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女王の庭師  作者: シレンシノ
末っ子アンソニーのプレゼント
2/18

Gift of corolla(2)



「わたしの可愛い弟の面倒を見てやってくれているらしいな」

 植物庁の事務所にふらりとやってきたアレックスは、我が物顔でティーポットに入った紅茶をカップに注ぎながら満足げにほほ笑んだ。毎回勝手に飲んでいくのでこの前侍女が専用のカップを置いて行ったほどだ。使用人は連れておらず、公務の途中で抜け出してきたのか黒いフロックコート姿だった。

 事務所はたまたま他の職員が出払っており、ニル一人しかいなかった。まあ彼女の性格上、わざわざそのタイミングを見計らってきたのだろうが。

 ニルは一瞬何のことを言われたのかと頭をめぐらせ、そしてすぐに眉をひそめて、「……ああ、あのクズでどうしようもない生意気なクソガキか」と小さい声で呟いた。

「聞こえているぞ」

「失敬。しかし陛下、面倒など見ているつもりはございませんねえ。せいぜい子守りといったところか」

 最後までしゃべる間もなく、大きな拳骨を飛んできた。頭を抑えてうずくまるニルを尻目に、アレックスはカップを持って壁際に置いてある猫足の長椅子に優雅に座った。そこはクイーンアレックスが事務所を訪れた際の定位置である。

「……陛下の誕生日に花をあげたいそうですよ。その道中とりとめのない話をしていたのですが、殿下には僕の話は少々刺激が強すぎたようでして、一人で先に宮殿に帰ってしまわれました」

「何が取り留めのない話だ。可愛い弟のサプライズまであっさりバラしてくれやがって、お前って奴は本当に根性のひん曲がった奴だねえ」

「あの生意気で高慢で伸びきった鼻のクソガキのあまりに傲慢な態度に、なぜだか無性に腹が立ったんですよ」

 まあたしかに少し大人げなかった気もしますけど、とニルは小さなことでつけ足した。

「それにそんな性格のねじれた人間を、女王の庭師にしたのは貴女じゃないですか」

 ニルはさっそくできた頭の大きなたんこぶをさすりながら、むっつりとして言った。

 国家ロイヤル庭師プラントハンター――――植物庁に出入りするその庭師たちは、ただの庭師ではない。彼らの仕事は大きく二つあり、一つは庭園技師たちと共に宮殿の庭園を設計、管理したり、宮廷の植物学者たちと国土の自然環境の生態系についての調査・分析をしたりすること、もう一つは食料品や薬、繊維などに利用される有用植物や、観賞用植物の新種の植物を発見するために世界中を探検することである。その資格を得るには植物学者と同等、もしくはそれ以上の知識が必要であり、同時に探検家としての素養も求められる過酷な職業である。

 そんな国家ロイヤル庭師プラントハンターにはもう一つの呼び名がある。それが『女王の庭師』である。その呼び名の通り、彼らの忠誠は女王にのみ捧げられる。国家庭師への戸用も解雇も女王ただ一人がその権限を持ち、身分も性別も関係ない。有用植物の発見・開発は国家の財政に大きな影響を与えることや、国家ではなく女王に直接帰属するという性質上、宮廷内で大きな力を持つ国家庭師も少なくないと言われている。

 ニルは、そんな国家庭師に十六歳という異例の若さで選出された新進気鋭の存在だった。

「そうだね」

 アレックスは紅茶を味わうように目を閉じた。やや甘酸っぱいハーブの香りがカップから広がる。

「そういえば、ここの生活にはもう慣れたかい?」

 溢れかえる書類と各職員が持ってくるお気に入りの草木のせいで(それもみんながみんな、大きくておかしなものを好むのだ!)奇妙なジャングルと化している事務所を見回しながら、アレックスが訊ねた。

「ぼちぼち、ですかね」

「水と食事は」

「どんな場所でも順応するのがプラントハンターですから。まあ食堂の料理の量が多いことを除けば、結構気に入っています」

「仕事は……これは聞くまでもないな。やる気はないが仕事は早く正確だと所長もほめていた」

「妥当な評価だと思います」

 真顔で頷くニルに、アレックスは苦笑いしながら続けた。

「新しい人間関係はどうだ? 植物庁は変わり者ばかりだと聞くが」

「同僚たちに悪意を持って何かをされたことは今のところ一度もないですね」

「いや、そうじゃない。友達はできたか、と聞いたんだが……」

 だがそこで、美しく整った彫刻のような女王の顔に一瞬の陰りができた。その陰りがそのまま悩ましげな憂いの表情に変わった後、言いにくそうに、しかしはっきりと聞く。

「いないのか」

「いません」

「まったく?」

「いません。毎日仕事ばかりしていますからね。休日も一分でも多く寝たいですし」

 部屋に気まずい沈黙が流れるが、何よりきついのはその沈黙ではなく、アレックスのニルに対する明らかな同情の目である。

「いやいやいやいや! 別に寂しくなんかないですよ? ここに来る前だって友達なんてほとんどいなかったし? あれ、もしかして僕に何らかの欠陥があるから友達の一人も作れないなんて思ってます? そんな訳ないじゃないですか、っていうか人間誰しも一人で生まれて一人で死んでいくわけで? 友達なんてそんなもん、ヤギにでもくれてやりましたよ!」

 しゃべればしゃべるほど惨めになっていくのは気のせいか。

 ニルは最大限に強がりの笑いをしてから、その反動でますます落ち込んだ。

「まあ、あれですよ」

 どうあがいても上手いことなど言えない。ニルはなるべく湿った声を出さないように気をつけながら、頭をかいた。

「ロイヤル・プラントハンターになったら、極力大切なものは少なくしておいた方がいいっていうのがありますから」

 そのときちょうどいいタイミングで、クイーンアレックスの名を呼ぶ彼女の右腕、エディー・バンロップ公の声が聞こえた。公務の隙を見ては日に何十回と脱走を繰り返す女王を探すことに一日の大半を費やしている彼もまた、人々の同情を買う男である。

「呼んでますよ」

「聞こえておる。エディー公の嗄れ声など、今ではギーゼルの森にいたって聞こえるわ」

 城から百キロ離れた森にまで探しに行かなければならないバンロップ公の心中を察すると、ニルは猛烈に胸が痛くなった。

 アレックスは「ごちそうさま」とカップをニルの机に置き、立ち上がった。

「おかわりはいかがです」

 と訊ねると、

「いや、いい。世界で一番美味しい紅茶は一杯で十分だ」

 と丁寧に断られた。そしてニルの横まで来て、ふと立ち止まる。そっとその黒い髪をさわった。

「ニル・クリム、わたしも友人と呼べる者は作らぬようにしている。立場上、致し方ないな」

 クイーンアレックスはそう言うと、事務所を出てバンロップ公の声のする方とは反対の方向に去って行った。






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