第26話 三年生と一年生⑨ 復帰と対峙
試合はまだ続く。ワンアウトランナー二塁で迎えた続く打者は代打として指名された夜狐が左のバッターボックスに入る。
夜狐はまだ野球を始めて一年以内とは思えないほど様になっており、楓曰く元々何をするにしても才能があったらしい。それでも楓に憧れて野球を始めたというのは、楓に相当な魅力があったからだろう。
そんな夜狐に巧は初球から攻めていく。ストレートを四隅に散らしていき、ファウルで粘るものの、四球でワンボールツーストライクと追い込んだ。
五球目、巧の指から弾き出されたボールは甘い真ん中やや低めへと直進する。この時点でストレートとの球速差が酷く、完全にタイミングを外されており、夜狐のスイングは本来のものではない。それに加えてボールは揺れるように落ちて曲がり、それには反応ができない夜狐のバットは空を切った。
「ストライク! バッターアウト!」
二者連続の三振。最後の球は不格好ながら見様見真似で投げただけのナックルだった。こんな不完全なナックルでもこれだけの威力があるというところを夜狐に見せておきたかった。
今までセンスに頼ってきた部分が多かっただろう。来た球を打つという戦法も悪くないが、伊澄の打席で見せた変化球を意識しながらそれを踏まえて来た球を打つためストレートにすら対応ができていなかった。そして、ストレートを意識させたところでの緩い変化球には全く歯が立っていない。
ただ身に任せてバットを振るだけでなく、考えなければ野球はできない。
「これが、ナックル……」
「夜狐の目標はもっとすごいナックルだけどな」
スイングしながら一瞬しか見ていない、一球しか見せていない変化球を何者なのか理解している時点で夜狐は只者ではない。これで知識が身につけば末恐ろしいものだ。
これでツーアウトランナー二塁。ここで一年生チームの内、最も怖いバッターと対峙する。
「どれだけぶりだろうね」
「さあな」
琥珀。彼女との対戦を遡ると、一番記憶に新しいのは中学二年生の頃の全国大会ぶりだろうか。
練習で勝負することはままあったが、都道府県も違い、男女も違うため代表合宿での紅白戦も一緒にはならないため、練習試合とはいえ試合形式で対戦するのは全国大会くらいのものだった。
これが僅差の公式戦であればプライドをかなぐり捨ててでも敬遠していたかもしれない。しかし、これは練習試合、そしてホームランを打たれたところでまだ一点は勝っている状態だ。三点差でランナーが一人出ている状況であれば、次のバッターにホームランを浴びて同点となるリスクを考えると敬遠もしない。もちろんこの打席も勝負だ。
まずはどのように攻めていくかが鍵だ。初球、いきなり軽快な金属音がグラウンドに響く。
ライト線への大きな当たりはギリギリファウルに落ちた。内角低めの難しいコースへの初球からの変化球に、やや早めながらも琥珀は果敢に引っ張っていった。
「怖いなぁ……」
初球なのでカウントを稼ぎたいという気持ちはあったが、手を抜いたボールでもない。そしてストレートと球速差があるカーブでややタイミングを外したものの、それでもいきなり対応してきた。
二球目、今度はストレートだ。狙っていてもカーブとの球速差に打ち急ぐか、そうでなくとも振り遅れると考えていたが、タイミングはバッチリだった。しかし、ボールの上を叩きすぎたため、キャッチャーと主審の股の間を通過し、バックネットまで転がった。
「思ったより伸びないんだね」
「昔の俺とは違うんだよ」
以前の巧のストレートであればドンピシャだったかもしれない。しかし、球速やストレートのノビが落ちているため、ボールの上側を叩いてしまったというところだろう。あわよくばこのまま内野ゴロになってくれればよかったのだが……。
「まあ、そんなに甘くないか」
もしかしたら、や、だったかもしれない、などを考えても仕方がない。次の投球に全力を注ぐだけだ。
三球目、今度もストレートだが、外角高めに外れてボール球となった。
四球目、またもストレートを今度は対角の内角低めへと投げ込むが、琥珀はこれを捌き、初球と同じくライト線を切るファウルとなった。
五球目、今度は先ほど夜狐に見せたナックルを投げ込み、タイミングを外された琥珀は当てるだけのバッティングで三塁線へのファウルだ。ここにしっかりと当ててくる当たり経験値の高さを感じる。
もうかれこれ伊澄、夜狐、琥珀と合わせて十七球も投げている。先発や長いイニングを想定したリリーフではない上に強力な打線ということもあり全力を注いでいるため体力の消耗が激しい。
六球目。巧は全身の力を指先に集め、ボールを放つ。巧の斜め横から左打者である琥珀の内角低めを抉るようなストレートだ。しかし、琥珀はそれに手を出す気配もなく見送った。
「ボール」
割と際どいコースを狙ったのだが、琥珀はそれを平然と見逃した。
「おいおい、マジか」
確かにボール球ではあるが、際どいコースだ。キャッチャーである景のフレーミングも悪くなく、下手すればストライクと判定されてもおかしくない一球だった。しかし、琥珀は平然と見送った。その態度ゆえにボール球なのだと審判が判断してしまうほどに。
少しボールに付着している土に気が付き、巧はそれを念入りに払った。帽子を外し、汗を拭うと再度帽子を被り直してロジンを指先に付けて粉を払う。その一連の動作をすると、不思議といつもよりも指先の感覚が細かく伝わってくる。今この瞬間、指先の動きの一ミリまで自分の思いのままのような錯覚に陥る。
ベストコンディションだ。
そう確信した巧は、景のサインに何度も首を振り続け、投げたいボールを要求されたタイミングでやっと首を縦に振った。
左足を上げ、右足でバランスをとる。やがて上げた左足で踏み込み、足、腰、胸、肩、肘、掌、指先へと力を伝えていく。指先の中指、人差し指と名残惜しそうにボールは離れていき、ボールは瞬く間にホームベース手前へと到達する。
すでに琥珀もバットを動かしている。右足で踏み込み、バランスの取れた理想的なフォームから肩、肘、手首、そしてバットのグリップエンドが流れるように出てくる。
ボールはホーム手前でカクンと音が聞こえるかのように綺麗に軌道を変える。縦のスライダー。それが巧の投じた一球だ。
しかし、その落ちる一点を狙い定めたかのようにバットがボールへと接触する。
芯に当たった綺麗な金属音と共に、ボールは巧から見て左側をすり抜ける。そして巧はそのボールに反応しようとしたがためにややバランスを崩し、両手を地面についた。
「セカンド!」
一瞬で打球の角度から処理できそうな夜空を呼びかける。いや、これは名手の選手でも処理できるのか際どい打球だ。
打球は夜空のグラブには収まらない。しかし、心地の良いグラブの革の音が耳に入った。打球はファーストの珠姫のミットに収まっていた。
「よし!」
打球を内野で止めたことに安堵したのも束の間、巧は自分自身の動きが間に合わないことに気付いた。ファーストゴロであれば、ピッチャーがベースカバーに入るが巧は手を地面についたままだ。一方琥珀はすでに走り出している。
まずい。そう直感したが、巧の野球脳が全体を見渡せと指令を出す。そしてあえて何も言葉を発しなかった。
「珠姫!」
すでに夜空がベースカバーに入っている。
珠姫はその声をする方へ、ほぼ一瞬チラ見した程度で送球を繰り出した。
夜空のグラブがボールを収める革の音を立て、少しの間を置いた後に審判がコールした。
「アウト!」
ゲームセットだ。それを実感すると、巧の力はどっと抜けた。
夜空が珠姫の打球のカバーに入っていれば間に合わなかっただろう。しかし、巧が動いていないと理解した瞬間に珠姫を信じ、打球には目もくれずファーストのベースカバーへと走り出していた。そして、それに気付いた巧は夜空が送球を呼びかけるであろうということを考え、その声の邪魔にならないようにあえて声を発しなかった。
「ナイスピッチング」
キャッチャーの景がマウンド近くまで駆け寄り、巧に声をかけてくる。
「いえ、瑞原さんのリードと技術のおかげですよ」
「褒められるのは嬉しいけど、私本職はキャッチャーじゃないんだけどなぁ」
景はそう言いながら苦笑いをする。確かに試合中の何ともない場面では意識できていないところもあったが、この最終回での景は本職キャッチャーと言っても信じられるほど様となっていた。
「巧くんお疲れ様」
「さすがは私が見込んだ監督だよ」
珠姫、夜空と次々へとマウンドに寄ってくる。これも試合終了の挨拶もあるためだが、三年生チームの全員に労いの言葉をかけてもらい、無表情を装いながらも照れくさかった。
挨拶が終わり、真っ先に巧に声をかけてきたのは伊澄だった。
「次は絶対負けない」
伊澄はそれだけ言うと、次の試合の準備のためにさっさと戻っていった。やや目が赤かった気がするが、そこは気づかなかったフリをしておこう。
「巧、私も頑張るよ」
次に来たのは夜狐と琥珀だ。夜狐はナックルのことを言っているんだろうが、巧が投げたなんちゃってナックルよりも完成度の高いものをモノにしてほしいものだ。
「夜狐はセンスあるから覚えるのも時間の問題だと思うな」
「そうかな。絶対に伊奈梨さんには負けない」
夜狐も巧に心を開いてくれているようだが、何故伊奈梨をそこまで敵視しているのかはわからなかった。まあ、大方楓絡みだろう。
そして琥珀は。
「正直、今日負けたのはショックだったね」
露骨に嫌そうな表情を浮かべていた。以前に比べてこの合宿中はやや表情に乏しかったが、環境への慣れもあるのか日数を重ねるごとにいつもの表情に戻っていた。ただ、ここまで豊かな表情を見せる琥珀は初めてだったため、余程ショックだったのだろう。
「今日も俺の勝ちだな」
「うざいなぁ」
辛辣な言葉をかけられ巧はムッとしたが、うざい自覚はあったのでそれ以上何も言わなかった。
今までの戦績はやや巧が勝ち越している。そもそも対戦回数が少ないということはあるが、六割程度勝っていて四割が負けと記憶している。正確に何勝何敗と記録しているわけではないため、だいたいの戦績だが。
「また対戦してよね。絶対ボコボコにしちゃるけん」
琥珀はハッとして口を抑える。光陵は徳島の高校だが、琥珀自身は福岡出身だ。そもそも光陵は全国から生徒を集めているため、様々な方言が飛び交ってもおかしくない。
あまり方言を出さない琥珀だが、興奮した時や気を抜いた時に方言が出やすいということは知っており、会話をたまにする時に方言が出るとたまに今のように口を抑えるまでが一連の流れとなっている。
「また時間がある時な」
「明日は?」
「時間あればいいけど、最終日だし、帰りの準備もあるからどうなんだろ?」
「えー」
やや不服そうな琥珀。クールなところも多く、野球をしている時は大人顔負けで日本代表などでも大人と関わることが多いため同年代にしては大人びてはいるが、たまに見せる年相応の表情に巧はドキッとさせられる。
「合宿になれば嫌でも顔を合わせるんだ。三年まで時間はまだまだあるさ」
濃い練習もできて各校の仲は深まった。それでもこの合宿は例年通り行けば夏や冬、来年のゴールデンウィークやタイミングがあえば春にもあるのだ。まだまだ時間はある。あるようでないが、ないようであるのだ。
「そろそろ次の準備行ってきな」
次の試合は少しの休憩を挟んだ後に一年生と二年生で行う。人数の少ない三年生に配慮したタイムテーブルとなっている。そしてまた続けて試合のある琥珀や夜狐と長々と話をするわけにはいかない。
「それもそうだね」
琥珀がそう言うと、夜狐も「また色々教えてね」と言い、二人は戻っていった。
そして一人になった巧は今日の投球を振り返った。
ストレートが走っていない。でも最後の縦のスライダーは良かった。少しでも調子が悪くて変化量が少なければスタンドに運ばれていた。それだけ調子が良く、スライダーが変化したということだ。
ナックルもまたしっかりとモノにしなければ。夜狐が次に会う時にどこまで進化しているのかわからないが、まだ巧を必要とするのであれば教えたいと思う。
自分の反省もいいが、次の試合も見なくてはならない。試合に出ながら監督もしつつ、審判となると負担が多いため、他の三年生たちが交代で審判をしてくれることとなっているため、この試合はゆっくりと見れる。今後のチームの方針も悩みつつ、一年生と三年生の戦い、そして巧の復帰登板は幕を閉じた。
やっと三年生と一年生の対決が終わりました!
琥珀の精神年齢が想定してたよりも高すぎる気もしたので年相応だというちょっとした描写を入れさせていただきました。
巧は一応思春期男子なので女子の行動にドキドキしますが恋愛感情があるわけではありません。そしてこの『おーばー!』は青春とスポーツの物語なので、恋愛要素も入れてもいいのかな?と思いつつも野球という中心が崩れそうなら入れるつもりもありません。ただ、思春期男子が女子軍団の中に入ってドキドキする気持ちやうざいと思う気持ちなど、様々な気持ちはあると思うので、それが全くないというのも不自然すぎるかなと思っているためたまにこのような描写を入れていますので悪しからず。
それでは、次回もよろしくお願いします!