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オロチ綺譚

審議綺譚

作者: かなこ

シリーズ物です。上部「オロチ綺譚」より1作目「巡礼綺譚」からお読み戴けるとよりわかりやすいかと思います。

「だいたいお前はちょこまか飛ばしすぎなんだよ」

「あの程度でちょこまかなわけ? 老いたんじゃないの?」

「っざけんな北斗! 表出ろ!」

「やだね、1人でどうぞ」

「もう、2人ともいい加減にしろよ。ドーナツ作ったからこれ食べて機嫌直せ」

 いつものごとく言い合いを始めた宇宙貿易船オロチのエースである柊と北斗に、いつものようにコックの菊池が仲裁に入る。それを船長の南、医療担当の笹鳴、情報分析担当の宵待は微笑ましく眺めていた。

「きゅうきゅう」

「もちろんクラゲにもどうぞ。船長達も食べるだろ? ドーナツ」

 ドーナツとコーヒーを乗せたワゴンを押して菊池が各シートを回り、南はそのうちの1つにかじりついた。どうやらチーズ味のようだ。

「うん、美味い」

「ありがとう。リングの中にチーズを挟むのがちょっと難しくって」

「ん、クロワッサン生地やな」

「そう、だからクロワッサン生地にしてみた」

 楽しそうに話すクルー達の会話は、宵待の「おや?」という呟きで中断した。

「どうしたの? 宵待。美味しくなかった?」

「いや、そうじゃないよ」

 宵待は苦笑して顔を上げた。

「ちょっと離れてるんだけど、交戦エネルギーが確認できたものだから」

「交戦?」

 南は眉間にしわを寄せた。

 これだけ広い宇宙でよそ様の戦闘に出会うのは、実は稀だ。なのになぜかこのオロチはちょいちょいそういうトラブルに出会ってしまう。

「救難信号は?」

「出ていません。……解析結果が出ました。UNIONの護衛艦隊と海賊のようです」

 南はキャプテンシートの背もたれに寄りかかった。

「なら放っておけ。俺達の出る幕じゃない」

「了解」

 宵待は解析を打ち切り、改めてドーナツを口にした。

「うん、美味しいよ」

「ありがとう宵待、コーヒーもどうぞ」

 菊池は笑顔でコーヒーをサーブした。



 久しぶりにヨナガ星に降り立ったオロチは、笹鳴と宵待を船に残し、残りのメンバーで政府を目指した。

 壁材になりそうな布をという発注を承っていたので、モノになりそうな商品を予算内でかき集め、届けに来たのだ。

 産業開発部門の担当者に商品を渡して代金を受け取り、また串焼きでも買って帰ろうかと菊池が提案したその時、ヨナガ星の大統領であるメイゲツの妹アンズと幹部のヒグラシが追いかけてきた。

「水臭いじゃない、そのまま帰っちゃうつもりだったの?」

 アンズの膨れっ面に、南は苦笑を返した。

「忙しいお前達に、久闊を叙すためだけの時間を割かせるわけにはいかないだろう」

「いいんだよお前らは。菊池は元気になったようでよかったな」

「うん。中性子星蒸発の時は色々ありがとうな」

「それはこっちのセリフよ」

 にこやかに会話するヨナガ星の住人とクルーを眺めて、南は目を細めた。

 星々を渡り交流を深め、再びその地に降り立った時にこうしてまた笑顔で会話をする。それは南の理想とする商売の形だった。

 友好って素晴らしい。平和って最高。商売って希望。

 北斗が気味悪げに見つめている事に気付かず、南は1人で悦に入っていたが、人波をかき分けてきた集団にふと表情を改めた。

 UNIONの制服だ。その集団が明らかに自分達目掛けて歩いてくる。

 南より先に、柊が一歩前に出て相手を牽制した。

「何か用かよ」

「……オロチの一味だな」

「あぁ?」

 たった一言で、柊の感情は一気に沸点に達した。

 柊の返答に「チンピラか」と北斗は思ったが、自分もムッとしたので黙っていた。一味とはなんだ。海賊じゃあるまいし。

「先日、俺達の戦闘に立ち会ったはずだ。なぜ加勢しなかった?」

 そういえばそんな事もあったな、と菊池は思い出した。だが立ち会ったわけじゃない。通りすがっただけだ。

「はぁ? バカじゃねーの? なんで俺らが加勢しなきゃならねぇんだ?」

 ヤクザか、と南でも思った。大人の対応ではない。このまま放っておくわけにはいかないので、南は大きく咳払いをして間に入った。

「下がれ、柊。自由貿易船オロチ船長の南だ」

 そう言って南はUNIONの制服を着た者達の前に立った。

「救難信号も救援信号も受けなかった。だから戦闘には加担しなかった。何か問題でも?」

「例え信号がなくとも、相手が海賊だという事を分かった上での傍観なら、海賊に加担したと同意ではないのか?」

「納得しかねる。UNIONが海賊と交戦時には指示がなくとも加担せよ、などという法律は聞いた事がない」

「法律の話ではない。道義の問題だ」

 それを聞いた北斗が鼻で笑った。

「人を恐喝する組織の人間が道義を語んないでよ」

「北斗」

 南が視線と言葉で制したが、UNIONの者達は剣呑な表情になった。

「恐喝とはなんだ! そんな事をした覚えはない!」

「お前らみてぇな下っ端は知らねぇだろうけどな、」

「柊」

 南に鋭く呼ばれ、柊は不満そうに口を閉じた。

「俺達は戦闘に加担すべきだったというのか? すべての貿易船は海賊掃討に出会った際には事情を推量せず加勢しろと?」

「すべての貿易船ではない。お前達がオロチだからだ」

 意味わかんないしバカじゃないの、と北斗は呟いた。やや大きめの声だったので全員が聞こえたが、独り言の体裁を保っていたので誰も何も意見できなかった。

「……大きな戦闘力を持つ身でありながら、我々が海賊と対峙しているのを知っていて通り過ぎたのはおかしいと言ってるんだ」

「おかしいのはお前達だ。どうして俺達がお前達の仕事を手伝ってやらなきゃならないんだ? そうして欲しけりゃそっちも俺達の仕事を手伝え」

 話にならん、と南は背を向け、他のクルー達も後に続いた。

 あっけに取られていたヒグラシとアンズへ、菊池だけが慌てて戻ってきてぺこりと頭を下げ、そのまま南を追いかけて駆けて行った。



「それで、柊はふてくされとるんか」

 オロチに戻ってきた南から話を聞き、笹鳴はため息を吐いた。

「確かに柊の態度は大人げなかったかもしれへんが、UNIONの連中の言い分は明らかにおかしいな」

「何か勘違いしているみたいだな。何をどう勘違いしているのかまではわからんが」

 南はコーヒーをすすって吐息した。オロチだからという理由がよくわからない。

「俺思うんだけど、あのUNIONの連中ってみんな若かったじゃない?」

 笹鳴や一緒に事情を聞いていた宵待にもコーヒーを淹れながら、菊池が呟いた。

「力のある者は他者が正義を施行しようとする時には協力すべき、って学生みたいな正義感を持ってるんじゃないかな?」

「そら学生の正義感やない。子供の正義感や。大人は、立場や状況なんかの諸々を考えて行動するのが普通やろ」

「それに今の話だと、UNIONの連中は護衛艦隊の自分達より貿易船の俺達の方が力があるって認めてるって事になるけど、その辺の自尊心はどうなってるのかな?」

「宵待、それは指摘されるまで自覚できひんタイプやと思うで、連中」

 指摘してやるほど親切やないけどなと続け、笹鳴はブラックのままコーヒーをすすった。

「ん、美味い」

「ありがとう。部屋にこもっちゃったしぐれにも届けてくる」

 いそいそとカップにコーヒーを注いでブリッジを出て行った菊池を見送って、南はパイロット席へ振り返った。

「北斗、お前はどう思う?」

「面倒くさい事になった」

「なった?」

「ヨナガ政府から文書が来てる。UNIONが政府立会いの元で話したい事があるんだって」

 そこにいた全員が視線を明後日の方向へ飛ばした。

「あー……そら面倒な事になったなぁ」

「面倒も局地だな……」

「俺、いつも通り留守番してるから頑張って……」

 何も知らずにブリッジへ戻って来た菊池は、お葬式のような雰囲気の南達にことんと首を傾げた。



 当日やって来たUNIONの若者達は、柊の古巣であるUNION護衛艦隊に所属し、誇りを持って任務に当たっていると告げた。

 だがその誇りの加減が南の鼻についた。

 己の仕事に誇りを持つのはいい。だが、その誇りが優越感を呼び、他者を見下し蔑ろにしている傾向がかいま見える。先日の言い争いの内容がそれを示していた。

 どれほど戦闘力があろうとオロチは一介の貿易船で、しかもUNION非加入なので何の保護も得られる身ではない。なのに戦闘の看過は道義に反するという指摘は、ほとんど言いがかりに等しいと南は思う。

 しかし彼らは自分達の、と言うよりUNIONという組織そのものの正しさを心底信じているのだろう。ヨナガ政府に立会いを申し出、その審議の上で明確に成否を主張しようと息巻いた。

 ヨナガ星は最近民主主義になったばかりの若い惑星で、周囲の助けが必要である事をわかっている。ならばUNIONに籍を置く自分達の意見は必ず正しいと判断するはずだ。そう信じた彼らは、立会人にヨナガ星の大統領であるメイゲツが来ると聞いて少し驚いた。

 だが、大統領ほどの人物が立会いの場に出てくるのはひとえにUNIONへの敬意だろうと判断した。

 自分達は正しい。UNIONは経済的立場で言えば宇宙一の組織だ。その組織の言い分が正しくないはずがない。

 そう自信満々で審議の場に現れたUNIONは、自分達に向けられた全員の冷ややかな視線に疑問と小さな恐怖を感じた。




「忙しいのにすまんな、メイゲツ」

「なに、他ならぬオロチのためなら、これくらいどうって事はない」

 砕けた口調でメイゲツに話しかける南に、UNION職員達は眉を寄せた。それを見て、メイゲツは居住まいを正し、顔を上げた。

「我がヨナガは、恩人としてオロチのクルーとは知り合いだ。だが審議に私情を挟む気はないので安心して欲しい」

 恩人、という言葉にUNION職員達に動揺が走った。そんな事は聞いていない。

 がたんと音を立てて柊が椅子を後ろにずらし、その背もたれに片腕をかけた。

「お前らが知らなくても無理ねぇよ。UNIONってのは内部情報を操作するのが当たり前だ。ヨナガ星が王政を廃して民主主義を成立させたのは、レジスタンスの掲げた政治方針に民衆が賛同して従ったからだとでも聞いたんだろ」

 顔を見合わせるUNIONの連中を尻目に、メイゲツは瞠目した。

「まさか、あれだけの戦争を改ざんして伝えたというのか?」

「多分な。あの戦争、UNIONはなーんも関わってこなかっただろ? 当然だ、UNIONは王政側に付いてたんだからな。圧政があったのは当然知ってただろうし、輸出規制も強引な特別輸出品登録申請があったのももちろん知ってた。でも、腐った政府の方が扱いやすかったから色々黙ってた。海軍には手を回してたみてぇだから、いざとなれば力でどうとでもできたわけだしな。しかし自分達の及ばぬところで時の政府があっさり転覆しちまって、慌ててあの通産交渉部門管理官が様子見と機嫌取りを兼ねて来たんだろ」

 メイゲツの隣に列席していたアンズが「だからあれだけ中央管理局に皇院の横暴さを何度も陳情したのに、対応が鈍かったのね」と悔しそうに呟き、柊は頷いた。

「UNIONに強く出られりゃ中央管理局は黙る。そういう事だ」

「言いがかりだ!」

 怒鳴るUNION職員に、柊は冷たい視線を放った。

「俺の憶測、おおまかには合ってただろ? だからお前らはヨナガ星とオロチの関係を知らなかった」

「オロチがいなかったら王政を覆す事なんかとてもできなかったでしょうし、それ以外にも中性子星の件でだって借りがあるわ。中央管理局まで巻き込んだ事件だったのに、あなた達は本当に何も知らされてないの? オロチはヨナガにとって二重の恩人よ?」

 動揺を隠すように顔を見合わせるUNION職員達に向かって、南は片手を上げた。

「心配はいらない。さっき本人も言った通り、メイゲツは公私混同をする男じゃない。今日の審議について公正に判断してくれるだろう。……で」

 南は両腕を組んだ。

「本題だな。俺は意見を変えるつもりはない。今後同じような状況に出会ったとしても、SOSがない限り戦闘に加担する気はない」

「オロチには正義を敢行できる力がある。なのに見て見ぬ振りをするというのか?」

「救助を求められれば要請には応ずるが、俺達の仕事は荷を運ぶ事で、海賊退治じゃない」

「仕事を放棄しろと言っているわけじゃない。そういう場面に遭遇したら積極的に応援に来て欲しいという話だ」

「断る。メリットがない」

 南の言葉にUNION職員達は憤慨した。

「メリットだと? 人の命をなんだと思ってるんだ!」

「こっちだって戦闘に参加するとなれば命がけだ。損害の責任を取る気もないくせに、自分勝手もたいがいにしてくれ」

「機体の破損やクルーの負傷等についてはもちろん保障する」

「そら当たり前の話や。そうやのうて、商売に損害が出た場合どないすんねんって話や。こちとら信用商売やで。頼まれた荷を届けられませんでしたて先方に一緒に頭下げて賠償金払うてくれはるんか?」

「どこまで腐った連中だ! 人の命より金の方が大事か!」

「アホ抜かせ。俺達かて生活かかっとんのや」

「人の命とどっちが大事だというんだ!」

 こら話にならんわ、と笹鳴が天井を見上げてため息を吐いた。

 その時、呆れて途方に暮れる笹鳴の横で、北斗が耐えられないというように吹き出した。緊迫した場での突然の行動に、UNION職員達の突き刺さるような強い視線が北斗に向かった。

「何がおかしい?」

「ごめん」

 北斗は笑いを隠すように帽子のツバを引き下げた。だが堪えられないのか肩が震えている。

「何がおかしい!」

 怒鳴りつけてくるUNION職員に、北斗は深呼吸を繰り返してやっと顔を上げた。

「……ほんとゴメン。いや、UNIONってとことんプライドないんだなと思って、ウケた」

 ちらりと柊を見た後、北斗は椅子の背もたれに寄りかかった。

「戦闘の専門機関が民間の貿易船に恥も外聞もなく『助けて』って主張できるなんてホントすごいよ。俺だったら恥ずかしくてとてもできないね」

「は、恥や外聞など関係ない! 任務をまっとうできるならプライドなど!」

「自分の力量以上の仕事を任されても他力本願で乗り切れって教わったんだ? すごい組織だね、UNIONって。柊サンが愛想を尽かすわけだ」

 柊は否定も肯定もせず、不機嫌な表情を崩さなかった。

 その柊に、UNION職員の1人が食ってかかった。

「君は以前、UNIONで鋼鉄のヴァンガードと呼ばれていたんだろう? そうやって名を馳せられたのはUNIONのお陰だ。なら我々の気持ちもわかるはずだ」

「あ?」

 柊は冷ややかな視線を向けた。

「お前らと一緒にするなよ。俺が有名になったのは俺の実力であって、間違ってもUNIONのお陰なんかじゃねぇよ。俺はどんな状況でも自分の力で切り抜けた。誰かに頼るなんて考えもしなかった。ましてや本来守るべき立場の貿易船に協力を強制するなんて恥ずかしい真似は、死んでもしねぇ」

「だが、そういう融通の利かなさからUNIONを馘になったんじゃないのか?」

 カッとして怒鳴り返す。そう思って手を出しかけた北斗は肩透かしをくらった。柊は表情すら変わらなかったからだ。

「……そのヴァンガード、どうなったと思う?」

「は?」

「だから、俺が乗ってた『ヴァンガード』だよ。あの高速駆逐艦だ」

 UNION職員達は再び顔を見合わせた。今や伝説となっている鋼鉄のヴァンガードは、その功績こそきらびやかに語られているが、船そのものがどうなったのかは知らされていなかった。

 輸送船を100%の確率で守り抜き、どれほど凶悪な海賊が襲って来ようと必ず無傷で目的地へ届けた。デストロイヤーの名にふさわしく、柊の乗ったヴァンガードは無敵だった。鉄壁の防御こそが、やがて『鋼鉄の』という二つ名になった。

 だが、その船は今や存在しない。それほどの功績を収めた船であれば、艦長の柊が辞職したところで解体に回すはずはないのに。

「……やっぱ知らねぇようだな。攻撃されて宇宙の塵になったよ。UNIONの巡洋戦艦にな」

「バカな! 味方を攻撃したというのか!」

「そうだ。巡洋戦艦クイーン・メリーから中性子ミサイルを食らった」

 中性子ミサイル、とUNION職員達は呻いた。中性子ミサイルや反陽子核弾頭等の特Aランクのミサイルを使用するなどよほどの事態だ。

「あの時俺が護衛していた船には、あるウィルスに感染した患者達が乗っていた。彼らの血液より抗体抽出に成功し、以降はそのワクチンを打てば感染しないってとこまで研究は進んでたんだ。だがすでに感染しているオリジナルキャリア達を治療するための抗ウィルス剤の開発は時間を要した。だから感染被害を防ぐ為に1惑星にまとめて隔離し、そこで療養しながら抗ウィルス剤が開発されるのを待つ事になった……と、俺は聞いていた。だが」

 柊は目を伏せた。

「放っておいても減る事こそあれ増える事はないオリジナルキャリア達のために薬を開発する費用と、1惑星を療養施設として整備する金、それらを惜しんだUNIONに後ろから撃たれた」

 そんな、と呟いたのは菊池だった。

「ハナから輸送中に事故に見せかけて沈めるつもりだったんだ。護衛航行中のヴァンガードのシステムに本部からデタラメな情報がインプットされて、クイーン・メリーに主砲を向けられた時には身動きできなくなっていた。患者達を乗せていた船はすべて木っ端微塵。俺が輸送船を守れなかったのは、それが最初で最後だ」

 黙り込むUNION職員達を柊は睨みつけた。

「俺は全システムを手動に切り替え、部下達を脱出させた後にクイーン・メリーに砲口を向けた。慌てたクイーン・メリーが中性子ミサイルを持ち出す前にあるだけのミサイルをぶちこんでやったよ。俺はその責任を取って辞職したんだ。確かに俺は融通がきかねぇよ。病人達を皆殺しにするところを黙って見ていろって命令に従えなかったんだからな」

 北斗は心の内でため息を吐いた。

 高速駆逐艦の全システムを手動に切り替えてたった1人で巡洋戦艦と渡り合うなんて、まず不可能だ。だが柊は、巡洋戦艦が中性子ミサイルを使用しなければ倒せないと判断するに至るまで刃向かった。

 そんな事ができるからこそ、患者達と一緒に葬ってしまおうとされたのだろう。『鋼鉄のヴァンガード』は有名になりすぎ、上層部は脅威を覚えた。UNIONに従順なうちはいいが、絶対に反旗を翻さないとは言い切れない。

 もし敵に回ったら。その前に手を打たなければ。

 その根拠のない憶測が、柊の未来を奪ったのだ。

「わかるか? 命より金なのはお前らUNIONなんだよ。それが、どのツラ下げて助けてくれだ? 頭に蛆でも沸いてんのかよクソが」

 何も言い返せずにいるUNIONに、南はため息を吐いた。

「頼むから、知らなかっただの実際にそれを行ったのは自分達じゃないだのと言い訳はしないでくれ。お前達が命を賭けてもいいと思っている組織なのだから、ある程度美化して憧憬を抱いている事に批評も批判もしない。正しい事もたくさんしているだろう。だが俺達はそれだけではない事を知っている。無条件にUNIONを崇拝し従うというお前達の主義を俺達に押し付けられても困る。俺達にとってUNIONは絶対的存在じゃない。生活がかかっている以上、正義感だけで行動できない事も理解して欲しい。俺達はただのしがない貿易船であって、護衛艦隊に随時協力する立場じゃない」

 低く発せられた南の言葉に、メイゲツが小さく頷いた。

「それが本質だな。オロチは貿易船、お前達は護衛艦隊、本分はそれぞれだ。力ある存在の協力は保険として安心できるというのはわかるが、生きていかねばならん以上、オロチだって見返りのない綱渡りはしたくないだろう。護衛の依頼を受けたのはお前達なのだから、お前達の力でその任務をまっとうすべきで、他の誰かに依存するのは間違いだと思うが?」

 UNION達はしばらく黙り込んでいたが「しかし」と苦しそうな声を上げた。

「海賊退治は善じゃないのか。救助に来てくれた際にはもちろんそれ相応の礼はするし、善行を行える力があるのにどうしてそれを行使しない?」

「オロチの持つオロチの力を、オロチが好きに使う事に俺は疑問を感じない」

「しかし大統領、オロチが手助けしてくれたら失わずに済んだ命だってあったんだ!」

「それはお前達の力量不足であって、オロチの責任ではない」

 言い切ったメイゲツの最後の言葉と同時に、ドアが勢いよく開いた。

「お前達! 何を勝手な真似をしている!」

 審議中の会議室のドアから突然現れたのは、UNIONの制服を着た褐色の肌の男だった。

「誰がこんな真似をしていいと言った!? 今すぐ帰艦して自室で待機! 指示を待て!」

 褐色の肌を持った背の高いスキンヘッドの若い男は、その場でメイゲツに対して直立不動のまま90度頭を下げた。

「UNION護衛艦隊第7護衛軍第16護衛隊、戦艦リアシュエロ艦長、ライラック・ネーブルと申します。この度は部下達の無礼、大変申し訳ございませんでした」

 綺麗な立礼を見せたネーブルは、南に向かっても頭を下げた。

「部下達の独断とはいえ、このような事態を招いた責はすべて艦長である私の不徳と致すところです。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。心から謝罪致します」

 今度はなかなか頭を上げようとしないネーブルに、南は静かな視線を送った。

「ネーブルとやら、顔を上げてくれ。俺は下げられた頭を見ながら話す主義じゃないんだ」

 ネーブルは言われた通りに顔を上げたが、視線は床に縫い付けられたように固定されていた。

「後日改めて双方に謝罪を」

「謝罪はいい。代わりに1つ質問をしたい」

 いいか、というように南がメイゲツに視線を向けると、小さな頷きが返った。

「先日、あんた達の交戦に気付きながらも俺達は素通りした。それは道義に反する事か?」

 視線を落としたまま、ネーブルはきゅっと眉根を寄せた。

「それは当然の行動であり、誰に批難されるべきものでもない」

「人が死んだと聞いたが、それでもか?」

「こちらの判断が招いた事態であり、オロチに責任があると思う方がどうかしている」

 床を見つめたままネーブルは答えた。南は、それは顔向けできないからという理由だけではないような気がした。視界に入れるわけにはいかないものがそこにあるので、必死に視線をそらせているかのようだ。

「……ライラック」

 そう呼んだ声に、ネーブルはびくりと肩を震わせた。

「この目障りな連中を今すぐ俺の前から失せさせろ」

 低く威厳に満ちたその声は、柊のものだった。

「柊艦長……!」

 耐えきれずに視線を上げて思わずそう口にしたネーブルは、その凍てついた表情に硬直した。陽気でどこか能天気な雰囲気すらあるはずの柊から、温かみが全て削ぎ落とされていたからだ。

「こいつらが目の前にいるだけでヘドが出るほど不快だ」

 ネーブルは青ざめて部下達を見た。

「今すぐ帰艦しろ!」

「し、しかしネーブル艦長……!」

「いい加減にしろ!」

 ネーブルが怒鳴った。

「誰に喧嘩を売ったかわかってるのか? サウザンドビーを5分で消滅させたあのオロチだぞ! そんな存在を敵に回す事がUNIONにとってどういう事になるかわかってるのか!」

 UNIONの若者達は突然目が覚めたようにはっとしてオロチのメンバーを見つめ、顔色を変えた。

 あの件はさすがに情報操作しないで内部に伝えたんだね、と北斗は聞こえよがしに独り言を呟いた。あれは海軍だったと嘘を吐けば海軍に借りを作る事になるし、司法の砦である中央管理局にそんな手練れのパイロットがいるわけがない事は考えればわかる。かといってUNION内部の誰かだったという事にすれば、それは誰かと調査する者が出るかもしれない。仕方なく外部の者であると事実を説明したのだろう。多少はUNIONにとって都合がいい脚色がされただろうが。

「オロチの噂を知らないわけじゃないだろう! ましてやこの人は」

 そう告げて、ネーブルは視線で柊を指した。

「お前達の誰1人経験した事のない死線を幾度も潜り抜けた鋼鉄のヴァンガードだ! 本来なら口のきける立場じゃない! さっさと艦に戻れ!」

 ネーブルの怒鳴り声に、椅子を蹴る勢いで彼らは慌てて部屋を出て行った。

「……なるほど。最初からそっちの損得を勘定に入れた物言いをすればよかったんだな」

 南はそう呟き、息を切らせているネーブルを見た後に柊を見た。

「知り合いか?」

「俺の副官。ヴァンガード時代の」

 へぇ、と北斗がネーブルに視線を向けた。あの柊の副官を務めたとなると、相当な実力者だ。

 ネーブルは息を整え、改めて頭を下げた。

「これから上に報告して、彼らと共にしかるべき処断を受けます」

「そんな事はしなくていい。柊の知り合いならなおさらだ。ただ、ヨナガ星の大統領には迷惑をかけたのでそれなりの謝罪をして欲しい」

「いや、俺も結局何もしていないし、別にいい」

 メイゲツは拍子抜けしたような表情で苦笑した。

「お前もヴァンガードに乗っていたのか、ネーブル」

 はい、とネーブルは頷いた。

「本来なら柊艦長と共に職を辞すべきでしたが、厚顔無恥にもこうしてUNIONに居残っております」

 ああそうか、と菊池が柊を見た。

「しぐれ、かばったんだね、この人を」

「俺だけではありません。艦長はすべての責任を1人で負って、UNIONを辞められた」

「かばったうちに入らねぇだろ。現に旗艦ヴァンガードの副官まで上り詰めたお前が、あんな新卒丸出しの連中のお守りやらされてんじゃねぇか」

「彼らは……何も知らなさすぎる」

 ネーブルは再び視線を落とした。

「身内の死には敏感だが、そうじゃない者が傷ついても傷自体が理解できない。UNIONという存在に盲目的になりすぎて、それ以外の考えが存在する事が想像できない。世の中のすべてが悪と正義に分けられると思っている。……それでも俺は、彼らに死んで欲しくはない」

「それは理解できる」

 南がネーブルに向かって笑みを見せた。

「クルーの損失を望む船長はいない。それが船長ってもんだろう。だから柊も1人で巡洋戦艦と対峙したんじゃないのか?」

「つか、自軍の巡洋戦艦を破壊しといてよく辞職で済んだよね。本当はすぐケツまくって逃げたんじゃないの?」

「バーカ、山ほど功績があったから上層部も俺を無下に扱えなかったんだよ」

「そりゃ悔しかったろうね、UNIONの上層部。同情するよ」

「お前はどっちの味方なんだよ、あぁ?」

「もう、こんなとこで喧嘩すんなよ2人とも」

 微笑ましい会話に、ネーブルは目を細めた。

「柊艦長……今、幸せですか?」

 柊はふんと鼻を鳴らしてネーブルを睨んだ。

「俺がそうだと言ったら、お前の罪悪感も少しは晴れて気が楽になるってか」

 途端に顔を強張らせるネーブルに、菊池が呆れたような表情を作って柊を小突いた。

「今の言い方はとても陰険だと思う。やり直し」

「やなこった」

「やり直したら今日の晩ゴハンは焼肉にしてやる」

「とっても幸せです! 過去なんか思い出してる暇もないくらい!」

「言い方がわざとらしい。今日は豚で」

「えー? 牛にしろよ牛に。つか豚で焼肉ってありなのか?」

 話を脱線させる2人に苦笑して、南はネーブルを見た。

「心配しなくていい。柊は大丈夫だ。俺達がついている」

 ネーブルは一瞬複雑な表情を浮かべたが、黙って頭を下げて部屋を出て行った。

「悪かったな、メイゲツ、無駄な時間を使わせてしまって」

「そうでもない。柊の過去も聞けた事だしな」

 笑みを浮かべてそう言い、メイゲツは柊を見た。

「追いかけなくていいのか? 親しい部下だったんだろう? 積もる話もあるだろう」

「何もねぇっスよ。あいつだって思い出してぇ過去じゃねぇだろうし」

 手持ち無沙汰気味に自分のくせ毛をいじる柊に、菊池は笑みを浮かべた。

「立派だったんだな、しぐれ」

「あ?」

「見直したよ。同僚として誇らしい」

「じゃあ今夜は牛な」

「それはそれ。でも牛と豚半々にしてあげるよ」

 半々かよとぼやく柊に苦笑して、南は席を立った。

「では俺達はそろそろ辞去する。時間を割いてくれてありがとう、メイゲツ」

「近くまで来たらいつでも寄ってくれ。久闊を叙すためだけの時間をいくらでも割こう」

 笑みを浮かべるメイゲツに礼を言い、オロチのクルー達はヨナガ星を後にした。



「そんな事があったのか」

 キッチンで菊池を手伝いながら、宵待はしみじみと呟いた。

「立派だな、柊は」

「俺もそう思う。きっと色々頑張って我慢したと思うんだ。辞職した後だって色々あったと思う。あのUNIONがしぐれの行動を正しく周知したとも思えないし、いっぱい辛い思いをしたと思うんだよ」

「会ってみたかったな、艦長をやってた頃の柊に」

「それはどうかな、なんかちょっと威張ってた気がする」

 笑い合う2人を、クラゲがきゅうきゅうと鳴きながら見上げた。

「あ、うん、ありがとうクラゲ、トングの用意はそんなもんでいいよ。次はスープ用のスプーンを出してもらってもいい?」

「きゅうきゅう」

 菊池が切った肉を皿に並べ、それを宵待がワゴンへ乗せる。

「牛と豚、半々じゃなくていいのか? これ全部牛だろう?」

「豚トロも混じってるよ。まぁ今日はちょっとだけしぐれを甘やかしてやろうかなって。あ、そうだ宵待、ブリッジ内の感知システムや空気清浄とか火災報知器とか、ちょっとゆるくできる? けっこう煙が出ると思うんだよね」

「了解。あ、ご飯炊けた」

「プレートは用意したし、野菜も用意したし、あ、クラゲ、あと割り箸とデザート用のスプーンも出して」

「きゅ〜」

 クラゲ使いが荒いのだ、と嘆くクラゲの声に、キッチンに現れた笹鳴の「夕飯まだかいな。柊が飢え死にしそうやで」という声が重なった。

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