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MISSION 2 ピンチな出会いにご用心 2

 2


 時間は流れて、午後七時すぎ。

 僕はひとり、とあるファミリーレストランのボックス席で周囲の視線を気にしていた。

 なぜそんな周りを警戒しているのかって? その理由はひとつしかない。

 なにせ僕、今現在、絶賛女装中ですからね!

 ああ……やってしまった。ついに公衆の面前でスカート姿をさらしてしまった。

 会場設営のあと、応援練習があったあいかわらず応援練習には参加させてもらえなかったけど、団室掃除をすませたあと余った時間で僕も自主練をした。応援団の活動がすべて終了したのが午後六時前。ここまではまがりなりにも応援団員だったんだけど、アフターシックスはそうもいかなかった。解散後、僕は急いで諜報部の部室へ行って準備を整え、大急ぎでこのファミレスまでやってきた。

 準備というのはもちろん女装だ。胸元に青いリボンを巻いたセーラー服。昨日と同じスタイルである。それにしてもスカートの心もとなさはズボンの比じゃない。この薄い布を一枚めくれば下着が見えてしまうと思うと、どうにも落ち着かない。日頃からこんな無防備な恰好で街を闊歩している女子の皆さんはすごいと思います。

 股のあたりの寂しさを紛らわせようともじもじしていると、耳元でブツリと通信がつながるノイズが鳴った。

『なに早くも発情してんの? そんなことじゃ今夜の作戦は乗りきれないわよ』

 耳につけたイヤホンから聴こえてきたのは涼子さんの声だった。

 今宵の作戦行動中、僕はこのイヤホンを通して涼子さんの指示を受けることになっていた。耳は髪の毛で隠れているから外からはイヤホンは見えない……はずだ。僕は耳の下で結わえたツインテールをなんとなく肩の前へ持ってきた。断るまでもないけど、髪の毛はカツラである。

「あの、涼子さん……。ホントに大丈夫なんですか? やっぱり女装なんて、バレる気がしてならないんですけど……」

 僕は口元を手で隠しつつマイクにしゃべりかけた。

『今さらなにいってんの。心配いらないわよ。私を信じなさい。それより状況はどんな感じ?』

 涼子さんの声は軽く弾んでいた。なんでこの人、こんなに自信満々なんだろうか。

「えっと……、僕以外にお客さんはいないみたいです」

 いろいろといいたいことはあったが今は涼子さんに従うしかない。僕はざっと店内を見渡して現状を報告する。金曜日の午後七時といえばちょうど夕食時だと思うが、この店にかんしてはどうも客足が芳しくないようだ。余計なお世話だけど、経営状態は大丈夫なんだろうか、この店。駅前の繁華街からはやや離れた国道沿いの店舗とはいえ、ここまで閑古鳥が鳴いているファミレス店も珍しい。

『諜報活動をやるには都合がいいじゃない。それとも人に見られてたほうが興奮するタイプ?』

 滅相もございません。むしろなるべく人目を避けたい。声を発するのもまずいよなあ。さっき注文を取りにきた男の店員としゃべるだけで女装がバレないかヒヤヒヤした。

「……よくよく考えれば、こんな状態じゃハニートラップどころかまともに他人と接触することすらできなくないですか?」

『よっぽど鋭い人でもなけりゃ初対面なら男だなんて思われないって。しゃべるときも変に声色を作ったりしなくていいから。何度もいってるけど、もっと自分に自信を持ちなさい』

 自信って言われてもなあ……。自分では中身が男だって分かっているだけに、人からは男だと思われないといわれてもいまいち実感が湧かない。だいたい、男に見えないって褒められるのもどうなのかって話だ。僕、男らしくなりたいと常々思ってんだけどなあ……。

 ただ、今この局面、絶賛女装中の現在に限っては周りから女の子だと認識されなくてはならない。女装してるなんて知られたら男を目指す身としては致命傷だ。

 男に見られないのは不本意だけど、男になるためには男だとバレてはいけない。僕は今、なんとも複雑で奇妙な状況に置かれてしまっていた。

「ともかくはがんばりますけど……、でも、本当にこの店に三鷹君が来るんですか?」

 僕がドリンクバーだけで店内に居座っているのは、ハニートラップのターゲットである三鷹君がこの店を訪れるといわれたからである。今のところ三鷹君どころかほかの客がくる気配すらないけど……。

『情報に間違いはないはずよ。毎月第二金曜日、野球部の練習が終わったあと、三鷹泰はこの店に食事をしにくる。それも決まってひとりでね』

 涼子さんは自信ありげにいいきった。三鷹君の習慣については諜報部が事前に調査しているのだという。この程度の身辺調査なら涼子さんたちにとっては朝飯前なのだろう。僕の素性についても、自室のレイアウトまで調べあげた人たちだからなあ。

 そんな諜報部でもつかみあぐねているのが、明大烏山野球部エース・三鷹泰がひそかに習得したという新球種の正体だ。その情報を三鷹君から直接訊きだせというのが、僕に下された指令である。……無茶ぶりだなあ。

「三鷹君ってたしか、寮住まいって話でしたよね? なんでわざわざファミレスに?」

 三鷹君のプロフィールについては僕もいちおう見せてもらっていた。学生寮なら食事も出るんじゃないの?

『明大烏山の学生寮は、毎週日曜日と第二金曜日が休みになるのよ。だから寮生は自分で食事を用意するか、外に食べにいくってわけ。三鷹泰も毎週日曜日はほかの寮生と外食することが多いんだけど、第二金曜日だとは決まってひとりでここに来るのよね』

「どうしてですか?」

『このファミレス、もともとは九州地方限定のチェーン店らしいのよ』

 ああ……それで。妙に納得する答えだった。そういえば三鷹君、九州の出身だったな。月一回でもここへ通って故郷の味を思い出しているのかもしれない。

『この店のメニューは九州押しが強すぎるからねえ。月いちとしても付き合ってくれる人もなかなかいないんじゃない? さつま揚げのステーキ辛子明太子ソースの甘夏ライスセットとか、根っからの九州人でもなきゃ食えたもんじゃないでしょ』

 ……いいたいことは分かりますけど、薩摩隼人からのクレームが怖いんでこれ以上は掘り下げませんよ? ドリンクバーにあったびわジュースはまろやかな口当たりでおいしいです。

「それで……三鷹君が来たら僕、なんて声をかければいいんですか?」

 僕はあらためて声をひそめる。三鷹君をハニートラップにはめろとはいわれているけど、そんなのどうやってやるんだ? 逆ナンパでもするの?

『アオイちゃんは清純派だからナンパなんてしないわ。むしろナンパされてちょうだい』

 僕、清純派って設定だったのか……。まあ、ガンガン男に声をかけろと言われても困るけど……。

「……って、ナンパ――される!?」

 思わず声が大きくなってしまった。慌てて周囲を窺って誰にも聞きとがめられていないことを確認しつつ、僕はあらためてボックス席で身を小さくする。

「な、なんですか、ナンパって!?」

『ナンパはナンパよ。いってあったでしょ、今日の作戦には、仕掛け人を用意してあるって』

 たしかにここへ来る前、諜報部の部室でこの姿に着替えさせられている最中に、そんなことを告げられた気はする。

「それって……西大島団長とかじゃないんですよね?」

『伴内君はもしものときのために部室に待機してるからね。三鷹泰がそこへ来たあと、しばらくしたらいかにも柄の悪そうな二人組が入ってくるわ。その人たちが仕掛け人。彼らにはアオイちゃん、あなたをナンパするように頼んであるの。そうしたら、あなたは怖い連中にナンパされて困ってます、って感じを出しつつ、三鷹泰に助けを求めてちょうだい』

「そ、それで、どうなるんですか?」

『目の前で女の子がナンパされてて、しかも助けてっていわれたら、三鷹泰も介入さぜるをえないでしょう? これで自然なかたちで三鷹泰と接触をはかれるってわけ。ハニートラップでまず大事になってくるのはターゲットとのファーストコンタクトだからね。ここで相手のハートをがっちりキャッチできればあとはもう楽なもんよ。自分が卑劣漢の手から救いだした女の子と恋に落ちるとか、こんな劇的な展開もなかなかないでしょう?』

「……そりゃあまあ、男として理解できなくはないですけど」

 ただ、ずいぶんとやり口が強引な気がしなくもない。ナンパを阻止しに入るとか、下手したら荒事になるんじゃなかろうか。

『前もいったけど、今回はあんまり時間をかけられないからね。多少危険を犯しても、一気に恋心が燃え上がるようなシチュエーションが必要なのよ。大丈夫、柄の悪い連中っていったってあくまでこっちの仕掛け人だから。あなたたちに危害は加えることはないわ』

「まあ……そうなのか」

『そうそう。柄の悪い連中(偽)よ』

 涼子さんが軽い口調で合いの手を入れてきた。(偽)って……。

 とにもかくにも、僕のやるべきことは理解できた。三鷹君に続いて入店してくるその柄の悪い連中(偽)にナンパしにくるから三鷹君に助けを求めろ、と。

『うん。台本があるわけじゃないけど、演技自体は難しくないでしょ? 仕掛け人もその道のプロだから、ある程度任せておいてもうまくやってくれるし』

 その道のプロとはどういう意味だろう? 演劇部員とかかな?

『あとはそうね……手持ちのアイテムは自由に使っていいわよ』

 涼子さんの言葉につられて僕は脇に置いてあった小さめのポーチに手をやった。今日、変装を済ませたあとで涼子さんから持たされたものだ。そういえばこれ、なにが入っているんだろう? ひょっとしてスパイ七つ道具とか?

 気になってジッパーを開けてみると、中から出てきたのは、テッシュにハンカチ、リップクリーム、ミント味のガム、ソーイングセット……。

「って、なんですか、これ!」

『乙女七つ道具よ。意外に役に立つのよ? 目薬とか絆創膏とか』

 なんの役に立つんですか。目薬を使って嘘泣きとか? だったら怖い。乙女怖い。

「ハニートラップ的にはそういう使い方もありだけど……まあいいわ。もう七時半か。そろそろ三鷹泰が現れてもおかしくない頃合いだわ。作戦会議はここまでね。私は私でやることもあるから直接は手伝えないけど、もしものときはこの通信機を使って連絡して』

 じゃあ健闘を祈るわ――と言い残して、涼子さんは通信を切った。あいかわず店内の客は僕ひとりなので急に静かになった気がする。そういえばずっと独り言をしゃべってたふうになってたけど、店員さんに変に思われなかったかな……。ひとりだったら電話するふりとかしてたほうがよかったんじゃ……。

 早くもミスをした気がしたが、反省をする暇もなかった。通信を終えて一分とたたないうちに、新たな客の入店を知らせるドアベルの音が鳴ったのだ。

 入り口のすぐ奥、レジカウンターの前で立ち止まった長身の少年を見て、僕は目を見張った。

「み……っ!」

 思わず声をあげそうになって、僕は慌てて自分の口を塞いだ。ここで向こうに怪しまれるのはまずい。

「一名様ですか? おタバコは?」

「禁煙で」

 対応にきたウエイターのお兄さんにそう答え、店内奥の四人席へ案内されていく少年を、僕は横目で追った。健康的に焼けた肌に切れ長の目。頬がこけ、精悍な印象を与えるその顔つきは雑誌の切り抜きで見たまんまだった。間違いない。

 四月の第二金曜日、十九時三十二分。場末のファミレスにひとりで来店したのは、たしかに明大烏山野球部のエース、三鷹泰君だった。

 通された席に腰を下ろした三鷹君は、すでにメニューを決めていたのか、その場でウエイターに注文を告げていた。さつま揚げのステーキセットかどうかは確認がとれなかったけど。

 というか、本当に来ちゃったよ! あらためて諜報部の調査能力に驚かされる。ここまで正確にターゲットの行動パターンを把握しているとは……。三鷹君がひとりで来店するという点も見事に当たっていた。

 手持ち無沙汰なのか、三鷹君は携帯電話をいじりはじめていた。眉間に皺を寄せた顔つきがちょっとだけ怖い。Tシャツにジーンズというラフな格好もあって、見た目はあまり野球選手っぽくなかった。髪の毛も野球部員としてはわりと長めだし、ロックバンドとかやっててもおかしくないような雰囲気だ。ただ、軟派な印象はない。むしろ結構カッコいいんだよね。ちょっと近寄りがたい雰囲気もあるけど、それもかえって硬派というか。これで野球部のエースだっていうんだから、女の子にも結構モテるんじゃなかろうか?

 そんな人を僕なんかがハニートラップにはめられるのかと一瞬思うけど、いや僕が惚れられるわけでもないだろう。惚れさせるわけでもない。三鷹君の相手をするのはアオイだ。それはなんというか、僕であるけど僕じゃない。僕自身じゃない。うまくはいえないけど、アオイは涼子さんが作り上げた虚構の存在のようなものだ。現に、僕にセーラー服を着せて青いリボンをつけて、メイクを施したのも涼子さんだしね。僕自身はそう、エヴァンゲリオンのパイロットみたいなものだ。たまたまシンクロ率が合っちゃったから操縦を任されてるだけ。涼子さんもいってたじゃないか、流れに身を委ねてればそれでいいって。僕がやるべきこと、僕にやれることなんて、目標をセンターに入れてスイッチを押すことくらいだ。

 作戦は涼子さんが考えてくれている。そしてそれはさっそく開始されるようだった。

 三鷹君の入店から五分もたたないうちに、再びドアベルが店内に鳴り響いた。僕の目は反射的に入口に引き寄せられる。

「……ったくよぉ、なめんなっての! ドタキャンとかマジありえねえ!」

「ヨージのやつマジでいっぺんシメとかねえとダメだな。俺らにふざけた女回すとかマジふざけてっから」

 不穏当な会話を交わしながら店内に入ってきたのは、いかにも不良然としたふたりの男だった。坊主に剃りこみ頭の太めと、長髪をアッシュに染めた馬面の二人組。剃りこみのほうは口と顎にひげを生やし、金の刺繍の入った上下黒のジャージを着てサングラスを掛けている。アッシュ髪のほうはデニムジャケットに黒のタンクトップ、迷彩柄のカーゴパンツといういでたち。見るからに柄の悪そうな連中だ。

「あ、あの~、二名様ですか? おタバコのほうは……」

「ああ? 見りゃわかんだろ!」

「灰皿くらいどこでもおいとけや」

「し、失礼いたしました」

 接客に来たウエイターのお兄さんに理不尽な悪態をつく剃りこみとアッシュ髪。 こ、これはなんというか、絵に描いたような柄の悪い連中(オラオラ系)だなあ。

「あ……」

 思わずビビってしまったが、そうか、この人たちが涼子さんが仕込んだっていう仕掛け人なのか。三鷹君が来店した直後に姿を現したタイミングから考えても、間違いなさそうだ。おもいっきり柄も悪そうだし。

 普段なら絶対に関わりあいたくないタイプだけど、この人たちは本物の不良じゃない。偽物だ。柄の悪い連中(偽)である。

 そしてこちらに協力してくれる人たちであり、となれば彼らが次にとる行動はひとつしかなかった。

「おい、あそこにいる女……」

「へえ……、悪くねえじゃん」

 二人組は僕のほうを見て、なにやらひそひそ話を始めた。

「お、お客様、喫煙席はあちらに――」

「おお、わりいな。やっぱ待ち合わせしてたわ」

 二人組はウエイターのお兄さんを押しのけ、勝手に奥へと進みはじめた。向かう先はほかでもない、僕が座るボックス席だ。

 は、始まった……。スタートの合図もなかったけれど、始まってしまったのだ、対三鷹君ハニートラップ作戦そのいち、狂言ナンパミッションが!

「あっれ~? 彼女、ひとり?」

 まず声をかけてきたのはアッシュ髪のほうだった。さっきまでいらついていたのが嘘のように軽薄な口調である。

「え、えっと……」

「席空いてるならさ、俺らも一緒していい? いいよね?」

 下卑た笑みを浮かべた剃りこみは、僕の許可も待たずに強引に隣へ腰を下ろす。二人掛けソファの壁側に座っていた僕は、重量級の男に通路を塞がれ身動きがとれなくなった。

「よろしく~」

 アッシュ髪も長髪をかき上げながら僕の向かいの席に着席。

 僕からしたら完璧に退路を断たれた恰好である。

「あ、あの……」

 僕は遠慮がちに二人組を窺った。そ、想像以上にグイグイ押してくるなあ……。それともこれがプロの役者さんのテンションなのだろうか? 偽物だって分かっていなかったら恐怖ですくみ上がっていてもおかしくないくらい、オラオラ迫ってくるふたりだった。

 アッシュ髪が僕に浴びせてくる視線にも、真に迫ったいやらしさがあった。男ってナンパするとき、こんな気味の悪い目で女の子を見てるんだね……。

「きみ、すっげえカワイイね! 高校生?」

「名前教えてよ、名前!」

 テーブルから身を乗り出したアッシュ髪に乗じて、剃りこみも横から僕に身を寄せてくる。うう……汗でうっすら湿ったジャージを二の腕に押しつけられるのは耐えがたいな……。

 だけどこれはすべて狂言。演技なのだ。それを気色悪いとか思うのはかえって失礼な話だ。彼らだって頼まれてやってくれているんだ。そこはむしろ感謝すべきところだろう。

 人の少ない店内でここまで騒げば三鷹君もこちらを見ざるをえないはず。だったら僕も演技をしなければ! ええと、ナンパに困った振りをするんだったよな。

「エエ~、困リマスゥ、ワタシ、ソウイウンジャナインデェ」

  ……自分でいうのも恥ずかしいけど、すっげえ棒読みだった。自分の大根役者っぷりに愕然とせざるをえない。曲がり間違っても将来演技の道にだけは進まないでおこう……。

「なんでなんで? 名前くらい教えてくれたっていいじゃん!」

「俺ら別に、怪しいもんじゃないからさ」

 僕の下手くそな台詞回しにも呆れることなくナンパ芝居を続けてくれる剃りこみとアッシュ髪。見かけによらずプロ意識高いな。あ、この見かけもお芝居の内なんだったか。僕と一緒で。

 ただ、こうも体を寄せられると、僕としてはやりにくい面もある。いや、ありがたいんですよ? 一生懸命演技してくださるのは。でも残念ながらおふた方の熱意に答えられるだけのスキルが僕のほうにないのです。

「あ、あの……、もうちょっとだけ離れてもらっていいですか? 三鷹君の様子も見たいですし……」

 僕は小声で剃りこみにお願いした。このあとは僕が三鷹君に助けを求めるという流れだったはず。しかしこうも完璧に逃げ場を塞がれてしまうと、最悪、僕の姿が三鷹君の目に入らなくなってしまうんじゃないか? それは作戦的にあまりよろしくないだろう。

「あ? 誰だよ、三鷹って」

 しかし剃りこみはなにを思ったのか、不機嫌そうにピクリと眉を動かす。いや怖いっすよ。三鷹君に見せるわけでもなし、そこまでリアリティ出さなくても。

「いやいや、三鷹君ですよ。僕たちのターゲット」

 演技に入り込むのは結構だけど、観客の存在を忘れてちゃ本末転倒だろう。というか、そうだ。僕たちがさっきから続けているこの迫真の演技、三鷹君はちゃんと見てくれているんだろうな? 

 そう思って何気なく三鷹君の席へ目をやると、思いもよらぬ光景がそこにあった。

「……って、いない!?」

 三鷹君が姿を消していた。彼が座っていたはずの四人席は無人。テーブルの上に水の入ったグラスが一つ置かれているだけだった。

「ちょいちょい、さっきからなに? ほかに誰か連れがいるわけ?」

 アッシュ髪の声のトーンが、先ほどまでより明らかに低くなった。

「い、いや、連れっていうか……、ほら、あっちがですね……」

 アッシュ髪に注意を促そうと、僕はチラチラと視線を動かす。ほら三鷹君が、僕たちが芝居を見せるべき唯一の観客がいなくなってますよ!

「は? なに訳分からんこといってんの?」

 しかしアッシュ髪は僕の意図に一向に気がつかない。それどころかなぜかいらだちを――もとい、いらだつ演技を見せはじめた。

「なあ、どっか別のところ行かねえ? ここじゃさすがに話進められねえだろ」

「そうだな。じゃあ、ヨージの店行くか。あそこの個室なら少々騒がれても問題ねえし」

 焦れたような剃りこみの提案に乗って、アッシュ髪は席を立つ。え、なに? どういう展開なの、これ?

「い、いやいやちょっと。外に出ちゃったら意味ないじゃないですか。涼子さんに怒られますよ?」

 僕は慌ててふたりを引き止める。涼子さんの名前を出せば、このふたりも分かってくれるだろう。彼らは涼子さんに頼まれてここへ来ているはずなのだから……?

「あん? ねえ、マジでさっきからなにいってんの? リョウコって誰? ひょっとして俺らのことおちょくってる?」

「あんまごちゃごちゃいってっと痛い目見ることになるぜ?」

 あ……れ? なんだ、この不穏な雰囲気? 違う。彼らと僕のあいだで、なにかが決定的にずれてる気がする。ぞくりと背筋が寒くなった。僕をにらみつけるふたりの形相が真に迫りすぎていた。とても演技とは――思えなかった。

「あの……、おふたりは柄の悪い連中(偽)……です、よね?」

「だから、さっきからなに訳分かんねえこといってんだよ、おめえよ!」

 剃りこみはとうとう声を荒げ、僕の腕を乱暴につかんだ!

「ほ……っ!?」

 本物だ――ッッッ! この人たち、本物ですよ! 正真正銘の不良っ。柄の悪い連中(本物)だよ!

「こっちが下手に出てりゃ調子乗りやがって、このアマ! おら、こっち来い!」

「ひ、ひいっ!?」

 完全にキレた剃りこみは僕の腕を引いて強引に席を立たせる。い、痛い! 剃りこみの手に込められた力の強さが、これはガチなやつだと雄弁に物語っていた。

「おいおい、女は優しく扱えって。完全にビビっちゃってんじゃん、この子」

 キザな台詞で剃りこみをいさめるアッシュ髪にも、相方の暴挙を止める気配はない。僕が剃りこみに連れさられるさまをにやにやと眺めている態度はより嗜虐的とすらいえる。

 な、なんで!? どうして……!? この場には、柄の悪い連中(偽)が来るはずじゃなかったのか? なんで本物の不良が現れてんの? しかもいつのまにか三鷹君もいなくなってるし……。話が違いすぎますよ、涼子さん!

 ……はっ! そうだ! 涼子さんだ! 助けてください!

「り、涼子さん涼子さん!」

 僕は必死に通信機へ呼びかける。ところが……。

「な、なんで出ないの!?」

 返ってくるのはノイズばかりだった。僕の呼びかけは砂嵐のような雑音のなかへ無情にも消えていく。

「ああん? なに助けとか呼んでんだよ!」

「でも誰もいねえじゃん。こいつ、頭おかしくなっちまったんじゃねえ?」

 ゲラゲラと笑うアッシュ髪が後ろから僕を突っつく。彼らは僕を出口に向かわせていた。ほ、本気で店から連れだす気なのか……?

「いいから黙ってついてこい。おとなしくしてりゃ悪いようにはしねえからよ」

「ここまできたらお互い楽しもうぜ。気持よくしてやんよ?」

「ひ、ひいっ!」

 アッシュ髪に背後から腰を抱かれ、僕の体に悪寒が走った。いやらしさ以外なにも感じさせない手つきだった。まずい……このふたり、本気で僕のことを女の子だと思っている。

 僕は男です! そう叫びたかったけれど、恐怖のあまりもはや声も出なかった。誰か……本当に助けてください! 僕の貞操が緊急事態です!

「あ、あの、お客様、お会計を……」

 おずおずと声をかけてくれたのは、ウエイターのお兄さんだった。しかし、柄の悪い連中(本物)の暴挙を止めるには、彼の物腰はあまりに弱々しすぎた。

「ああ!? なんも頼んでねえだろうが!」

 剃りこみにすごまれると、お兄さんは「失礼しました!」と肩をすくませた。いや、僕のぶんのドリンクバー代を請求しにきたんだと思うんだけどね……。

「おーし行くべ。ヨージの店でいいよな?」

 アッシュ髪が早くも車のキーらしきものを取り出しながら、出口の扉に手を掛ける。や、やばいって! 彼らの車に乗せられたらもうジ・エンドだ。ヨージの店とやらで僕のいろいろなものが終わってしまう!

「そ、それはダメ……っ」

 僕はなんとか店内に踏みとどまろうと必死で足を踏ん張る。しかし残念なことに抵抗の素振りは火に油をそそぐようなものだった。

「このアマ……っ、手間かけさせんじゃねえって!」

 剃りこみはこれまで以上の強い力で僕を引き寄せると、もう片方の手を振り上げた。……って嘘だろ!? 殴る気!? しかもグーで!? 

 目前に迫った暴力の恐怖に僕は目をつぶった。

 やられるっ……そう思った瞬間だった。

「そのくらいにしといたら? あんたら、マジでうるせえわ」

 そのクールな声は、不思議とすうっと耳に入ってきた。

「ああ? なんだ、てめえ?」

 不機嫌そうなだみ声は剃りこみのもの。

 僕はおそるおそる目を開ける。白いTシャツの裾が見え、僕はゆっくりと視線を上げていく。

 見上げた先にあったのは、剃りこみの手首をつかむ三鷹君の仏頂面だった。

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