第〇話 旅立ち 〈挿絵あり〉
――オレはなぜ生きてる?
青く澄み渡る大空を眺め、山の中腹に位置する大地に横たわる青年がいた。
「腹……減ったなぁ」
年若い青年は、薄汚れた身なりを気にする様子もなく、天空を自由に舞う鳥を掴むような仕草をしてみせるが、鳥は素知らぬ顔で鳴き声を山河に木霊す。
青年は鳥を掴みそこねた手を自身の頭に乗せると、茶褐色の髪の毛を無造作に掻きむしり、身を起こして山裾に広がる雄大なる大地を見渡した。
麓には南北を結ぶ街道があり、山間で道を塞ぐように関所が設けられている。
関所と青年のいる山の合間には柵で囲われた広い敷地があり、大小複数の幕舎や小屋が規律正しく並び、幾人かの騎士がいるのが見えた。
「そろそろ出払ったころだな」
青年はここ数日の間、山中にこもって麓の陣屋の様子を観察していた。
「このランド様のために食糧を貯め込んでくれてるとは、なかなか殊勝な心がけじゃないか」
舌なめずりする青年の後ろで、不意に草木が揺れ動き青年ランドに警鐘を鳴らした。
ランドは不敵な笑みを浮かべると、そこに何がいるのか分かっているかのように呟く。
「さすがは正規軍。見つからないよう気をつけてはいたつもりだが……」
言い終えぬうちに、草葉の陰から躍り出てきたのは、鉄の甲冑で身を固めた二人の騎士であった。
「こっちだ! やはりいたぞ、昨日も見かけた奴……だぁっ!」
後続の仲間に声を掛けた騎士は、再び正面に向き直ることなく地に崩れ落ちた。
わずかな隙きを突いて鉄の剣を叩きつけたランドに、後から姿を現した騎士たちも警戒心を高めざるを得なかった。
対してランドは笑みを隠そうとはせず余裕を装うが、額から滲み出る汗が多対一の憂いを表しているかのようである。
「下の様子じゃオレが見つかったことは他の奴らは知らねぇな」
ランドは瞬時に視線を流し、自らを半包囲する騎士たちが四人であることを確認すると、間髪入れず左端の槍を構える騎士へと次撃を見舞う。
「こ、こいつ……!」
ランドは一息に槍の間合いの中まで飛び込んだ。
兜に触れるかという近さで凄みを利かせた笑みを騎士の眼前に見せつけたとき、すでに彼の剣は騎士の腹部を突き刺していた。
「悪いがお前らを下に帰すわけにはいかねぇ。全員死んでもらうぜ」
「気を付けろ、此奴やりおるぞ!」
「囲めぇ! 三人で同時にかかるのだ!」
茶褐色髪の剣士が並の使い手ではないと悟った騎士たちは、確実に仕留めるため三位一体の攻撃手段をもって対峙を決めた。
剣を構える騎士たちに対して、ランドは一人には剣で、残る二人には視線で牽制し、緊張という塊を間合いと言う領域に溜め込んでいった。
数瞬の時を静寂とともに数え、高まる緊張が今にも張り裂けそうな辺際にまで達したとき、不意に訪れた野鳥の飛び立つ音が空気の壁に穴をあけた。
三人の騎士たちは示し合わせたかのごとく同時に踏み出すと、三本の剣を三様に振りかぶり茶褐色髪の賊へと迫った。
ランドは先に倒れた騎士の落とした槍を大きく踏みしめると、槍は意志を持つかのように起き上がり、勢いよく迫る騎士の腹を貫いた。そのままランドは振り向きざまに次の騎士を鉄の鎧ごと袈裟に叩き斬る。
残る騎士はこの一瞬で起こった惨事を目にしてはいたが、勢いを止めることはできず、そのままランドへと斬りかかるが、ランドは冷静に騎士の振り下ろす剣を撃ち弾き、返す刀で横一文字に胴を薙ぎ払った。
場には静寂が再び姿を表し、ランドは服の袖で剣についた血を拭い、背に背負った鞘に納めた。
「……さてと、こいつらが戻らなきゃ下は騒ぎ出すだろうな。そのまえに食い物を頂戴しに行くか」
人が恐ろしくも簡単に命を失うこの世界で、茶褐色髪の青年は探しているものがある。
襲われれば反抗し、空腹を満たすために他人を襲う。
それはただ生きるためのものであるが、何故生きているのか、その理由を彼は欲した。
何の目的も無く日々を無為に消化してきた己に、生きる指針を示すように。