第121話 転換と切り替え vs伊賀皇桜学園
司のホームランがライトスタンドへと突き刺さる。
右打者の司としては、引っ張り方向であるレフト方向への方が力が入りやすい。
そして、力で押される場面を見られたため、力負けするのではないかという不安はあったが、しっかりと捉えて力で押し切った最高の打球だ。
入った瞬間、ガラにもなく思わず巧は叫んでしまった。
その司がグラウンドを一周している。やがてホームまで到達し、ホームベースをしっかり踏むと、バックスクリーンに『4』の数字が点灯した。
これで1対6、大きく差を広げる形となった。
そんな中、司はベンチに戻らずにホームで佇んでいた。
「何で……」
鬼頭がボソリと呟く。掠れた声で、やっと絞り出した声だ。失意の中、やっと絞り出した声に続くのは、鬼頭の中の何かが爆発したような怒気が孕んだ声だった。
「何で! あんたなんかより私のが上手いのに! 強いのに! なんであんたなんかに負けないといけないの!」
いつものように余裕そうに笑っている綺麗な顔は崩れ、何かが取り憑いたような別人の顔のように鬼頭の顔は変貌していた。
我を失い。ただ怒りに任せた感情だ。
「私は皇桜の鬼頭薫だ! 強豪なんだ! 弱小なんかのお前とは違う!」
まるで子供のように駄々をこね、今にも司に掴み掛かろうとしている鬼頭を主審が肩を掴んで静止する。主審は男性で鬼頭は女性。あまり過度な接触はできない。
肩を掴むだけではすぐに振り払われる。もしそんなことをすれば即刻退場処分となるだろう。
そんな鬼頭の行動を止めようと皇桜のベンチから数名、選手が飛び出してこようとする。
その直前のことだ、マウンドから降りてきた竜崎は鬼頭と司の間に入り、主審に「すいません」と断った。それを見てベンチから飛び出しかけていた選手は動きを止めた。
鬼頭も竜崎の顔を見て動きが止まる。竜崎に掴みかかる理由はないからだ。
しかし、竜崎の方が鬼頭の胸ぐらを掴んだ。
「何が強豪だ。何が私の方が上手いだ、強いだ。打たれたんだよ。私の方が……私と薫の方が弱かったんだよ!」
その言葉に鬼頭は唖然とし、司に掴みかかる気力も無くなっていた。
竜崎が鬼頭の胸ぐらを離すと、鬼頭はヘナヘナとその場にへたり込んだ。その目線に合わせるように、竜崎もしゃがみ込む。
「グラウンドに立てば強豪だろうと弱小だろうと関係ない。……でも、自分が強豪に所属している自覚があるなら、それに見合ったプレーをするべきなんじゃないの?」
諭すような竜崎の言葉に、鬼頭はポロポロと涙を溢す。言葉も、嗚咽さえ出ずに静かに泣いていた。
「普段はこんなことしないでしょ。司から聞いていたけど、皇桜に来て会った時の薫は聞いてたような人じゃなかった。だから何かの間違いか、プレー中に熱くなりすぎただけなのかと思ってた。それでもさっきの打席、過度に言葉で攻撃するあなたは絶対に許される行為じゃない。……なんで司にだけそんなことするの?」
鬼頭の問題行動は普段から行っていることではない。鬼頭は司に限って敵対視し、司にだけ暴言を吐いていた。
その理由は鬼頭の口から溢れてくる。
「……羨ましくて妬ましかったから。こんな才能に恵まれたピッチャーと、流花と組んでいるのが。皇成シニアにはあなたほどのピッチャーはいなかった。そんな才能に溢れた流花が潰されるんじゃないかと思って、腹が立った」
それはただの醜い嫉妬心から生まれた感情だ。
一年生であり、無名シニアに所属していた竜崎が入学してすぐに強豪校である皇桜でベンチ入りできたのは、それだけの潜在能力があったからだ。実際にすぐに頭角を表している。
鬼頭はその可能性に気付き、その成長を阻んでいると考えた司を敵対視していたにすぎなかった。
「私は私。皇桜に来たことは後悔もしていないし、プレーできていることは誇りに思ってる。でも、司とプレーしていて後悔したこともないし、司と同じ学校だったとしても後悔していないと思う。だから司のせいじゃない。私の人生なんだから、私に選ばせてよ」
プロにさえなれる可能性があったとしても、仮に司といない道が自分の成長に繋がることだったとしても、自分で選んだ道であればそれが自分の最善だと、竜崎は言っているのだ。
「薫のリードは好き。それは司と比べられるものじゃない。薫は薫で司は司。これ以上こんなことをするなら、私は退部でも転校でもするし、野球だって辞めても良い。そんな薫とこれからもバッテリーを組むのは嫌だから」
鬼頭を認めた上で、竜崎は残酷な宣告をした。それと同時に、『これからもバッテリーを組む』というのは、竜崎がピッチャーとして、鬼頭がキャッチャーとして、一緒に野球をし、皇桜の第一線で戦い続けるという宣言でもあった。
竜崎はひとしきり話を終えると立ち上がり、帽子を取って主審に頭を下げた。
「試合を中断してしまって申し訳ありません」
もう何も考えられない鬼頭の代わりに、竜崎は頭を下げる。そしてそのまま司の方を向いた。
「司も、ごめん。もっと早くに気付いて止めるべきだった」
「流花は悪くないよ。私はもう大丈夫だから」
司の顔は晴々としている。
越えるべき壁である竜崎に勝ち、鬼頭に打ち込まれた楔でさえ取り払ったのだから。
一連の騒動が終わる頃、キャッチャー防具を着けて準備終えた皇桜の正捕手、吉高がベンチから鬼頭に一直線で向かう。
「鬼頭、交代よ。ちゃんと頭を冷やして来なさい」
その言葉に鬼頭はゆっくりと立ち上がり、ベンチへと引き上げていった。
吉高が出てきてから中断されていた試合が動き出す。
『伊賀皇桜学園、選手の交代をお知らせします。キャッチャー鬼頭薫さんに代わりまして、吉高要さん。九番キャッチャー、吉高要さん。背番号2』
吉高の登場とともに、グラウンドの皇桜守備陣の空気が一気に変わる。
監督からも選手からも、吉高は正捕手という圧倒的な信頼感がある。だからこそ自分たちがミスをしてはいけないと、空気が緊張感で張り詰められていた。
急な途中交代だが、吉高の動きは硬くない。すでに準備は出来上がっていた様子だ。それは元々、鬼頭と交代する予定だったからだという予想がつく。つまり、次の四回か、遅くともその次の五回には竜崎も交代するということを意味する。
五点のリードをしている明鈴だが、そのリードがセーフティーリードとは思わせてくれない。
第二幕の開戦だ。
『八番ライト、姉崎陽依さん』
陽依がコールされ、打席に立つ。
ツーアウトランナーなしのため、ホームラン以外は得点に繋がらない。この回はこれ以上の得点は難しいだろう。
しかし、巧はまだまだ畳みかけたかった。さらにリードをした上で、接戦のような緊張感を持って戦えば、勝利も確実に近いものとなる。
少なくとも、簡単には打ち取られない意味のある打席にしておきたい。
何故かこの五点のリードも、不安なリードに思えてならなかった。
ただ、やはりそれも難しい。
マウンド上に立つ竜崎は、これまで六失点をしたピッチャーとは思えないほど堂々としている。その自信を持った竜崎の投球は、やはり凄まじかった。
初球はど真ん中のストレートだ。
陽依のバットはその球に空を切った。
打者としての陽依は当てるのが上手い。そんな陽依がカスリもしなかった。
「……118キロか」
今日一の球速のストレートだ。正確に言えば、司がホームランを放った際に打った球と同じ球速だ。
勝負球だから出た球速かと思ったが、そうではなかった。七十球を超え、体に疲労は蓄積されているはずだ。それでも竜崎の投球はまだギアが上がる。
二球目もストレート。これにも陽依は空振った。
流石に最高球速とはならなかったが、それでも115キロの力のあるストレートだ。
そして三球目……、
「ストライク! バッターアウト!」
117キロのストレートを前に、陽依は空振り三振に終わった。
空振りを奪えるストレート。その球一本、しかも三球で打席を終わらせた。
正捕手の吉高はどんなリードをするのかと、巧は見たかった。しかし、リードというリードではなかった。
それでも竜崎の力を最大限に発揮させた。
アドレナリンが溢れている今の竜崎には、コントロールガン無視のストレートだけで十分だという判断なのだろう。
賭けにも思えるようなそんな配球だが、吉高は自信を持ってその球を受け切った。
巧は心の底から願った。早く竜崎にマウンドを降りて欲しいと。
これならまだ、通常時の柳生……エースである柳生を相手にする方がマシだと思うほど、今の竜崎は圧倒的だった。
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