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3.彼の疾患的明晰夢

 合宿にあたり、恋理はコテージを手配した。

 貸別荘とも言うやつで、寝床や食事の世話は全て自分たちでやらねばならないが、代わりに気楽だし、何より安さが学生たちの心を(つか)んだのだ。


 雄飛が皆を電車で追いかけて、宿泊先の最寄り駅に降りたのは、昼もだいぶ過ぎてからである。


「ふ、あぁー……」


 三泊四日分の荷物を引きずりながら、大きな欠伸(あくび)を漏らす。

 眠い。疲れた。

 特に物語を一気に打った指がクタクタだ。

 電車の中でも何度かウトウトしたが、一人だったため乗り過ごしが怖くて熟睡ともいかない。


 せっかくの合宿なのに、満身創痍(まんしんそうい)とは。

 雄飛はため息を吐いた。

 我ながら()(がた)い。


 ロータリーに滑り込んでくる一台の車。


「雄飛ぃー!」


 窓が開き、恋理の声が響く。

 停車と同時に、助手席から心配顔で降りてきた。


「大丈夫?」


「あぁ、ごめんな」


「いいよ。ほら荷物貸して」


「おい、重いぞ?」


 だが恋理は強引にバッグを取って、トランクに詰めてしまう。

 遅刻した上に(いた)わられ、大変居心地が悪かった。


「ほら乗っててってば!」


「あぁ……じゃあ、お邪魔します」


 後部座席に乗り込むと、振り向いていた運転席の女性とばっちり目が合った。


「はぁい。いらっしゃい」


 恋理とよく似た、ただしだいぶワイルドな雰囲気を持つ人である。短くした髪でそう見えるのか、それともジャケットの印象か。シャツの襟に噛ませたサングラスのためかもしれない。

 噂には聞いている。恋理の姉、結愛(ゆあ)だろう。


「あ、どうも。すみません、とんだお手間を」


「いいえ! こちらこそ妹がいつもお世話になってるそうで。手間かかるでしょ、この子」


 恋理が後部座席、雄飛の隣に乗り込みながら、姉の言葉にぷっくりと(ふく)れた。


「もう、お姉ちゃん! いいから出して!」


「はいはーい。二人ともシートベルトしてね。峰岸(みねぎし)くんもよ、後部座席でもね」


 束の間のドライブが始まる。

 風華と猪野村はコテージで待ってるとか、今晩の買い出しの話とか。

 そんな話題がいくらか過ぎてから、結愛が「そういえば」と言う。


「峰岸くんって、私が思ってたのとちょっと違うかも」


「え?」


「読んだよ、君の小説。『こぁら』のやつ」


 『こぁら』、去年の冬に出した季刊誌だ。

 その回で雄飛は『棕櫚(しゅろ)(ぼうき)』と題した、ピカレスク小説を載せた。


「なんだかずいぶん繊細な文章だったから、もっとこう、神経質そうな、女の子みたいな子を想像してた」


「えっと、あの時は女主人公で、しかも一人称だったんで」


「ね。はじめは女の子が書いてるんだと思ったよ」


 作品の感想を生で聞かされるというのは、どうにも照れくさくてむず(がゆ)い。

 その上、バックミラー越しに結愛はちらりと、含んだような視線を送ってきて。


「女心をよく心得(こころえ)てるってことなのかな?」


「いや、そんな……」


 雄飛には曖昧(あいまい)に答えるより他はない。

 あからさまにドギマギしている彼に、隣の恋理はまたぷっくりだ。


「もう、お姉ちゃん。変なこと言わないでよ」


「ごめんごめん。峰岸くんを困らせるのは恋理の専売なんだもんね?」


「は、はぁ!?」


「この子ね、しょっちゅう峰岸くんの話するんだよ? 雄飛の作品はぁー、とか。今日は雄飛がぁー、とか」


「お姉ちゃん! 違うじゃん、私してんの文芸部の話じゃん! 切り取んないでよ!!」


 姉妹特有の距離感でのじゃれ合いに、雄飛は一歩引いて上品に笑うだけに留める。

 そうしていると、結愛の運転は上手で車の揺れが心地よくて、何より(そば)に恋理がいるのに安心して、抑えていた眠気がどんどん濃くなってきた。


「……悪い、恋理。ちょっと寝ていい?」


「あ、うん。大丈夫? 酔った?」


 雄飛は力なく微笑んで「平気」と伝える。

 もうだいぶ、(まぶた)が重い。


「着いたら、起こしてくれ」


「わかった。おやすみ」


 意識を手離すのは簡単で、雄飛はすぐに眠りに落ちていく。

 最後に「おまじない」とか「寝顔を待ち受けにすると、」とか「そんなんじゃない!」とか、姉妹の会話が聞こえてきた気もするが。

 彼は間もなく寝息を立て始める。


>>>>>>


 峰岸雄飛の授業態度はだいぶ良い。

 内容はきちんと聞いているし、ノートも取るし、何より居眠りなんてしないからだ。

 睡眠の管理は徹底していて、不用意に寝たりはしないよう、細心の注意を常に払っている。


 ところがその日はうっかりしていた。

 一年の時。確か世界史の授業だった。

 小テストがあって、それを制限時間より先に終わらせてしまった雄飛は、見直しまでし尽くして。あんまり退屈だったものだから、ついウトウトとし、そして夢を見てしまった。

 普通の夢ならまだしもだったのに。

 物語の夢を……。


 峰岸雄飛には疾患(しっかん)があった。

 精神的な、感受性に対する、魂を直接()さぶるような疾患。

 彼がある程度の語彙(ごい)を習得したときに発症したそれは、鮮やかな夢の形を取って現れてくる。


 峰岸雄飛は、時たま夢を見る。

 あまりにも精緻(せいち)筆致(ひっち)で描かれた夢。

 恐ろしく精妙(せいみょう)に脈絡を維持された、一連(ひとつら)なりの物語。

 自分でない者が(つむ)ぐ、張り裂けるような、真に迫った御伽噺(おとぎばなし)

 それを散々追体験させられて、目が覚めたとき。雄飛は(たま)らなく落ち着かない。胸に詰まるものが残り続けて、呼吸どころでなくなる。

 感情が。

 台詞が。

 人物が。

 動作が。

 (あふ)れて、溢れて。

 そして夢の内容を描写する文が暴力的なまでの身勝手さで、次から次へと頭の中を激流となって()(めぐ)るのだ。


 医者にかかったこともあるが、無力だった。当然だ。

 薬も治療も存在せず、(いや)(すべ)は書くことだけだ。


 書き切ることだけ。


 さて。

 授業中に夢を見てしまった雄飛は、何とか休み時間までは我慢した。

 だが限界だ。

 唇は青くチアノーゼを起こしかけ、そのくせ身体は何度も跳ね上がりそうになり、座っていることすら困難である。


 シャープペンとルーズリーフの束を(つか)む。

 席を立って、人気のない場所を目指す。


 おあつらえ向きだったのは、屋上に出る扉の前だ。

 踊り場になっていて多少の広さがあり、かつ扉は厳重に施錠(せじょう)されているから人がやって来ることなどない。


 ここならば存分に書ける――

 雄飛はほとんど半狂乱になって、書いた。ただ書いた。

 ひたすら書いた。

 書いた。

 

 宝石を実らせる果樹園に閉じ込められた剪定師(せんていし)の、甘やかな春を。

 降りしきる夏を。

 淡い秋を。

 険しい冬を。


 書いた。


 何時になったのかは分からない。

 夢中で書いて、書き続けて。ある程度書き切って、ようやく呼吸にゆとりが出て来た。

 長く息を吐き、ペットボトルの水を飲む。


 ……水、これはなんだ? どこから出て来た?


 びっくりする。

 いつの間にか隣に少女が座っていて、雄飛が書き上げたものを端からフンフンと熱心に読んでいるのだから。

 彼女は誰だろう? そういえば、声を掛けられて、水を要求したような気がする。


 後から知ったことだが。

 原稿の一片(ひとひら)が階下に落ち、それを偶然通りがかった恋理が気に留めたのだそうだ。


 とにかく、これが恋理との出会いだった。


 我に返った雄飛は、ひとたまりもなく慌てる。


 ――あ、ごめん、ごめん! 水、ありがとう! えっと、お金、


 そのときの恋理の返答は、今でもよく覚えている。

 そのとき彼女が浮かべた微笑みは焼き付いているし、瞳の輝きだって忘れはしない。


 ――これ、すっごく面白いよ。ねぇ続き、早く書いてほしいな。


 さっきまでとは違う仕方で、呼吸を忘れた。

 面白い? なにが? この、書いたものが?

 そんなことが、あり得るのか……。


 こんなことが、あり得るのか。

 

 初めて知ったのだ。読み手がいるという喜びを、雄飛は、初めて。

 誰かに読ませるなんてしたことはなかった。

 これまでは単に、苦痛を退(しりぞ)けるための手段としてしか書いて来なかったから。

 書き上げたものは、いっつも押し入れの中へ、だ。


 気づけば雄飛は、はらはらと涙を(こぼ)している。

 なんだろうこれはと、しばらく己で意味が分からない。

 が、ほどなく胸の内に答えを見つけた。

 ……そうか、嬉しかったんだ。望まず書かされるという、誰から負わされたのかすら定かでない苦行に、初めて価値の生まれた瞬間だったから。

 物語は、誰かに読まれるために、浮かんでくるものだったんだ。


 そんな彼の背を、彼女はずっと(さす)ってくれていた。

 そして。


 ――ねぇ君。文芸部に入らない?


>>>>>>


 目が覚めた。

 まず何より先に、(のぞ)き込んでいる風華が映る。


「あ、起きた」


「……、……松丸」


 意識が浮上するにつれ、雄飛は焦る。

 が、身構えても恐れた衝撃はやって来なかった。……さっき見ていた夢は、普通の夢だったのだ。あんまり鮮やかだったから、物語かと、一瞬。


「よく寝てたわねー。もう晩ご飯よ」


 言われて、雄飛は自分の空腹に気付いた。

 そういえば今朝は食べるどころではなかったし、昼も強行軍でほぼ何も口にしていない。


「……恋理に……着いたら起こしてって言ったのに」


「あんなに疲れ切ってたくせに、起こせるわけないでしょ。

 猪野村くんにもお礼言っときなよ、アンタ運んだの彼だから」


「ん……」


「みんな晩ご飯の準備してるから。峰岸、起きられる?」


「……もうちょい」


「そ。じゃあ起き抜けたら来てね。あんまり待たせるんじゃないわよ」


「……あーい」


 去っていく風華を見送りながら、ふと雄飛は枕元のミネラルウォーターに気付く。

 いつも飲んでるやつだ。さっき夢にも出て来たやつだ。

 風華が置いて行ってくれたのか。

 それとも……恋理が用意したのだろうか。


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