Early love (3)
城に戻り、植物庁で仕事をしていると、待っていたとばかりにアンソニーが顔を出した。だがその日は珍しいことに、アンソニーの後ろにマルヴィナと二人のチューター、ギルバートがいた。
「なにか用か?」
「ニルに晩餐会の招待状をもってきました」
やけにもじもじと恥ずかしそうにニルを見ていたマルヴィナとアンソニーの二人は、かしこまった口調でそう言うと、同時に同じ手紙を差し出した。白と紅のストライプの封筒には王家の青い百合の紋章が刻まれている。
「晩餐会?」
「毎年この時期になると、ぼくたち兄弟とその仲の良い人たちを集めて宮殿で小さな晩餐会を開くんだ。今年はアイザックがホスト役で、その下の兄弟も全員参加。オーレリア、ランバート、マルヴィナ、それからぼくだ」
「アンソニーははじめての晩餐会なのよ」
マルヴィナはえっへんと威張るように言った。
「マルヴィナだって二回目だろ」
「でもあんたより一回おおいわ」
「二人とも、クリムさんの前でケンカは良くないよ」
ギルバートにたしなめられ、二人はそろって反対にそっぽを向いた。アンソニーとマルヴィナは歳が一つしか違わないため、まるで双子のようだ。
「兄弟みんな、一人は友達を招待しなきゃいけないんだ」
そっぽを向いたまま、アンソニーはぶっきらぼうな口調で言った。
「それを俺に? 二人とも?」
「ちがう、ニルを招待するのはぼくだ!」
「何言ってるの! ニルは私のお客さまになるのよ!」
アンソニーがニルの右腕を掴むと、対抗するようにマルヴィナもニルの左腕を掴み、二人ともギュッとつかんで離さない。
「痛い痛い、やめろっておいっ……いいかげんにしろ!」
二人がぎゅうぎゅうと自分の方に引っ張るため、そうニルは怒鳴らなければならなかった。助けを求めるようにお目付け役らしいギルバートをふり返ったが、申し訳なさそうに肩を縮ませていたため、ため息をつくしかなかった。普段からクソガキ二人にふり回されている一番の被害者はこの善良な青年らしい。
「マルヴィナは友達が少ないから、ニルを招待するって聞かないんだ。去年だって呼んだのは従姉妹のステイシーとジュリエットの二人だったしね」
「ちがうわ! それにそれを言うならアンソニーだって同じじゃない」
「同じなもんか。ぼくは友達はたくさんいるけど、その中でも一番の友達であるニルを呼びたいんだ」
「なによ、一番下の子はあの二人を呼ぶって毎年決まってるのよ!」
「友達がいないんだから、今年もマルヴィナが呼べばいいだろ」
「あんな双子を晩餐会に呼ぶくらいなら、ネズミとウシガエルでもいすに座らせてたほうがマシよ!」
二人はしばらく無言でにらみ合っていたが、やがて根負けしたらしいマルヴィナがそれでも十分不服そうな表情で言った。
「いいわ、わたしは別のプランを考える。わたしの方がお姉さんだから譲ってあげる」
そしてマルヴィナは内緒話をするようにニルに顔を近づけると、
「アンソニーはアイザック兄さんのことが苦手なのよ。だからニルを連れて行って、自分はあまり話をしないようにしたいの」
と囁いた。
「マルヴィナ!」
すぐにアンソニーが顔を真っ赤にして怒鳴り飛ばしてきたが、それは肯定以外の何物でもなかった。大学生の三男アイザックは、アンソニーより九つも年が上で、アンソニーは彼の格好のおもちゃらしい。
晩餐会はハイアット家の町屋敷にもほど近いバンデンの一等地にある屋敷で行われた。もとはアレックス達の父、ウェリントン公の屋敷だったらしいが、今では半分アイザックのものになっているという。
招かれた客人はみな若い貴族たちで、シャリエがいれば一人一人解説をしてくれただろうが、ニルにはそれがどこの誰かは全くわからなかった。ただ、部屋の真ん中で出されたフルーツをずっと口に放り込みながら、けたたましいほどの大声でしゃべりつづけている濃い化粧の双子だけは、従姉妹のステイシーとジュリエットだろうことは見当がついた。
普段はアンソニーを除けば、顔を合わせる多くが自分より年上なこともあって、同世代の集まりは新鮮だった。
応接間で待っていると、突然男がニルの隣に座りこんだ。
「クリムさんじゃないですか!」
はつらつとした雰囲気の目の前の若い男の顔を一瞬まじまじと見つめ、――――思い出した。あの植物好きの変人貴族、ベングリッド子爵ことマシュー・ハイアットだ。
「こんばんは、ベングリッド卿」
「マシューでいいですよ、僕もニルと呼びたいし。しかし貴方とこんなところでまた会えるなんて奇遇だなあ!」
まるで運命のよう、とハイアットははにかんだ。まるで年頃の娘のような反応に思わずニルは苦笑した。
「少々アンソニー殿下と面識がありましてね」
「知ってますよ、クイーンアレックスへの誕生日プレゼント事件でしょう?」
貴方のことなら何でも知っています! とでも言いたげな誇らしげな表情でハイアットはにっこりと微笑んだ。ええ、まあと曖昧な返事を返しながら、ハイアットには気づかれないようニルはやや後ろに後ずさった。
「僕はアイザック殿下の大学のクラブチームのOBでして。寄宿学校も同じなんです。殿下にはグレンと一緒によく悪さをしたなあ」
「なるほど」
普通の話をしていれば、いたって普通の貴族だ。今の距離を維持しながらニルは思った。
「こういう場は得意? ずいぶんと落ち着いているように見えますよ」
「得意でも不得意でも。むしろ堅苦しいマナーよりもプラントハンター的なふるまいを求められる方が苦痛かもしれない。大衆の期待に応えるのはなかなか難しい」
「生肉を噛み切って食えとか?」
「虫とか蛙とかも。毒草を食わされそうになったこともありますよ」
あれは本当に最悪だった。思い出しただけで思わずニルの眉間に深いしわができた。
「それに、どこにいても私は変わらないので」
「グレンみたいだな」
ハイアットはおかしそうに笑った。
「今日はゼファリー子爵は」
「彼は来てないですね。殿下の招待を断ったりはしないだろうから、呼ばれていないのかな」
周りをきょろきょろと見回し、ハイアットは言った。
「おっと、そろそろかな」
応接間の奥の扉が開き、正装したアイザックと腕を組んだオーレリア、そして下三人の兄妹が入ってきた。アンソニーは一番後ろで兄弟たちの陰に隠れていたが、やや控えめに誰かを探すように視線を動かし、やがてニルを見つけるとにっこり笑った。
「さっきマルヴィナと話していたのだけど、貴方の名前っておとぎ話に出てきそうね」
子羊のカツレツを美しい所作で口に運びながら、オーレリアがニルに話しかけた。ニルの隣にオーレリアが座り、前にはアンソニーとハイアットが座っている。オーレリアは新聞で見た肖像画と寸分の違いもなく、むしろ白黒の肖像画よりも若々しい輝きを放っていた。初夏の花のようだな、とニルは思った。
「花の妖精のニルムのことでしょうか」
「そう、それね! まさにプラントハンターになるよう宿命づけられたような名前だわ」
ニルの言葉にオーレリアははずむように頷いた。
「王立プラントアカデミーをたったの四年で卒業したと聞いたけど」
「今までどのくらいの期間探検を?」
「あの有名な植物学者、チャールズ・ホスキング博士の隠し子って話は本当?」
「聞きたいことがやまほどあるのはわかるけど、弟の友人にどうか落ち着いて食事をさせてくれないか、オーレリア」
ニルにとっては慣れっこの質問攻めだが、アイザックが穏やかな声で制した。
アイザックのホストぶりはさすがとしか言いようがなかった。客人全員に話をふり、ウィットの聞いたジョークで場を盛り上げ、貴族ではないニルにも十分に気をつかっていた。アンソニーから悪口ばかり聞かされていたので、ニルは少し面食らったくらいだ。
「アンソニーったらね、クリムさんのことばかり話すの。貴方の話題が出ない日はないくらい。でも安心したわ。弟の初めて(・・・)のお友達がこんなに素敵な方で」
オーレリアの台詞に、ハイアットの隣のアンソニーがグラスの水を噴き出した。
「汚いぞ、アンソニー」
ナプキンを差し出すアイザックが、その言葉とは裏腹に口元ににやにや笑いをたたえているのをニルは見逃さなかった。オーレリアはきょとんとした顔で「私、何かおかしなこと言った?」と首をかしげている。ニルはしれっとして「光栄です」と応じた。
「しかしマシューとニルが知り合いだったとは。世間は狭いとはよく言ったものですな」
「お二人は知り合いなの?」
アンソニーが初耳だという風に声をあげた。
「ええ、ひょんなことから知り合いになりまして」
「世間は狭いと言えば、マシューはオーレリアとも仲良くしていましたよね」
「え?」
「ほら、オーレリアは小さい頃、僕の後ろをよくついて回っていたから、マシューとも顔を合わせていたと思いますよ。もう十年も昔のことですが」
「やめてよ、兄さん」
アイザックの言葉に、オーレリアが顔の前に手をやり、恥ずかしそうに笑った。
「ごめんなさいね、覚えていませんでしょう?」
「い、いえ、もちろん覚えていますよ。何度か一緒に遊んだこともありましたよね」
絶対嘘だな、と慌てたようにカツレツを口に放り込むハイアットを見てニルは思った。アイザックも同じように思ったのか、ニヤリと笑ってこう言った。
「どうやらオーレリアの初恋の相手はマシュー、貴方だったようですよ」
「ちょっとアイザック!」
「えっ、んんっ!」
暴露されたオーレリアは顔を真っ赤にし、ハイアットは肉をのどに詰まらせた。
「それ本当?」
ステイシーかジュリエットのどちらかが(初めに紹介されたような気もするが、どっちがどっちかは覚えていない)追い打ちをかけるように食いつき、その声に、全員の視線がオーレリアとハイアットに集まる。
オーレリアは澄んだペリドットのような瞳をきらめかせ、ハイアットに向かって恥じらうように微笑み、ハイアットは滝のように流れる汗をこれでもかと拭いていた。
デザートを食べ終え、すべての食事が運ばれ終わると、女性たちは居間へ移動して紅茶の時間となった。残された男性陣はパイプを吸ったり談笑したりと思い思いに過ごしている。屋敷に泊まっていくというアンソニーとマルヴィナは執事たちに付き添われ、早々に二階の寝室へと下がっていった。
「ああー、疲れた!」
テラスへ出ると、ハイアットは大きく息をついて手すりに顔を沈めた。
「僕ね、ああいう席って本っ当に苦手なんですよ」
「そうは見えなかったが」
「じゃあ少しは上手くできてたってことかな」
完全にお世辞ではあったが、ハイアットは照れたように笑った。
「アイザックも少しは助けてくれればいいものを、面白そうにニヤニヤしてるだけだし。あの男も王族らしくない男でしてね、本気を出せば何でも器用にこなすんですが、これがとことんやる気がなくて。宮廷内では怠惰な無気力王子とか国庫のフリーライダーとか陰口を叩かれてる」
「オーレリア姫が、あんたが初恋の人だとか言ってたな」
「ああいうおべっかも勘弁してほしいですよ。赤大陸と貿易を行う父へのけん制か、もしくは逆に父とのパイプ作りのためか。どちらにせよ、女王のお達しですよ、あんなの。本気じゃないんだ。最近のクイーンアレックスはたいそう赤大陸にご執心されている様子ですから」
おかしいと思ったんだ、とハイアットは夜空を仰いだ。
「アイザックなら僕一人ではなくグレンもまとめて呼ぶはずだから。あーっもう、貴族ってどうしてこうなんでしょうね、なんでも社交社交、中身のない薄っぺらい会話。でもまあ、考えてみればオーレリア殿下もお可哀想な方ですよね。小さな頃に兄弟たちと離され、宮殿から遠く離れた修道院に行かされて、やっと帰ってきたと思ったら今度は見ず知らずの貴族に媚びを売って、それが終わったら海の向こうの赤大陸に嫁がされるかもしれないなんて。恋の一つや二つも知らない、可愛そうな……」
「悪かったですね、恋の一つや二つも知らない、世間知らずのおべっか使いで」
ニルとハイアットは息がとまりそうになった。恐る恐るふり返った先にあったのは、地獄の悪魔の微笑みにも似たオーレリアの顔だった。さきほどの可憐で慎ましやかな貴婦人の面影はゼロだ。ハイアットの顔が、まるで熊から逃げる野兎のようにみるみる青くなっていく。
「で、殿下、いつから……」
「ああいったおべっか使いなんか大嫌い、のところからかしら」
最初だ……
ニルとハイアットの頭に「絶望」という文字が浮かんでは消え、浮かんでは消えた。しかも話の内容はオーレリアの中でおおいに脚色されているらしい。
「アイザックが一緒にビリヤードをと言っていたので呼びに参りましたの」
それだけ言うと、オーレリアは踵を返した。
「私だって、恋ぐらい知っているわ」
そう言い残した声は少し湿っているようにも聞こえて。
「…………もしかして、泣かせた?」
立ち去る後ろ姿を見て、ハイアットは額に手をあてて、ニルを見た。その歩調はどこか前のめりで、まるで今にも走り出したい衝動を抑えているかのようで、「……たぶん」とニルも同意した。