第5話「今度も二人だけで」
願いは――。
何だっただろう。
黒一色の空の下。ずっと一人で考えていた。
あの日。リマゾルの海でミュノと話した願い事。
思い出せない。
リマゾルに到着して、宿をとって、夜に海を歩き、星空を見上げて、そこで――。
――そこで、慥かに会話をしたんだ。
記憶に霞がかかるとよく云うが、どちらかと言えば深い谷に直面した感じだ。ただし、先へ進めないわけではない。会話をしたという頼り無い吊り橋が、向こう岸の記憶へ架けられている。
その証拠に、それから先の事は鮮明に憶えている。
無事に魔法を終え、それから街を越えて国も越えて、幾つもの土地を巡ったのだ。
光の箱庭と呼ばれる樹海で、光る蝶の群れに遭遇した事――。
涅霧の街オスケアで恐ろしい野犬に襲われた事――。
水没した廃都クヨでは、迷路のような神殿の中で遭難しかけた――。
どれもこれもしっかりと憶えている。
なのに。
海でのあの会話だけが、ぽっかりと抜け落ちてしまっている。
――僕は、何を願ったんだろう。
二叉に枝分かれした巨木に問うた。当然、応えは無い。
――どうして思い出せないんだ。
手頃な小石を水面へと放り投げる。
幾重にも重なる波紋が、果ての無い黒い背景へ輪を広げていく。
もう何度見たかわからない、退屈な景色。
最近はこの夢を見る頻度が増えている。何度も何度も。いい加減飽きてきた。今見ているこの夢も、そろそろ覚めてほしいものだと思う。
覚めろと念じてみる。
景色に変化は無い。力んだりもしてみるが、筋肉がじんと火照るだけだった。
――まあ、どうせそのうち。
覚めるだろう――と思った。しかし直後、その楽観的な気持ちと同じかそれよりも大きな不安が、ざわざわと心を包み込んだ。
――覚める、よね。
怖くなった。
ずっとこのまま、現実の身体が動かずに、意識だけがこの夢に永遠に閉じ込められてしまうのでは――そんな妄想が過ったからだ。
――妄想、じゃなかったら?
覚めろ。
――いつまでこのまま?
覚めろ覚めろ覚めろ。
今すぐにでも、この世界から抜け出したくなった。
虚空を見たくなくて目を瞑る。静寂を聞きたくなくて耳も塞いだ。
在るかもわからない空気すらも吸い込みたくなくて、呼吸も――。
止めた。
あらゆる感覚を断ち切った。
暗くて、静かで、苦しくて、怖くて、怖くて怖くて――。
どれだけ経ったか。
瞼の陰に飽きて、目を開けた。
ぐにゃぐにゃの木目が見えた。
――天井だ。
カーテンから漏れる日差しと、鳥の囀り。
そして。
隣のベッドで緋色の髪の少女が寝ている。
「朝……」
眠い目をこすって窓を開けた。微睡む部屋に朝の薫りが優しく流れ込む。
少し鼻の奥がツンとした。僅かに炭の匂いが紛れているのだ。
何が燃えているのやらと思ったが、人々の賑わいと其処彼処から聞こえる笛の音や打楽器の囃子で納得がいった。
「ああ、そうか、廻霊祭か」
昨日も準備で賑やかだったというのに、すっかり忘れていた。
どこの国でも毎年、収穫が終わる時期になると、神様へ感謝の意を込めて祭りをやるのだ。
国によって時期が多少前後するが、大凡は似たような時期になる。ここ――王都トルクォールでは今日がその日らしい。
廻霊祭は感謝の日であり、気候が変わり始める日であり、神様達が降りてくる日でもある。
そして。
混沌の日でもある。
宿のすぐ前の道を、鬼や動物の仮面を被った人達が行き交っている。黒い毛皮の羽織を着た子供が家から駆け出ていった。人々はランタンを持ち歩き、人間の姿をしている者は一人もいない。
廻霊祭では人外の装いをすることになっているのだ。
神様は異界の門からやって来るといわれている。その時に魔物などもこっそりと出てきてしまうらしいのだ。だから人々は人外に魅入られぬように人外の姿を装わなければならない。
人の世に神が降り、人外が紛れ、人は人でない者の姿をする。
まさに混沌の一日だ。
「そういえば」
人のままだと魔物に攫われる――なんて、幼い頃によく親に脅されていた。子供は誰でもそう教えられて育つのだ。
「今日なんだ。廻霊祭」
おはようと言ってミュノが外へ顔を突き出した。
「らしいね」
ミュノの緋色の髪が風を孕む。頭頂部の寝癖が優しく揺れた。
「今日この街を出る予定だったけど、どうする? ミュノ」
もちろん行く、とミュノは間を空けずに答えたた。
「だよね」
廻霊祭に行かないという選択肢は無いのだ。
まだスゾルにいた頃、廻霊祭は毎年二人でこっそり参加していた。仮装のお蔭でバレずに済むのだ。けれども、やっぱりどこか恐る恐るといった感じであったし、いつも祭りの最後まで参加することはできなかったのだ。
しかしここは、ミュノを虐げるあの街ではない。今年は気兼ね無く、思う存分楽しめる。
「じゃあまずは仮装の道具を買わなくちゃだね」
「うん」
早速、街へ出かけた。
人でない者たちが街を闊歩している。
黒い襤褸のローブを着た骸骨が、飴を咥えた子供の骸骨と手を繋ぐ。
その横を葉っぱの面を被った少年少女が駆け抜けた。彼らは、血だらけの顔の二人組とぶつかるや否や、ヒャアと短い悲鳴をあげて退散してしまった。二人組は怒るどころか、してやったりと嬉しそうに笑い合う。
頭に鋭い角を生やした中年の男たちが酒場のテラスで酒を浴びるように飲んでいる。彼らの頭上にはランタンが吊るされ、ぶらぶらと風に揺れていた。
どれもこれも、いかにも廻霊祭という感じの風景だ。
スゾルでも似たような光景になるけれど、ここまで振り切った感じではなかった。それがスゾルだからなのか、それともトルクォールが他と違うのか、それは判らない。
おそらく前者なんだろうなあと、なんとなくそう思った。
「あらあら、君たちまだ人の姿じゃないの」
声を掛けたのは、矢のような尻尾と蝙蝠の翼を生やした女の人だった。
すぐそこの雑貨屋の客引きをしているようだ。
「早く化けないと、悪い人外にどこかへ連れてかれてしまうわよ」
妖しげに笑いながら、さあどうぞと店の中へ誘われた。
色とりどりの妖しい仮面。提灯にランタンに松明。血塗られた貴族の服や襤褸のドレス。店内にはこの時期ならではの商品が並べられている。
「あ」
仮面の一つに目が止まった。
「ミュノ、見て見て。どう?」
緋色の狐の仮面を着けてみせる。
「マトっぽくない」
「ええ……? 却下?」
ミュノは黙ってただ頷いた。
それからミュノは狐の仮面を取り上げ、
「これは私」
マトはこっちと言って、傍にあった骨兎の仮面を被せた。
「ええ……」
姿見の中で並ぶ二人を見つめた。
狐と――兎。
――これって。
「僕、狐の獲物みたいじゃない?」
「骨だからもう食べ終わってるよ」
狐頭の少女が目の前の餌に鼻を当てる。
なんだか本当に狐に食べられた獲物の気分だ。
「はい、これ」
一人で硬直しているところに、ミュノが黒い外套を差し出した。左手には、自分用に選んだらしい深緑の外套を持っている。
「うん、ありがと」
外套を羽織って、そのまま会計を済ませた。
店から出ると、もうすっかり魔物の一員だ。
繁華街は人ならざる者でごった返し、広場に陳列されている屋台も、当然魔物の姿をした人が営っている。
腕が多い者、虫の脚が生えた者、毛で覆われた者、輪郭の曖昧な者。
魔物だらけだ。
祭りを楽しむ賑やかさとは別に、わっと声が上がった。
マト――と耳元で呼ぶ声がして振り向いた。
「マト、来たよ。ここはちょうど良い場所かも」
一瞬、ミュノが何のことを言っているのか解らなかったが、彼女の視線を辿ってようやく理解した。
ちろちろと、花弁や紙が風に流れてきた。
管楽器のよく通る音が近づいてくる。太鼓の震えも強まってきた。
人混みの間から、市街の中を巨大な何かが行進しているのが見え始める。
怪鳥の奏者の列が現れたと同時に、乾いた草の香りが鼻孔を通り抜けた。
「藁の人形だ」
スゾルで見るのよりも、一回りも二回りも大きい。
藁の巨人の後ろにも、同じく藁でできた動物やら帆船やらがぞろぞろ続いている。それらは大勢の人に支えられながら、のっそのっそと突き進む。
陽気な演奏が、広場をさらに高揚させた。
この催しは元々、その年の収穫を感謝して神様に穀物をお裾分けをすることが目的だったらしい。
この派手なパレードは神様を楽しませるためだ。
――と、いうのは建前で。
実は自分たちが楽しみたかっただけなのではないか、というのが個人的な考えだ。
花と紙の吹雪が弱まってきた。
催しの列の最後尾がすぐ目の前まで来ていた。
奏者に合わせて妖花の踊り手が滑らかに舞う。彼らの戯けた調子に誘われて、幼い子供達が後をついていく。
人外の行列は賑やかな余韻を残して、再び市街へと消えていった。
広場に集まっていた人々は水尾のように散り散りになり、食べ歩きを再開したり、談笑を始めたりと、自由に行動を取り始めた。
「この後どこに行く?」
「とりあえず、屋台の食べ物をたくさん食べたい」
そう答えるミュノの視軸は、既に蜂蜜パイを売る屋台の方へ吸い込まれている。尋くまでもなく、まずはそれを食べたいらしい。
「よし、食べたい物があればどんどん買おう」
どうせ移動中も食べるのだし、もしその場で食べきれなくても時間を空けてから食べればいい――そんな勢いで無計画に買い込んでいった結果……。
「ミュノ、これ本当に全部食べられる?」
いつの間にか紙袋が両手いっぱいになる程になっていた。
「何とかなる――と、思う」
大量の荷物を見てミュノが答える。
「正直、何を買ったか憶えてない」
まあそんな事だろうと予想していた。スゾルの時も毎年こうだったのだ。ミュノは、いつもはあまり食べないのだけれど、祭りの時だけはは大量に買い込む癖がある。
何買ったっけとミュノが尋ねる。
「えーっと、花蜜パイが四個、燻製果実の詰め合わせを四袋。妖花クッキーが三袋。あと、特大肉団子と肉巻き卵を三つずつ――かな」
例年より多い。ざっくり見積もっても五割増しくらいだ。
二人で食べるとは言え、明らかに買いすぎている。それに、三つ買っている物は、そのうち二つはミュノが食べるのだ。
よくそんなに食べられるなあと、ミュノの腹部を見つめた。
「何?」
こちらの視線に気づいたミュノが腹を片手で隠した。
もう一方の手は袋の中の花蜜パイへと伸ばされている――というか、もう掴んでいる。
「いや、何でもない」
「そう」
そう応えてミュノはパイを頬張った。
「どこか場所を変えない?」
道の真ん中だ。人の流れに合わせて歩いてはいても、少なからず邪魔にはなると思う。そうでないにしても、こんな人混みの中ではミュノも食べにくいだろう。うっかり他人の衣装なんかを汚してしまったら大変だ。
「そうだね。どこにする?」
辺りにはベンチやらテーブルやらが設けられているがどれも人で埋まっていた。
かなり歩き回って、ようやく空いた席に座ることができた。
「そういえばさミュノ」
「何?」
二つめの特大肉団子を平らげようとするミュノが手を止めた。
「廻霊祭って神様だけじゃなくて、こっそり魔物もこっちに来るんだよね」
「そうらしいね」
それがどうしたのとミュノは首を傾げる。
「実際どうなの? 本当に来てるの? 魔物」
無意識に声を抑えて尋いた。
するとミュノは少し困った風にして、肉団子の最後の一口を口に入れた。回答を焦らすようにゆっくりと咀嚼して、最後はジュースと一緒に飲み下した。
「いるよ」
と、ミュノは一言だけ答える。
――やっぱり来てるんだ。
そうなると今度は数も気になってくる。
「ど、どのくらい?」
「偶にすれ違う程度かな」
結構いるようだ。
「ランタンを持ってない人の、半分くらいが魔物」
人外の姿をしている者の中には、ランタンを持っていない人もちらほらいる。その内の半分と言うのだから、すれ違うのは本当に希なのだろう。
「へー。あ、でも僕は視えないんだよね」
良かったあと胸を撫で下ろしていると、見えてるはずとミュノが言った。
「え?」
「見えてるはずだよ。マトも」
再度ミュノが言う。
安堵は一瞬にして不安へと変わった。
「な、なんで?」
いつか――慥かヌガンで、霊や妖精だとかそういったモノは特殊な視力を持っていないと視えない――という話をしたような気がする。いや、結局詳しくは話さないでいてくれたのだったか。
とにかく、自分には霊を視る事ができないのだ。
そうだったはずだ。
であれば――。
「幽霊とかは視えなくても魔物は見えるとかそういう――」
事ではないらしい。
ミュノは首を横に振っている。
「廻霊祭は、みんな人外の格好をしてるから。人外たちは姿を消す必要が無いの」
人も魔物も互いの正体には気付いていない、とミュノは言った。
「な、成る程」
「だから、マトにも魔物は視えているし、気が付いてないだけで、姿自体は他の人にも視えてる」
へえ、と辺りを見渡してみた。
黒い布袋を被ったあの人も、長い舌が垂れた仮面をつけたあの人も、もしかしたら人間ではないのだ。
ただ――とミュノは続けた。
「正直、昼間だと私にも正確には見分けられない」
「夜だと見分けがつくの?」
こくりとミュノが頷く。
「魔物の影は、火の方へ伸びるの。魔物は火が好きだから」
「あ」
――だからランタンなのか。
「もともと、廻霊祭のランタンは魔物を見分ける為の物だったの。でも段々、魔物のことを信じる人が減って、そのうち、参加者にランタンを持ってない人がいるって程度の認識になって。いつからか人間側も、ランタンを持たない人が出始めたの」
もともと魔物を視られる人が少なかったから当然だけど、とミュノは付け足した。
確かに、今ではもうランタンの存在は形骸化してしまっている。もはや象徴のような扱いだ。
「でも――」
ランタンを持っていない人を目で追っていると、顔をぐいっと戻された。
「あまり探っちゃ駄目」
「ど、どうして?」
「私たちが人間だと気付かれるから」
ミュノがこちらの目をじっと見つめる。
「廻霊祭は、魔物たちが集まるから。彼らとトラブルにならないようにして」
連れてかれちゃうから――と、言い聞かせるようにミュノが言った。
「う、うん」
――今日は絶対にミュノから離れないようにしよう。
そう肝に銘じた。
「ふう。ごちそうさま」
ミュノは空になった妖花クッキーの袋を丁寧に畳んだ。
「あとは夜に食べる」
「うん。そうした方が良いと思う」
と言っても、残っているのは果物の燻製だけだ。
お腹も充分に満たされたところで、夜まで何をするかという話になり、例年通り露店を巡ったり見世物を見て回ることにした。
路上には人集りが幾つもできている。どこから立ち寄ろうか迷っていると、すぐ近くの集団から歓声が上がった。
その中心では、派手な格好をした白塗りの二人組が、戯けた動きで観客を湧かせていた。
赤鼻のクラウンが、涙目のお面をつけたピエロに曲芸を教えているようだった。
クラウンが手本を見せ、会場が感嘆の声を上げる。ピエロが技を派手に失敗し、また場が湧いた。
「面白そうだね」
ミュノと観客の隙間を縫い、よく見える場所まで移動した。
集団の一番前まで来ると、クラウンがピエロに、椅子を五脚持ってこいとジェスチャーを送っていた。
ピエロはうんうんと頷き、一つ、また一つと椅子を運ぶ。
椅子を歪に重ねながら登っていくクラウンの背後で、五つめの椅子を運ぶピエロが――転んだ。しかも派手に。椅子の脚が折れて狼狽するピエロを、その事に気付いていない様子のクラウンが急かす。
ピエロは後ろめたそうに視線を外しながら、脚を一つ欠いた椅子をクラウンに渡した。
壊れている事を知らぬクラウンは、そのままそれを椅子の塔に乗せ、ご覧あれッと言わんばかりに手を上げた。
ぐらつく椅子に、そっと手を置くクラウン。
ピエロはというと、顔を覆う指の隙間からクラウンの様子を窺っている。
場がしんとした。誰かが生唾を飲む音がした。
二人の道化を観客がじっと見守る。
クラウンは椅子に体重を預け、足が椅子から離れた。
椅子の塔が揺れ、観客から、おおと心配そうな声が漏れる。
クラウンの脚は徐々に重力に逆らっていき――地面と垂直に、腕一本で逆立ちをした。
「おー!」
拍手喝采。一斉に指笛や称賛の声が飛んだ。
歓声を充分に浴びたクラウンはしなやかな動きで椅子から着地し、ピエロと鏡写しになってお辞儀をした。
「はー面白かったあ」
演目が終わると観客の輪が崩れ、思い思いに解散した。先程までの盛り上がりが嘘のようで、少しだけ寂しさを感じる。
次の演目に向かおうとする途中で、ミュノが立ち止まり、振り返った。
「どうしたの?」
「いや。何でもない。ちょっと気になっただけ」
同じように振り返ると、人々を賑わせていた二人の道化の姿はもう無かった。最初から誰もいなかったかのように、その場所だけが閑寂としていた。
そこには五脚の椅子がただ転がっているだけだ。
道化師はいない。
――消えたんだ。
その瞬間を見たわけでもないのに、そう理解できた。
立ち去ったわけではなく、隠れたわけでもない。多分、煙のように、蝋燭の火が尽きるように、人々の背後でひっそりと消えたのだろう。
「ねえ、あの人達ってもしかして――」
人外だったのかな――。言い終える前にミュノが狐の面の口元に人差し指を立てた。
ヒミツ――という事らしい。
だからそれ以上は尋かなかった。
その後、二人で見世物屋敷やら人形劇やらを見て廻った。
影絵芝居のテントから出る頃には空はすっかり暗くなっていた。街のあちこちでランタンがゆらゆらと灯っている。お蔭で街は夜でも充分明るい。
広場に行くと、中央には大量の薪が組まれていた。人外たちがわらわらと群がり始めている。
「もうそんな時間なのか」
廻霊祭も終わりが近づいている。楽しい時間はすぐに過ぎてしまう。
ぼう――と音を立てて、広場が明るくなった。薪は赤々と燃え、辺りの空気の温度を上昇させた。
遠くの空でも、淡い光が立ち上がった。別の広場でも火が点けられたのだ。
巨大な炎はあらゆる物の影を濃厚にさせた。建物、夜店、テント、そして人外達。
「あ」
数々の歪な影がある中で、いくつかの影は炎へと向いていた。
魔物の影。
見た目は、ただの仮装した人だ。けれどもその正体は、人間ではないのだ。果たしてどれだけの人がそれに気が付いているのだろう。
人々の視線は煌々と輝く炎へと向けられている。
「そろそろだね」
仮面の下でミュノが言う。
「うん」
赤い炎の中に青い光が見え隠れし始めた。
「ねえマト」
「何?」
「二人でこれを見れてよかった」
揺らめく真っ赤な炎が鮮やかな青に変わった。忽ち広場が青空色に染まる。
短く歓声が上がった。
「うん、僕も。ミュノと見れてよかった」
骨兎の面を外した。
ミュノも仮面を外し、ふうと息をつく。頭を振ると緋色の髪も一緒に揺れた。
「何か、久しぶりな感じ」
「あはは。そうだね」
半日ぶりに見るミュノの顔。
なぜだか少し、緊張する。
外套を脱ぎ、仮面と一緒に炎へ焼べた。もう仮装する必要は無いのだ。
この青い炎の意味。それは、祭りに誘われた魔物たちを霊界へ還すための儀式なのだ。
「綺麗だね」
熱気渦巻く涼やかな火炎を見つめながらミュノが言った。
これを二人でこうして見るのは初めての事だ。
「うん」
「また、いつか見よう」
今度も二人だけで――。
そう呟いて、ミュノは視軸を天へ移した。
黒煙を辿って、異形の者たちの行列が夜空へ消えていく。
炎に惹かれる影は、もうどこにも無くなっていた。