴りがしたかと思うと、大広間の床からいくつもの岩の塊が、巨大な槍先のように突上げてきた。何人かの兵士が、その岩槍に突き抜かれ命を落としていったが、幸いにもゲルベルトやシジスモンド達は直撃を免れ、宙に飛ばされはしたが致命打とはならなかった。
大広間の前方付近まで突き飛ばされ、背中から着地したシジスモンドは一瞬息がつまりむせ返したが、なんとか起き上がり仲間の無事を確認した。
「ごふっ……アロイース、ベルパルシエ……生きてるか!」
「ここだシジスモンド……なんとか生きてるぞ。ベルパルシエも息がある」
「お前らも大概悪運が強いな、ここまで来たら最後まで生き残るぞ!」
神のいたずらとでも言うのであろうか、アロイースの目には、シジスモンドの背後に戦鎚を振りかざした巨人兵が映っていた。
「シジス……!」
危険を知らせる間もなく戦鎚が振り下ろされる。そのままシジスモンドの脳天に直撃することは疑いようがなかったが、彼の悪運はまだ尽きてはいなかった。
突然床が盛り上がったかと思ったら、そのまま天井高くまで岩の壁が伸び上がり、巨人兵とシジスモンドの間を分け隔てたのである。
「なんだぁっ!?」
「走って下さいっ!」
叫んだのはロジェであった。ロジェは何が起きるのかは知らなかったが、なぜ起きたのかは知っていた。
そして叫び声に反応し、ロジェの方に視線を飛ばした者たちは理解した。この岩壁は老人の陰影が創り出した物ではないのだと。