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第120話 司 vs伊賀皇桜学園

 一歩、私は足を踏み入れる。


 ……この戦場へと。




 ツーアウトランナー満塁。チャンスでもあり、打てなければ一気に流れを持っていかれるかもしれないピンチでもあった。


 私はこの打席、ただ一つの気持ちを胸に抱いている。


『流花に勝ちたい』


 私と流花は対等な関係だ。中学時代はお互いに意見を言い合い、ぶつかりながらも互いを研鑽していた。


 それでも、私自身はどこか流花に敵わないと思ってしまっていた。


 同じチームで一緒に戦う分には良かったかもしれない。流花の力を信じ、逃げずに戦うことができるから。


 でも、今は敵として戦っている。敵わないと思っているままではいられない。


 私はこの殻を破らなければいけない。


 そのために、私はマウンド上の流花を睨みつける。その流花も、私の気持ちを察してか、私は睨んできた。


 真剣勝負だ。


 初球、セットポジションから流花の放った球は私の胸元を抉る。そう思って見逃したが、その球は逃げるように滑っていった。


「ストライク!」


 内角低め、やや真ん中に寄った甘めの球だ。


 私なら、内角の際どいところにストレートを投げ込ませている。そこでバッターの打ち気を逸らしながら内角を意識させ、さらに内角を意識させるためにもう一球内角へ変化球を続ける。


 ……私なら、だ。


 今の流花をリードしているのは私ではない。鬼頭だ。そんなことはわかっている。それでも、どうしてもキャッチャーが私だったらということが頭にチラついてしまう。


 伊澄と組んでリードするのは楽しい。しかし、流花と過ごしてきた中学の三年間も、間違いなく今の私を作っているかけがえのない時間だった。


 その過去だけに縋っていてはいけない。もう一つ上のレベルに進むためにも、私は過去を越えなければいけない。


 そして、越えなければいけない過去はもう一つあった。


「あれ? 振らなくていいんだ。三振になっちゃうよ?」


 この鬼頭の存在。それが私の心に楔を打っている。


 流花がいて、明音もいて、私の仲間たちは強かった。それでも勝負の世界ではどちらかが勝者となってどちらかは敗者となる。それは仕方のないことだ。


 ただ、私はその敗者となったタイミングで刺された、ナイフのような鬼頭の言葉がトラウマになっていた。


 この楔は巧くんと明音がいてくれたから、すでに抜けかけている。その僅かに突き刺さった楔を、この打席で完全に振り払いたい。


 そんな楔を振り払うかのように、私は鬼頭の言葉を振り払った。


「……うっさいなぁ」


 その声に鬼頭は舌打ちをする。私はただ、目の前の流花との対戦に集中するだけだ。


 二球目、鬼頭は対抗して私の思考から配球を外してくるだろう。そして私の戦略は流花から聞いていてもおかしくない。


 来る。そう思ったコースに、私はバットを振り抜いた。


 完全に力負けしている。打球は流花の球に押され、一塁方向への弱々しいファウルだ。


 その打球は一塁のフェンス際。ファーストの和氣さんはフェンスに激突しながら捕球を試みる。


「ファウルボール!」


 和氣さんのミットはギリギリ打球には届かなかった。


 命拾いをした。


 今の投球はただのストレート。わかっていたコースに振り抜いている。それでも私の力は及ばない。


「あれれ? 残念だったね」


 何度も何度も私を貶めようとする鬼頭に、主審は見かねて注意をするが、反省の色は見えない。


 こんな強豪に相応しくない、卑怯な選手に私は負けたくない。


 私はバットを構え直して三球目を迎える。


 外角低めいっぱい。私のバットは僅かに動くが、空振りを誘うスプリットに、手は止まる。


 ハーフスイングにもならない止まったバットに、主審は一塁審判に判定を求めることもなく、ボールの判定を下した。


 追い込まれているが、ボールカウントを増やし、これでワンボールツーストライクだ。


 甘い球は確実に叩く、際どい球は凌ぐ、そして外れた球は見切る。ただそれだけを意識して、私はバットを構える。


「これで三振ね」


 鬼頭はそう言って迎えた四球目、流花の指先から放たれたのは、タイミングを外すチェンジアップだ。それも内角低めの際どいコース。見逃すわけにもいかず、私は強引にバットを振りにいった。


 金属音が響く。鋭い打球は、完全にタイミングが早すぎるだけの三塁側のファウルとなる。


 私が欲しているのは、この球ではない。


 力でねじ伏せに来ようとする流花の本気が欲しい。それを私は打ち崩したい。


 どれだけでも待つ。何球、何十球、いや何百球だろうと最高の球が来るまで私は待っている。


 それで打ち取られても仕方がない。その本気の球を打たなければ私は過去から抜け出せないのだから。


 五球目……これじゃない。


 六球目……これでもない。


 外角低めへのカーブと、外角低めに逃げる高速スライダー、いずれもファウルで凌ぐ。


 わざとファウルにするというわけでもなく、狙い球を外されてのミスショットだ。しかし、打ちたい球ではない球で決着がつかないことに、私は密かに安堵していた。


 そして七球目、外角低めの厳しい球。私のバットは動いたが、その球の際どさと、微かに感じた嫌な直感によってバットに迷いが生じた。


 そんな中途半端なスイングをしても打てるはずがない。そう思った私は潔くスイングを止める。


 すると、投球は目の前で鋭く落ちた。


「ボール」


 このままスイングしていればカットすることもできなかっただろう。自分の直感を信じ、本能の赴くままにバットを止めたことが功を奏した。


 これでツーボールツーストライク。私が一球の余裕もない状況は変わりないし、流花は一球の余裕がある。


 逆に言えば、あと一球しか流花の余裕はなくなっている。


 流花もフルカウントにはしたくないだろう。厳しい球を投げてボールと取られてしまえば、押し出しで一点を与えることとなるのだから。


 ただ、油断はできない。私がそう考えていると流花は考えているだろう。そうなればボール球で仕留められる可能性はある。


 考えても答えは出ない。それでも私は考え続ける。そして考え続けた結果、この場面は直感でバットを振るべきだという結論に至った。


 どんな球でも振ってやる。凌いでやる。


 迎えた八球目。私のバットは外角低めの球を捉えた。


「サード!」


 打球を放った瞬間、私は一塁と駆け出した。


 ワンバウンド、ツーバウンドと転がるライン際の打球を、サードの本堂さんは華麗に捌いて一塁へと送球する。


 明らかに間に合わない。それでも私は全力で一塁を駆け抜ける。


 送球が届いてから何テンポも遅れてやっと私は一塁へと到達する。


 しかし、一塁審判の手は上がらない。


「ファウル! ファウル!」


 一塁審判ではなく、三塁審判が大きく手を広げ、ジェスチャーしている。ギリギリ打球は三塁線を割ったところで本堂さんは捕球した。


 また一球、命拾いをした。


 運もあるかもしれない。ただ、高速スライダーの変化を捉えきれなかったため、僅かに打球はファウルゾーンへと出ていた。


 なんとかファウルにするという良い意味でも、投球を捉えきれなかったという悪い意味でも、どちらにしてもこれが私の実力だ。


 私は静かに息を吐く。球数が増えてお互いに集中力が切れてもおかしくない状況だ。集中力を切らした方がこの勝負に負けてしまう。


 そんな集中力を切れさせようと、妨げてくる人がいる。


「打たないの? あ、打てないのか」


 私がバッターボックスに戻ろうとしている時、主審にはわからないように鬼頭がわたしに向けて呟いた。


 その言葉に当然私は無視をする。その態度が気に食わなかったのか、鬼頭はまた舌打ちをした。


「次で終わらせてあげるから」


 そう言って鬼頭はマスクを被り直す。そんな鬼頭に私は言葉を返した。


「そろそろ決着をつけようか」


 その言葉に、鬼頭は苛立つような表情を浮かべた。


 再びバッターボックスに入る私は、攻撃をし続ける鬼頭に対してむしろ少し感謝をしていた。


 中学生の頃の私の心を折ってくれてありがとう、と。


 鬼頭との出会いがなければ、今も流花や明音と野球を続けていただろう。ただ、それは明鈴高校とは限らない。


 そんな未来も楽しかったかもしれないけど、少なくとも今の私より勝利に貪欲にはなれなかった。


 嫌な言葉も、嫌な思い出も、全て今の私を作ってくれている。そして、こうして流花と真正面から全力で戦える。


 それを思うと、鬼頭には感謝さえ感じていた。


 勝ちたい。


 ……勝ちたい。


 ……勝ちたい!


 バットの先から、足の先までまるで自分の思うがままのように、思考がクリアになる。


 そして、九球目。


 来た!


 私のバットは真正面から流花の外角高めのストレートとぶつかった。


 心地の良い軽快な金属音とともに、打球が舞い上がる。


 ライトの太田さんは、定位置から少し後ろに下がると足を止めた。


「残念だったね」


 鬼頭は笑いながら満足そうに笑みを浮かべた。


 その微笑みを、私は言葉で否定した。


「どこを見てるの?」


 その言葉を聞いたあと、鬼頭の表情は曇り始めた。


 ライトの太田さんがジリジリと後退していく。


「……リードは良いし、私も勉強させてもらってる。鬼頭さんは良い選手だね。でも……」


 私は一塁へ向かわず、ゆっくりと言葉を紡ぐだけだ。


 鬼頭は良いキャッチャーだ。それは間違いない。

 でも、自信のなさを隠すために、相手を弱らせて仕留めようとする。

 その理由は何なのか。私はハッキリと理解していた。


 ジリジリと後退する太田さんは、気がつけばフェンスにぶつかっている。それでもまだ、打球は宙を待っている。


 届かない。


 打球はゆっくりと宙を舞い続け、やがて名残惜しくライトスタンドへと突き刺さった。


 鬼頭への感謝とともに、私は一つだけ言葉を置いていった。


「あなた、弱いね」


 初めてもらった言葉をお返しする。ずっと言われるだけだったけど、一言だけ私は言い返した。




 打球がスタンドへと突き刺さると、一気に球場内に歓声が湧いた。


 その歓声を聞きながら、私はゆっくりとダイヤモンドを回った。

120話という区切りのいい時に書きたい話が書けてよかったです!


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