表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/8

2.峰岸雄飛の夢枕

 深編(ふかあみ)(かさ)を被った虚無僧(こむそう)が一人、(とうげ)を行く。


 旅具(りょぐ)の一通りが収められているのか巨大な(はこ)を背負っており、しかし健脚を発揮して荒れた道も物ともしない。

 ()()れかけた草履(ぞうり)、色の()せた装束が、控えめに言ってもみすぼらしく、またこれまでの旅路の長さを言外に語っているようでもある。

 ただし、腰に()いた刀。これが見事なもので、鞘込(さやご)めのままでも業物と容易に察せられた。


 虚無僧が一人、峠を行く。

 そのずっとずっと手前には、手や、足や、胴や、首。

 粉微塵(こなみじん)となった人間が幾人(いくにん)分も転がっており、一面が血だまりとなっている。

 ここらに巣食った野盗の成れの果てで、この虚無僧を安い獲物と読み違えた末路だ。


 斬った。

 虚無僧が斬ったのだ。容易に斬って捨てた。

 京より遠く離れ、御上(おかみ)の威光も届かぬこんな人外魔境では、人は二本足の獣といった(おもむき)であり、斬るのに躊躇(ためら)うほどのこともなし。


 まっこと、人の値打ちなど、三文にも劣る。


 虚無僧が一人、血の香りと共に行く。


 やがて峠の終わりに差し掛かり、その路傍(ろぼう)に、小さな地蔵があるのを僧は認めた。


「――――、」


 立ち止まる。

 虚無僧は地蔵を(なが)めた。

 地蔵も、その細い(まなこ)で、僧を見返しているようでもあった。そのくせ、どこをも見ていないとも取れた。


 石の面構えはただ穏やかに()いでいて、これより先に何が起こるにしても、ただ受け入れる風である。


「――――、」


 虚無僧が笠の中、深く、深く、息を吐いた。

 腰の刀を、無音のままに抜き放つ。

 そして大上段に振りかぶり、もう一度深く、深く、深く、息を。


 人を斬るに、もはや痛痒(つうよう)なぞ覚えぬが。

 この菩薩(ぼさつ)を斬るのは、さすがに……。


「ふ、」


 白銀の刀身が、燕の軌跡で(ひるがえ)る。

 それは(あやま)たず地蔵の細い首を通り抜け、しんと鞘まで戻るのだった。


 ごろりと、石の生首が力を失い、転げ落ちる。


 虚無僧は、耳に念仏を覚えた。

 自らの唇が編んだものではない。周囲には他に人影はなし。

 それでも念仏は確かに響くのだ。


 この、耳朶(じだ)の内側に。


 虚無僧は、胸に情の破裂を感じ、苦痛を感じ、頬に伝う熱を感じ、虚無僧は、虚無僧は、


>>>>>>


 目が覚めた。

 まだ夜明けまではしばらくある、窓の外は真っ暗な時間。


「う……あ……」


 雄飛は布団にうつ伏せに、胸を押さえて、必死に呼吸に(つと)める。

 目からは涙が(こぼ)れた。

 心臓は自分のものでない感情で張り裂けそうで、滅茶苦茶に鼓動している。


「う……っそだろ……っ」


 喉が詰まる。

 息が出来ない。

 ぞわぞわとした衝動が身体の下の方から何度も何度も、波となって()い上がって来て、今にも寝床にぶちまけてしまいそうだった。


 今しがたまで居た眠りの中で、目の当たりにした物語が、出たい出たいと雄飛をノックし続けているのだ。


「なんで……っ!」


 よりにもよって、今日。

 今日、朝になれば合宿だ。文芸部の面々と待ち合わせて遠出する。まさに今日。

 夢を、見るなんて。


 だがこうなっては仕方ない。

 もう苦しくて、一秒だって我慢できない。

 喉が詰まる。

 息が出来ない。

 目の前が手元さえ薄くなり、代わりにありもしない景色が視界にちらつく。


「くっそぉ!」


 書くしかない。


 パソコンを立ち上げた雄飛は、ワードソフトへ向かって、猛然と(つづ)り始めた。

 夢は、現実に戻って来てもちっとも(ほころ)びてはくれず、むしろもっと早くと急き立て来る始末。

 早く字に起こせと。速く文の姿にさせろと。

 指の遅さが、本数が十本しかないことが、今の雄飛にはもどかしい。


 ――数時間して。朝になっても部屋に籠りきりの彼を、妹が様子を見に来た。


「お兄ちゃん? 今日、部活の合宿じゃないの? もう起きないと、」


「…………あぁ」


 雄飛は顔も向けない。半分以上、上の空だ。手も一切休ませなかった。

 鬼気すら迫る兄の姿に、妹は眉根(まゆね)を寄せる。


「……また発作?」


「…………あぁ」


 妹の瞳に、わずかに同情の色が差す。

 が、雄飛は気付かない。そんなことに目を向ける余裕はない。


「そう。お水、いる?」


「…………頼む」


 彼は、やはり上の空のまま答えた。


 さらに千字を書き連ねてから、妹が置いていってくれた水2ℓをグビグビと(あお)る。

 そして息継ぎの隙に、ケータイで恋理へとメッセージを送った。


【ユーヒー@峰岸喫茶:


 悪い いつもの 先行って 後から行く】


 何とかそれだけ打ち切って、また雄飛は物語に戻る。

 疲れただとか、指が痛むだとか、そんなことは今は意識の端にも登って来ない。

 とにかく、今は、一文字でも先に。

 物語が胸の中で、腐敗し始めるより前に。


 早く。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ