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4.天才の真贋

 くっきりと月の出た、見事な夜である。

 周囲には街灯が(とぼ)しく、星の(またた)きは触れられそうなほどに濃い。


 夕食を済ませた文芸部の面々は、いよいよ目的であった、湖へと繰り出した。


「うわぁーっ! すっごいねぇー!」


 恋理が声を上げ、興奮のあまり手にした懐中電灯をブンブンと振り回した。


 夜闇のただ中にある湖は真っ黒な水を静かに(たた)え、本当にインク壺のように見える。

 周囲を囲む鬱蒼(うっそう)とした林は、今は重たく眠っているが、時折(ときおり)吹く風にさわさわと(ざわ)めいた。


「うーん、月が出てなければ完璧だったのになぁ」


「いや、十分だろ。……ってか暗すぎ」


 雄飛は自分の懐中電灯で、恋理の足元を照らした。彼女ときたらとんと無警戒で砂利の上を、(ろく)に見えないのに、ぴょんぴょんと跳ねるように歩くのだから。彼の方が気が気でない。


「水際がわかんなくて怖ぇ……。おい気を付けろよ恋理!」


 と言った本人がつまずいた。

 あわや、というところで風華が手を貸してくれる。


「大丈夫?」


「悪い。助かった」


 殿(しんがり)にいる猪野村が一番へっぴり腰である。常に周囲に灯りを向け続けて、怖々、恐る恐る。


「なんか……出そうな雰囲気ありません? 河童(かっぱ)とか」


 恋理が目を輝かせて振り返る。


「いいねいいねそれ! 猪野村くんさ、次はそういうの書けば!?」


 湖の(ほとり)に、四人で並び立って、鏡のようにまっさらな水面を眺めた。

 周囲には他に誰もいなくて、世界がこの文芸部だけになったみたいで、本当に他に誰もいないことに雄飛は首を(かし)げる。


「あれ。結愛さんは?」


 恋理が肩をすくめる。


「後から来るってさ。食べ過ぎたみたい」


「あぁ……」


 もう一度、沈黙。

 誰もが湖面に魚の陰を探すけれども。

 深いところで眠っているのか、それともこの文芸部員たちでは才気が足りないのか、波紋が立つことすらなかった。


「――インク壺の底でしか、生きられない魚がいる」


 静かに、恋理が(そら)んじる。


「それに気付いたのは、手前味噌ながら、私が書き手として十分に熟達した時だった。

 インク壺の底には、魚が住んでいる。そこでしか生きられない魚が。

 この美しく冷たく、宝石さながらの鱗を纏った生物は、私がペン先を近づけると稀に口づけをくれて。

 ――その稀こそが、私の書き手としての力量そのものなのだけれど。

 キスに濡れたペン先から墨が乾くまでは、筆の乗りはひとしおである。」


 (よど)みなく、明朗に(つむ)がれた一節に、雄飛は素直に感心した。


「よく覚えてるなぁ。本当に好きなんだな」


「そりゃね! 私もほら、魚住だから!」


 だから何だよ、と皆で笑った。

 しゃがんで膝に頬杖をついた風華が、湖から目を離さないままに問いかける。


「で。こうして文聖がモデルにまでした場所に来てるわけだけど。どう? 何か書くもの、閃いてる?」


「んっふっふっふっふー。完・璧! 今度こそ世紀の傑作だよ!」


 恋理は自信満々に不敵だ。

 対して猪野村はそう順調でもないようで、頭を掻いている。


「あー……どうしましょうね。本当に河童の話、書きますかねぇ」


「峰岸は?」


「オレは……」


 風華に見上げられ、雄飛は口ごもった。

 今朝見た夢、地蔵の首を()ねる虚無僧の夢。あれはほんの一場面だった。エンディングまではまだまだずっとあるはず。

 何日かすればまたあの夢の、続きを見るに決まっている。


「……どうせ、書く羽目になるんだろうな」


「…………、」


 ぼやいた瞬間、目の端で恋理から表情が抜けた、気がする。

 態度をつんとさせた彼女に、何事かと雄飛が声を掛けようとしたとき。


「はぁーい、高校生たち。おまたせー」


 結愛である。左の肩にはクーラーボックス。右の肩にはビニールの大包み。


「飲み物と花火、持ってきたわよー」


 全員歓声だ。

 風華が大喜びで駆け寄っていき、猪野村が荷物を受け取ろうと続く。


「わぁーっ! お姉さんありがとうございます!」

「電話してくれれば手伝いましたよ」


 雄飛と恋理も集まりに加わろうとして、だが、

 湖から水の跳ねる音がする。


「っ!」

「あ、」


 二人だけが目撃した。

 月明りの元、尾びれがちらりと、潜っていくのを。


「……見た?」


「見た、かも」


 インク壺の底でしか生きられない魚。

 ごく稀に、ペン先に口づけをくれる魚。


 恋理が笑った。

 それは微笑みとか、可愛らしいものでなく、歯を剥き出しにした挑戦的な、笑み。


>>>>>>


 多分、その魚に当たったのだ。


>>>>>>


 諸侯(しょこう)旗本(はたもと)がぐるりと列座(れつざ)し、見守る白砂のただ中へ、二人の男が相対す。

 どちらもが若く精悍(せいかん)な顔つきの偉丈夫(いじょうぶ)で、どちらもが刀を帯びているが侍でなく、どちらもが禿頭(とくとう)鉢金(はちがね)を巻いて、どちらもが首から数珠(じゅず)を下げている。

 男たちはともに仏僧であり、また武僧であった。


 紅と白、それぞれの衣装を(まと)った彼らは、不倶戴天(ふぐたいてん)の異宗派なのだ。


 これまでも小競り合いを繰り返し、昨今(さっこん)では檀家(だんか)も巻き込んでの抗争まで起こし、ついに御上が仲裁に乗り出すまでの事態になった。


 まだしも矛を収めようとしない両宗派に、それならばと下された令は、御前試合である。

 ――双方、我が宗派こそが仏の寵愛(ちょうあい)を受けしと申すのならば、果し合いの最中にて白刃の下を(くぐ)り抜け、見事それを示して見せよ。


 仏の道に生きる者どもから、否やはなかった。

 互いに最たる手練れを参上させて、御前試合はある冬の仏滅の日、行われる。


 紅の僧が居合いの型に、柄に手を掛ける。

 白の僧は既に抜き放ち、八双に構えた。


 礼を交わすことはなかった。手を合わせることもしなかった。

 どちらもが相手を、仏の道を違えた邪教としか見てはいなかった。

 すなわちは、向かい合っているものは人でなく。

 ただ斬るべき鬼だという、だけのこと。


 悪鬼羅刹(あっきらせつ)め、地獄に送り返すべし。


 紅が先に動いた。

 いや白が先だったか。


 侍をして瞠目(どうもく)する、武僧の太刀筋である。

 片や首をめがけて、あぁもう一方も首を討とうとしていて。

 刃を刃が弾き、火花が散った。


 返しの刀はなお速い。

 ぶつかり合い、それぞれ退(しりぞ)いた切っ先を、紅は蛇行させ、白は鷹のように鋭く浴びせる。

 二者の総身から血風が立つ。


 白砂はたちまち赤に濡れた。

 続く一閃は鉄の臭いを周囲に()き、

 次の一合は血の匂いをさらに濃くした。


 死闘と呼ぶにふさわしい。

 ここは既に修羅道か。


 赤い火花がいつまでも散った。

 凄惨(せいさん)な斬り合いは、末法(まっぽう)の世のさらに終わりまで、永劫(えいごう)と続くかに思われた。

 

 しかし、やがてその一太刀がやってくる。

 

 見届け人どもが騒めき立つ。

 ついに白の刃が、紅の胴を、骨まで裂いたのだ。

 代償に紅の刀は、白の肩に深く噛みついていた。


 うずくまり、押さえた腹から止めどなく、血と(はらわた)(こぼす)す紅。

 この頃には白の装束もとっくに赤く、二者のうちのどちらがどちらともつかぬ様相で、ただ悪鬼の一方が死にかけ、一方が介錯(かいしゃく)しようという体でだけある。


 紅は、白を見上げた。

 白は、紅を見下ろした。


 互いの視線交わる中、紅は絶え絶えの息も惜しむように、念仏を唱えている。

 か細いか細いそれは、周囲の誰にも届かず、だがしかし白の耳には嫌に(から)みつくのだ。


 それが白には耐えられなくなった。

 知らぬ経ではない、むしろ親しんだ仏の言葉が、呪詛(じゅそ)のように己のうちに沁み込んでくることが。


 白が紅の首を()ねる。

 喝采(かっさい)が上がった。

 だがその中で、生き残った坊主は凍り付くこととなる。

 念仏が止まぬのだ。

 転がった頭から、念仏が、まだ。


 いつまでも。

 息絶えても。

 まだ。


 ――虚無僧はその時の念仏と全く同じものを、転がった地蔵の首から聞きながら、白昼夢より覚める。

 さぁ、行かねば。

 邪教どもの置き土産、この石作りの小僧の形した鬼の使いを、残らず()()らなければならないのだから。


>>>>>>


 目の覚めた雄飛は、呼吸に苦しみながら必死に時計を手繰(たぐ)った。


「まだ……四時半じゃねぇかよ……」


 油断していた。いつもより『続き』を見るのがだいぶ早い。

 まさか翌日とは、これまでにも経験がなかった。


 が、見てしまったからには書くよりない。

 雄飛は()うようにして荷物まで辿(たど)り着き、必死で漁って、ノートパソコンを引っ張り出す。


 そして猛然と書いた。

 それにしても呼吸が苦しい。

 それにしても喉が渇いた。

 ただ(いとま)は許されず、キーボードを砕かんばかりの速度で叩く。


 二時間ぐらいしただろうか。

 同室の猪野村が目を覚ましたようだった。


「……先輩?」


 だが相変わらず雄飛は書くのに精いっぱいで、彼の方を向くこともしない。


「早いっすね」


「…………あぁ」


「もう書いてんスか」


「…………あぁ」


「すげぇ」


 心底感嘆したように、猪野村は呟いた。


 その後も二言三言話したような気もするが、雄飛には定かではない。

 ただ水だけはもらっていて、それをひたすら飲みながら、夢と(うつつ)を行き来するように書き進めていく。


 ――結局夕方までかかった。


「……疲れた」


 ようやく区切りがついて、ほぅっと息を吐く。


 それにしても腹が減った。

 身体が深刻にカロリーを欲しているのを感じて、雄飛は立ち上がろうとするが、足が()えてしまって無様に腰を落としてしまう。

 なんとか床や壁に手をついてリビングまで降りると。

 テーブルに教材を広げていた皆が、幽鬼のようにフラフラと現れた彼に、びっくりと目を見張る。

 特に風華など、悲鳴に近かった。


「ちょっと、大丈夫!?」


「……なんか、食うもの、ある?」


「っもう! 朝も昼も食べないからよ!」


 付き合いの長い恋理の方はもうちょっと冷静で、自分の手元にあったペットボトルのミルクティーをぱっと差し出す。


「とりあえず、これ飲んでて。疲れたときには甘いもの」


「あぁ……ありがと……」


 雄飛はグッパグッパと豪快に糖分を摂取した。

 普段ならボトルが既に開封済みだとか、ちょっと飲みかけだとかいうことに緊張や気後れを感じるところだが。今はそれだけの体力も残されてはいないのだ。

 その間に恋理と風華が台所に立ち、何かぱっと作れるモノは、と相談している。


 食べ物を待ちながら、雄飛は猪野村へ(たず)ねる。


「今日、何してた?」


「買い出ししたり、みんなで季刊誌に乗せる作品書いたり。今は宿題してました」


「ふーん……」


 ほどなく大皿にずらりと並んだ、おにぎりが運ばれてくる。


「はい、おまたせ」


「ありがてぇ!」


 女子二人が分担して握ったそれは、どっちがどっちのか、丸いのと三角のがそれぞれあった。

 雄飛は両手に一個ずつ、ガツガツと(かぶ)り付いていく。


 テーブルに熱い茶も並び、他の面々もおやつ代わりにおにぎりをパクついた。


「結愛さんも呼んだほうがいいッスかね?」


「あーダメダメ。お姉ちゃん、寝起き最悪だから。やめとこ」


「っスか。……ん、おにぎり美味い。ねぇ峰岸先輩?」


「ん。ん」


「峰岸、ちゃんと噛んでる?」


「ん。ぁんでる」


 風華が餓鬼の如しと頬張る雄飛に、茶のお代わりを注いでやりながら。

 彼の目の下にくっきりと浮いた(くま)、それを見て険しく(たず)ねる。


「アンタさぁ、ずっと休みなく書いてたわけ?」


「まぁな」


 茶で流し込みながら答えると、猪野村がまた尊敬の眼差しを浮かべた。


「すげぇ」


「すごくないでしょうが、身体壊すわよ?

 もうちょっとさ、一気にガッと書くんじゃなくて毎日少しずつとかになんないわけ? いつか本当に倒れるわよ?」


「……出来たらそうしてるよ。もうこれは、仕方ねぇんだって」


 実は雄飛は物語の夢のことを、家族以外には恋理にしか話していない。

 信じてもらえるかは(はなは)だ怪しいし、思春期特有の『設定』だと思われたら恥ずかしくて死んでしまう。


 が、はぐらかした答えは答えで、猪野村に「はぁー!」と感心されてしまった。


「峰岸先輩って、意外と天才型っスよね。普段は全然そんな風に見えないのに」


「そんなんじゃねーわ」


 そう、全然そんなことはない。

 天才? 才能なんて(きら)びやかなものとは違う。

 これは病気だ。そうでなければ、呪いである。


 そういえば恋理が静かだった。おにぎりに夢中なのだろうか。

 目を向けると、じっと鋭い彼女と視線がかち合う。


「どうした……?」


「雄飛は、天才でしょ」


「は?」


「雄飛は天才だよ。分けてほしいくらい。……ね、ちょっと分けてよ」


「なんだよそりゃ。どうやってだ」


 苦笑いを浮かべる彼に、恋理も「そうだよね」と合わせて笑うが。

 その目はどこか真剣なままで、雄飛は何か落ち着かないものを覚える。


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