第90話 勝負とチャンス
『明鈴高校、選手の交代をお知らせします。七番月島光さんに代わりまして、バッターは諏訪亜澄さん。背番号3』
ノーアウト満塁、光に代わって亜澄を代打に送り、勝負を仕掛けた。
「頼んだぞ」
そう言って亜澄の背中をポンと押して送り出した。
三塁に珠姫。満塁ということで外野は前進守備をしているが、定位置まで押し戻す外野フライであれば一点は確実だ。
二塁に七海。前進守備はこのセカンドランナーの七海を返さないためのものだ。しかし、決して走れないわけではない七海であれば、外野横であればチャンスはある。
一塁に司。ただのヒットであれば還ることはできないが、前進守備の間を抜く打球であれば、一気にホームを狙える可能性もある。
長打を打てば走者一掃もある。この場面だからこそ、長打を打てる亜澄の出番だった。
亜澄の初球、内角への強気なストレートだ。しかし、これを亜澄は見送った。
「ストライーク!」
際どい球はギリギリストライクゾーンだ。
それでいい。亜澄の選択肢は三つある。
まず一つ目はシンプルにヒットを打つことだ。安全に点が入り、二点目も望める。
二つ目は外野フライ。タッチアップで一点を入れられ、ライト方向であればセカンドランナーも三塁へと進める。
三つ目は内野ゴロだ。これは避けたいところだが、極端にボテボテのゴロや野手間へのゴロであれば一点の可能性がある。
ゲッツーになる危険性もあるため、三つ目は避けたい。内野フライやライナー、三振になれば点は奪えないが、打てばチャンスは多い。
亜澄は二球目、外角への球にスイングしていく。しかし、タイミングが合わずに空振りだ。
とにかく当ててくれ。
巧がそう願いながら迎えた三球目、外角高めへのボールに亜澄のバットは当たる。
大きな当たりだ。しかし……、
「ファウル!」
打球としては外野の頭を越えるようなものだった。しかし、一塁側にも大きく逸れていた。
二球目の緩い球から三球目はストレートと球速差があり振り遅れたこと、そしてボール球だったことでフェアゾーンには飛ばなかったと推測できる。
四球目は様子を見るように外したストレートだ。先ほどの三球目でも空振りを取るつもりで投げたようにも思えるが、ファウルとはいえ大きな当たりにヒヤッとしたのだろう。
そして巧は気付いた。
「……そろそろだな」
五球目、相手ピッチャーがサイドから放ったボール。
それは、本来の投球ではなかった。
亜澄は内角を抉るボールに反応し、すかさずバットを振り抜いた。
ガツンという鈍い金属。しかし、打球は強く、前進守備をしていたセカンドの頭を越えた。
「センター!」
打球は右中間。鈍く強い当たりに打球が変化する。
珠姫は悠々とホームに生還した。そして……。
「ゴー! ゴー!」
三塁コーチャーの煌が腕をぐるぐる回して七海にホームへ行くように指示する。
変化した打球はライトが捕球する。しかし体勢は悪い。右中間への打球ともあって逆シングルで捕球した形となっている。
そして、捕球すると右足で踏ん張り、ホームへ送球した。
七海はホームに滑り込む。同時にライトからの送球を捕球したキャッチャーが七海にタッチをする。
タイミングはほぼ同時だ。
判定は……、
「……アウト! アウト!」
惜しかった。明鈴ベンチから落胆の声が漏れる。
七海がアウトになったことで流れとしては微妙ではあるが、一点を勝ち越したため、さほど悪いものではない。
そして、ファーストランナーの司は、ホームでのタッチプレーの間に二塁を回って三塁まで到達していたため、現状はワンアウトランナー一、三塁だ。
「よっしゃー! やったるで!」
陽依はいつもの如く、意気揚々で打席に入ろうとする。
しかし、ここで相手ベンチも動いた。
『鳥田高校、選手の交代をお知らせします。ピッチャー、岡さんに代わりまして、尾花さんが入ります。七番ピッチャー尾花さん。背番号1』
ギリギリの展開の試合、鳥田高校も勝負を仕掛けてきた。
ピッチャーの岡に疲れが見えていたのは、ベンチから見ていた巧でもわかった。ボールの勢いがないこともそうだが、肘の位置がやや下がっていた。球の出どころも本来の位置ではないと予想した。つまり、リリースポイントのせいでバッターから球の出どころが見えにくいという投球をする選手が、球の出どころが見える選手となったらどうだろうか。
答えは明確で、打たれる。
打ちにくい状態で対応しようともがいていたバッターとしては難易度が急激に下がったという感覚だろう。それによって打ちやすくなり、さらには出たばかりの亜澄にも打たれたのだ。
鳥田高校からすれば一点を負け越した場面だが、これ以上点をあげたくないと言う気持ちだろう、エースの投入だ。
「陽依、ちょっと来い」
相手の選手交代と投球練習の間、巧は陽依を呼び、作戦を練った。
「球が速い。それは大丈夫だよな?」
「おうよ」
先ほどまでの岡の球はそこそこだったが、技術で打ち取る選手だった。しかし、尾花は速球でねじ伏せる投手だ。
岡が『柔』なら、尾花は『剛』だ。
「変化球は頭に入ってるか?」
「カーブ、カットボール、チェンジアップ、シュートやろ?」
しっかりと頭に入っている。流石は学年でも上位の学力を持つ陽依だ。記憶力がいい。
「よし、行ってこい」
巧は陽依を送り出した。
ワンアウトランナー一、三塁。そしてマウンドにはエース尾花だ。
尾花と岡の差はあるが、大きなものではない。鳥田高校のピッチャーは、ミーティングでも話していたが、ほとんど横並びの実力だ。
しかし、尾花がエースである理由は明確で……、
「ストライク!」
120キロ近くのストレートを持っているからだ。それでいて変化球も豊富だ。
ただ、難点を挙げるとすれば、
「ボール」
コントロールがあまり良くない。
それでもストレートの球速と、変化球の多彩さに関しては、黒絵が目指すべき目標といったところだろう。
「まあ、もっとすごいピッチャーになってもらわないと困るけどな」
光陵の神代先生にも言われていたが、黒絵が磨けば光る素材だ。ちゃんと育てろと念押しされている。もちろん伊澄もだが、伊澄は自分で勝手に強くなる。巧をライバル視しているため、巧からアドバイスをすることはあまりないが、それでも成長していくため、助言を求められたらそれに応えるという方法がいいだろうと考えていた。
そして黒絵が見習うべきストレート。相手にすると一番の問題とかるのがこのストレート……と思わせるのがピッチャーの思惑だ。
三球目。
「うげ!」
内角を抉るカットボールに陽依は手を出した。鈍い音と共に打球はピッチャー前だ。
尾花は冷静に二塁へ送球すると、それを捕球したショートが、そのまま流れるように一塁へと送球した。
「アウト!」
ダブルプレー。ゲッツー。併殺。呼び方は様々だが、鳥田高校は一つのプレーでアウトを二つ取った。
そして、アウトカウントは元々一つ。二つ増えたことで攻撃は終わった。
「すまんんんん」
陽依はうなだれてベンチに戻ってくる。冗談を言うような口振りだが、申し訳なさそうで悔しそうだ。
「勝ち越したんだからとりあえず大丈夫だ。申し訳ないと思うならアウト三つ取ってこい」
ショートに飛ばない限り、陽依がアウトを三つ取ることは不可能だが、挽回してこいという意味を込めて言って送り出そうとする。
「よし、アウトを十個取ってくるわ!」
「無理だよ」
素直に試合が最終回で終わればあとアウト六つだ。十個って延長戦でもするつもりか、と巧は心の中でツッコミを入れた。
攻守が交代する。そして、明鈴も予定通り動いた。
「黒絵、ねじ伏せてこい」
「行ってきます!」
黒絵は元気に返事をしながら、帽子を被り直し、マウンドへと向かっていった。
勝ち越し!
でも相手エースも登場……。
今後どうなるのかお楽しみに!
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