古き盟約
――東の森・深層域。
「久しぶりに足を踏み入れるな……」
森の緑の中、ハットに黒いコート姿のリスロンが言うと、後ろを歩くギルモアが、
「約七年ぶりになります」と答える。
「そうか、お前とも……もう、そんなになるのか」
「ええ、あの時、リスロンさまに拾って頂いたご恩は決して忘れません」
「ははは、大袈裟だなギルモア? 私は泣いていた少年に手を差し伸べただけさ」
「わ、私は泣いていましたか?」
ギルモアが恥ずかしそうに目を伏せる。
「ああ、泣いてたさ、俺にはわかる」
そう言って、リスロンが森の中にそびえ立つ巨大な樹木の集合体とも見える大樹を見上げた。
「ハーフエルフのお前には辛い……この、セフィロトはな」
セフィロトは、古来よりエルフ達が住む、神秘の樹と呼ばれる大樹の中に造られた街である。その複雑に絡み合う樹木の虚や隙間に、多くのエルフ達が住居を構えていた。
街への入り口は高度な結界に守られていて、普通に訪れただけでは決して辿り着くことはできない。
この途方もない結界を張ったのはエルフ族三代目の王、樹界一の結界士と謳われたハイフェリオンである。
彼が死んだ今も、結界は一族の安寧を保つ役割を果たしていた。
リスロンは高い壁のような樹皮に、コートの内ポケットから取り出した木製の指輪を翳した。
――指輪に彫られた葉の模様が輝く。
それに呼応するように、何も無かった樹皮に大きな扉が浮かび上がった。
「ギルモア、ここで待っていても良いんだぞ?」
リスロンがそう言うと、ギルモアは、
「いえ、私はリスロン様の従者、どこまでもお供いたします」と、芯の強い目を扉に向けた。
「……では、行こうか?」
「はい」
扉が開く。
リスロンとギルモアは臆すること無く中に入った。
エルフの街『セフィロト』は昔からの姿そのままに、石と樹が調和した美しい街であった。
巨大な根の階段から、弓を携えた若く精悍なエルフが二人、神々しいまでに美しいエルフを守るように下りてきた。
うっすらと燐光に包まれながら、美しいエルフはリスロンを見て目を細めた。
「リスロンか、久しいの」
「ご無沙汰しております、アローザ殿」
リスロンは両手を前に出して礼を取った。
「うむ。ギルモアも大きくなったようだのぉ……見違えたぞ」
「はっ、恐縮でございます」
「さて……お主がセフィロトを訪ねて来るとは、何か話があるのであろう?」
「はい、折り入ってご相談したい事がございます」
「……よかろう、私の部屋に参るがよい」
そう言うと、アローザの姿がフッと消えた。
「ありがとうございます」
リスロンは、何も無くなった空間に向かって頭を下げる。
「ご案内します」
従者から声が掛かり、リスロンとギルモアはセフィロトの中へと向かった。
長い樹の階段を上っていると、そこかしこから、エルフ達が物珍しそうにこちらを覗いてくる。
セフィロトを訪れる他種族が珍しいのだろう。しかも、久方ぶりに訪れた来客が、栗鼠族とハーフエルフともなれば、嫌でも目を引くのは仕方が無いなとリスロンは思った。
しばらく階段を上り続けていると、少し先の方に美しいエメラルド色の葉に覆われたアローザの城が見えてきた。
まさに、妖精王が住むにふさわしい深緑の城――。
「何度見ても圧巻だな。これを見ただけで、私もまだまだだと思い知らされるよ」
「……」
ギルモアは言葉が出ない。
かつて、幼い頃に過ごした街――。
ハーフエルフの自分には、この煌びやかな神話のような世界も全てが虚構に見えた。
リスロン様に仕える今、この街に恨みは無い。
だが、この街で受けた仕打ちだけは忘れる事はできなかった。
「大丈夫か?」
「はっ、何の問題もございません」
「そうか、ならいい」
王の間に通されたリスロン達は、王座に座るアローザの前で片膝を付く。
「そうかしこまるな、面を上げよ」
「は、失礼致します」
白金色の美しい髪、白磁のような肌、翡翠色の瞳、溢れんばかりの豊満な胸。
美の概念における答えが、目の前にあった。
「さて、聞かせてもらえるか? ここへ来た理由を」
「はい、私の所有する森を開発することにいたしました」
アローザの眉がぴくりと動いた。
「ほぅ……ぬしの森を」
「つきましては、栗鼠族とエルフ族における古き盟約に従い、助力を賜りたく存じます」
じっとリスロンを見つめていたアローザが、ゆっくりと口を開いた。
「盟約か……、確かに三代目が結んだ盟約は、今もなお健在。ぬしの持つ指輪の輝きがそう物語っておる。よかろう、何を望む?」
「は、人手をお借りしたく存じます」
「人とな……」
アローザは何やら考えるように呟く。
そして、思いついたように目を向けると、
「許せリスロン、純血は出せぬ。だが、混血であれば連れて帰っても構わん」と告げた。
リスロンは内心ほくそ笑んだ。
確かに純血のエルフの能力は目を瞠るものがある。だが、その反面、彼らはプライドも高く扱いにくい。ましてや栗鼠族の自分の下で働くとなれば、首を縦に振る者はいないだろう。
しかし、ハーフエルフならば話は別だ。
彼らはこのセフィロトで最下層のカーストに位置しており、その生活はお世辞にも良いとは言えない。
光り輝くこの街の中でも、やはり闇の部分がある。そして、その闇を彼らが一身に受けているのだ。
――同じだ、とリスロンは思った。
栗鼠族の最下層から始まった自分、決して届かないと言われた光に手を伸ばす自分、ギルモアも同じ、私達は闇を彷徨う羽虫の如く、同じ光に焦がれている……。
「願ってもない話です。是非、お力をお貸しくださいませ」
「……ふむ、まぁよかろう。ただ、ひとつだけ言っておく。まだ幼き栗鼠族の王、リスロン・ダイトよ。この深層域を荒らせば――わかっておるな?」
アローザが微笑む。
「もちろんでございます。光に照らされてこその我ら、分をわきまえておりますれば」
満足そうに微笑むアローザに頭を垂れながら、
『光と同じだけの闇がある事を忘れるなよ……』とリスロンは心の中で呟いた。
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