第十一話 出自
「上にもいるぞ!」
倒れた兵士ごとスライムを焼く炎が天井を照らし、悪夢の続投を宣言した。天井にはまだもう一匹スライムが残っていた……しかも大きい。
天井のスライムは、重力に身を任せるように体の中心から垂れ下がり、重みに耐えきれず途中で千切れ、落ちたスライムの一部は新たな犠牲者を生産した。
「うわあぁっ!」
「気をつけろ! 分離するぞっ!」
スライムの落下を左手に受けた兵士は、腕を必死に振り回すが、スライムはその身に咥え込んだ腕から離れようとしない。
次第に兵士は左腕に焼けるような熱さを感じ、それはすぐに激痛へと変化していった。篭手はすでに溶け消え、左手の皮膚が焼けただれ溶け始めている。
「腕を伸ばせ!」
カミルの叫んだ命令は、襲われている兵士の耳には届いていなかったが、スライムを振り落とそうとするその腕は、結果的に指示通りの動きを見せた。
兜の後ろから垂れ下がった髪を尻尾のように揺らし、カミルが大きく踏み込んだ。腰から剣を抜いたかと思うと、スライムが咥え込んでいる兵士の腕を、二の腕から一閃で切り落とす。
「が、ぬあぁあっ!」
「総員後退! 距離を取れ!」
カミルは兵士たちを退がらせ、自らも片腕を失った兵士を支え、他の兵士たちと共に来た道を戻り体勢を整えた。
カミルの越権行為には何も言わず、ゲルベルトがそのまま指揮権を取り戻す。
「負傷者を後続の隊まで運べ、魔物との遭遇を伝えておけよ。残りはスライムを倒すぞっ!」
部下たちは命令に従い、剣を抜き槍を構えたが、カミルが冷静に命令を補った。
「武器はスライムに餌を与えるだけだ! 総員松明を持て! スライムの外皮を焼き、体液をぶち撒けさせろ!」
指示は的確であった。落下してきたスライムも天井の本体も、松明の火に焼かれ体が焼き切れると、そこから体液があふれ出て、生命活動を停止し、単なる水分となったようである。あとには一兵士の焼死体と、焼けただれた腕が一本残るのみであった。
ゲルベルトが冷や汗を拭い部下たちに言い渡す。
「煙を吸わぬよう注意せよ。ここより先はこのような魔物がまだいるやも知れぬが、それは魔導書を含め、何かしらの秘宝が眠っている可能性が高いと言っているようなものだ」
魔物には多くの種類、種族が存在し、中には宝石や金銀鉱石を巣に持ち帰り、貯め込む習性を持つものもいる。また、宝物の番人として召喚され、主亡き後も、永遠とその役目に縛られ続けていることもあり得る。
魔導書は精霊など、人外の者と通じ合うための媒体であり、書そのものがかす量ながら魔力を持っていることもある。その魔力に興味を示した魔物が自分の巣に持ち帰り、宝物のように所有していると言うことも、いくつもの前例が証明していた。
そして、ゲルベルトの予見は、幸か不幸か当たることになる――。
ゲルベルト隊はその後も数匹のスライムと対峙したが、後から来る後続の仲間のために、一匹ずつ丁寧に処理しつつ進んだ。スライムは動きが緩慢で、居るとわかっていれば恐れるほどの相手ではない。
やがて隊は、回廊の両側に六体の像が立ち並ぶ場所で足を止めた。奥は行き止まりになっており、壁の一部が窪んでいて、その空間に設置された台座の上に、水晶が置かれていた。
ゲルベルトは左右に伸びる髭を撫でながら、信頼する部下に見解を求めた。
「カミルよ……どう見るか」
「結界ではないようですが、間違いなく罠でしょうな」
わかりやすい罠だが、だからと言って引き返すわけにも行かない。ここまではずっと一本道で他に探索すべき所が無く、現状ではなんの成果も手にしていない。
ゲルベルトは部下に水晶を調べるよう命じると同時に、他の兵士たちには不測の事態に備えるよう指示を与えた。
「槍装備の者は前衛となり二列横隊で構えよ。残りは抜剣し周囲を警戒しておけ」
回廊は狭くはないが、隊形として横に並ぶには四人が限度と思われる。先頭の兵士は槍を構え、次列の者は槍を立てて隊列を整えた。
レイモンド遺跡探索隊の後詰めは、結界の間から階段を降りたところで、先行隊から脱落して来た負傷兵たちと合流した。
「怪我をしてるぞ!」
「おい! 薬草を早く!」
負傷兵を連れて来た兵士は先行隊の事情を説明し終えると、後詰めの指揮官から新たな指示を受けた。
「ここでは応急処置しか出来ん。君はこのまま彼を探索隊本部まで連れて行ってくれ」
言い終えた直後、突然の轟音と共に、辺りを揺るがす地響きが兵士たちを襲った。
「な、なんだ……!?」
「地震か!?」
鳴動はすぐに収まったが、兵たちは動揺したまま狼狽えている。指揮官は即座に状況を判断し、兵士たちの意識を違うところに集中させ、気を落ち着かせようと試みた。
「先行隊に何かあったのかも知れん。我々はすぐに出発するぞ」
片腕を失った兵士はそのまま付き添って来た兵に任せ、後続隊は回廊の奥へと進行を再開した。
レイモンドの後続隊がにわかにざわつき始める少し前、彼らが通り過ぎた後の結界の間に、マティアス達も足を踏み入れていた。
マティアスは結界の間の奥にある階段の入り口から、階下の様子を息をひそめて伺っていた。階下に広がる暗闇の中から、鉄の重なり合う音と、微かに人の話し声が聞こえてくる。
結界の間まで戻ると、そこには仲間たちが暇そうに待機していた。
「……どうやら後続隊に追いついたようだね。下に気配を感じるよ」
「とりあえず私たちは待機かしらね」
「おいおいマドレーヌ姐さんよぉ、奴らが分散してるうちに奇襲を仕掛けるんじゃねぇのか?」
ベルパルシエが疑問を呈すと、マドレーヌは優しく微笑み返し、自分たちの置かれている状況を説明して聞かせた。
「潜入を先越された以上、私たちが急ぐ必要はないわ。なんなら、ここで彼らがお宝を持って戻って来るのを待ってても良いのよね」
ただし、復路となれば敵の戦力がまとまっている可能性は高い。
敵が宝物を発見しているのか否か、持ち帰ることの出来なかった宝の有無等、ただ待っていた場合は、一戦する間にいろんな情報を集めなければならない。場合によっては、敵を一兵も逃がすことが許されない状況になることも考えられる。
どうするかはマティアスの判断に委ねられるが、とりあえず現状では距離を保ちつつ様子を見ているようだ。
アリナの馬車に同乗して来た三人の戦士たちが、結界の間の中央に置かれた、台座の上の水晶を興味深く観察していた。
「この水晶の中から微量だが魔力を感じるな」
「何らかの罠魔法を作用させる媒体に使われたと見て良いかも知れん」
「この場所に結界が張ってあったんじゃないのか?」
この三人は、マティアスの肝入りで遺跡潜入組に編成された者たちで、それぞれが異なる属性の魔法を使いこなせる。探索途中で魔導書が手に入った場合、その後に戦闘などが行われる事態となれば、かなり戦術の幅が広がるはずだ。
「なんだよ、火の属性魔法ならアリナだって使えるぜ」
負けず嫌いなのか、ベルパルシエが自分のことのように胸を張って主張したが、当のアリナが水を差す。
「私が使えるのは水だけどね……しかも得意なのは……」
「水っ!?」
話の落ちまで言い終える前に、マドレーヌが驚きの声で遮った。
「アリナ、あなたって水を使うの? キュラント出身で水は珍しいわね」
紺色の髪を逆立てた戦士、シジスモンドが二本の短槍を手に疑問を投げかけた。
「オレは魔法のことはさっぱりだけど、キュラント人が水属性ってのはそんなに珍しいことなのか?」
「普通は出身地の地脈の影響を強く受けるから、キュラント人は火の属性を持つことが大半だけれど……まぁあり得ない話でもないわね……」
自らを納得させながら、マドレーヌはまじまじとアリナを見つめた。
あまりにも驚かれるので、思わずアリナは笑顔を作ることに失敗し、頬をやや引きつらせ理由を説明した。
「私が魔法を習得して、属性が決まったときはまだ幼い頃で、その頃はまだフルオルガにいたから……」
「「フルオルガッ!」」
その場にいたほぼ全員が揃って驚いたが、その声にアリナもまた、驚かされた。
「は……はは……」
驚きのあまり、アリナは気を紛らわそうとぎこち無く水晶を手に取った――すると突然、地が鳴り響き、辺りが激しく揺れだした。
「え、えぇ……!?」
水晶を手にしたアリナの足元が、円の範囲に台座ごと沈み始めた。水晶を観察していた三人もろともあっという間に地に消えていく。
「水晶を台座に戻せ!」
側にいたランドが叫んだが、四人の姿はすでに地に潜り、視界から消えていた。
地鳴りはすぐに鳴り止み、ランドは慌てて今出来たばかりの穴を覗き込み叫ぶ。
「アリナー! ……あ?」
と、すぐ下で四人とも無事で、呆気にとられ、立ちすくんでいた。
アリナはばつの悪そうな顔で目の前を指差し、上から覗き込んでいるランドに、引きつったままの笑顔で知らせた。
「か、隠し階段……はっけーん」
クーメ領主レイモンド公爵は、苛立ちを隠そうともせず配下に怒鳴り散らした。
領主館の大広間で、主を前に萎縮している配下の騎士や侍従、下人たち……。
「なぜだ! なぜ彼奴らは姿を見せない!」
クーメ公爵領内各地で多発している暴動は、公爵領の軍勢を拡散させ、本陣が手薄になったところでレイモンドの首を取りに来る……と、そう読んで、各地に派兵した部隊を己のいる領主館に戻したのだが、敵が攻めてくる気配が一向に見えない。
レイモンドは、自分の読みが外れていたのかもしれない気恥ずかしさと、事態が把握しきれず、思案がまとまりきれない焦りを隠し誤魔化すために、とりあえず怒鳴り散らし気勢を上げて見せたが、周りの者には単なる強がりであることが透けて見えていた。
「ゲルベルトは何をしておるか! 未だ何の連絡も来ぬのかっ!」
わかっている範囲で状況を整理すると、現在クーメ公爵領内は暴徒のやりたい放題、期待していた遺跡探索は、今朝出発したきり、一度の連絡も来ないまま昼九つ(十二時頃)になろうかとしている。
場合によってはヒルブランド王に取り入るどころか、不興を買うことにもなりかねない。
レイモンドの心中でくすぶり出した焦りは、次第に恐怖へと進化していき、そして恐怖はさらなる焦りへと変貌を遂げた。
意を決したレイモンドは、改めて軍の派兵を決断したが、今から暴徒を鎮圧しても荒らされた被害が消えるわけではない。レイモンドはまず確実に遺跡の探索を完結させ、国宝級の宝物が発見されることに賭けた。
「遺跡に一個小隊の増援を送れ! 残りは暴徒を殲滅せよ! 一つずつ、囲み込んで、蟻一匹たりとも逃がすな!」
レイモンドの悲壮な決意が引き寄せたわけではあるまいが、クーメ上空に発生した黒雲は、昼の青空を黒い闇の中へと誘っていった。