第145話 エースの想い vs伊賀皇桜学園
ワンアウトランナー三塁。
絶好のチャンスだ。
そのチャンスを生み出したのは代打に送った梨々香。巧の策が見事にハマった瞬間だった。
そしてその当たりは際どかったが、ヒットを示す『H』のランプが点灯している。打球がグラブに触れずにエラーがなかった、スリーベースヒットだ。
梨々香は塁上で満面の笑みを浮かべていた。
求めていた打撃は出来れば出塁を、可能なら長打ではあったが、長打でも最高のスリーベースヒットだ。
残念ながらホームランではなかったが、そこまで求めるのは高望みし過ぎだ。
梨々香は十分に結果を残してくれた。
ワンアウトランナー三塁は、場合によってはゴロや外野フライで一点、ヒットであれば当然一点となる。得点が期待できる状況だ。
そして打席に入るのは……、
『六番ピッチャー、瀬川伊澄さん』
明鈴のエース、伊澄。
マウンドに立つのは皇桜のエース、柳生だ。
エース対決が始まる。
私は打席に立ち、気合いを入れる。
前の守備で打たれたのは私。私は打たれた直後、一球で打ち取ったが、そのことは何も覚えていない。
気が付いた時にはベンチに座っていた。巧や他のみんなからも声をかけられたが、その言葉は頭に入らず、ただ返事をするだけだった。
自分が打たれないと思うほど傲慢ではない。
中学時代、日本代表に選ばれたと言っても自分よりも上の選手はいくらでもいる。光陵の琥珀なんかがそうだ。
確かに中学時代の評価は、日本中で三本の指に入るほどだった。それと同時に、中学生時点で完成され過ぎているという評価を受けていたことも知っていた。
その時は意味がわからなかった。
ただ、今となってはその意味が痛いほどわかる。
皇桜の竜崎は、司の中学時代の話を聞く限りではエース級のピッチャーだけど、強豪では埋もれる程度の選手だった。
それでもこの短期間で聞いていた話と同一人物とは思えないほど成長していた。
黒絵だって球速を伸ばし、持ち味のストレートを活かすためのチェンジアップも覚えた。
私はどうだ?
私は確かに球速も伸び、パワーカーブを覚えた。十分な成長かもしれない。
ただ、球速は成長期の今だから、体が成長した分伸びただけで、パワーカーブは元々練習していたものが完成しただけだ。
成長はしている。それでも黒絵ほど球速が伸びたわけでもなく、竜崎のように一から変化球を……しかも二球種も覚えたわけではない。
自分自身物足りなさを感じると同時に、急速に成長する周りに置いていかれるような気がしている。
つまり焦っている。
そして焦る気持ちを抑えてマウンドに立ったけど、無意識のうちに意識していたのかもしれない。
打たれた一球は良い球だった。それでも物足りなさを感じる球だった。
そして、私は打たれてしまった。それなのにこのまま負ければ、記録上はランナーを溜めた黒絵が負け投手になる。
確かに崩れた黒絵に全く責任がないとは思わないけど、満塁でも抑えると期待されてマウンドに立ち、結果的に打たれて点差をつけられたことは私の責任だ。
それを取り返すべく、私はバットを握る。
まずは初球。どう戦うか。
どのような配球で来るのか。
その読み合いで勝てるはずはない。
元々来た球を打ち返すことが多い私にとって、吉高さんのリードは全く読めない。
それならば、狙い球を絞りながら来た球を凌いでいくだけ。
今までがそうだったのだから。全くできないわけではない。
柳生さんの指先から放たれた初球。
私はバットを持ってその球を待ち構えていた。
ボールが指先から離れる。
ただ、それには私の反応は早過ぎた。
緩いボール。その球は私の体勢を崩し、ゆるりと嘲笑うかのように近づいてくる。
この体勢では打てない。
コースとしても際どい球に、私はバットを止め、見送った。
「……ストライク!」
下手に手を出さなかっただけマシかもしれない。
手を出して凡打になってしまえば目も当てられないから。
これ以上、チームの足を引っ張るわけにはいかない。
続く二球目、今度は速い球。しかし、先ほどと同じコースである外角低めの球。その球は手元で逃げるように変化する。
「……ボール」
逃げる球だったために、ストライクゾーンから外れる。それを私は見送った。
ただ、それは見極められたわけではない。コースは同じなのに、私は手が出なかった。
……いや、手が出せなかった。ここでアウトになることを恐れてバットを振ることに躊躇したのだ。
怖がってバットを振らなければ、それはそれで三振になるだけだ。そんなことはわかっている。
それでも、一度自分の手で試合を壊しかけたから、そうなってしまうのが怖くてたまらないのだ。……手を出さずにアウトになれば、それも試合を壊す要因になることもわかっているが。
今までもこんな場面は何度でもあった。
それでも今と違うのは、ちゃんとした意味でチームで戦っていることだ。
中学時代は自分一人と他の選手という感じだった。チームメイトと仲間だという感覚があまりなかった。それは自分のせいだけど、あまり感情を表に出さない性格に気味悪がられたことや、強豪だったシニアの中でも実力が突出していたことだ。
多分、嫉妬もあったのだろう。
腫れ物のように扱われていた。
ただ、明鈴は違った。
小学生の頃、同じチームだった陽依。他にも、私よりも実力がある夜空さんや珠姫さん。その他のみんなも、全員が温かかった。
自分が感情表現が得意ではない自覚はある。自分の方からコミュニケーションを取った方が良いこともわかっている。
それでも明鈴のみんなは、こんな私のことを受け入れてくれて、ちゃんと『チーム』をしている。
個人競技ではない。団体競技をしていられる。
この試合に負けたとしても、三年生は引退してしまってもまだ一、二年生のみんなはいる。
ただ、私を受け入れてくれた今の形の明鈴高校女子野球部で、まだ野球をしたかった。
だから、このバットを振るのが怖い。
私は三球目、外角高めへのストレートにバットを出せなかった。
「ストライク!」
これで追い込まれた。
次、ストライクの球を見逃せば三振だ。
それをしてはダメだ。それでもどうしてもバットが出ない。
感情表現が苦手でも、心の中ではそれなりに感情豊かで、表現するのが苦手なだけだった。
それでもここまで自分が怖いと思うことは、今までなかった。
まさか自分がそんな感情を持つとは、思ってもいなかった。
どうすれば良いのかわからない。
完全に思考が停止している。
「伊澄! とにかく振っていけ!」
思考が停止する中、その声によって私の思考は再び動き始めた。
声のする方を向くと、巧が叫んでいた。
「どっちにしても後悔するなら、とりあえず振れ! 振らなかったら後悔するし、結果なんかやってみないとわからないぞ!」
その声に私はハッとする。
……巧の言う通りかもしれない。
振るのが怖い。これはどうしようもないことだけど、珠姫さんのイップスのように振れないわけではない。
投げてホームランを打たれて後悔したから、打った結果後悔するというのが嫌だったのだ。
ただ、結局振らなければもっと後悔する。
それなら、振るしかない。
勝ちたい。
その想いを私はバットに乗せる。
第四球、柳生さんの放つ球を私のバットは捉えた。
「行け!」
レフト線へ。
強い打球が飛んだ。
伊澄の一撃!
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