012.無一文魔人サキト、伯爵に昼食をご馳走になる
(―――しまったー!?)
俺は叫んだ。心の中で。
きちんとした文明がある人間社会で、貨幣制度が無い方がおかしい。
「どうした? 早くしてくれ、後ろがつっかえてるんだ」
受付の兵士が急かしてくる。
(くそ、どうする……!?)
俺たちが今とれる選択肢は、いくつかある。
一つ目。強行突破。これが一番無い選択肢だ。その後のデメリットを考えると馬鹿らしい。
次にあるとすれば魔法による催眠。だが、ここは目撃者が多い。これもほぼ無い。
三つ目。《工房にて》で懐の中で作ってしまうこと。銀貨二枚程度なら多少の魔力でどうとでもなる……のだが、ヴォル銀貨のデザインを知らないので、どのようなものを作ればいいのかがわからない。
だいたい関所なら、他国から入ってくる人間も多いのだから、為替とかあるのが普通だと思うのだが。不便だろう、常識的に考えて。
もしかしたら確認していないだけでそういう精度はあるのかもしれない。他国の金も持ってないけれど。
『サキト様、ここは一度離脱して対策を考えては?』
ゼルシアがささやいてくる。
確かに、それが一番よさそうだ。もう一度、他の兵士やらにヴォル銀貨以外で通行証を発行してもらえないか確認するとか。
そう思った時だ。
「おや、貴方様は……サキト様ではございませんか!?」
俺の名を呼ぶ声。
誰だ、と思うが、この世界において、俺の名を知っていて、かつ人間の町にいるような者は一人しかいない。
「―――モンドリオさん?」
それは、昨日俺とゼルシアが助けた商人。
駆け寄ってきたモンドリオに近づくため、自然な風を装って列から離れる。
「後ろの方はゼルシア様ですか? お二人ともご健在のようで。あの後どうなってしまったのかと、気が気ではありませんでしたが……」
「適切な処置はしましたから、大丈夫ですよ」
彼には、フラウは死んでおり、俺たちがその遺体を処理したという体で話さなければならない。
「それより、モンドリオさんたちは大丈夫でしたか? 一応、護身用武装は渡したとは言え」
「はい。サキト様に恐れをなしたのか、帰りは静かなものでしてな。あぁ、そうです。お預かりしたものをお返ししなければなりませんね」
言って、モンドリオが町のほうへ戻ろうとする。
「あ、モンドリオさん、ちょっといいですか!」
「む、いかがななされました?」
「実はですね……」
俺はヴォル銀貨の持ち合わせが無いことをモンドリオに相談する。
「これは大変失礼を! この辺りには最近着たばかりだと仰っていられたのに失念していました。しかし、そうですか……よし。お二方、少し私についてきてくださいませんか?」
「え、はい。いいですが……」
言って、モンドリオは先程俺たちを止めた兵士に近づく。
「やあ、お勤めご苦労様」
「ん? これはこれは、モンドリオさんじゃないですか。今日も外へ?」
「いやいや、少し用事でね。それよりこの方たちのことなんだが」
兵士がこちらを一瞥した。
「この者たちは……通行証を持っていないと言っていた外国人ですか」
「ああ。それで、ここだけの話なんだが。
実はこの方たちはヘルナル様に御呼ばれしていてね。手違いで特別通行証が発行されていなかったんだ。仮ということで、私に免じてお二人を町の中に入れてもらいたいのだが」
「は、伯爵閣下のお客様……!? こ、これは大変ご無礼を!」
兵士のこちらへの態度が一変する。
「そんなに慌てずとも大丈夫だよ。ヘルナル様へは私のほうで事情を説明しておく故、君たちはこのまま警備を続けてほしい」
「わ、わかりました。他の者にも伝えておきます!」
兵士が一礼して、門の警備をしている他の兵士の元へ走っていく。
「よし、これで大丈夫ですぞ」
「……いや、いいんですか? 俺たち、そのヘルナル伯爵に呼ばれた覚えは……」
無い。完全にモンドリオの作り話だろう。
「いえいえ、嘘と言うわけではないのですよ? 実は昨日、町へ帰還した後、諸々の報告をヘルナル様にお伝えしたら、命の恩人を何故そのままにしたのか、とお叱りを受けましてな……」
あとは事後承諾でも大丈夫でしょう、とモンドリオがニヤリとする。
「はあ、こちらとしてはありがたいですが……」
「ただ、一つ。大変申し訳ないのですが、お願いを聞いて頂いてよろしいでしょうか?」
「伯爵閣下に会え、ということですかね」
「ご明察でございます。ああ言った手前、事実にしておかなければなりませんので」
納得はいく。
聞いた様子だと、こちらに対しての伯爵の評価は悪くはないようだ。この町で動くにしても、最高権力者の知り合いとなれば、プラスに働くこともあるだろう。
「それじゃあ、俺とゼルシア。ご招待に預かりましょう」
●●●
ヴォルスンド、北東の町フランケンを中心とした領地を預かるヘルナル伯爵の屋敷。その応接間で少し待たされていた俺とゼルシアは、メイドに連れられ、食堂に案内された。
時間がちょうど昼時、しかもモンドリオに昼食は取っていないと伝えてしまったからだろう。
食堂に入ると、そこには数人のメイドたち、モンドリオ、そして、
「よく来てくれた。君たちがモンドリオを賊から救ってくれた青年と少女か」
部屋に入るなり、一人の中年男性がこちらに近づいてきた。
これがヘルナル伯爵、その人だろう。
「はい。サキトと申します。こちらは妻のゼルシアです。本日はご招待いただき、恐悦至極にございます」
俺は深く一礼し、ゼルシアもそれに続く。
「礼などいらぬよ。むしろ、それはこちらがしなければならないものだ。まずは昼餉を取ろうじゃないか」
頷いた俺とゼルシアはメイドに導かれるままに所定の席に座る。
眼前には豪華な食事が広がっていた。伯爵家とは言え、昼食でこの規模は相当ではないか、と推測する。
「実を言うと普段はもっと質素なのだがね。私の部下たちと、ひいては友人を救ってくれた者たちが来たというのだ。急いで作らせたものだが、味は保証する。どんどん手に取ってくれたまえ」
言葉をかけられて、すごいなという感想が出てくる。
関係者の命の恩人とは言え、こちらは身元もわからない旅人だ。それを伯爵という貴族階級が家に上げて飯までご馳走するとなると、何らかの罠か、元々の人柄の良さのどちらかしかない。
『―――簡易検知では、毒など無いようですね』
ゼルシアが告げてくる。
『まあ、ここで俺たちに毒を盛る意味もわかんないしなー。それに毒ぐらい、俺たちには無意味だし』
これまた俺のスキルの一つに《進化する者》から作り上げたスキル:《最適化》がある。毒などの状態異常や病気にかからないと言う便利なスキルだ。副作用として、歳を取らない―――つまりは不老となってしまったわけだが、魔王時代に人間としての年齢事情は既に吹き飛んでいるようなものなので、今更である。ちなみにこれはゼルシアの身体にも、スキルのサブマスターという体で、有効化されている。
「それでは、お言葉に甘えて」
食器を手に取り、ナイフで刻んだ肉を口元に運ぶ。
「……うん、美味しい」
これもまた異世界事情あるあるではあるのだが、世界や国によっては食事が本当に味気ないところがある。
素材の味を活かす、等と言えば体は良いだろうが、何事にも限度はあるのだ。そして、まずい食事は俺は我慢なら無いので、今までの世界でも結構苦労したものだ。魔王とかそんな食事はいらなかったのに。
どうやらこの世界のこの国は調味料含め、味付はきちんとしているらしい。
「ここ数日は謎の肉と果実だけだったからなー、それもブーストしてそう」
「そうですね。こうした食事も久しぶりです」
前が魔王生活だったことも加味すると、本当に久しぶりではある。
「……ふむ、若いというのにかなり苦労をしているみたいだな。否、武の修行の旅をしているというのならば、それも当たり前のことかね?」
「そうですね……でも、食事ぐらいはちゃんとしたいものですけど」
極論を言ってしまえば、俺、ゼルシア、ミドガルズオルムは食事をとらずとも、魔力を取ることで代用可能なのだ。つまりはただの欲求の一つ。
とは言え、俺の人間の部分はそこのところ大事にしたいようなので、できるならば、美味しいものが食べたいし、ゼルシアにも食べさせてあげたい。
「そうか……モンドリオから聞いた話だと、今はあの要衝地にある森に居を構えているらしいが?」
ヘルナルの表情が少し硬くなる。あの辺り一帯の事は、彼にとって悩みの種でもあるのだろう。
「……はい、その通りです。昨日一日であの辺りの事情は把握しましたが、それでも、しばらくはあの地に留まるつもりです。剣の鍛錬をする上で、人気が無いのは好都合ですから」
「―――前途ある若者だ。この町での居住を勧めたいのは、私の領主としてのわがままか」
人間として暮らすのならば、断然町のほうが良いのは決まっている。だが、こちらはそんな単純な状況下でもない。
「お言葉だけでもあり難く頂戴いたします。
……その代わりと言ってはなんなのですが」
俺は食器ナイフを置いて、ヘルナルの方を向いた。
今、直面している問題が一つある。否、問題だらけではあるのだが。
「こんなことを伯爵閣下に伺うものではないと自覚はしているのですが……この国での資金の確保をどうしようかと考えておりまして。何処か、日雇いの仕事か、もしくは物品を買い取って金銭に換えてくれる場所とかはないでしょうか?」
三つの世界を制してきた者として、かなり情けない事ではある。別に魔王っぽく略奪も視野には入れることは可能だが、敵を作ることにはなる。
地固めができてない今、それを行うのは危険だ。
俺の言葉に、ヘルナルがモンドリオと顔を見合わせた。
「金に困っているのならば、ギルドでクエストをこなせばよいだろう。モンドリオの話では、君は相当の実力者なのだろう。現時点で討伐クエストがあるかはわからないが、それでも稼ぐことはできるはずだが」
「ギルド、ですか……?」
(……ギルドありの世界か)
世界によって、その形式や規模、または存在の有無が異なるので、この世界にあるかはわからなかった。
「ふむ、冒険者ギルドを知らないのか。一部の国を除き、全国に普及している制度だと思ったのだが」
「―――中々人里には立ち寄らなかったもので……」
「そうか。ならば、モンドリオ。この後、サキト君たちをギルドのほうに案内してあげなさい」
「かしこまりました、旦那様」
こうして、伯爵に昼飯をご馳走になった俺たちは、無一文から脱出するために、冒険者ギルドに向かうことになったのだ。
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