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9. シャルルの糾弾

 嵐のようにやってきて去っていった王子の背中を見送るのもそこそこに、シャルルはアンリに手を引かれ校内へ逃げ込んだ。王子から妙に親し気な態度を取られたことで、悪い意味で注目を集めてしまったのは充分承知していた。


 さっさと逃げたおかげで何事もなく済んだ――とはいかず、アンリと別れて次の授業を受けた後になって不審げな表情の女生徒たちに詰め寄られることになってしまった。


「どういうこと? どうしてあなたが王子様に名前を知られてるの?」


 シャルルは体を縮こまらせ、なんと答えれば穏便に話が済むかと考える。

 正直に話すとしたら――


***


 この学園への編入が決まる前のこと。

 町はずれの林を散歩していたシャルルは、誰も聞いていないと思ってはばかりなく歌を口ずさんでいた。小鳥の声と風の音だけに包まれた森は、シャルルにとって自分だけのステージだったのだ。


 気が緩み切っていたところに突然手を叩く音が聞こえ、飛び上がって振り向くと、見知らぬ青年が人懐こい笑顔を浮かべて拍手していた。

 シャルルは彼が何者であるか知らなかった。ただ同い年くらいの男の子だと思い、恥ずかしいのをごまかすように笑いかけた。


「ごめんなさい、誰もいないと思ったの」


 今思えば、彼はあえて素性を隠していたのだろう。髪は無造作に散らされ、服装も町でよく見かけるような庶民的なものだった。


「謝ることないさ。僕の方こそ邪魔しちゃったかな」

「邪魔だなんて。ここはみんなの場所でしょ」

「そうかもね。でも今は君だけの場所だったよ。君が主役の舞台みたいだった」

「からかわないで!」


 彼の大げさな物言いに、シャルルは思わず苦笑する。

 自分だけの場所など求めていない。シャルルは分け合うことが好きだったし、何かを独り占めしてしまうのはかえって居心地の悪いものだった。


「――私はシャルル。あなたもこのあたりに住んでるの?」

「えっ? ああ、うん、まあね。散歩してたらきれいな声が聞こえてきたから、ついのぞきに来ちゃったんだ」


 彼はシャルルの質問に曖昧な答えを返した。うなじを撫でながらごまかすように笑う人懐こい表情に、シャルルもくすりと笑みをこぼす。


「君は? 家はこの近く?」

「ええ。ここはよく遊びに来るのよ。いつもは誰にも会わないんだけどね」

「それはもったいないな。どうせなら町中で歌えばいいのに。みんな君に注目するよ」

「注目されるの、苦手なの……」

「どうして?」


 彼は無邪気に首を傾げた。純粋な好奇心で質問しているのだとよく分かった。

 シャルルは苦笑して答えた。


「だって、嫌な思いをする人がいるはずだもの」

「そんなはずない! みんな喜ぶよ」

「喜ぶ人もいるかもしれないけれど、そうでない人も必ずいるのよ。私、気が小さいの。自分が人を不幸にしてるって、そう思い知らされるのが怖いの……」


 シャルルの言葉に、彼は心底驚いた顔をしていた。彼には本当に思いつかないたぐいの思想だったのだろう。


 きっと彼は物事の良い面に注目するのだ。達成することのできた成果を無邪気に喜ぶ。ある面を明るく明るく照らしたことに満足するが、その分後ろの陰が濃くなることに気付かない。

 シャルルはそんな物の見方ができる人物を愛おしく思えた。幸せを屈託なく味わうことのできる人。彼のような人が幸せそうに笑っている世界は、シャルルにとっても魅力的であることは違いなかった。


「……誰かを不幸にしてしまったとしても、その人を今度は幸せにすることも、できるんじゃないかな」


 しばらく言葉を失っていた彼はやがてそう言った。


「不幸な人を少しずつ減らしていけば、最後にはみんな幸せになるはずだよ」


 シャルルはただ笑って応えた。

 誤っている、と思ったことは口にしなかった。

 もしも不幸な人を幸せにできたとしても、その背後では別の人が陰になる。なぜなら幸せというものは、絶対的ではないから。一つではないから。不変ではないから。

 シャルルがどれほど殊勝でいよう、善良でいようと努力してみても、それが悪に見える人間はいるものだから。


「もし君がもっともっとたくさんの人に歌を聴かせられれば、それだけ広く、幸せな人を増やせるんじゃないかと思うけど……」


 彼ははにかむように言った。

 シャルルは微笑んだ。彼の無邪気さが心地よかった。


「あなたのことも幸せにできるかしら」

「もちろん! 僕はもう充分に幸せだ。だから他のみんなに分けてあげないとね」


 明るい語調に戻った彼はシャルルに近づいてくると、少し腰をかがめて目を合わせる。青碧の澄んだ瞳がキラキラと輝いてシャルルの顔を移していた。

 シャルルの目をまっすぐのぞきこんだ彼は、やがて何か納得したように深くうなずきながら姿勢を正す。


「君みたいな子に会うのは初めてだよ」

「私も、あなたみたいな人は初めてよ?」


 からかわれたと思って冗談まじりに答えるシャルルに対し、彼の方は大真面目にうなずいて見せる。


「とても勉強になった。僕もまだまだ視野が狭いね」


 そう言うや、パッと顔を上げるとにこやかに手を振って身をひるがえす。


「もう行かないと! またね。きっとまた会いに来るから」


 シャルルの返事を待たず、彼は風のようにさわやかに走り去っていった。


***


 アンリに話したのと同じようにこの話をしてもいいのだが、目の前で不信感をあらわにシャルルをにらんでいる女生徒たちには、不愉快な思いをさせるだけだろうと予想がついた。

 正直であることがいつも正しいとは限らない、とシャルルは知っていた。事実なのだから、という言い訳に何の意味のないことも。


 シャルルが答えずにいると、目の前の女生徒たちが詰め寄ってきてシャルルの顔をのぞきこむ。


「どこでお会いしたの? あなたみたいな子がお城に入れるはずないわよね?」

「町でお会いしたのじゃなくて? 王子様はよくお忍びで出かけることがあると聞きましたわ」

「あなた、王子様を見つけてお近づきになろうとしたの?」

「呆れた図々しさね」


 女生徒たちは顔を見合わせ、なおもシャルルを責め立てる。


「それで名前を覚えていただいたからって、いい気になっているのね」

「王子様には黒蜘蛛(くろくも)(きみ)という立派なお相手がいらっしゃるのよ、分かっているでしょう?」

「身の程をわきまえなさい。これ以上、王子様に近づくんじゃなくってよ」

「何とか言ったらどうですの?」


 彼女らの怒りは、シャルルが身分不相応な扱いを受けているからなのだ。

 シャルルは仕方ないと思っていた。ただ黙って責められていた。聞き流しているのではない、彼女らがぶつけてくる言葉を一つ一つ噛みしめていた。


「――シャルル?」


 おずおずとしたアンリの声に背後から呼ばれて、うつむけていた顔を思わず上げる。

 シャルルを囲んだ女生徒たちもまた、こちらに早足に近づいてくるアンリに責める視線を向けていた。


 アンリは女生徒達と視線を合わせず、ただシャルルの袖を軽く引いて「行こう」と呼んだ。

 だが許されるはずはなかった。


「お待ちなさい! まだ話は終わっていませんわ」


 一人の女生徒がアンリの行方を塞ぐように立った。アンリは目を伏せたまま足を止め、唇をつぐむ。


「ミス・コルティーア、あなたどうしてこの子の肩を持つの?」

「まさかあなたまで王子様に取り入ろうとしてるのじゃありませんわよね?」


 女生徒たちは口々にシャルルとアンリを責め立てる。いつのまにか囲まれるようになっていた二人は、しばらくの間どちらも何も言わなかったが――やがてアンリがため息をついた。


「……どうして? そんなの決まっているでしょう」


 小さな声でそう言ったアンリは、顔を上げて目の前に立ちはだかる女生徒を見据えた。


「あなたたちこそ、シャルルの何を知っているんです? 彼女ときちんと向き合って話したことはありますか? あなたたちの勝手な思い込み以外に、この子を責める根拠がどこにあるというんです?」


 アンリの激しい口調に、女生徒たちは明らかに怯んだ様子を見せた。

 糾弾の声がやんだこの隙に、アンリは「失礼します」と言い残しシャルルの手を引いて足早にその場を離れた。


 シャルルはアンリについて行きながら、親友の手が小さく震えているのに気づいていた。


 アンリは強い信念を持った女性だ。だが自分でそう評していた通り、その信念を態度に出して他人にぶつけることが得意ではなかった。シャルルと二人のときはざっくばらんなふるまいでも、クラスメイトには丁寧な口を利くし、黒蜘蛛の君のことも立てて見せる。

 だがそうした“表向き”の態度は、アンリが望んで取っているものではなかった。ただ自分を守るための上っ面の仮面なのだと、少なくとも彼女自身はそう思っているようだった。強くありたいという理想があるからこそ、強くなれない自分の実情を歯がゆく思っている――シャルルはそんな印象を覚えていた。


 あんなふうに、攻撃的なクラスメイトに対して厳しい態度で立ち向かうのは、アンリにとっては鎧を捨てるような行為だったに違いない。それは大きな恐怖を伴うものだったはず。


「……ごめんなさい」


 ぽつりと言って顔を伏せるシャルルに、アンリは振り向いて笑みを向ける。


「シャルルが謝ることなんてないだろう」

「いいえ……私、アンリに負担をかけているもの」


 シャルルは消え入るような声で言った。


「あなたが仲良くしてくれてとても嬉しいわ。でも……私に気を遣ってくれているでしょう? そのせいでアンリを疲れさせてしまうのは、すごく申し訳なくて」

「やめてくれ」


 アンリがシャルルの背中に手を置いた。


「言ったろ、私は変わり者で友達がいなかったんだ。仲良くしてもらって嬉しいのは私の方だよ」

「……」

「シャルルを守りたいっていうのも、自己満足でやってることだしな。勝手に自分の役目みたいに思って、勝手にそれを果たしてる。だからシャルルが遠慮することなんて何もない」


 それはアンリの本心からの言葉だった。


 シャルルという新たな学友には不思議と惹きつけられていた。皆から相手にしてもらえない彼女に共感し、自分が手を貸してやらないと、という使命感めいたものを抱いた。

 彼女と過ごせば過ごすほどに使命感は強くなっていく。シャルルを支え、守ってやらなければならない。それができるのは自分しかいない。それがまるで、“神様から与えられた役目”のように感じていた。


 役目を負っているという意識は決して窮屈なものではなかった。むしろ、役目を果たそうとする自分には意味があり重要な存在なのだと、鼓舞される感覚を与えてくれる。そしてそれを果たすことは、自分を強く造り変えることでもある。


 シャルルを支えてやりたいという思いはある種自分のためでもあるのだと、アンリはそんな感覚を覚えていた。


 笑顔を見せるアンリに、シャルルも弱弱しく笑みを作る。


 シャルルは今もなお、人を幸せにできればいいと思っている。

 それが必要なのは王子のような人物ではなく、アンリや――シャルルを責めた女生徒たちなのだと分かっていた。


「しかし……目を離せたものじゃないな! まったく、誰も彼もシャルルをくだらない嫉妬の目でしか見やしない」


 アンリがわざとらしく威勢のいい声を上げるのに、シャルルも今度は素直な笑みを漏らす。


「王子も王子だ。わざわざ波風を立てるような真似をしなくてもいいだろうに」

「あのかたは親切にしてくださっただけなのよ」

「悪気がない方がたちが悪い」


 肩をすくめて見せるアンリは王子に憧れを抱いていないらしい、とシャルルはくすりと笑う。


「――そういえば、王子はシャルルが編入したことをご存じだったんだね」


 確かに、とシャルルも首を傾げる。


 たまたま見かけたから声をかけてくれたわけではない。王子は初めからシャルルが学園にいることを知っていたのだ。留学が決まっていたのだから、庶民の娘が編入するという知らせを受け取っていたのかもしれない。シャルルという名前を聞いて、もしかしたらと思ったのかも。


「まるで自分が推薦でもしたような口ぶりだったが――さすがにそれはないか。黒蜘蛛の君が許すとも思えない」


 アンリは呆れたように首を横に振った。

 王子も人が悪いものだ。黒蜘蛛の君とは正式な婚約関係ではないようだが、愛称で呼び合うほどに親密な間柄であることは違いないようだった。にもかかわらず、あんなふうにシャルルに親しげな態度を取って見せれば、黒蜘蛛の君がよく思うはずはない。


 お人好しのシャルルは王子に悪気がないと信じているようだが、アンリにはそう思えなかった。幼い子供ではない王子が、自分の行動が他人に与える印象を理解していないとも思えない。

 王子がシャルルを弄ぶつもりではないのかと、アンリにはそれが気がかりだった。魅力的な顔立ちの王子に愛想よく接せられたら、ほとんどの女は舞い上がってしまうに違いない。それを分かっている王子が、ただ興味本位で庶民の娘に近づこうとしているのではないか。


 ――待てよ、とアンリは考える。

 今はだたの興味本位だとしても、いずれ王子は気づくかもしれない。シャルルの温かさと清らかさ、そして黒蜘蛛の君が抱える闇の本性に。

 ――もしそうなったとしたら。


「……王子はまたシャルルに絡んでくるかもしれないな」


 アンリはぽつりと言って、シャルルの背中をぽんと叩いた。


「何かあったら教えてくれよ。私はいつだってシャルルの味方だからね」


 柔らかな笑みを見せる親友に、シャルルも顔をほころばせた。

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