第150話 夏の終わりと夏の始まり
三年生との話を終えると、時刻はすでに七時に迫っていた。短いようで三十分程は話していたことになる。
明音を待たせているため、急がなければならない。
そんな時、珠姫に呼び止められた。
「あの、巧くん……」
「ん? どうした?」
何か言いづらそうにした珠姫に聞き返す。
急いではいるが、長くならない程度であれば話は聞く。
待たせることには罪悪感を覚えるが、せっかく話しかけられているのを無下にも出来ないからだ。
ただ、珠姫の話の内容は簡潔で、特に驚くようなことではなかった。
「一緒に帰ったりできないかな……なんて」
絞り出した言葉はいつも通りのことだ。
夜空や由真が「おっ?」と煽っているが、それは無視しておく。
普段なら即答で一緒に帰る選択をするところではあるが、明音との予定があるためそれには応えられない。
「悪い。明音……水色学園の近藤と約束あるんだ」
「……そっか」
珠姫は残念そうな顔をしている。そんな顔をされると、申し訳ない気持ちと一緒に帰りたい気持ちがあるが、先の予定が優先だ。余程のことがなければ巧はそういうスタンスで、特に明音はわざわざ愛知から来てくれている。
恐らく先に帰った司と話しているだろうが、あまり待たせるわけにもいかない。
「今日は無理だけど、また今度帰ろう。予定ない時に誘ってくれたらいつでも良いから」
巧がそう言うと、少し寂しそうな顔をしながらも珠姫は笑顔で「うん!」と返事をした。
いつもと変わらないやり取りのはずなのに、何故かいつもと違う気がする。
気のせいかもしれないため、巧は気が付かないフリをした。
「じゃあ、また。もう学校閉まる時間だから早めに帰れよ」
後ろにいる夜空や由真にもかけた言葉だ。
「うん、早めに帰る。また今度ね」
夜空と由真も、「はーい」と返事をし、それを聞いてから巧はこの場を後にした。
……不覚にも、いつもと違う表情の珠姫に対して、ドキッとしてしまっていた。
巧は明音の待つ場所へと急ぐ。学校近くの公園にいるというメッセージが入っており、司と話しているとも書かれていた。
公園は学校の真横にあるため、校門を出て徒歩一、二分というところ。学校の敷地面積が広いため、少し歩く位置だ。
巧は何もメッセージは送らずに公園へと向かう。送っている間に到着するだろうから。
公園に到着すると、正面には自転車が停めてある。恐らく司のものだろう。
巧は公園に入り、明音と司を探す。広すぎるわけではないが、それなりに広い。遊具や木々があるため、端から端までは見えない。そして夏とはいえ、時刻は七時で薄暗くなっている。
一通り見て回ってもいいが、基本的にどのベンチも公園の外から見える位置にある。周辺の住人もいるため、あまり人目につくところで話し込みたいとは思わないだろう。
そうなれば、可能性としては一つだ。
大会前に珠姫と話をした場所、公園内の階段を登って城跡に向かう。
巧の予想は正しかったようで、階段を登った先のベンチに二人の影が見える。
「あ、巧くん来たよ」
真っ先に気付いたのは司。司が大きく手を振ってくるため、巧も手を振り返す。すると明音も小さく手を振ってきた。
「じゃあ、あとはお若い二人に任せて、私はお先に失礼するね」
そう言う司は有無を言わせずに立ち去っていった。
司がいなくなると明音と二人きりになる。
明音は座っているため、巧が立ったままというのもおかしいため、巧もベンチに腰掛けた。
「お待たせ。……ありがとう、司の話を聞いてくれたんだろ?」
「うん。色々我慢してたみたいだから」
会話の内容はわからない。ただ、すれ違いざまに司の目が赤くなっていたことを、巧は見逃さなかった。
司が試合後に泣かずに溜め込んでしまうことは巧も心配していた。それも明音のおかげで解消されただろう。
そして、一つだけ思ったことを巧は口にする。
「明音は泣かなかったんだな」
「なんでわかるの?」
「化粧が崩れてないから」
明音の目はやや腫れぼったくなってはいるが、化粧で上手く隠している。
今日の明音は野球をするしている時や以前私服で会った時と違っていた。
以前は薄めでもしっかりとしていた化粧が、今日は更に薄い。そして髪型はツインテールに結ばれていたが、今日は肩下まで下ろしていた。
服も明音のイメージとは違うが、フリルの付いた黒のブラウスとショートパンツだ。動きやすい服装という点は共通しているが、まだ私服で会うのは二回とはいえ違う服装をしており、女子高生だということを改めて感じさせる。
以前とは違い少し大人っぽい装いに、巧は少なからず緊張を覚えた。
「化粧とかわかるんだ」
「まつりがいるからな」
「あー」
妹のまつりはまだ中学生とはいえ、化粧に興味を持ち始めている。
運動する時は汗で崩れにくいメイクを薄めにしており、運動しない遊びの時は普通のメイクだ。ただ、映画で感動した時は涙で崩れたと言ったり、まつりは活発な性格のため、映画やカラオケに行った後にバッティングセンターに行ったりするためよく崩れている。
巧は別段化粧に詳しいわけではないが、そんなまつりを見ていれば多少の知識は付いているのだ。
明音は納得がいったようだ。そして、泣かなかったことに関してわざとらしく付け加えた。
「誰かさんがいっぱい泣かせてくれたからね」
「誰のことだろうなー」
冗談めかして巧が言う。その後、お互い目を合わせると、思わず笑いが込み上げた。
「まあ、化粧はさっき一回直してるけどね。バッティングセンターでストレス解消したら汗かいちゃって」
言われてみれば、巧も使ったことのある市販の制汗剤の香りが漂っている。
日が沈み始めているとはいえ、夜でも蒸し暑い時期だ。化粧が崩れていない方がおかしな話だ。
明音は電車でここまで来ただろうが、明鈴の近くにはバッティングセンターがある。巧もよく利用しているバッティングセンターだ。
徒歩でも行ける範囲内のため、そこに行ったのだろう。
「それは盲点だった」
「巧もまだまだだね」
そう言い合いながら笑い合うと、この話題の終わりを示すようにお互い沈黙した。
しばらく沈黙が続き、巧は何か話すべきなのか考えた。
この沈黙は嫌ではないが、わざわざ愛知からここまで来たのは化粧の話をするためではないだろう。
巧はその疑問を率直に聞く。
「今日会いたいって言ってくれたけど、何かあったのか?」
変な質問になってしまったが、どのように聞けばいいのかわからなかった。
明音は以前、巧のことを初恋の相手と言っていたが、昔の話だとハッキリと言った。巧としても明音を同い年の女子として意識することはあるが、そこに恋愛感情があるわけではない。
幼馴染で他校のライバルで友人。それでも異性だ。
明鈴では周りは女子ばかりのため多少慣れたとはいえ、元々女友達は少なく、ハッキリ言って緊張している。
変な聞き方になるのも仕方ないだろう。
明音は巧の心情を知る由もなく、「うーん……」と考えながら口を開いた。
「少し本題とは遠回りになっちゃうけど、ちょっと聞きたいことあるんだ」
そう前振りをし、明音は続ける。
「高校生で監督っていうのは全国で見てもほとんどいないと思うし、男子高校生が女子野球部の監督っていうのは巧だけかもしれない。だから聞きたいんだけど、監督やってみて、初めての大会でどういう気持ちなのかなって。プレーする側から采配する側になったのもあるし、男子野球と女子野球はルールが同じでも別のスポーツみたいなものだから」
厳密に言えば七イニング制と九イニング制という違いのように、ちょっとしたルールの違いはある。
ただ、明音が言うのは、球速や打球速度などが違い、それに伴って戦術も変わってくる。男子選手はストレートを主体にする選手は多いが、女子選手は変化球を主体にする選手が多い。
どちらもそれぞれの面白味はあるが、そういった違いのことを言っているのだろう。
「正直、あんまり考えたことはなかったかな」
変化球主体の選手が多いとは言っても、皇桜の柳生のようにストレートを主体にしており、変化球を交えてストレートを活かすという戦い方は、男子野球に多い戦い方だ。
「男子野球でも少なからずあるチームカラーのチームが多いって考えてはいたかな。少なくとも俺は自分の経験を活かすしかないから、別のスポーツみたいでも完全に切り離して考えれば何も通用しなくなってしまう」
全てが全て、全く同じことができるとは思っていないが、体格や体力に女子選手は女子選手で強みがある。
やはり直接戦うとなれば体格で勝る分、男子選手の方が有利ではある。ただ、男子選手が『剛』であるならば、女子選手は『柔』。もちろん人によってタイプは違うため、女子選手にも『剛』の選手はいる。
明鈴でわかりやすく言うのであれば、黒絵や夜空が『剛』で伊澄、陽依、棗が『柔』だ。
男子選手だから、女子選手だからという固定概念を取り払い、選手にあった戦い方をするということを巧は考えていた。
また、戦略を考えるという点では、経験を活かすだけだ。
幸いにも、男子ばかりだった時代では考えられないほど今のシニアでは女子選手が活躍しているため、巧は女子選手との戦い方にある程度慣れている。女子選手が中心のチームだってあるほどだ。
それは女子野球のレベルが上がったことが主な理由だ。
中学時点でも男女の体格の差は出てくるが、技術面でカバーできるようになりつつある。
ガールズに所属する選手も、シニアに所属していても通用する選手はいるが、シニア所属の女子選手は総じてレベルが高い印象だ。もちろん個人差はあるが。
そのため、違うスポーツという見方もあるが、それは観客として女子野球を観戦する側の意見であって、采配する立場であれば全てを切り離して考えるほどでもないというのが巧の見解だった。
「なるほどね……」
明音は納得がいったように返事をする。
「じゃあ、意地悪な質問になるかもしれないけど、女子の中に男子は巧だけっていうのもあるのと、選手の時と監督の今とで巧の気持ちに温度差みたいなのはあったりするの?」
女子の中に男子一人、選手の中に監督一人、どちらにしても違う視点で戦うことになる。
そして、自分自身が戦う選手という立場と、外から試合を見る監督という立場ではまた違った意味を持つのは否定できない。
選手として野球をすることが好きだった巧が、自分はプレーしない側に回って気持ちの変化があったかどうか、試合に対する熱について明音は尋ねているのだろう。
「どうだろ……。確かに自分がプレーすることが好きだったから、その時に比べると落ち着いて試合を見ている気はする。ただそれが選手の時より本気じゃないって意味でもないかな。喜びも悔しさも、どっちもまた違った感覚で同列には考えられないけど、嬉しい時は飛び回りたくなるし、悔しい時は死にたくなることには変わりないかな」
選手として負けた時も、監督として負けた時も、恐らく同じくらい悔しい。過去の感情と今の感情で比較のしようはないことと、どちらも同レベルの悔しさのため、どちらが上なんてことはハッキリと言えない。
「なんかちょっと安心した」
「え?」
明音の唐突な言葉に、巧は素っ頓狂な声を上げた。
「昔は普通の男の子って感じだったけど、中学ですごかったから、再会してからは遠い存在にも思ったりもしたんだよね。だからなんでも簡単に受け止めちゃうのかなって」
そう言いながら明音は微笑みながら立ち上がると、途端に巧は柔らかい感触に包まれた。
「しっかりしなくちゃって思っていたんじゃない? 監督だから、みんなには弱い姿を見せられなくても、私には見せてもいいんだよ」
明音はそう言いながら、巧を抱き寄せる。
「泣いてもいいんだよ。小さい胸だけど、これくらいなら貸してあげる」
自虐気味に明音は笑いながらそう言った。
確かに我慢していた。弱いところを見せても、自分は監督だから強くないといけないと、戦ったのは選手たちだから自分は泣いてはいけないと自分に言い聞かせていた。
その我慢も、明音の優しさに包まれて決壊する。
まるで子供に戻ったように、巧は声を上げながら泣いた。
悔しい。勝ちたい。
自分の力が及ばない。戦うのは選手たちで、その選手たちがベストな状態で戦えるようにするのが巧の役目だ。
そのもどかしさに、自分が戦っている時とは違う悔しさを感じている。
監督だから、自分の失敗を取り返す術はなく、自分が失敗すればチームの失敗に繋がるのだ。
この夏、巧は思い知った。
観客として、選手として、野球を見ながら考えている以上に、監督という立場で采配することが難しいということを。
明鈴高校の夏は終わった。
全てを出し尽くし、全力でぶつかって砕けた。
ただそれは、一、二年生にとっては来年の夏に向かう一歩でもあった。
新チームとして、新しい明鈴がこれから始まる。
夏はまだ、始まったばかりだ。
長らくご愛読ありがとうございました!
今後新チームとなる良い区切りのため、一度完結させていただきます。一年生前編の完結です。
150話にわたりありがとうございます。
すぐに後編も更新させていただきますので、引き続きお楽しみいただければ幸いです!
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