悪役令嬢?上等ですが、なにか?
とにかく書きたい所を書けるだけ。
それは新人メイドの甘い紅茶を口に含んだ時だった。
今まで知り得なかった情報や記憶が濁流のように流れこんできて、思わず頭を抱えてしまう。
「お嬢様?」
赤ん坊の頃からの付き合いでもあるエルザに心配そうに尋ねられる。
「…大丈夫よ。それより、あなたの名前は何だったかしら。」
軽く頭を振ってから新人メイドに尋ねる。
「は、はい!私はリストリアと申します。」
「そう。リシー、茶器の温めを忘れたわね。それから砂糖は自分で入れるから、今度からは入れてこなくて大丈夫よ。」
言ってから紅茶を飲み干し立ち上がる。
「部屋へ戻ります。」
暖かい日差しが差し込む東屋から出て部屋へと足を踏み出す。見知った道を歩きながら、先程から頭の中を巡る情報に思考を巡らせる。
私の名前はナーサリー・スヴェン。由緒正しきスヴェン公爵家の長女である。
紅茶と共に流れてきた記憶は、記憶のまま言うとすれば前世というもの。どうやら私はこの後、この国の王位第一継承者であるアレクセイ様と婚約するらしい。
なんとも馬鹿らしい話だ妄想だ、と切り捨てられれば良かったのかもしれないが、残念ながらこの国の王太子に一番相応しいであろう家柄であり近しい年齢といえば私しかいない。
そしてその前世が示すところによると、どうにも私は己の罪によって裁かれる運命だそうだ。
「…上等じゃないの。」
ぼそりと呟いた言葉は、誰に届くこともなく消えていった。
「お前の婚約者が決まった。」
「…ごきげんよう、お父様。婚約ですか。」
あの記憶はまるで歴史書のようにこの国に何が起こるのかを私に見せていた。高慢で自立心なく、ひたすらに王太子を恋い慕う我侭な娘。それが私が辿るはずだった未来だ。
しかしその未来を見た私は私に失望した。仮にも公爵家令嬢。この私が王太子に惚れたという感情のみで周りが見えなくなるなんて、プライドが許さなかった。
歴史書の通りにならないよう、自分を律する方法を模索し続けた。思えば環境も良かったように思う。
公爵である父は国王陛下の覚えもめでたく、家のことなど見向きもしないが忠義を尽くしていた。母は社交界の花として王妃殿下の代わりに国王主催の茶会やパーティーの指揮をとる事も多く、自身の話術も身内の贔屓目なしにもすばらしいものであった。
夫婦仲は完全に冷え切っていたが、私と弟には優秀は乳母もついていた為寂しいと思うこともなかった。まさにこれぞ貴族。といった人たちなのだ。それを見ていれば貴族の何たるかを学ぶことは容易かったし、成長してからは有能な家庭教師もついていた。
代わりに親子関係は当然のように薄いのではあるが、まずは挨拶ぐらいするのが常識ではないのだろうか。
「王太子殿下の婚約者にと、国王陛下からのお達しがあった。」
「かしこまりました。」
「2ヵ月後より王妃教育が始まる。それまでの過ごし方は任せる。」
「でしたら、一度領地の視察をお許しいただきたく。」
「領地だと?…リチャードに同行を。」
「ご配慮ありがたく存じます。」
礼と共に頭を下げた私を見やり、「大きくなったな。」と声を掛け父は退出していった。
「エルザ、紅茶を。」
「はい、ただいま。」
今更父親のような声を掛けられてもなんの感情も抱きはしない。それでも自然と上がる口元は誤魔化せないようで、リシーに嬉しそうですね。と言われてしまった。
感情を隠す訓練も、もっと厳しくしていかなければ。
領地の視察を願い出たのは他でもない、ただ自由がなくなる前に自由に過ごしてみたかったからだ。
領地の管理を任されているリチャードと共に巡っていると、そこかしこで声を掛けられる。
「驚いたわ。リチャード、あなたは優秀なのね。」
「おや、お嬢様にそう仰っていただけるとは、この爺最高の喜びです。」
「茶化さないで頂戴。…でも、おかしいわね。」
「何か?」
「公爵領の特産は絹織物のはずよ。どこにもその工場が見当たらないわ。」
「ご存知でしたか。」
「馬鹿にしているのかしら?」
「いえいえ。我が公爵領もまだまだ安泰だと関心したまでです。」
食えない爺との会話は疲れるけど、今はまだ無邪気な子どもとしてしか扱われないでしょうからいいわ。もちろん馬鹿なフリをしてやり過ごすのもいいけど、それはそれで疲れてしまうし。
恐らくは人件費の低い他領へと依頼して作らせているのだろうけど、絹の原料である蚕もその食料となる桑も見当たらない。これでどうして特産と言えようか。原料を渡せなければ加工費のみがかさ張っていく。何を引き換えにすれば利益になるのか。
散々考えても答えが導き出せない私はニコニコと微笑んでいる爺に白旗を揚げる。
「降参よ。ここに工場が見当たらないのは他領に依頼して作らせているからね。でもそれを買い上げる費用はどうなっているのかしら?」
「…他領には微々たる金銭でも働かない訳にはいかない者も多くいます。」
「安く買い上げて高額で売るというわけね。それで、そこの領主とは話はついているのかしら。」
ニコニコだった爺が眉根を寄せてみせる。まさかそこまで突っ込まれるとは思っていなかったというところね。
「咎めている訳ではないのよ。リチャード。あなたはお父様に代わって良く領地を守ってくれているわ。」
実際見渡してみても、飢えている人もいなければ道端に寝転んでいる人もいないようだ。
「土地を借り上げている領地はどこかしら。」
「…ウェズベルト子爵領にございます。あそこの領地の税は公爵領よりも重いのです。」
「まさか!領地の税は国議会で平等に決められているはずよ。」
「いいえお嬢様。抜け道というのは、どこにでも存在し得るものです。」
ウェズベルト子爵。私が悪役令嬢となる原因を生み出す家でもある。ヒロインであるリリアナ・ウェズベルト。彼女は市井で生まれ育ったがれっきとしたウェズベルト子爵の子どもだそうだ。学園に上がる前にそこの令嬢が亡くなったことを切欠に、王太子に近づける子をとヒロインを呼び戻して学園に通わせるらしい。
なんにせよ酷い話だわ。リリアナは真っ直ぐな性格で明るく、どんな逆境をも打ち砕く力があるという。その子が利用されることも、領民が苦しんでいることも見過ごすことはできない。これは公爵家令嬢としてのプライドだ。
この場を切り抜けられなければ、王妃になぞなれないわ。
「リチャード、力を貸して頂戴。」
「何をするおつもりで?」
「抜け道を潰しましょう。」
あら、今の顔は悪役令嬢らしくなっていたのではないかしら。
結果だけ言うと、2ヶ月の間に全てを解決する事は出来なかった。染物に使える花を領地内に見つけた事もあり、領地もさらに発展していくであろう。
少しずつ領民を公爵領に引き入れていき、徐々に子爵領から人を減らす。表向きは公爵領への出稼ぎである。広大な公爵領領地では未だ受け入れることは出来るが、さまざまなバランスを崩さないように考えていくのは難しい。
洗いざらい全てをお父様に話す案も出たが、表立って子爵領と喧嘩するのはいただけない。それに、子爵領を調べているうちにいろんな情報も手に入れたのだ。有効活用しない手はない。
「面を上げよ。」
ついに来てしまった、両陛下及び王太子との対面日。
声に応えて失礼にならないようゆったりと落していた腰を上げる。そのまま目線もあげると、なるほど、これは惚れ込んでも仕方がないかもしれない。
「名は。」
「カーター・スヴェンが娘、ナーサリー・スヴェンと申します。この度は王太子殿下の婚約者として選定いただきましたこと、今生の喜びでございます。」
「うむ。しっかりした娘だな。スヴェン卿」
「ありがたき御言葉」
「王太子とは、同い年であったな。なに、若い者同士で親交を深めると良い。」
国王陛下は楽しそうに微笑んでいる。しかし言っている言葉はもうなんというか、なんというか。
陛下に促され、王太子が私の前まで来る。完璧なお辞儀をして挨拶をもらうと、自然な動作で手を取られた。ナチュラルボーンプリンスと歴史書で言われただけあるわね。
「ナーサリー嬢、それでは行きましょうか。」
「よろしくお願いいたします。」
微笑まれれば頬を染めてしまうのは、許されるだろうか。恋をしてしまったら、私は私の未来を辿ってしまうのだろうか。そんなの、私のプライドが許さないわ。
なるべく王太子様の方を見ないようにと努めて王城の庭園を歩いていく。のんびりとした時間が心地よい。
「初めは、どんな子が来るのかと不安だったんだ。」
「まぁ。私のような者で、申し訳ないですわ。」
「ああ、そうじゃなくて。その、こんなに綺麗な人が僕のお嫁さんになるなんて…夢見たいだ。」
そんな、照れたように笑うなんて、反則だわ。これがゲームの強制力なのかしら。まんまと私は王太子に恋をした。
「王太子様」
「ジェイドと呼んではくれないの?」
「…ジェイド様」
芽生えた双葉がゆっくり育つように、過剰な愛はなくても、この人とならと、思っていたのに。
「どうしてくれましょうね?」
上手になったリシーの紅茶を飲みながらため息を吐く。
初めてジェイド様と出会ってから早3年。私たちは今、王帝学園に通っている。15~18歳までが通う、いわゆる社会の縮図だ。数多の貴族が通う中、例のヒロインも漏れなく入学してきた。転校生という形で。
時期はずれの転校生はもちろん噂の的になる。その噂を助長させるように王太子ならびにその側近候補たちがこぞって構いに行っている。
何度か注意は行ったけれど、これでは意味がないと静観しているところだ。まぁ、静観、とは少し違うかもしれないけれど。私は今、王太子の部屋にて寛いでいる。もういっそ既成事実を作ってしまおうかと待機中である。
ヒロイン、もといリリアナ・ウェズベルト子爵令嬢。市井での癖が抜けきらないはつらつとした明るい少女である。しかし残念な事に少し頭が足らないようだ。可愛らしい容姿も、助けたくなるような行動も庇護欲をそそる。
が、場を弁える事ができないのである。残念。実に残念である。
「ナーサリー?」
「ジェイド様、おかえりなさいませ。」
「何故ここに…」
驚きが隠せない様子で目の前まで歩いてくるジェイド様は、相変わらずナチュラルボーンプリンスである。
この3年の私の人脈作りを嘗めないでいただきたい。王城はもはや庭同然である。もちろん入って良い場所とそうでない場所ぐらいは弁えているが。
「君が先触れもなく会いにくるなんて…初めてじゃないか?」
すぐに切り替え隣に座る。初めて会ったときから思っていたけれど、この方距離感が誰に対してもおかしいんだわ。
そんな事を思いながら、持っていた茶器をテーブルに戻すとしなだれかかる。腕を取るのも忘れない。
「な、ナーサリー…?」
「ジェイド様…私は、寂しかったんです。」
腕を胸元に押し付けるのも忘れない。この無駄に育った肉も使えるなら全力で使わせてもらう。
「す、少し離れて…」
「ジェイド様は、もう私がお嫌いですか…?」
目を潤ませるのも忘れない。そもそも男を振り向かせたいのに、恋敵を苛めるなんていうのは古いのだ。欲しいのならば全部使わなくては。という持論を側近候補たちの婚約者たちの前で語ったのはそんなに前のことではない。
言ったからには自身も実行しなければ示しがつかないのでこうして恥を捨てて挑んでいるのである。女は役者だ。どこにいる時も。
「そんなことないよ?どうしてそんな…」
「最近学園では、ジェイド様はリリアナ様に懸想されているとの噂が立っているのです。私…私はこんなにもジェイド様をお慕いしておりますのに。」
顔を伏せとても悲しんでいます。というような震えた声を出す。涙は見せれど流さない。それが一流。3年間の王妃教育、17年間の公爵家令嬢としての教育を嘗めないでいただきたい。
「違うんだ!そんな噂は知らずに…」
「いいのです!私が、私がいけないのです。ジェイド様にご満足いただけるような容姿をしている訳でも、可愛げがある訳でもありませんし…。ですからどうか、婚約解消されるのでしたら早めにお願い致します。」
「婚約、解消?」
最後は笑顔で締めくくる。信じられない事を聞いたというように目を見開くジェイド様だが、これは脅しでもなんでもなく事実である。王太子の行動が目に余るようであれば婚約解消にまでいけるよう王妃様とは取り決めをさせてもらった。これも王妃教育の際に出来たこと。
「ナーサリー、聞いてくれ。」
「はい。」
「私はナーサリーと婚約を解消する気はないよ。初めて会ったときのまま、君は美しい人だ。いや、どんどん美しくなっている。リリアナ嬢と共にいたのは、市井での話が面白くてね。すまない、そんなに君を不安にさせているとは思わなかったんだ。」
「ジェイド様…!」
ここで再び瞳を潤ませてその胸に倒れこむ。初めて会ったときよりもしっかりとした腕が私の背中に回り、抱きしめられたことが分かった。
頭は驚くほど冴えているのに、心臓は嘘をつけずに高鳴っていく。いつからこんなに恋をしたのかしら。
それから、恐らくイベントと呼ばれる行事をいくつかこなし、ついに卒業パーティーの日である。歴史書の通りならば私の断罪の日である。
断罪されるであろう内容はすでに知っているから、それについての反論文を用意させてもらった。エルザには「なんですかこれ」と言われたけれど。それに私には切り札がある。断罪されるにしてもただでは倒れてはいけない。私のプライドに懸けて。
本日のエスコートは王太子として参加されるジェイド様ではなく弟である。かくいう弟も攻略対象者であるが、婚約者というものを大切にするように懇々と繰り返し諭してきたおかげで公爵家も安泰である。
「綺麗だよ、姉さん。」
「どうもありがとう。来年はあなたたちね。」
弟の婚約者はとても可愛い。義姉様義姉様ととても慕ってくれているので、来年は王太子妃として参加しようと目論んでいる。
私達が入場すると、大きなファンファーレがなる。王太子殿下のお出ましである。さすがはナチュラルボーンプリンス。どこからどう見ても理想の王子様である。初めて会ったころよりも随分と背が伸び、身体も細身ながら凛としている。
「この度は卒業、おめでとう。」
よく通る声で祝辞を述べられる。私達は一家臣として、頭を垂れてその言葉を受け入れる。ただ一人を除いて。
除く、はずだった。リリアナはヒロインとして、王太子に駆け寄る場面ではなかっただろうか。しかし彼女は部屋の隅の方で感じの良いドレスを身にまとい頭を垂れている。おかしい。今日ではなかっただろうか。
「ナーサリー・スヴェン嬢。」
「ここに。」
ついにきたか。と頭を上げる。本来ならそこには嫌悪を灯した瞳があるはずで、ああ何故、そんな眼で見つめてくるのかしら。
手を引かれ隣に立たされる。何が起こっているのだろう。
「皆も知っているだろうが、ナーサリーは私の婚約者だ。ここに、未来の王として誓おう。」
知らない展開に心臓がうるさく鳴り出す。でも顔に出すことはない。続けられている王妃教育では、表情を容易く変えることは許されない。
「私は未来永劫、彼女を愛し唯一にすると。」
言葉が終わると同時に頬に口付けられる。余りのことに固まってしまったが、周りには気取らせないように体制を立て直して微笑む。
「未来の国王陛下、未来の王妃殿下に、祝福を!!」
大きな声が上がったかと思うと、襲うような拍手が耳に届く。
「離さないよ、ナーサリー。君はずっと僕のものだ。」
「…私が?いいえ、ジェイド様。捕まったのは貴方ですわ。」
互いに囁き笑いあう。悪役だろうと私のプライドに懸けて、みっともない未来なんて、許さないわ。
秘密裏に行われた公爵と子爵の密約。国王と王太子の策略は、また別のお話。