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女王の庭師  作者: シレンシノ
三女オーレリアの初恋
6/18

Early love(1)


「オーレリア様、そろそろですからお起きくださいませ」

 侍女のジェーンの声に、オーレリア・シャープシュケードはまぶたをこすって窓の外を見た。馬車はちょうどバンデン市内との境目を走っているところのようだ。何もない平野に、ポツリポツリと石でできたこの村特有の三角屋根の家が増えていく。小さな川には白鳥とカモが泳いでおり、村の子供たちがそれを眺めていた。

「お懐かしい景色ですね」

「いやだ、ジェーン。先週も女王の誕生日パーティーで帰ったのよ? いちいち懐かしがるほど離れてはいないわ」

 オーレリアの返答に、ジェーンは困ったように微笑んだ。オーレリアが三歳の頃から侍女をしているこの婦人の顔も、少し見ない間にずいぶんと皺が増えていた。月日とは気づかぬ間も絶えず流れているのだ。

「でも目に焼きつけておきましょう、もうすぐお別れらしいから。この見慣れた風景とも」

「そんなことおっしゃらないでください! まだ正式に決まった訳ではないんですから」

「女王の気がかわることなんてそうそうないわ」

 オーレリアはどこか他人事のように投げやりに言った。またそんなことおっしゃって、とジェーンは目を三角にしたが、オーレリアは聞こえなかったふりをしてまた視線を窓の外へと移した。





     ◇ ◇ ◇



「一体何の騒ぎなんだ、これは」

 カーテンを少し開け、馬車の窓から外を伺ったニルは、向かいに座るシャリエに不機嫌そうに口をとがらせた。

 馬車はバンデンの中央通りを走っていた。走っている、ではなく走っていただ。というのも祭りの日でもないのに、通りにはバンデン中の辻馬車が集まっているのではないかというほどの数の馬車がひしめき合うように留まっており、大渋滞を引き起こしていた。

 温室技師との打ち合わせの帰り、たまたま通りかかったシャリエに拾ってもらったのだが、これでは歩いて帰った方が早く着いたかもしれない、とニルは内心思った。

「仕方ないさ。そろそろ社交シーズンの始まりだからね」

 シャリエは慣れたものとでも言わんばかりに、読んでいた新聞から顔を上げることもしない。

 四月の終わりから七月の終わりまで、帝国の都バンデンは議会が開かれる。その期間、田舎に領地を持つ貴族たちは、家族や使用人たちを大勢引き連れ、バンデンの町屋敷にやってくるのだ。議会に加え、毎夜開かれる舞踏会や晩餐会、オペラ鑑賞会にサロンといった社交も彼らの重要な仕事であり、通りには流行りのドレスで着飾った貴婦人たちを乗せた馬車が通りにあふれかえるのである。たしかに通りにいる馬車の大半は、ニル達が乗っているような見慣れた辻馬車ではなく、家紋がついた大きな四輪車ばかりだ。

「なるほどな。貴族たちの自慢大会と人脈ゲームが繰り広げられる馬鹿げた三か月間の始まりって訳か」

 いつも通りのニルの毒舌にシャリエは苦笑するとともに、「それに加えて、明日はオーレリア殿下が宮殿へ帰ってくる日らしい」と、読んでいた新聞を投げてよこした。

「オーレリア殿下?」

「シャープシュケード王家の三番目の姫だよ。ガナップの修道院に出されていたんだけど、こっちへ帰ってくるそうだ。どうやらこの混雑はそのパレードを避けて前日にやってきた人々の集まりみたいだな。みんな考えることは同じって訳だ」

「ふーん」

 ニルはたいした興味もなく、新聞に載っている姫の肖像画に目をやった。まだ少しあどけなさを残す、利発そうな瞳がこちらを見ている。

「しっかしギデンツ王家との婚姻とは、クイーンアレックスも思い切ったことをするもんだなあ」

「婚姻? そのオーレリア皇女がか?」

「そうさ。最近の宮廷じゃもっぱらの噂だ、まあまだ噂止まりだけど。なんせいまだかつて、我が国はおろか、青大陸中の王家を探したって、赤大陸の国へ嫁に行った者はいないからな」

 ギデンツと言えば赤大陸最大の領地と人口を誇る大国、そして黒炭に代わる新エネルギーと言われているサルバ鉱石の第一産出国だ。そんな国の王子との結婚となれば、叩いても塵一つ出ない、完全無欠の政略結婚である。

「まだ若いのに、文化も言葉も人種も違う海の向こうの国に嫁入りなんて、さぞや心細いだろう……と」

 ニルの視線が注がれている新聞記事を見て、シャリエはニヤリと笑った。

「なかなかの美人だろう」

「……肖像画なんて、たいていは本人と似てるのは目が二つに鼻と口が一つあるってことだけだ」

「まあ、否定はできないな」

 過去に痛い目にでも合ったのか、神妙な面持ちで頷くシャリエに、ニルは新聞を返しながら訊ねた。

「お前も社交界に参加するのか?」

「行かないよ、俺は。そもそも三男だから、家督が継げる訳でもないしね。しかも実家は貴族とは名ばかりの三流貴族なうえに、金もないと来てる。労働者と結婚させたいっていう貴族の親なんていないだろう。いっそドルト連邦にでも渡って一攫千金を狙うか……」

 三流貴族の三男坊が、遠き黄大陸の地での夢の生活へと現実逃避を始めた時、うあっと動き出したと思った馬車が突然大きく揺れ、ふたたび急停止した。

「今度はなんだ!?」

 窓から顔を出すと、何やら馬車の前でこの馬車の御者と髭面の男がもめていた。もめていたと言っても、御者が一方的に責めたてられている様子だったが。

「厄介な貴族にでも言いがかりをつけられたかな。出ていってもいいことはないし、ここはしばらくって……おいっコラ!」

 シャリエの焦った声が後ろからふってきたが、ニルはかまわず馬車の外へ出た。



 馬車の外へ出ると、ニル達の辻馬車の前を塞ぐように一台の馬車が停まっていた。四輪のその馬車には前方に男爵家を示す黄色い百合の紋章が描かれていたが、立派な紋章ははねた泥水で台無しだった。どうやら昨夜の通り雨がたまった水たまりに車輪が入ったようだが、それがニル達の乗った辻馬車が道からはみ出していたせいだと主張しているらしい。

「私の馬車の洗車代を払う義務がある!」

「そんな汚れ、ただの泥水ですよ。水で流してハンカチで拭きでもすればすぐ綺麗になります」

 辻馬車の御者をどけて、「こちらよろしければ」とニルがわざとらしく胸元からくしゃくしゃになったハンカチを取り出すと、髭の男爵はカンカンに怒った。

「なんと無礼な! 浅ましい平民風情が」

「ちょっとよろしいかな」

 とその時、突然男爵とニルの間にまた別の男が入ってきた。青年というのがふさわしいその若い男は、仕立ての良い黒のフロックコートにハット、よく磨かれた黒檀のステッキという出で立ちで、それらからは物そのものの高級感だけでなく、それを自然に着こなすことのできる高貴な気品が感じられた。

「誰だ、貴様は」

「ぶしつけに失礼。貴殿はもしかすると、ニル・クリム氏ではないですか?」

 男は男爵とニルの間に割って入ると、パッとニルの両手を取り、キラキラした目でニルを見た。反対側に立つ男爵のことは完全に無視している。

「え、ええ、そうですけど……」

「やっぱり! 僕ね、貴方の大ファンなんですよ!」

 ニルが戸惑いながらも頷くと、男は大きく叫び声をあげ、額に手を置き、天を仰いだ。見ている方が恥ずかしくなるくらいの興奮の仕方だ。

「クリムさん! もしよかったら、これから僕の屋敷へ来て、植物の話でもしませんか? 実は今赤大陸の花を育てているのですが、そのアドバイスもいただけたらと。いやしかしこんなところで貴方に会えるだなんて奇跡みたいだ! バンデン最高!!」

 ニルを追って馬車から出てきたシャリエとともに、あっけにとられて目の前の男を見る。この訳の分からない状況の中、一番先に我に返ったのは、髭の男爵だった。

「貴様、突然出てきて何を言いだすんだ。こいつの馬車はうちの馬車を汚して」

「そろそろお止めなさい、カッシング男爵。言いがかりは見苦しいですよ」

 男の肩に手をかけようとした男爵を、シャリエが止めた。

「今貴方が掴みかかろうとしている方は、名門ベングリッド伯爵のご嫡男、マシュー・ハイアット様ですよ」

「はっ伯爵……!?」

 シャリエの一言ですごすごと馬車へ帰ったカッシング男爵の後ろ姿を見送った後、ニルは訝しげにこの目の前にいる、人懐こい笑みを浮かべる青年を見た。青年はニルに見られると、照れたようにはみかみ、そして満面の笑みを返してきた。







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