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MISSION 3 夕映えの再会にご用心 3

 3


「おい、あれ、明大烏山の三鷹だよな?」

「やっぱデカイな……。身長何センチあるんだ? あれ……」

「甲子園予選では当たりたくねえな……」

 いつのまにか僕たちの周りには人だかりができていた。三鷹君はやはり有名人らしく、ギャラリーからは三鷹君を警戒する噂話が漏れ聞こえてくる。

 それはそうと……。僕はちらちらと三鷹君を窺った。僕の視線に気づいたのか、三鷹君は一瞬だけこちらを見返してきた。僕は慌てて視線を外す。

 思えば三鷹君と手をとりあって逃げまわっていたのってつい半日前のことだ。女装して素顔を隠していたとはいえ、昨日の今日でじかに顔を合わせるのは緊張する。バ、バレてないよなあ、僕のこと……。

 なるべく三鷹君の目に入らないように僕は顔をそむけていたのだけど、そんなことをしていたら横から茜に袖を引かれた。

「ねえ……これって、やっぱり幸太郎を……」

「え!?……あ、う、うん!」

 不安げに尋ねてきた茜に、僕はいささか調子の外れた返事をしてしまった。さすがに少し冷静になった。そ、そうだよ。いくらなんでも三鷹君に僕がアオイだってバレるとか考えるのは自意識過剰だ。

 だいたい、三鷹君がアオイのことを覚えてるかどうかからして不確定なんだし。なんで三鷹君がアオイを探してるとか決めつけてるんだよ、僕。三鷹君が興味を示しているのはアオイじゃない。

 明大烏山のエース・三鷹君のお目当ては、小川幸太郎、こいつであるに違いないのだ。

「三鷹が声かけてるのってあれ、九路松の一年だろ? 誰だ、あれ? 三鷹の知り合いか?」

「バカ、ありゃ小川だよ! 雲見二中の」

「小川って……あの全中MVPのか?」

「マジで九路松に入ったんだな。地元に残るって噂は聞いてたが……」

 ……どうも近くに相当な高校野球マニアがいるらしく、今度は幸太郎に関するひそひそ話が聞こえてきた。

 まあ、幸太郎が三鷹君に負けず劣らず注目の的だということに異存はない。

 こう見えて幸太郎は天才野球少年である。

 小学校三年生で地元のスポーツ少年団に入って野球を始めた頃から、幸太郎の才能は抜きんでていた。小三にしてストレートの球速は一二〇キロを超え、小四になる頃にはもう幸太郎の球をまともに打てる同世代の選手は周囲にいなくなった。中学に進み野球部に入ると、それまで実績などないに等しかった部をほとんど独力で全国大会決勝まで連れていってしまった。決勝戦は四球やエラーなどの不運も重なって惜しくも敗れたけれど、幸太郎個人は大会MVPに選出されたのだ。

 高校野球界でも当然、幸太郎は活躍が期待されている。その評判は三鷹の耳にも届いていたようだ。

「おまえが小川幸太郎で、いいんだよな? 俺は明大烏山の三鷹だ」

 不敵に微笑むと、三鷹君は幸太郎に向かって右手を差し出した。

「みたか……」

 幸太郎は初めて人間と出会った犬のような警戒心を示しつつも、三鷹君の手を握り返した。

 ふたりが握手を交わした瞬間、周囲のギャラリーからオオと小さなどよめきが起こった。県下ナンバーワン投手と期待のルーキーの邂逅の場面だもんな。そりゃマニアじゃなくても胸が高鳴るってもんですよ!

「今度の交流戦、おまえも投げるんだろ? 甲子園に行くっていうんだから、当然だよな?」

 手を握ったまま三鷹君は問いかけた。それは明らかな挑発だった。やっぱり……! 三鷹君は幸太郎を牽制しにきたんだ。

 僕の認識は取り囲むギャラリーにも共有されているようだった。誰もが息を呑む雰囲気が四方から伝わってくる。

 さあどうする、幸太郎? この挑発に、どう応える?

 辺りが緊張感に包まれるなか、幸太郎はおもむろに三鷹君へ詰め寄った。お、おお!

「どっかで見たことあるなと思ったら、あんた三鷹さんか! 本物だよな!」

 幸太郎は瞳を輝かせて三鷹君に顔を寄せた。

 え……? なに、この受け答え?

「お、おお……、まあ、本物だけどよ……」

 三鷹君にとっても幸太郎の反応は予想外だったようで、明らかに困惑した顔を見せた。

「俺、去年の関東大会予選決勝、見てたんだよ! いや~、あの変化球はすげえわ。最後のバッターを空振りさせた決め球ってあれ、シンカーだろ? すっげえ沈み方してたな! フルカウントで、ストライクゾーンに来た球はぜってえ手を出さなきゃならねえ状況であのシンカー投げられたら大抵のバッターはひとたまりもねえよ、うん」

 腕を組み、ひとり満足げに頷く幸太郎。

 僕も含め、周囲の人間は一様に呆気にとられた。ここ、もっとバチバチ火花散らすところじゃないの? そんな感想がどこからか漏れてきそうだ。

 一方の当事者である三鷹君も困惑で眉を寄せるなか、いちはやく我に返ったのは茜だった。

「す、すみませんすみません! こ、こら、幸太郎! 初対面の人にいきなりワーワーしゃべったりしたら失礼でしょ!」

 茜は幸太郎の後頭部をつかんで無理やり頭を下げさせた。なんか悪さをした不良少年をお母さんが謝らせているみたいな構図である。

「な、なんだよ、いきなり」

 不良少年、もとい幸太郎はなぜ自分が謝らされているか理解していないようで、当惑した顔を茜に向けていた。

「別に気にしてないけどよ……」

 三鷹君はぶすっとした表情で頭を掻いていた。ぶっきらぼうな言い方だけど、怒ってはいるわけではないらしい。ちょっとホッとした。

 が、三鷹君はそこでなぜか、茜の顔をじっと見つめはじめた。

「な、なんですか……?」

 視線に気づいた茜は若干身構える。

「……いや、なんでもない。小川にひと言挨拶しにきただけだ。邪魔したな」

 三鷹君はさっと視線を外し、仏頂面のまま茜に背を向けた。

 三鷹君の謎の行動に、今度は茜が眉をひそめる番だった。

「ありゃ? 茜って三鷹さんと知り合いなん?」

「そ、そんなわけないでしょっ、バカッ」

 とぼけたことを訊かれ、顔を真っ赤にする茜。……茜さん、その態度はかえってなにか隠してるっぽくなりますよ?

「ま、いいや。それよりさ、三鷹さん」

 幸太郎は茜をすっと脇に押しのけて、立ち去ろうとする三鷹君を呼び止めた。

 振り返った三鷹君は幸太郎の顔を見て軽く驚いていた。それもそのはず、そこにはさっきまでのすっとぼけた顔はなく、精悍で挑戦的な表情があったからだ。

「さっきのあんたの質問、まだ答えてなかったよな? 今度の交流戦、俺が先発させてもらえるって今朝監督からいわれたよ。明大烏山は打線もすげえけどさ、マウンドを任せてもらうからには一点もやるつもりはねえぜ」

 堂々と宣言した幸太郎に、さっきとは別の意味で周囲の者たちは呆気にとられた。たぶん幸太郎が口にした宣言がすごすぎて、誰もすぐには内容を咀嚼できなかったんだと思う。

 そして誰よりも早く宣戦布告を受け取り、ふっと笑みをこぼしたのは、ほかならぬ三鷹君だった。

「……上等だ。うち相手に一点もやらないとは大きく出たな。その言葉、そっくりそのまま返してやるぜ」

 三鷹君がそう切り返すと、人だかりからはおおっと野太い歓声が上がった。場には一気に勝負気配が立ち込めた。

「三鷹さん、あんたと投げあえるとはよお……、へへ! 今から交流戦が楽しみでしかたねえぜ!」

 鼻をこする幸太郎は、本当に試合が待ちきれなくてウズウズしているって感じだ。

「俺もだ。どっちが真のエースか、次の試合で証明してやるよ」

 三鷹君が幸太郎の顔面に向けて拳を突き出すと、それに応じて幸太郎は自分の拳を突き出した。ボクシングのファーストタッチみたいに拳を打ちつけあうふたり。これ以上のやりとりはもう野暮というものだ。三鷹君は幸太郎に背を向けると、小さく後ろ手を降って校門のほうへ歩いていった。

 一連のやりとりを見守っていたギャラリーはしばらく静けさに包まれていた。が、やがてどこからともなく拍手が湧き起こり、最終的にそれは高校球児同士の爽やか舌戦を称える惜しみない喝采へと成長していった。

「いいぞー、小川! 三鷹を県下ナンバーワンピッチャーの座から引きずりおろしてやれ!」

「おいおい、敵は明大烏山だけじゃねえぞ! こっちだって今年こそ甲子園行きを狙ってんだ! 三鷹ばっか意識してっと、うちが先におまえを打ち崩してやんよ!」

「望むところだぜ! 全員まとめてかかってこい!」

 人だかりのなかから次々と掛けられる発破やら挑発やらに幸太郎が答えるものだから、場は一気に賑やかになった。ま、喧々囂々とはしているものの全体的に見れば和やかに活気づいた良いムードだ。

「カッコいい……」

 そんな騒ぎをうっとりした目で見つめ、ぼつりと漏らしちゃったのは茜である。まあ、誰のどんな姿に対する感想なのかはあえて考えないでおきたい。

 それにほら、僕だってこのムードに興奮を覚えるのにやぶさかではないし。

「うん! 格好よかった、ふたりとも!」

 僕は胸が沸き立つような興奮を覚えていた。いや~、熱い場面だった! 最初はどうなることやらと思ったけど、最終的にはこの盛り上がりだ。三鷹君、クールに見えて案外熱い一面もあるんだな。それに幸太郎も、とぼけて顔して決めるところは決めるんだもんなあ。にくいやつだぜ、ちくしょう!

「ホント、あの子は天然でひと昔前の少年マンガみたいな真似するわね」

「そうなんですよ~。幸太郎ってば昔から勝負事が大好きで……って、涼子さん!?」

「うん、お疲れさま」

 にこやかな笑顔の涼子さんがいつのまにか隣にいた。あまりに自然に入ってこられたものだから、なんのためらいもなく会話を始めてしまっていた。

「い、いつ戻ってたんですか?」

「さっき打ちあわせが終わったところよ。で、なんかおもしろそうなことになってたから、しばらく見させてもらってたってわけ」

 さっき、とか、しばらく、とか、曖昧な言い方だなあ……。昨日のこともそうだけど、涼子さんっていったいなにをどこまで把握しているんだろうか?

「それで……僕になにかご用ですか?」

 幸太郎に見とれた状態の茜から距離をとりつつ尋ねると、涼子さんは少し眉をひそめた。

「呆れた。きみ、三鷹泰の様子を見てたんじゃなかったの?」

「えっ!? は、はい! もちろんですとも!」

 とっさに敬礼をしたけれど、八割がたがごまかしだった。最初こそ三鷹君に注意を払っていたけど、後半は完全に三鷹君と幸太郎のやりとりに引き込まれてましたごめんなさい。

「ま、いいわ。きみは別に偵察要員ってわけじゃないし」

 涼子さんはさらりと言った。僕、やっぱり偵察要員じゃなかったのか……。地味に落ち込むなあ。

「それにしても三鷹泰、あの様子だとうまくアオイちゃんにはまってるみたいね」

 涼子さんの言葉を聴いて、僕はいささか驚いた。

「え? でも、三鷹君、そんな素振りは全然見せてませんでしたよ?」

 いくらなんでもそのくらいは僕にも分かる。三鷹君の興味は同じ高校球児で自分のライバルになるであろう幸太郎に向いており、女の子のことで頭がいっぱいなんてふうにはまったく見えなかった。

「それが、そうでもないのよ。女の子のことを考えてるからこそ勝ち負けにこだわる。男ってそういう面倒くさいところがあるでしょ?」

 涼子さんは意味ありげな微笑みを僕に向けた。いや……面倒くさいとか言われましても。僕だって男ですけど、あまり身に覚えはありませんね。

「やっぱり、三鷹君に色仕掛けなんて利かないんじゃないですかね?」

 九州男児だし、硬派なイメージ強いもんなあ、三鷹君。

 涼子さんの作戦は、三鷹君をアオイに惚れさせて、今後の三鷹君の投球を左右するであろう新球種の正体を本人の口から直接を聴き出そうというものだ。

 でもこの作戦には重大な穴があるように思う。それは、三鷹君に色仕掛けをする工作員が僕である点だ。男の僕がハニートラップなんて、土台無理な話なのだ。

「ま、今の段階じゃ自分のボテンシャルを実感できなくても無理ないか。だったら確かめに行く? 百聞は一見にしかず、って言うしさ」

「行くって、どこへ?」

 僕が訊き返すと、涼子さんは上機嫌に微笑んた。

「もちろん、三鷹泰の様子を見に、よ。明大烏山はこの後、学校に戻って午後から練習なんだって。というわけで蒼君、私たちは明大烏山に潜入して三鷹泰の様子を探るわよ」

「ち、直接向こうに乗り込んじゃうんですか?」

「ここからが本当の偵察よ」

「ほ、本当の……!」

 僕は思わず息を呑んだ。じゃあさっきまで僕が任されていたものはなんだったのかという気もするけど。

「壮行会の片付けが終わりしだい、一緒に明大烏山に向かいましょう。あ、出発の前に部室に寄ってね」

「あ、はい、それは大丈夫ですけど……」

 部室というのはもちろん、諜報部の部室のことだ。でも偵察の前になんの用事だろう?

 僕が小首をかしげると、涼子さんはにやりと笑った。

「用事は偵察だけじゃないってことよ。まああっちの様子にもよるけど、行けそうなら次のミッションを敢行するわよ」

「え!? それってつまり――」

「メイクの手間もあるから、なるべく早めに来てくれると助かるわ」

 僕に色っぽいウインクを投げると、涼子さんはいまだ多くの人に取り囲まれている幸太郎に声をかけにいってしまった。僕の意見などハナから受けつけるつもりはないらしい。

「あ、森下先輩、ちーす!」

 涼子さんに気づいた幸太郎は威勢のいい挨拶とともに頭を垂れた。チアリーダー部の部長という涼子さんの立場もあってか、ふたりはすでに顔見知りらしい。涼子さんは気さくな感じで幸太郎に激励の言葉をかけはじめた。

 涼子さんからの期待に愛想よく応じる幸太郎を見て、僕は思った。

 親友よ、僕がおまえを男らしく応援してやれる日は、やっぱり当分来そうにない。

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