5.破裂の朝
今朝は目が覚めるのに任せて覚醒できた。
夢を見なかったことに、雄飛は布団の中で安堵の息を吐く。
昨日一昨日と連戦続きで、まだ身体がくたびれていた。
意識も半分まどろんだままで、あんまり心地いいから寝直そうかと強烈に思う。
なんだか温かくて気持ちがいい。
いい匂いもする。
桃源郷を思いながら、ふと、雄飛は気付いた。
ともに毛布に包まった、自分の腕の中のものに。
「……は?」
眠気などひとたまりもなく吹っ飛んだ。
くっついて眠っている、恋理。
恋理。
「……んん…………」
「は?」
薄く開かれた彼女の唇からは、すぅすぅと穏やかな寝息が聞こえる。
互いに足が絡み合い、まさしく密着。やばい、めっちゃ柔らかい……。
「な、は? は? はぁ!!?」
「んぅ……?」
雄飛の身じろぎに恋理も目を覚ましたらしく、その隙に彼は何とか布団を脱する。
そして彼女が半身を起こす間で、壁まで這うようにして後ずさっていた。
「お、ま、え! 何してんだぁ!!」
「もう、あさ……?」
呑気に欠伸を漏らしながら伸びをする恋理に、怒りすら覚える。
言いようのない羞恥で耳まで真っ赤にした雄飛は、そういえば猪野村は? と部屋を見回すが、何故だか後輩の姿はない。
「恋理、何考えてんだっ! お前、いつの間にっ? どういうつもりでっ」
徐々に起き抜けていく恋理は、同時にどんどん表情を険しくしていき、じぃいと雄飛を睨む。そんな覚えはない彼は、また憤慨するが、構わず。
「雄飛。夢、見なかったの?」
「あぁ!?」
「そう。見なかったのね」
「お、おい、」
毛布を脇へやった恋理が、膝立ちで近づいてくる。
その剣幕。
はだけた寝間着。
これ以上は下がれない雄飛は、あっさりと追い詰められていた。
恋理の両手に顔を包まれた。頬に触れる指が艶やかで冷たくて、ぞくりとする。
近づいてくる彼女の顔、唇。
情けないことに雄飛は、少女一人押しのけることも出来ず、されるがままだった。
「~~~っ!!」
自らの唇で、彼女の吐息がほんの数センチ先にあることを知る。
と、思ったら。
額に衝撃が走った。
「――いっっっってぇ!」
星が舞う。恋理め、頭突きをかましてきやがった。
しかもそのまま離さず、彼女はさらに額に額をゴリゴリとこすりつけてくるのだから。
「ずるいんだよぉーっ! 夢よこせぇーっ!」
「いでででででで! やめろ、離せ!」
押し合いへし合い。
しばらく揉み合いがあり、ようやく離れたときには二人とも肩で息をしていた。
「お前ぇ……マジなんなの?」
「なんで夢見ないのよっ! 昨日も一昨日も見たんでしょ! 今日も見なさいよ! けちっ!」
上目遣いで睨んでくる彼女に、雄飛はイライラを必死で抑える。
ちょっとずつ合点がいってきた。
つまり、こいつ、
「オレの夢が見たかったわけ? だからこんな馬鹿なことしたのか?」
というか同衾すれば夢を共有できるって、どういう理屈だろう。
しかし恋理は大真面目らしく、目論見が外れたことに涙すら浮かべている有様である。
「雄飛はずるいんだよ!」
「……なにがぁ」
「私だって、私だって、そんな風に書きたいんだよ! 寝るのも食べるのも忘れて書きたいのに!
でも出来ない! 何で私は! 途切れちゃうのさ! なんで雄飛だけが出来るのさ! 特別な夢なんてもの持って!」
そんなことを言われたって困る。
雄飛にしてみれば書きたくて書いているんじゃない、苦しいから書いているだけのことだ。
出来ることなら睡眠も食事も抜かしたくはないし、出来ることなら――書きたくだって、ないのだ。
「………好きでこうなってんじゃねぇよ」
それは紛れもない本心だが。
悪いことに、物書きとしての臨界のような彼の姿に憧れる恋理からすれば、ただ嫌味にしか聞こえない。
「それがずるいって言うの! 好きでもないくせに才能だけ持って! いらないんだったらちょうだいよ!」
「――うるっせぇ勝手なこと言いやがって!」
ついに雄飛もぷっつりと切れてしまった。
頭で考えるより先に口から言葉が飛び出して……いや、彼女をより傷つける言葉を選ぼうと働いている頭が確かにあって。
「やれるもんならくれてやるっての! 本当だったら書きたくなんかねぇんだオレは! 能天気に楽しくやってるお前に分かるのかよ! こんな呪いがなけりゃオレは好きに人生を選べたはずなんだ! もっと好きなことを探せたはずなんだ! 書くために無駄にした時間をもっと別に使えたはずなんだ! 無駄にした時間を! 好きなことに!」
激情は反吐のようなもので、途中では止められない。
ひとしきりを言い終えてから、雄飛はようやく恋理の涙目に気付いた。
「…………っ!」
唇を噛んで部屋を出て行く彼女。
雄飛は、感情の残滓のようなもので胸がぐしゃぐしゃであり、乱暴に頭を掻く。
「あぁ……くそっ」
やっちまった。
自分が悪かった、とは思わない。けれども良かったはずもなくて、どうしたら正解だったのかさっぱりで、つまりはちっとも冷静でない。
恋理を泣かせてしまった……とにかく後味が悪くて死にたいくらいだ。
「あのー、先輩?」
部屋を覗いている、猪野村。
「入ってもいいっスか?」
雄飛はもう、射殺さんばかりの目つきだ。
「イノ、てめぇ、どこ行ってやがった」
「いやそんな、睨まんでください。仕方ないじゃないっスか。部長に頼まれたんスよ」
というかほとんど脅しだったという。
昨晩に猪野村の襟首をつかんだ恋理は、とても正気の目ではなく、また有無を言わせぬ調子であり、後輩の身では言う通りに一夜を納戸で過ごすしかなかったと。
「めっちゃ怖かったっス、昨日の部長。刺されるかと思いましたもんマジで」
「そりゃあ……災難だったな」
「っスよ。先輩だけいい思いして」
「あぁ?」
「ちゃんと避妊しました?」
「殺すぞ」
冗談ス、と苦笑いした猪野村は、宥めるように掌を見せる。
「まぁまたいつもの、部長の奇行ですかね。あの人と峰岸先輩がくっつくってのも、あんまイメージ湧かないですし」
何故だか分からないが、後輩のその言葉にはむっとした。
「なんだよそれ。オレと恋理じゃ変かよ」
「え。先輩、部長のこと好きなんスか?」
「別に、そんなんじゃねぇけど」
不思議そうな顔で猪野村に問われ、雄飛は顔を背けてモゴモゴと口ごもる。
実際、好きかと言われると……どうなんだろうか。今この瞬間は特に判断が付かない。
まぁ、憎からず思っているし、感謝していることもたくさんあるけれど。
「はぁ。てっきり先輩は、松丸先輩とだと思ってました」
「松丸ぅ? なんで」
雄飛にはそれこそ意外な意見であったが、猪野村は「なんでってこたぁないでしょ」と返した。
「だって先輩、松丸先輩と話すときの方が気安そうだし。部長は部長でたまに先輩のこと、親の仇みたいな目で見てるときあるし」
聞き間違いかと思った。
親の仇? 誰が? 誰の?
「……あいつ、そんな目してんの?」
「たまにですけどね。っていうか部長、先輩のことライバルだって公言してますし。
え、知らなかったんスか? あの人、作品書く時はいつも、峰岸先輩を超えるんだって、仮想敵にしてんスよ?」
「……全然知らなかった」
愕然とする。
自分の書いたものが、あの少女の中ではそんなに重大だったのか。
己の綴った物語が、そんな風に誰かに影響するなんて。雄飛はこの瞬間まで考えたことはなかったし。
また依然として、実感もないのだった。