変わりたい
ガンドルグ大聖堂からイルミは家へと真っ直ぐ帰っていた。
王都カンパネラ南西にある住宅街。その中に立ち並ぶ建物の中でもやけに古びた一軒家がイルミの家であった。
「ただいまー……」
一人暮らしをしているイルミは中に誰もいないと分かっていながらも帰宅の挨拶をする。
「お帰りー、イールミ」
しかし、誰もいないはずの家の中から返答がくる。イルミが居間のドアを開けると、そこには白い歯を見せ晴れやかな笑顔を見せる柑橘色髪の少女が食卓の椅子に座っていた。
「え、どうしてシャミアが?」
イルミが戸惑っているのは自分の家に見知った幼馴染の少女が居たからではない。シャミアと呼ばれた少女の行動はイルミの中でそれが当たり前の事であった。それより不思議なのは――
「友達と成績の話をしてこなくていいの?」
成績とは大聖堂で聞いたレベルの話である。学院の生徒達のほとんどが、どれだけレベルが上がったかの話で盛り上がる。当然そこにシャミアも加わるとイルミは考えていた。
「いいの、いいの。興味がある子のレベルは分かってるからね。しっかし、なんであんな見世物みたいなやり方なのかね、うちの経験値試験は」
経験値試験とは先ほど大聖堂で行われていた、レベルを教えて貰うシンドレア学院の半年に一度行われる行事の事である。
「競争意識を高めるためだって聞いた事があるけど」
「コーデリアのとんでもレベルを聞いたところで競争心なんて沸かないっての」
イルミは勝手に自分の家に上がり込んでいたシャミアの前に、彼女の話を聞きながら台所で淹れたお茶を置いた。シャミアはそれに御礼を言ってそっと口をつける。
「確かにコーデリアさんの35は吃驚だけど、シャミアだってレベル24でしょ? 学院トップクラスじゃないか」
イルミはシャミアが座った対面に座り、自分で淹れたお茶を飲む。
「まあねー。でも、私よりも上がまだ五人もいるのよね。まあ、一つか二つくらいだけど。もちろん、コーデリアを除外してだけど」
シャミアは苦々しい顔をしながら彼女の名前を口にする。
「あはは。あの人は、まあ、別枠だよね。まさに大人顔負けのレベルだし」
「アタシも女神の加護みたいな経験値の上がる加護さえあればなー、って思ってたけど、流石に35は無理だわ。一体どんなレベ上げをしてんだか」
「噂じゃ、休みの日はサスフィール家の討伐に付いて行ってるらしいけど」
「まだ学生なのに? ホント冗談みたいな女ね……権力もあって、加護もあって、無敵じゃないの……」
ぐわーと、言いながら机に突っ伏すシャミア。
「まあコーデリア以外は、あんまりレベル変わらないから技能の熟練度とか、技術力でレベルの差でカバー出来るんだけどね――アンタみたいに」
「そう、だね」
イルミの顔はさっきまでの笑顔が消え、浮かない表情に変わっていた。
「……どうしたの、そんな渋い顔をして、何? 今度こそ諦めちゃうの?」
突っ伏した顔を上げてシャミアはイルミに質問する。
その質問にイルミはフルフルと首を横に動かし
「諦めない。諦められないよ。でも、やっぱり――キツイんだ……」
「イルミ……」
項垂れたイルミを心配そうにシャミアは見る。
「レベリングテストの度に、今までは何かの間違いで、本当はシャミア達と同じようにレベルが上がっているかもって期待するんだ。でも、今回も、神様は僕がレベル1だって」
何も結果は変わらない。最初からずっと、その数値は変わらず「1」。
『レベル1』
それはイルミの変わらないレベルを聞いた学院の生徒が悪意と侮蔑の意を込めて彼に送った徒名であった。
「ステータス依存の冒険職志望なのに、基礎ステータスアップに一番必要なレベルアップが出来なくて本当に僕は――」
「しっかりしなさい!!」
――パーン
シャミアの両手がイルミの両頬を打叩き、その破裂音がイルミの家中に響く。
「――っ!?」
声にならない悲鳴をあげるイルミの顔をシャミアが無理やり両手で自分の方へと向かせる。涙が浮かぶ目を丸くしてシャミアを見る。両頬は手で潰されてイルミの口がタコのようにすぼむ。
「アンタがレベル1から変わんないのは今更でしょ? あの時、それでも【勇者】を目指すって言った。そうよね?」
「ふぁ、ふぁい」
「その目標のためにアンタが努力してきたのを私は知っている。皆とは違う方法で、酷く遠回りな方法で。そんな分かりきった事で落ち込んでる暇、アンタにはないでしょ?」
イルミは咽を鳴らし、首を縦に振った。それを見てシャミアは両手を顔から離す。
「よし――じゃあ、そろそろ私は帰ろうかな。アンタは今日もこれからバイトなんでしょ?」
「うん」
「そうなんだ、今日は何のバイト?」
「『双児宮』で給仕の仕事だよ」
「いつもの酒場ね。なら尚更しょげた顔出来ないじゃない。接客は笑顔が大切でしょ?」
「うん、そうだね」
イルミの口角が少しだけ上がる。
「それじゃあねイルミ、お茶ありがとう」
御礼を言いながらシャミアは立ち上がって、家から出て行こうとする。
「ねえ、シャミア」
「ん、何?」
「もしかして、僕を励ますために早く帰って待っていてくれたの?」
「バ、バカ言わないでよ。咽が渇いたから無料で美味いお茶を飲みに来ただけよ」
と言いつつ照れるように、後頭部を掻いてシャミアは答える。
「ホントに、それじゃあね。また学校で」
「うん、またねシャミア。今日は――ありがとね」
シャミアはイルミを見ず、手を振って玄関のドアを開けて出て行った。
「……やっぱり、駄目だな僕は――」
去って行く幼馴染の後ろ姿が閉まっていく扉で見えなくなると、イルミはそう呟いた。
彼女はいつも気が弱い自分を助けてくれる。慰めてくれる。励ましてくれる。
彼女は違うと言ったが、本当は今日も励ましにわざわざ来てくれたのだろう。
今までそうして、イルミが挫ける度に彼女が励まして立ち上がらせてきたのだから。
――情けない。
いつしか、イルミはそう感じるようになった。
幼い頃から隣に居てくれる彼女に頼りっぱなしの自分が酷く惨めで情けなかった。
シャミアの言うとおり、イルミは今日までずっと努力をし続けててきた。だが、それだけでは駄目だと感じるようになった。
「……変わりたい」
そんな彼の願いを叶える機会は奇しくも世界の危機と共に訪れるのであった。