第三十四話 吐き出してみた。
マイが過去を打ち明けた喫茶店を後にすると、マイが今日まで過ごしてきたマイの自宅に案内してもらうことになった。
この町には旅館もあったのだが、長いこと旅人が訪れなかったせいで開店休業状態だったらしい。
『あー、ごめんねえ。長いこと旅人さんが来なかったもんだから、今のお部屋はホコリを被っていてねえ』
『そういうことなら私の家にご案内します』
『本当に? なら助かるわねえ』
その間何故かマイと旅館の女将がアイコンタクトしていたが、触れないでおこう。
俺たちの来訪を知っていたはずのマイが周囲にそのことを一切話していないというのは考えにくいが、気にしない気にしない。
「うお」
「すごーい!」
「これは豪邸だねえ」
『ぷるッ!(でっかい!)』
そして招かれたマイの家は軽く豪邸。
もしかしたら転生建築者が立てたとのかもしれないと思うほどに、大きなテラスと三角屋根などを用いた立派で完成度の高い二階建ての豪邸だった。
かつては富豪の別荘だったそうだが、富豪が手放したのち売りに出されたものの旅人が来ないので買い手が付かず、結果この町に来た最新の住民だったマイが買ったそうである。
そんなこの家も旅立つと同時に二束三文で売るらしい、最低限の旅資源などあればいいとかなり安い値段で手放すことを決めていたようだ。
「そこそこキレイにしていたつもりなので、明日の旅立ちまで各自お過ごしください」
マイの言うそこそこの基準はわからないが、まるでホテルの一室とばかりにベッドメイクが行われた各室を周って見た。
この世界に来て一番の寝具、というよりも現実における「ビジネスホテル」の比ではないもっと豪勢な作りをしている気がする。
もちろん豪邸故に何十部屋もあり、基地局ともに電気が発達していることや家電が転生者によって持ち込まれたことで、中は現実の世界と遜色ないものとなっていた。
トイレはもちろん温水洗浄便座、この町でさえ上水道・下水道完備というのだから転生者もとい先駆者が徹底的に整備したのだろう、魔法も一部活用しているとの町民曰く。
そんな各種インフラは”結界”などを用いて長期にわたって維持されているようだ、その上この町の住人に機械などの各種ノウハウも授けたというのだから完璧だ。
医療に関しても治癒魔法は代々受け継がれ薬の原材料なども栽培されており、この町で完結する程度に農耕や畜産もあることで、いよいよ自給自足の町となっていた。
だから外界と隔絶されてもこの町は完結していてやっていけている、もっとも近い将来の少子高齢化でどうしても住人は減っていくかもしれないが、そこを町民は問題視していないようだった。
現実と何ら遜色のない町、むしろ魔法が使えて便利なぐらいと言っていい。
そんな町でマイは十年もの間過ごしてきた、こんな快適な町にして快適な家を本当に手放していいのだろうか。
夕飯はマイが振舞ってくれたのがメインの和食と作っていたというからあげ。
マイの和食は以前から絶品で、料理の達人と名高い俺の姉貴と和食では張り合うレベルで上手だった。
さらにからあげも、なるほど醤油を用いた和風からあげで、さっぱりながらもとてもうまい。
異世界での醤油の調達は難しいだろう……と思ったがマヨネーズがそこそこ普及しているのを思うとどうなんだろうか。
お風呂も大浴場レベルで、男女別に分かれていた。
この日の為に掃除をして湯をはったのだろうか、いくら俺たちが訪れるのを予知していたにしてもいたれりつくせりな気もする。
身体を癒しにはありがたいことなものの、ここまでされると気負ってもしまう。
そしてマイが俺の想像よりも俺たちの訪れを待っていたのではないかと、ちょっと邪推の類をしてしまうのだ。
夕飯前に買い出しは終え、夕飯を終えて少しして風呂に入る。
<ゼクシズ>の大衆風呂以来の風呂かつ、男湯は自分ひとりということで落ち着いて安心して肩まで浸かれた。
……正直女神様がうんたらかんたら言わなければここにミユたちと永住したいんだが。
もっとも他の転生しているかもしれない俺の知り合い……というか元カノ達を探すことについては、どうするか考えなければならないが。
だから俺たちの旅立ちと引き換えに、マイはこの町で過ごした町民との関係も家も手放すことになる。
それが本当に正しいことなのかを勝手に考えてしまっていた。
「ユージロー様、湯加減はどうですか?」
「ああ、ちょうどいいよ」
そう、これがまた日本人好みなんじゃないかというちょっと熱めのお湯で、温泉を引いているのかちょっとした硫黄の匂いと身体がポカポカとする感じ。
まさしくこれは温泉なのではない、か……?
「では私も失礼して」
「失礼してじゃないんだが!?」
そうして俺の隣に入ってきたのは――
「ふぅ」
俺が先ほどまでもくもくと考えていたマイその人だった。
ちらりと見えた赤みがかった肌色と、細くも丸みを帯びた肩から首のラインに思わずビクっとして、目を背ける。
「大丈夫ですよ、水着着てますから」
「なーんだ、なら問題はない……あるんだが!?」
よりにもよってスクール水着でございますよ!
俺のギャルゲー主人公の設定として、どういうわけか印象的にして、創作者の趣味なんじゃないかと思うほどに突拍子もないものとして俺にはスク水好きの性癖があった。
そうそうこの体のラインをまるで隠せない、艶消しの紺色がまた――ぬああああああ!
「ユージロー様、お好きでしたよね」
「ぐ、ぐぬう」
ぐうの音も出ない、設定が悪いんだ設定が!
それにマイ自体のプロポーションがとてもいい、というか前世の時点で胸部装甲が同世代比較でもえげつなかった!
それが十年の時を経てちょっと熟れてみろ……最強かよ! なんかこう少し無理してる感というか、きっつい感じが逆にそそるというか……どうしてしまったんだ俺の性癖は、なんだかんだで野宿の際にふと見たミサさんの微妙に警戒心のない寝顔、というか微妙にはだけ気味な寝相で俺の性癖が目覚めさせてしまったのだろか。
と、内心ドキドキバクバク素数とか数えればいいんだっけ、とか考えていると――
「……ちょっとお話いいですか」
内心まさかここでラッキースケベ的なイベントが起こるのでは、いや俺にはミユという大事な人が……などと浮かれていた俺を一瞬で冷静にさせる。
マイはこの世界で再会してから一番の真面目トーンで俺に問いかける、かつ俺に視線を向けるもどこか不安な瞳をしていて、それで――
「ああ、聞くぞ」
俺だっていくらか真面目に出来る、マイが真剣に話すというのなら――ああ、でもスク水が視界に入っちゃうんだこれが!
あれ?
その時俺がふと目にしたマイの背中は、水着のデザイン的に少し空いたところから健全な肌色を覗かせていた。
別にそれがおかしいことではない、健全であることはいいことだし、何の問題もない――”治る”に越したことはない。
「ええと……”あの傷”はこの世界ではないみたいです」
「……そうか」
そう苦笑する俺の元彼女にして、ギャルゲーのヒロインだった彼女こと姫城マイと、今の今まで単純に話しているものだとこれまで思っていた。
しかし彼女もまたこの世界で産まれ、姫城マイに”似た”容姿とマイそのものの人格や記憶を宿した人であって、決して完全なる同一人物ではないことを知る。
彼女の背景を語る上で欠かせなかったその傷がその背中にはなかった、そんな傷があった場所をマイは複雑そうな表情で手でさする。
「私は”あの私”なんでしょうか。それとも見た目だけが似ていて、記憶だけがそれっぽいだけの別人なのでしょうか」
「…………」
ないにこしたことはない、実際その傷を気にして彼女とすれ違いがあったこと思えば、あることが良いだなんて絶対に言えない。
ただ、それを要因にして自分が記憶の中の自分と同一人物であるか、証明することを難しくしていたのかもしれない。
「私は本当に、ユージロー様の彼女だったのでしょうか」
「ユージロー様が本当に私と付き合っていたのでしょうか」
「私はゲームの登場人物でしかなかったのでしょうか」
「それもこれも作られた記憶なのでしょうか」
一人で真実を知った時、少なくとも俺は死にたくなった。
だが死ねなかったし、結果的には死ななくて良かったと思う。
それはミユと再会できたからで、そしてアオやマイとも再び出会えたことも本当に良かったと思う。
だがマイは――
「ずっとずっと考えていました」
「占って、予知をして、十年の歳月を経てユージロー様と再会出来るということを知ったあとでも、心から信じることは出来ませんでした」
「確かに占ったことは現に確実に起こりましたし、そんな偶然で片付けられないような事象が続いたのです。そうして、ちゃんと自分の力が確実であることの証明を補強していっても」
「やっぱり本当のところ、ユージロー様と会えるのか、不安で仕方なかったのです」
「十年というのは長いものです、過ごしやすいこの町でずっと過ごしてきましたし、良くしてももらいました」
「それでも私の生きる糧と言われればユージロー様とまた会えることであって、ここで過ごせること自体は正直どうでも良かったのです」
「そうしてユージロー様と会えることだけを心の支えにして生きてきました」
「ただ会えたところで創作物でしかない私がユージロー様に会っても認識してもらえるかどうか」
「もし、もしもユージロー様が来なかったら私はどうなっていたかわかりません」
「そんな可能性を考えた時、転生してすぐに自殺を試したのが失敗だとわかりました」
「既に私は死ねないことを知っているのですから、最後に死を選んだとしても救いのないことをわかってしまっていたのです」
「色々考えて、不安になって、悲しくなって、寂しくなって、待つ時間はただただ苦痛で辛いものでしかありませんでした」
「だから私は……私は……」
一人だった、マイはこれまで一人だったのだ。
「わからなかったんです……自分がどうして生きているのか」
俺にはミユがいた、それでお互いの存在証明をすることができた。
しかしマイはこの町にたどり着いたころには最後の旅人にして最新の住人になっていて、以降俺たちの世界の住民と会うこともなかったのだろう。
だから自分が何者であるかを証明することができない、自分が「姫城マイである」というのはそれでこそ自称するほかなかったのかもしれない。
それが十年続く。
自分が本当は人間ではなくゲームのデータで、そして同じゲームのキャラクターと出会えるのは十年後と聞かされて、何も思わないなんてことありえなかった。
そこまで感情を露わにする性格ではないマイにしても、不安をため込み続けるには十分すぎる時間があった。
それを今、ほんのわずかでしかなくてもこの時間この場所でようやく打ち明けることができたのだろう。
想像するだけで気が狂いそうになる、俺にとってミユが隣におらず異世界に一人放り出されたら……俺は正気を保てていただろうか?
「ごめんなさい、言っていて意味がわからなくなってきました。こんなこと話されても困るだけですよね、だから今のことは忘れ――」
「マイ」
言いかける前に彼女の名前を、出来るだけ優しい口調を心がけるようにして言った。
マイのこれまでしたことは凄かったのだ。
十年もの間不確定な俺の存在を待っていてくれたこと、信じてくれたこと、諦めなかったこと。
だから俺は――
「よくがんばったな、マイ」
「っ!」
そうして正解かわからないにしてもマイの頭を撫でる、マイは不意打ちに身体を震わすが拒絶の意思はないようだった。
風呂にしてスク水を着たマイを、湯舟に浸かっているとはいえ全裸の俺が撫でる光景は正直わからない。
……が、マイとしては二人きりになって間近で話せる場所はここぐらいしかなかったのだろう。
水着を着て最初はちょっと茶化したのも、心を整える為の時間稼ぎだったかもしれないわけで――
「俺を待っていてくれてありがとうな」
「信じてくれてありがとうな」
「諦めないでいてくれて……ありがとうな」
頑張って頑張って頑張った、そんな彼女を褒められなくて誰が彼氏を名乗れるものか。
もう四の五の言えないだろう、元カノとかだなんて甘えた予防線はとっくの昔に捨てるべきだった。
俺にとってマイは掛け替えのない一人の女性にして、異性にして、彼女だったのだから。
「あ……ユージロー様……ユージロー様あああああああああああ」
「がんばったなあ、がんばったなあ」
浴場の中だからと声をあげさせたくもなかった俺は自分の胸を貸した。
マイは子供のように十年もの時間待ち続けていたことでたまりにたまった色々なものを吐き出すようにして泣き続けた。
そんな彼女を抱きしめる、抱きしめるが、あれ……?
「…………ユ、ユージロー様!?」
そうだった、ここ普通にアツアツな風呂だった。
マイほどはきっと熱いお湯慣れしていない俺は、ここにきて情けないことにのぼせてしまったのだった。
かっこわりぃなあ、ほんと!
* *
「っ」
「起きましたか?」
火照った身体に目を覚ますと、温泉旅館でありそうな浴衣姿で髪をポニーテールに結わいた心配そうに俺の顔を覗き込むマイの姿があった。
どうやら俺は自分の借りた部屋のベッドに寝ていたようだった。
そういえば俺はさっきまでマイと風呂に入っていて、マイの”本当の気持ち”を聞いたところでのぼせてしまったのだった。
「……マイが運んでくれたのか?」
「はい、その……それと服は着替えさせてますので……きゃっ!」
マイが俺を運べたのは魔法か何かを使ったのかもしれない、それとも俺を持ち上げることぐらい造作のないレベルで十年もの間で彼女も強くなっていたのか。
というか着替え済みってことは俺の息子様も視聴済みということなわけね……おはずかしや! そんな俺の考えをくみ取るようにマイは自分の唇に指をあてて――
「もちろん皆様に気づかれないようにお運びしましたので、私しか知りません」
「……あ、ありがとう」
二人だけのナイショです……と言わんばかりにマイは微笑んだ。
な、情けないよ俺は!
こんな男の為に十年も待たせていたと思うと本当に自分が悲しくなるよ!
「ごめんなさいユージロー様」
「いやいや、なんでマイが謝るんだ」
「……本当はあそこまで話すつもりはなかったのです。ちょっと二人きりの時間で、ちょっとお話出来ればいいな、ぐらいに思っていたのです」
「マイ……」
生前ヤンデレ風味が入っていたとはいえ基本的に優等生にして、根っこは常識人で、性格もクーデレ気味な彼女が選んだ行動としては確かに珍しかったのだ。
だから彼女の言うようにイレギュラーなことだったのかもしれない、自分の想定していないやり方だったのかもしれない。
「でもダメですね、いざ話してしまうと……甘えてしまったのです」
「それの何が悪いんだ。男の……”彼氏”に彼女が甘えて何がいけないんだ」
「…………」
少し照れ気味に言ったことに対して、ぽかんとした表情のマイ。
あれ…………彼氏、ではない?
ええ、じゃあ俺ってなんなんだろう!? もうわかんなくなってきたぞ。
「……もう一度仰っていただけますか」
「え?」
「私はユージロー様にとって、どういう存在なのか――」
…………すっごい真剣な面持ちでそう聞いてきたら、もう一度改めて、ちゃんと言うしかないじゃん!
「……俺にとってマイは! 前世から変わらず俺の彼女であって! ……今も愛している女性だ!」
「ユージロー様っ!」
そういうとマイに抱き着かれてしまう。
いやその抱き着かれるとですね、浴衣越しの凶悪な胸部装甲がですね…………。
「嬉しいです、十年経っても……いえ、他の女性とお付き合いしたあとでもそう言ってくださるなんて」
「う」
ゲーム……というか俺たちにおける現実で俺とマイ、もといほかの彼女たち含む俺と女性とはそれぞれの世界で付き合ったことになっている。
一応何股とかいうことではないにしても、今の彼女らの認識からすると俺はとっかえひっかえ野郎に思えても仕方ないのだ。
意図したわけでもなく、当時は意識さえないとはいえ、それを言われると耳が痛いのが現状だった。
「責めてなんかいません。私のことを今もそう思ってくれたことが純粋に嬉しいのです」
「マイ……」
彼女は前世付き合った間にも成長をしたし、十年もの間で精神も成熟しているのだろう、寛容で穏やかな彼女がありがたい。
……だからと言っても、俺は言わなければならないことがあった。
「マイ、さっきはゴメンな」
「ユージロー様が謝ることなんて――」
「ここで身を固めたとか言って、無神経だった。申し訳ない」
「いいえそんな! …………でも少しだけムカっと来ました」
「ごめんなさい」
マイが”ムカっとくる”という言葉自体口にしたことに驚いた、というかかつてのマイはキレたらヤンデレ方面に振り切れるイメージだっただけに……とにかく驚愕だった。
「冗談ですから! 私の方こそ謝らせてごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
「俺の方こそ申し訳ない!」
今思えばマイの”婚約指輪”ならぬ”先約指輪”も”先行結婚式”も彼女が十年もの間で、俺との繋がりをどうにかして形として残そうとした結果なのかもしれない。
マイがこの町を旅立つその日への町民への根回しなども含めて、それと同時に十年も一人で過ごす為の精神安定剤として選んだのがその行動だったと俺は勝手に考える。
彼女は無茶苦茶なことをやっているようでいて基本筋が通っていることをする人であり、そう考えれば妄想先行型と思っていた行動も理屈にかなう、納得だ。
ともかく双方謝りあうという謎の光景を経て――
「ええと……こんな俺で良ければ改めてよろしく」
「こちらこそ! 末永くよろしくお願いしますユージロー様!」
目元に少しの涙をためて言う彼女は、俺より年上なのも手伝ってか美しく見えた。
こうして俺とマイの時間は再び動き出したのだった。
ミユ「――ユウ兄が女子とイチャイチャしてる予感!」
スラスラ『浮気ふうみ』




