074.その竜は――――
「なっ!? どういう事ですの!?」
ジークフリートはクリームヒルトが驚愕の声をあげるのを横で聞いていた。
否、自分とて驚いている。
「説明していただけますか。まさか、また地竜が出たとでも?」
「い、いえ、地竜ではございません!」
対するモンドリオもここまで休まず来たのか、その顔には困惑と共に疲労の色が見える。
「今朝の事でございます。衛兵たちの話では、フランケンの上空に竜はいきなり現れたという次第で、皆何が何やらという……」
いきなり現れた。いや、飛竜ならば遥か上空から下降して来れる。人々が錯覚してもおかしくは無い。
「私が実際にこの目で見た時は、竜ははるか上空をしばらく旋回しておりました。
距離もあったため、竜の詳細な姿を見た者は現状いないようですが、目測で十メートルを勇に超える大きさかと」
モンドリオの言葉に、クリームヒルトが眉をひそめた。
「そこまでの大きさ……ファフニールに迫るものですわ」
「ああ、東に向かったという竜はそいつかもしれないね……」
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ジークフリートとクリームヒルトが互いに頷き合うのを見ながら、俺は集落の方に魔力通信を飛ばす。
『――おいミド。お前、今朝辺りにフランケンとかに旅行に行ったか?』
問いに、少し間を空けてからミドガルズオルムの低い声が頭に響く。
『…………言っている意味が解らぬが、我はずっと森の中に居た。だいたいそんなことをすれば、王は怒るだろう』
それもそうかとやり取りを終えて思う。
対し、モンドリオとジークフリートたちのやり取りは続いていた。
「被害は? そこまでの大竜ならば……」
「いえ、ご安心を。実はフランケンにはたいした被害が無いのです。それこそ、驚いた住人が転んでしまった程度などで……」
「なんですって? 竜は襲ってこなかったと言うの?」
「はい、少しの間飛び回りながら、ほどなくして去っていきました。
…………問題は竜の行き先が北の竜の支配地ではなく、西という事です」
「まさか……!?」
「はい。王都ヴォルムトに向かった可能性もあるかと」
「っ! ただのワイバーン程度ならばまだマシだけど、ファフニール並となると重大だ。クリム、王の命を遂行していない形になるけれど、いいね?」
「ええ、かまいません。お父様も愚かではありませんわ。相応の理由がありますし、こちらを咎める事はないでしょう」
クリームヒルトの返しに、ジークフリートが頷いた。
「と、とにかく、お二人とも、私の高速馬車で戻りましょうぞ! あれであればここからフランケンまで半日かからずに戻ることも出来ましょう」
ヘルナル公爵お抱えのモンドリオは特別な馬――おそらく魔獣に近い種を使用した馬車を使用している。一般的な馬車であれば数日かかる距離も大幅に短縮できるのだろう。道路の整備状況的に乗り心地は最悪だと思うが。
「お二人がここまで使用した馬車は私の部下にフランケンまで戻らせます。まずは一刻も早く状況の確認を。って、サキト様ではありませんか!?」
今気付いたかー、と苦笑するが、それだけ切羽詰っていたという事だろう。
「どうも、お久しぶりですモンドリオさん。と言うか俺に構わず行って下さい。聞く限り大変な状況のようだし、フランケンのみんなが安心できるように一刻も早く二人を連れ戻してくれる方が俺もいいと思います」
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ヴォルスンドの勇者と姫騎士を乗せて立ち去る馬車を見送りながら、俺は思案にふけっていた。
フランケンに竜が現れた。しかし、何もせずに立ち去ったというのは妙だ。身内に同じ存在が居るからというわけではないが、竜については魔王時代にかなりの数を従えていたため、ある程度わかっている。
彼らは弱いものが居れば喰う。それは人間とて例外ではない。
「ミドはもちろん、他の三体だって森に居るし……となるとはぐれの竜か何かか……?」
それでも、街を襲わないのは妙だ。
ヤーガンを始めとした実力者たちを恐れて――という思考が出来る存在なら、そもそもうかつに単独で支配領域からは出ないだろう。
「謎だな……個人的には助かったからいいんだけど」
フランケンの事も心配にはなるが、モンドリオの言葉が事実ならば、竜の脅威は去っているだろうし、ヤーガン他ギルドメンバーとて居るのだ。住民の安全はある程度保障されているだろう。
どちらかと言えば、青年の最後の言葉が心に残っていた。
(『君が『サキト』だったのか……。その顔、覚えておくよ』――ね。まーた面倒事になりそうだー)
一つの線を見逃してた。モンドリオからヘルナル伯爵――いや、伯爵とは直接会っている。そこから領国会議とやらで俺の存在がヴォルスンド上層部に漏れていてもおかしくは無いのだ。
という事は、今回のような事が対ヴォルスンドで再度起きる可能性もある。
「急がないといけないか。人魔共栄統存国……その土台作りだけでも」
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サキトとジークフリートたちが再会を果たした頃、ヴォルスンド領空を飛行するものが居た。
「――――!!!」
翼を広げ、大気を切る存在が、周囲一体を竦ませる様な咆哮を行う。
竜だ。
かの存在は今朝方、フランケンという街の上空を旋回。ある程度その存在を眼下の人間たちに知らしめ、西に移動を開始した。
そこからここまで、各所に姿を見せては離脱するという行動を取りながらの移動だ。
その間、地上には一切降りずにいた。
そして、この先の一直線上にはヴォルスンドの王都ヴォルムトが存在する。
ジークフリートとクリームヒルトが馬車に乗り一週間かかって移動したその距離も、地形を無視した高速飛行の存在にはどうと言う事は無い。このまま飛行していれば一時間も経たずに王都にたどり着くわけだが、しかし、どういうわけか、竜は減速を開始した。
そのまま高度も下げ、竜はある山の頂上の降り立つ。そこはフランケンとヴォルムトの丁度中間。
この竜の目的は王都ヴォルムトの襲撃――――ではない。
否、正確に言えば、この竜を操る者といった方が正しいだろうか。
竜の身体、その表面は有機質な鱗で覆われてはいなかった。
その身体を覆うのは――――鋼。
身体の構造も、一般的な竜とは大きく異なっていた。
身体の一部に『ABF-01X GENESIS NOVA』という型式番号と名称らしきものが刻印されている。
そして、胸部に当たるであろう位置。そこが音を立てて可動したのだ。
一般に、コックピットと呼ばれるそこから降り立ったのは、一人の女だった。
彼女は竜から数歩移動しながら、両腕を挙げて身体を伸ばした。
大きく目立つ胸を反らせて言う事といえば、
「んー! やっぱり上の方は下よりも空気が美味しいですねえ。別に下の方が問題あるという訳では無いですが」
その姿はゼルシアと同じか、それ以上に端麗な容姿だ。街中であれば人目を引くだろうが、今ここには本人と鋼の竜しかいない。
と、そんな状況で女とは別の声が生じる。
『――確かに生物にとって余計な物が混じってない大気ね。この国は環境汚染するような要因が無いから当たり前だと思うけれど』
それは竜、というよりもその内部から頭に直接響くような女性の声。魔力通信だ。
「――――さてさて。お膳立てはしましたが、彼らは役立ててくれるでしょうか」
『というかジェネシス・ノヴァを出してしまって良かったの? またマスターってば後先考えずに行動してない?』
確認しているのか咎めているのかわからない言葉に女は半目でジェネシス・ノヴァの方を見た。
「なんですかそれ、私は何時だって将来を見据えてますよ? それに仕方がないでしょう。今、あの地で事が起こったら色々面倒です」
彼女は自分で言い訳をするように言った。そしてフランケンの方角を見据えながら、言葉を続ける。
「しかし、向こうの状況を確認せずにこちら側に来てしまいましたが、間に合いましたかね?」
『…………やっぱり後先考えてないんじゃない?』
言われ、女は動きを止めて、
「…………。ところでお昼ごはんまだでしたねー。あー、何食べましょうかねー」
『……私は好きよ? マスターのそういうところ』
「え、何の事ですか? 私よく解らないですー」
『あ、それはちょっとムカつく。というか、そんなに気になるならマスターも合流すればいいじゃない、いつものノリで』
竜内部から聞こえる声が女を唆した。
そんな提案に、女ははっとして両手を合わせた。
「それも良さそうですね!」
『……あら? 余計な事言っちゃったかしら?』
「いえいえ、彼の噂話を耳にした時からいずれ訪ねてみようとは思っていましたから。予定よりそれが少し早まるだけですよ」
言って、女はくるりと踵を返し、フランケンの反対側、ヴォルムトの方角を向く。
「一度、王都ヴォルムト近くで一騒ぎ――もとい、噂になる程度は注目してもらうつもりでしたが、やはり止めておきましょうか。フランケンからこの近辺までの間であれだけ騒ぎになれば、この国の要も警戒せざるおえないでしょうし」
『逆にこれ以上騒ぎになると本格的な戦いの火種になりかねないわ』
この国の人々が災禍に見舞われるのはこの者たちの望むところではない、と会話から伺える。
『それにフランケン側に防衛の配置が増えても面倒なのは確かよ。そうなるとフランケンから離れたこの辺りでもう少し姿を晒してから消えるのが一番良いかしら』
どちらにしても、この一帯の防衛は今より厚くなるでしょうけど、という追加の言葉に女は困り顔を作る。
「そこは仕方が無いですね。やはり、この辺りでお騒がせも終わりにしておきましょう。
帰りはステルス飛行でもよいかと思いますが、歩きでのんびりいくのもいいかもしれません」
『そこはまかせるわ。飛ぶにしても歩くにしても、私の方は疲労する訳じゃないし?』
「AIは気楽なものですねー。なんだったら人間の身体作ってあげましょうか? 機能にこだわらないのであれば、簡単な義体なら即席で作ってあげますけど」
『いやー、遠慮しておくわ。一度実体持つと変な癖が付きそうで怖いのよね』
そんなAIの言葉に、女は肩を竦めて息を吐く。
「そんなものですかね。それじゃあ、途中までステルス飛行、フランケンに近くなったら徒歩で行きましょうか。一応、私は町の外でクエストに勤しんでいるというていになってますし」
『そうだったわねー。まあ、いつもどおり、こちらはマスターにすべて任せるわ。何においてもだいたいどうにかなっちゃうのがマスターだし』
「褒めても何も出ませんよ?」
『褒めてないわよー。というかこういう役回り、私の仕事じゃない筈なんだけど』
「無いものねだりはダメですよ」
苦笑して言う女に、AIはため息をつく。
『はあ、それもそうね。あと、今後はジェネシスも出さない方がいいんじゃない? 魔力的な出力は大きいから下手をすると補足されかねないわ』
「そうですねえ。ぶっちゃけ、現状でも補足されるかとも思いましたが、そのような気配もありません。さて、相手側に何か不都合が起きたか、わざと泳がされているか――それとも、この国を覆う力が私たちに味方してくれているのか」
いずれにしよ、と女は続ける。
「機体の方は今回だけ例外で使っただけです。今後は今までどおりこの身一つで行動するので問題無いでしょう」
女が胸の上に右手を置いて言った。
『なら、私の方も極力は話しかけないようにした方がいいかしら?』
「うーん、その辺りは様子見ですかねー。とりあえず必要があればこちらから呼びますので」
『はいはい。それじゃあこの後はそういう予定で記録しておくわ』
声がそう言って、それ以上は何も発さない。あとはマスターである女が機体に戻るまで何も言う事は無いのだろう。
それを理解しているのか、機体から視線を外した。そして、もう一度フランケンの方を見た女は紅色の瞳を宿した目を細め、独り言を紡ぐ。
「さてさて、数多の勇者、数多の魔王が存在するこの世界で、勇者、そして魔王でもあった彼はどのような働きをするんでしょうね?」




