第2話 プライドと再戦
作中に出てくる皇桜学園を、設定段階で間違えて皇王と表記していたため修正しました(2021/03/15)
藤崎巧の高校生活は、特に面白味のないまま始まった。
ただ自分の学力にあった学校を選択し、部活動も入らずに授業を受けるだけ。
将来の夢は何もなく、ただ何となく毎日を過ごそうとしていた。
高校生活がまだ始まったばかりの週末、特に何かするわけでもなく、特別楽しみがあるわけでもない。週末の休みは楽しみではあるが、高校生になったばかりで学校生活や授業に楽しさを感じるところもあり、学校だろうと休みだろうと、正直どっちでもいい。
自分の中で全てだった野球を失い、それ以上の楽しみを見つけ出すことができない。大人になっていけば見つけていくことをできるのだろうが、生まれて約十五年の中、十年近くも野球だけを打ち込んできた自分が野球を失えば、何もかも失って人生が終わったと感じてもおかしくないだろう。
心の中にぽっかりと空いた穴を埋めるものがそうそう現れるはずもない。
巧は空虚な学校生活を送っていた。
放課後を迎えるチャイムが鳴り、部活に行く者や友人とダラダラと話している者、一人でさっさと帰る者など様々だ。
巧は帰りの支度を整えると席を立ち上がる。
「巧、また来週な!」
「おう、また来週」
少なからず友人は出来た。よく話をするのは春川透。元々シニアで他チームながら、試合で顔を合わせたこともあり、知らない仲ではなかったため自然と話すようになった。
透は野球部に入っているため練習に参加しているが、巧はそうではない。
そのため、これ以上居残る理由もない。荷物をまとめて下駄箱に向かった。
廊下にはそれなりに人がいる。まだ入学したばかりで他クラスとの交流は少ないが、中学時代の友人同士で話しているのだろう。そんな人たちを横目に巧は歩みを進める。
靴を履き替え、校門に向かおうとしている時、部活動の準備を始めている運動部を横目に見ていると、立ち止まっていた女生徒ぶつかりそうになる。
「すいません」
ぶつかってはいないが、女生徒方も避けようとしていたため、謝ってその横を抜けようとする。
しかし、巧は呼び止められた。
「ちょっと待って」
出来るだけ目を合わさないように下の方に視線を向けていたため、顔は見ていないが怒っているのかもしれない。少しだけ目線を上げると、学年ごとに色が違うタイが目に映る。赤色のタイを身につけており、それは三年生を示す色、つまり上級生だ。
怒られるか。
そう思って再び謝ろうとすると、思いもよらない言葉が耳に入った。
「巧くん、だよね?」
不意に名前を呼ばれ、巧は思わず顔を上げる。
「夜空さん?」
二学年違うが、中学時代よく話をしていた人物の一人、強豪のシニアにいた大星夜空だ。
すぐに認識できたが、見た目も雰囲気も、中学時代よりも大人びて見えた。
「そ、夜空だよ。久しぶりだね、巧くん」
夜空がシニアを引退してからは話す機会がなかったため、二年半ぶりくらいだ。
「夜空さん、明鈴だったんですか。ここの野球部に?」
「うん、うちの女子野球部はあんまり強くないから県大会でもせいぜい一、二回戦突破できるかどうかだけどね」
高校野球の話はシニアのチーム内でもよく話に出るが、女子野球はあまり出ない上に弱小校であれば当然のように耳には入ってこない。
シニアで野球をやっている時点で野球で高校を選ぶことを考えている、しかも巧がいたチームは強豪で野球推薦を狙うような連中ばかりだ。
女子選手はいたが、明鈴に進みたいという人はいなかった。
ただ、夜空がこの学校を選んだのはまた別の理由だろう。
弱小な女子野球部とは対して、男子の野球部で考えればこの学校は強豪だ。ここ数年は甲子園から遠ざかっているため、中堅扱いを受けることもあるが、巧がもし野球を続けていれば選択肢の一つにも入る学校だ。
数年に一回の頻度とはいえ、甲子園を目指すことも夢ではないから。
「夜空さんはもっと上を目指してると思ってました」
強いチームで甲子園を目指す。中堅校やレギュラーを取って活躍する。実力のある者の大多数は、どちらかの選択を取り、その先のプロを目指す。
いくら実力があったとしても、可能性が全くないとしても、万年県大会の一、二回戦で敗退する弱小校ではプロのスカウトにアピールすることは難しい。
過去に強豪校だった時代もあったが、良くて中堅校に入れるかどうか、今は弱小校と中堅校の間という微妙なラインにいるのが、この明鈴高校の女子野球部だ。
そしてそんな明鈴を選んでいることは、先に進める可能性が低いことも承知のはずだ。
「……まあ、そう思うかもね」
夜空は苦笑いをしながら曖昧に濁そうとする。しかし、目の奥が何かを狙っているように見え、巧は恐怖を覚えた。
しかし、その目は途端に明るいものとなり、夜空は話を切り替えた。
「それで、ちょっと話があるんだけど、この後予定ある?」
「特に予定はないですけど……」
そう反射的に返事をした巧は後悔をした。
大人びた雰囲気をしていたため忘れていたが、夜空は以前から突拍子もないことを言う。まず先に何をしようとしているのか、聞いておくべきだった。
「ちょっとうちの野球部見にきてよ」
面倒くさいことに巻き込まれた。
夜空の言葉を聞いた瞬間、巧はそう直感した。
「ようこそ、明鈴高校女子野球部へ」
夜空がそう楽しそうに迎え入れようとするが、巧は全く乗り気ではない。
そもそもまだ練習場に向かっている段階だ。
何のために招かれたのか不安で仕方ない。流石にないとは思うが破天荒な夜空のことだ、巧は男子の中では中性的な顔立ちなため、女装をしてチームに入れと言われても驚かない。
そう思っていたが、流石にそこまで考えるほどではなかった。
「そんなに構えなくてもいいよ、アドバイスが欲しいだけだから」
「アドバイス?」
「うん。うちの顧問は去年から一年間顧問してくれてるんだけど、野球未経験者なんだ。まあ、勉強してある程度の知識もあるし、ノックとかも打てるようになったんだけど、技術面の指導はからっきしで。バスケしてたから身体の基礎作りとかメンタル面はいいんだけどね」
高校生ともなれば初心者も多くはないが、まだまだ体も技術も未熟だ。
それでも顧問が技術指導できなくとも、打つ手がないわけではない。
「それなら夜空さんがすればいいじゃないですか」
中学時代の話になるが、夜空の実力は女子野球トップクラスだ。総合力ナンバーワンと言われるほどの実力だった。
しかも、それは全国での話だ。
ただ、それも夜空によって却下される。
「ダメダメ。一応今までしてたけど、私感覚派だから指導は向いてないの」
本能で動くタイプだとうまく言葉では説明できない。中学時代もある程度の実力のある巧であれば理解できるが、指導を受ける側には理解し難いものなのだろう。
「はぁ……」
巧は感覚ですることもあるが、細かく修正して理論的に野球をしていた。
しかし、指導などほとんど経験はない。後輩に聞かれたことを答える程度で、それでも強豪シニアにいた連中のため、それなりにレベルは高く、多少感覚的な話になったとしても理解してくれる。
「今日はチームの顔見せくらいだから。明日、練習試合あるからそれを見てちょっとだけ練習に付き合ってよ」
「つまり期間限定のコーチってことですか?」
「まあ、そうなるね。ダメかな?」
しおらしく頼む夜空に、巧は強く拒否できない。
先輩で顔見知りとはいえ、元々美人で整った顔立ちをしていた夜空はさらに美人となった。そんな人の頼みとなれば、男として受け入れてしまってもおかしくはない。
「それくらいなら、まあ」
自分ができるかどうかなんてわからないが、もっとすごい要求をされると思っていたため、その落差に了承する。
すこし感覚が狂っているかもしれないが、それだけで解放されるのであれば安いものだ。
「あ、見えてきたよ」
女子野球部の練習場は校舎の裏側に位置するため、回っていかなければならない。他の部と違い離れているが、これは強豪だった時代に増設されたものだからだ。
しかし、その強豪時代も過去の話のため、時々使う程度で今は主に男子野球部が使用しているらしい。
「みんな、連れてきたよ!」
夜空がそう声をあげると、練習前の準備中だった部員は夜空に注目する。
何人か知っている顔はある。
同じクラスで中堅クラスの東陽シニアにいた神崎司や、夜空の後輩に当たる清峰シニアの姉崎陽依とは話をしたことはある。
ただ、予想外の人物がいた。
「巧くん、久しぶり〜」
強豪の皇成シニアにいた本田珠姫だ。全国で総合力トップが夜空であれば、全国で打撃力トップは珠姫と言っていいほどの実力で、彼女に敵うパワーヒッターはいない。
「なんで珠姫さんが……?」
珠姫とは家の近い幼馴染だ。ただ、ギリギリ校区が別となっており、小中共に別の学校だったが、小学校で野球チームに所属する前は公園で遊ぶこともあった。
そのため、怪我をしたという話は本人から聞いていた。もし怪我をしていなければ、強豪の皇桜学園に進学が決まっていたという話もあった。
野球が続けられる程度の怪我であれば進学は覆らないだろうし、そうでないのであれば野球部にいること自体おかしな話だ。
「怪我は肘だからね。マネージャー兼選手でやってるの。たまに代打で、守るとしてもファースト専門だよ」
以前は主にファーストを守っていたとはいえ、堅実な守備を活かして他のポジションを守ることもあった。しかし、投げられない、もしくは故障によって肩が弱いとなるとファーストですら危うい。
「ん? あ、こっちで練習してるから」
巧の考えに気付いたのか、珠姫は右手首で投げるような動作をする。元々珠姫は左投左打の選手だった。
左投げの選手が右で投げるというのは相当努力が必要だ。怪我をした巧自身は考えもしない選択だった。
右投げの巧が同じことをやるとすれば左投げに転向することとなるが、それをすると本職であるピッチャーやショートとしては生きていけない可能性が非常に高い。そのため左投げの藤崎巧は実現しなかっただろう。
「すごいですね」
「そうかな? 私には野球しかないし」
「なんか、その言葉は耳が痛いです」
巧は怪我で野球を辞めた。ある程度回復しているとはいえ、以前の状態には戻れない。
ただ、同じ怪我をした状態でもひたむきに努力をすゆ珠姫の姿が眩しく見えた。
「もうちょっと話したいけどこの話の続きはまた今度ゆっくり話そ。それよりさっきからずっと睨んでる子がそこにいるから」
珠姫は巧の後ろに視線を向ける。その視線につられて後ろを振り向くと、見覚えのある顔がいた。
「……久しぶり」
「……おう」
全国大会をかけた一戦。一番最後のアウトをもぎ取ったのはこの少女からだ。
瀬川伊澄。同年代で県内トップクラスの実力を持つ彼女は、このチームの一年生の中ではダントツで一番の実力だろう。
トップクラスどころか、去年の十五歳以下の女子野球日本代表に選ばれているほどだから。
「今度は打つ。もう一回勝負して」
バットをこちらに向け、巧の顔の前に突き出す。すでにバッティンググローブを付け、ヘルメットを被り、戦闘態勢と言った状態だ。
「いや、もう投げれないんだけど」
巧は右腕を触りながらそう言う。
恐らく伊澄は、巧の怪我のことを知らないのだろう。最後に打ち取られて呆然としていたのか、ただ他人に興味がないだけなのか……。
「それなら……。はい」
伊澄はバットを持ち変え、持ち手をこちらに向ける。『受け取れ』ということだろう。思ったよりも面倒なことになった。
しかし、野球人としての巧の血が騒ぐ。
「夜空さん。これだけ終わったら今日は帰りますね」
「え、うん。わかった」
先程までの、夜空と会話をしている際にはめんどくさそうな雰囲気でいた巧が勝負を受けると思わなかったのだろうか。
巧はバットを受け取り少し離れると、準備運動をする。それを見て伊澄はヘルメットを外すと、帽子を被り、グローブを持ってマウンドに向かう。
練習前に勝手なことをしているはずだが、夜空は少し嬉しそうに部員を選んで守備位置に配置する。
夜空自身は見学のためか、ベンチ付近で待機していた。夜空が「連れてきたよ」と言っていたことを思い出し、元々巧をここに連れてくる予定でこうなることはある程度想定内だったのかもしれない。
伊澄の投球練習を待つ間、タイミングを合わせるために素振りをする。二十球ほど投げた後、伊澄に合図を出されたため打席に入る。
初球。外角高めの大きく外れたボール球。左打者の巧からすれば手は届かないが、右打者であれば肩に当たるデッドボールのコースだ。そして、そこから一気に足元に向かって曲がった。
しかし、巧はそれを見逃さず、ゴルフでもするかのように食い込んできた球に合わせてすくい上げる。バットが軽快な金属音を奏でる。
打球はレフト側に伸び、スタンドに入る。ただ、ポールの外側、ファウルボールだ。
初球からいきなり難しい球がくれば普段なら見逃すところだが、実際の試合ではなく球数を投げさせることが目的でもない。
初球から迷わず狙っていった。
「やること、えげつないね」
キャッチャーとして守備に入っている神崎司が、巧の打球を見てそんなことを言う。
「なんのことだ?」
「初球から決めようとする球、しかも難しいの狙って威圧してるんでしょ?」
バレたか。
しかし、初球からスタンドを狙ったはずだが、思っていたほど変化しなかった。
伊澄のことを買い被りすぎていたのかもしれない。
二球目。外角低めの際どいボールに対して巧のバットは動くが、踏み込んだところで止まる。
「ボールだね」
手元でわずかに滑り曲がったところを確認して巧はバットを止めた。先程の大きく曲がるカーブとは違い、横に滑るように曲がるカーブ……いや、スラーブだ。全国前の一戦で伊澄は登板していないため、以前対戦したのはかなり前だ。似たような変化の仕方で変化量の大きいスラーブを投げていた。
これで巧の中でハッキリとした。
好調不調によってキレや変化量に波があることは当然だが、この瀬川伊澄は意図的に変化量を変えることができる。そして様々な変化の仕方をするカーブを扱う。対戦していない一年で恐ろしいほど成長している。
三球目。今度も外角低めだ。しかし、先程よりも少し高く、変化量も大きい。ポイントを予測し、バットを振り抜く。
「っ!」
打球はライト側のスタンド、しかしポールの外側を通過する。
思っていたよりも変化した。
「ストレートは一球も投げさせないんだな」
軽い挑発を交え、司の意図を探る。
「好きなように投げさせてるからね。私は今はただの壁だよ」
「そうか」
この配球の決定権は伊澄のもの、それがわかっただけでも十分すぎる。ただ、ノーサインでこれだけの変化球に対応している司も恐ろしいものだ。
ストレートを交えなくてもカーブだけで多少の緩急もつけられ、変化量や方向で相手を手玉に取れることを考えればこの打席にストレートはない。わざわざ自信のある球以外を投げる必要がないから。
四球目。伊澄の指から放たれたボールは司のミットに収まらず、巧の振り抜いたバットに反発し、軽快な金属音と共に放物線を描く。打球はバックスクリーンに到達した。
「ふぅ……」
結果は文句なしの巧の勝利。そもそもホームラン性の当たりを他に二本も打たれている時点で伊澄の完敗なことには間違いない。
「も、もう一回」
ヘルメットを外そうとしている巧に対し、伊澄は引き留める。
「嫌だね」
そう言って巧はバットとヘルメットを片付けるが、伊澄は食い下がる。
「次に負けるのが怖いんだ?」
わかりやすい挑発。しかし、巧はそれには乗らない。
「俺は十割打てる打者じゃない。どれだけ実力差があっても百打席経てば何回かは打ち取られるし、よほど運が良くなければ、少なくとも瀬川くらいのレベルを相手にすれば十回中の三、四回は打てないよ。下手すれば全部打ち取られてもおかしくない」
正直に言えば、流石に全部打ち取られるとは思っていないが、運が悪ければ七、八回、普通にやれば半分くらいは打てないと思っている。
「何回も打たれて、やっと勝った一回で喜べるのか?」
挑発のお返しだ。嫌味とわかった上で、伊澄が傷付くような言葉をぶつけると、伊澄は黙りこくった。
「じゃあ、夜空さん。明日また来ますね」
「うん、よろしくね」
巧はそれだけ言うと、左手で鞄を持ち、グラウンドから出て行く。
右手が若干痺れている。最後の一球は高めのボール球から一気に落ちて低めいっぱいに決まるカーブだった。真芯から少し外され、強引にスタンドに持っていった形となった。
結果としては勝ちは勝ち。それでも巧の中に少しばかりの悔しさが残った。
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