第143話 明鈴の主砲 vs伊賀皇桜学園
『四番ファースト、本田珠姫さん』
明鈴の主砲、珠姫がコールされる。
珠姫は今大会、打率出塁率ともに十割。一試合だけの出場ならともかく、数試合出ていてこの成績は珠姫を除いていないだろう。
最も期待のできるバッターだ。
最初で最後の大会。
……正確に言えば、今までも大会に選手として登録されていた。ただそれは、マネージャーとの兼任で、代打や守備での交代ばかり。
選手としての大会は、これが最初で最後だ。
私は三年間付けて慣れ親しんだ背番号『16』がこれで最後だと思うと、惜しくてたまらなかった。
苦しみ続けたイップスをやっと克服した。
そして心の底から野球を楽しめている今が終わりに着々と近づいているのが、たまらなく嫌だ。
「……まだ終わらせたくない」
まだ野球がしたい。高校野球を。
そのためにすること。それは打つこと。
簡単で、難しい。それでも私は立ちはだかる高い高い壁、柳生というピッチャーからなんとしても打たなくてはならない。
この試合で何人も立ったこの打席。一打席目よりも、二打席目よりも、そして三打席目よりも熱い。
試合の終盤が近づき、グラウンド内の熱が熱くなる。
緊迫した試合展開に、苦しいような、息が詰まるような感覚さえもする。
しかし、その苦しさは心地よさを感じる苦しさだった。
試合中に味わえる独特な感覚。私はそれがたまらなく好きだった。
勝つにしろ負けるにしろ、この試合ではこれが最後の打席だろう。
私はバットを構えた。
マウンドの柳生さんはこれ以上ないほど威圧感を放っている。それでも私は怖いと思わない。
私は今までそれ以上の威圧感を放つピッチャーと戦っている。
それは日本代表として世界と戦った時のこと。その時でさえ、打てないと思うことはなく、怖いという感情は湧かなかった。
そして今後、恐らく打席の中で怖いと思うことはないだろう。
怖いのは、野球ができなくなること。その経験をした私にとって、強い相手との戦いは怖いものではなく、持ち合わせる感情は好奇心と楽しさだけだ。
柳生さんの初球、私は冷静に見送った。
「ボール!」
外角の低く外れた縦スライダー。今までに比べてキレもなく、制球の乱れた球だ。
縦スライダーを投げることに躊躇しているのだろう。それは夜空ちゃんがそうさせたことだ。
執拗に縦スライダーを狙った。
それによって、縦スライダーで空振りを奪う感覚どころか、調子さえ悪いと感じさせる。私よりも後ろに控える選手たちへの、キャプテンからの置き土産だ。
ただ、ストレートは今まで通り絶好調だ。
「ストライク!」
先ほどと同じく、外角低めの球だ。
ノビがあり、針を通すようなコントロール。簡単に打てる球ではない。
それでも、縦スライダーの調子を崩させることで、私は狙い球を絞れる。
プロを目指す夜空ちゃんにとって、自分の打席はアピールの場だ。
先ほどの打席も十分に意味も価値もある打席だったが、外から見ればわかりづらいこと。わかるのは一部の人間だけだろう。
そのため、わかりやすくアピールするのであれば、ヒットを打つことが一番だ。
ただ、夜空ちゃんはそれをしなかった。チームのために、勝つことだけを考えている。
私もプロを目指している。それでも、やることは変わらない。
夜空ちゃんが繋いだ相手への牽制を、無駄にしないことだけだ。
自分だけ美味しい想いをすることになるが、チームのために結果を残すことが、私にとってはプロに近づく一歩でもあった。
そして三球目、柳生さんの指先から放たれた球は、内角低めを抉るような球。
ボール球。しかし、手元で変化してストライクゾーンに入ってくるその球を、私はお構いなしに打ち返す。
「ライトッ!」
大きな打球。それでも私は一塁に進もうとしなかった。
打球がファウルになるとわかっていたから。
案の定、打球は外野にそびえ立つポールの外側、ファウルゾーンに入っていった。
スタンドではない。それを超えて、球場の外にある木々に直撃した。
「ファッ、ファウルボール!」
打球は結構飛んだ。両翼は100メートルもないくらいだったはずだから、110メートル前後か。
ただ、私はまだ飛ばせる。
カウントはワンボールツーストライク。追い込まれている状況で続く四球目を迎える。
やや低いか。
低いと思ったところからさらに低く、ワンバウンドする縦スライダー。
これには判定を聞くまでもなく、ボールだと断定できる球だ。
ワンバウンドした球は、吉高さんのミットを弾き、前に溢れる。
二塁への進塁する素振りを見せた夜空ちゃんだったが、溢れたボールは吉高さんの目の前だ。流石に二塁へ向かうにはリスクが高すぎるため、夜空ちゃんはすぐに一塁へと戻った。
吉高さんは縦スライダーにキレがなく、調子がイマイチだとわかっているだろう。ただ、最終確認の意味も込めて、この一球で使えるのか使えないのか、柳生さんに投げさせた。
サインを交わす際に、柳生さんは微妙な表情を浮かべていたが、渋々頷いていた。
そして、縦スライダーがもう一つ使えないことは、球のキレ以外にもう一つある。
柳生さんはコントロールが良く、吉高さんもキャッチングが上手いため、ランナーがいる状況でも迷わず落ちる変化球を要求していた。しかしこれで、後逸してランナーが進塁することを考えると、怖くて落ちる変化球はもう要求できないだろう。
……なんて、こんなことを考えられるのも、ある意味イップスのおかげかもしれない。私はそう思っている。
中学までは、来た球をとりあえず打っていた。それだけで打てていたのだから、その頃は問題なかった。
そしてそのままイップスとなって打てない日々が続いた。ただ、もしイップスになっていなくとも、打てないという苦悩に悩まされていた可能性は大いにある。
中学までの打撃と今の打撃、その違いは観察眼が養われたことだ。
ピッチャーの球の調子はどうなのか。
キャッチャーはどう考えて配球を組み立てているのか。
そして守備の隊形はどうなのか。
誰がどのように考えて動いているのか、それはイップスになって外から試合を眺めることが増えたことによって養われた力だ。
試合に出ていない時間も、決して無駄にはなっていない。
全ては私の糧となっている。
この三年間。後悔をすることもあったが、その後悔すらも私の力となっている。
もがき苦しみ、辛いことだっていっぱいあった。
悩むことだって多くて数えきれない。
ただ、一つだけハッキリと言えることがあるとするならば、それは明鈴に来てよかったということだ。
元々私は皇桜へ進学予定だった。
もちろん、そうなっていれば今よりも成長できていたかもしれないし、今よりも楽しかったかもしれない。
それはあくまでも『かもしれない』ということで、起こらなかった出来事なので、断定はできない。
少なくとも、私は皇桜に進学できずに明鈴に進んだことを、私は何ひとつ後悔していない。
これが私だから。
第四球。
低めを攻められ続けた感覚を、外すような四球目。
外角高めのストレート。
その球に対して一振り。
向かってくる球を叩き切った。
勝利のために。
この気持ちを、想いを打球に乗せて。
私は白球をバックスクリーンの向こう側まで運んだ。
四番の一撃!
チームに勢いをつける一発っていうのはありますよね。
ただ、ランナーがいなくなるからピッチャーとしては気持ちが楽になる人もいるのかな……?
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