MISSION 4 恋のライバルにご用心 1
MISSION 4 恋のライバルにご用心
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『え~そうだったんですか?? わたしも今度試してみますね(はあと)。ところで三鷹君、次の土曜日ってお暇ですか? もしよかったら、一緒にどこかへ出かけませんか? あっ、本当にお暇だったらでいいんですけど(あせあせっ)。……わたし、やっぱり三鷹君のこと、もっとよく知りたいな……なんて(はあと)』
「えと……、なんですか、これは?」
スマートフォンの画面から顔を上げるなり、僕はベッドに腰掛ける涼子さんに尋ねた。メールの文面だってことくらいはさすがに分かるけど、そこでやりとりされている内容について理解が追いついていない状況だった。
「なにって、読んで字のごとく、デートのお誘いじゃない、アオイちゃんから三鷹泰への」
「デ、デート!? って、するんですか、三鷹君と僕が!? き、聞いてませんよ、そんなこと!」
「そりゃ、いってなかったからねえ」
「こ、困りますよ! だいたい、土曜日っていったら今日じゃないですか!」
「だからこうやって、家まで迎えにきたんじゃない」
平然といいはなつ涼子さん。
いやまあ……、唐突な指令が下るのも毎度毎度のことなのでそろそろ免疫もついてはきましたけどね、やっぱりいきなりは心臓に悪いんですって。
三鷹君にアオイの連絡先が書かれた手紙を手渡したのが、ちょうど一週間前、先週の土曜日のことである。その日のうちにさっそく三鷹君から連絡があり、晴れてアオイと三鷹君はメールを交換する仲になったらしい。
らしい、と伝聞調にならざるをえないのは、三鷹君とメールをやりとりしていたのが僕ではないからである。お察しのとおり、三鷹君に返信していたのは涼子さんだ。つまり、涼子さんがアオイになり代わって今日まで三鷹君とメールしていたというわけだ。涼子さんからは三鷹君とメールのやりとりをしているという事実しか知らされていなかった。そこへ来てまさかのデートのお達しですからね。一週間でここまで話が進んでいるとは……。
「昨日になって、土曜日に明大烏山の練習がオフになるって情報をキャッチしたのよ。そこで急遽、誘いをかけてみたのよ」
他校の練習予定なんてどうやったら分かるのだろうと思うなかれ。このくらいのリサーチなら朝飯前でやってしまうのが諜報部なのだ。
「そんな急な誘いに三鷹君はオーケーしてくれたんですか?」
「そりゃあもう、管理釣り場のマスなみの勢いでルアーに食いついてきたわよ」
涼子さんは僕からスマートフォンを取り上げると、さっきのメールに対し三鷹君が寄こした返信を表示させてくれた。
『暇! 超暇! 俺もアオイちゃんと会いたい!!』
送信時刻はさっきのメールと同一時刻。一分以内の即レスだった。管理釣り場云々という涼子さんの比喩にもうなずいてしまう。ていうか三鷹君、メールで超とか書いちゃう人だったんだ……。
「というわけで、休みの朝から悪いとは思ったけど、こうしてご自宅までお迎えに上がったしだいよ」
チャイムが鳴って玄関を開けてみたら私服姿の涼子さんが立っていたんだからね。僕がどれほど驚いたか察してほしい。
「ふうん、ここが蒼君の部屋かあ」
「ち、ちょっ! なにベッドの下を覗きこんでるんですか!?」
絶対やると思って警戒してたけど、ここでか! 案の定、家探しを始めましたよ、この人! しかもベッドの下といえば例のラブレターの隠し場所じゃないか!
「冗談だって。今日のデートは今回のハニートラップ作戦における大一番、大詰めだからね。蒼君の緊張をほぐしてあげようとしたのよ」
涼子さんはベッドに掛けなおすと、優雅に髪を払った。今日は変装(というかコスプレ)をしていないので、普段どおりセミロングの髪を下ろしている。
「大一番なら、せめて昨日のうちにデートのこと知らせておいてくださいよ……」
「あら、そんなことしたら蒼君、緊張で寝つけなくなっちゃうでしょ?」
「ぐ……」
否定できないのが厄介だった。明日デートだと、しかも男の人とデートだといわれてぐっすり眠れる自信はまったくない。
「急な話で驚いただろうけど、準備は万端だから安心して」
笑顔でいうと、涼子さんは持参したボストンバッグを引き寄せた。なかにはアオイの服やらメイク道具やらが詰まっているらしい。
「まさか自分の部屋で女装する羽目になるなんて……。親に見つかったらどうするんですか……」
「きみのご両親が土曜日はいつも夕方まで出かけることを私が把握してないとでも?」
……してますよね、そりゃあ。涼子さんは僕の身辺を調べあげているのだから。
「チャイムを押す前にはしっかり周囲を確認したから、ご近所さんの目も気にしなくていいわよ」
「……お気遣いどうも」
にやつく涼子さんが誰を念頭においているのか分かるだけに下手に口答えできない。両親不在の家に美人の先輩を連れ込んでるなんて誤解されるのもまずいけど、それ以上に、女装して家を出ていく姿を見られでもしたら一巻の終わりだ。
「そうならないように私も細心の注意を払うからさ――誰!?」
楽しげにしゃべっていた涼子さんが突然鋭い声をあげたのは、来訪者を知らせるインターホンが不意に鳴り響いたからだ。
「あれは……小川君?」
窓に張りついて玄関口を見下ろした涼子さんは突然の訪問客を視認したようだ。困惑した様子から、幸太郎の来訪が完全に涼子さんの意表をついたものだと分かる。
「ぼ、僕じゃないですからね!」
涼子さんからにらまれた僕は自らの関与を否定した。今日幸太郎となにか約束していた覚えはない。そもそもいくらご近所さんとはいえ、あいつがうちを訪ねてくるなんてかなり久しぶりのことなのだ。
涼子さんはやや苛立たしげに爪を噛んだものの、僕の言葉を信じてくれたようだ。
「とりあえず応対したほうがいいわね。中には絶対上げないで」
「は、はいっ」
涼子さんの指示を受けて、僕は二階の自室から玄関へと駆け下りた。
おそるおそる玄関を開けると、ジャージ姿の幸太郎がそこに立っていた。幸太郎は僕を見るなりニカっと屈託のない笑顔を浮かべる。
「おっす、蒼! 野球やろうぜ!」
「……は?」
とっさには意味が分からず、僕は間の抜けた顔を返してしまった。
「野球だよ、野球! ほら、天気もいいしよ!」
幸太郎が空を仰いでまぶしそうに目を細める。たしかに本日は晴天。午後からはにわか雨の予報も出てた気もするけど、今のところは絶好の野球日和だといえる。晴れ渡る空の下で白球を追いかけるのはさぞ気持ちいいことだろう。
「って、いやいや! なんで唐突に野球!?」
僕たち、そんな土曜日の朝からふらっと野球しに出かけるような仲だったか!?
「え? 昔はよく野球して遊んだだろ? 久しぶりにどうかなと思ってよ」
バットとグローブを肩に抱えた幸太郎に、きょとんとした顔をされてしまう。いやそりゃ小学生のときはスポーツ少年団の練習が休みの日に公園でキャッチボールしたりもしてたけどさ……。
「部活はどうしたのさ、部活は」
「今日は練習休みなんだよ」
ああ、そういうことか……。幸太郎ったらホント三百六十五日、盆も正月もなく野球してるからなあ。部活で野球ができないことが我慢ならず、近所で暇してるだろう僕を誘いにきたのか。
……いやいや、こちとら暇ちゃうわ。
「あ~、ごめん。今日はこのあとちょっと出かける予定があるんだ」
僕はちらりと家の中を振り返った。これから出かけるというのは本当だ。ていうか、今さらだけど着替える前で本当によかった。
「そっか、用事があるならしゃーねえな」
幸太郎は少し残念そうにしつつも、意外にあっさりと引き下がってくれた。
「ごめんね。せっかく誘ってくれたのに」
「いいって。よし、じぁあ茜を誘うわ!」
「え……?」
まさかの言葉に僕は凍りついた。ちょ……っ、茜を誘うって……?
「いきなり来てごめんな。じゃ、また今度な!」
元気よく片手を挙げると、幸太郎は軽やかな足取りでお隣の横山さん家へ駆けていく。
ええと……なにかいっておいたほうがいいのか?
「茜を誘うなら、せめてバッティングセンターとかにしてあげて~」
僕は玄関から身を乗り出して幸太郎にそう声をかけた。草野球じゃあまりにも茜が不憫だからなあ。
しばらくも待たぬうちに、幸太郎が茜の家のチャイムを鳴らす音が聞こえてくる。
「茜! バッティングセンター行こうぜ!」
「バッティ……!? バババババ、バカッ! そ、そんなこと急にいわれたって……、バカッ!」
どうやら茜は、なにか盛大な勘違いをしてしまったらしい。慌てふためく彼女の姿がいたたまれず、僕はそっと扉を締めて家の中へ引っ込んだ。まあ、あの様子じゃ幸太郎の今日の予定は白紙になっただろう。高校生になった男女が仲良く土手で野球とか、かなり特殊な条件下じゃなきゃ画として成り立たないよなあ。
「なんとか事なきを得たわね」
いつのまにか二階から降りてきていた涼子さんがため息混じりにつぶやいた。涼子さんも僕の部屋の窓から成り行きを見守っていたらしい。
「出かけるっていっちゃいましたけど、幸太郎、変に思わなかったですかね……?」
「緊急事態だったし、まあ仕方ないでしょ。にしても、うちの野球部が今日休みだとは聞いてたけど、まさか蒼君を野球に誘いにくるなんて……、完全に予想外だったわ」
難しい顔で腕を組む涼子さん。これを機にご自身の予想とやらを見なおしていただけると、振り回されている僕としては助かるのだが……、そうもいかないんだろうなあ。
「あの……涼子さん。それでこれから、どうしますか?」
出発前から思わぬケチがついたことですし、今日のミッションは中止ってことには……。
「ちょっと時間をロスしちゃったけど、待ち合わせに遅れることはないでしょ。でも万が一ってこともありえるし、早めに出られるようにちゃっちゃっとお着替えタイムよ」
腕まくりをしつつ、じりじりと僕に迫ってくる涼子さん。
ああ……、盛り上がりに水を差されたことで逆にやる気に火がついちゃったパターンね。分かりました、観念しますよ、もう。はあ……。