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嘘吐きな空

作者: 羊子

「ねえ、(りょう)くん。さつきそっちに行っていない?」


 始まりは一本の電話。

 幼馴染のさつきの母親からの電話だ。

 隣の家だったから昔から姉弟同然に育っていて、今はうちが引越して隣町になったけれど、互いの両親まで子供たちの携帯番号も把握している仲だ。


「いや、うちに来てないですけど。さつき、連絡取れないんですか? なにか急ぎの用があるなら俺の方からもさつきの携帯に連絡してみますよ?」

 冬の日暮れは早いとはいえまだ4時。高校生が帰ってこなくても心配するような時間じゃない気がする。小学生のうちの弟でもこの時間だとまだ心配しないんじゃないだろうか? だから急用があってさつきを探していると踏んだのだが。

「昨日から……帰ってきてないの……」

「え?! ――おばさん、警察には?」

「まだよ。さつきが行方不明だって、今、知ったの……昨日、真紀ちゃんちに泊まるって聞いてて、それで今日帰りに牛乳を買って来てもらおうとしたら携帯が繋がらなくて……だからおうちの方にお礼の電話がてら掛けてみたら、さつき、来てないって……さつきがさつきがさつきが」

「おばさん、落ち着いて。俺、心当たりあるから、警察はちょっと待って! 後でおばさんの携帯に電話するから!!」

 慌てて電話を切って、ダウンコートに袖を通す。

 試しにさつきの携帯に掛けてみるけれど、やはり電源を切っているようだ。


(ゆう)、ちょっと出かけてくるから、母さんには適当に言っといて。玄関は鍵掛けていくからインターフォン鳴っても出なくていいからな。もし、母さんも俺も帰ってこないうちに腹減ったらとりあえずこれ食べとけ。あー、それで足りなきゃ冷凍庫にチャーハンあるからそれ皿に出してラップしてレンジで3分な」

 食料庫からカップラーメンを取り出し弟に渡し、ジーンズのポケットに携帯と財布をねじ込んで玄関を飛び出す。

 しまった。雨が降っている。そういや雨予報だったよな。まあ大した降りじゃないし自転車をかっ飛ばすには傘はどうせ邪魔になる。そのまま雨を振り切るように全速力で自転車を漕ぐ。


 あーもうもう、馬鹿さつき。

 彼氏とお泊りする気なら、なんでもうちょっとマシなアリバイ工作しないんだよ。

 邪魔されたくないという気持ちは分からないでもないけど、せめて携帯は電源入れておくべきだし、友達にはちゃんとアリバイ工作頼めよ! ばれると色々まずいだろ? 警察沙汰はまずいし、おじさんは怖いぞ!

 ったく、知らせようにもいくら俺でもさつきの彼氏の携帯番号まで知らないぞ。

 駄目元で高校まで自転車を走らせる。幸い俺もさつきもさつきの彼氏も皆同じ高校だ。土曜日だし部活している奴らを捕まえれば、運が良ければ携帯番号が分かるかもしれない。そっちが駄目でも善ちゃん先生がいれば貸しがあるし、頼めば自宅の電話番号くらいは教えてもらえるかもしれない。急がないと部活の奴らが帰ってしまう。


 自転車を全速力で走らせて高校へ向かう。

 よかった。まだ部活の奴らがいる。

 とりあえず自転車を止めてきて、まずは善ちゃん先生探して、それが駄目ならさっきバレー部の奴らが体育館にいたから同じクラスのヤツに三年の先輩を呼んでもらって……忙しなく脳内でこれからすべきことをリストアップしていたら、何かが引っかかった。


 走り去ろうとしていた足が止まる。

 もう、第六感としかいい様がない。

 ぴんときた。


「さつき?」

 よく、俺気付いた。本当によく気付いたよ。

 近道をしようと校舎の隙間を抜けようとしたら、校舎の脇の植え込みの隙間に挟まるようにさつきが埋まっていた。

 俺に気付いて逃げようとするその髪には葉っぱがくっついていて。一体、こんな所でなにやっているんだ、この人は。彼氏とお泊りじゃなかったのか!?


「あのさ、言いにくんだけど、さつき、彼氏と泊りじゃなかったのか? だから携帯切ってたんだよな? おばさんが心配してたぞ」


 なんか一瞬で下世話な想像をしてしまって一気に胸が悪くなった。

 ものすごくむかむかする。

 ――あれ?


「――振られた」

「はい?」

「だから、振られたの! ふたまた掛けられてたから思いっきりぶん殴ってきた。そうしたらこんな凶暴な女とは付き合えないって」


 ぶっ!

 笑ってはいけないんだが、思わず吹き出してしまった。

 彼氏、さぞやびっくりしただろう。

 この小動物っぽい姿からは想像できないだろうな。

 148cmのコンパクトボディに大きな目にふわふわのくせっ毛。

 いわゆる可愛いに分類されるタイプだと思う。

 でも、こう見えて、意外と気が強いんだからな。

 殴られる前に、おそらくさつきにがっつり怒られたはずだしな。

 ざまーみろ、彼氏。さつきが怒ると本気で怖いんだからな。俺が散々この身で体験済みなんだからな。今頃自分の見る目のなさを呪ってろ。

 ちょっと胸がすっとしたが、さつきの傷心を思うと胸が痛い。この外見とのギャップで結構苦労しているからな。


「いや、ちょっと、待て。まさかそのまま学校で夜明かししたのか? 変質者が出たらどうするんだ! それに下手したら凍死するぞ。その顔を親や友達に見せたら心配するからってのは分かるが、だったらせめて俺んとこに来い。今更遠慮もないだろう!」

「大丈夫。部室に篭もってて、さっきこっそり帰ろうとしたら亮くんに見つかっただけで、全然何も危ないことはなかったよ。天文部の部室には寝袋もあるし」

「大丈夫じゃない。俺が心配だし、おばさんが死ぬほど心配して俺んとこに電話してきたんだぞ、顔見たくなかったら部屋に閉じこもってていいから、せめてそういう時は俺んとこにしとけ」

 思わずぎゅっと抱き締める。そうするとさつきからは外が見えない。

「なによ。二つも年下の癖にぬりかべみたいににょきにょき育っちゃってずるい。私にも分けて。ずるいずるい」


 くぐもった声がずるいと訴える。

 だが、ずるいと言われても分けろと言われても無理な相談だ。もう小学4年の頃にはさつきの身長を抜いていたんだし。その差は広がることはあれども縮まることはない。

 しかし、人を喩えるのにぬりかべは酷い気がするぞ。さつきは可愛い顔して存外口が悪い。きっと振られたのも口が禍したんだと思ったけれど、さすがに今、傷口に塩を塗りこむ気もしないので俺は壁に徹する。


「あーはいはい、俺は今ただの壁だから気にしないで」

「亮くんの癖に生意気だー」


 あーあー、もうもう。

 なんでこの人は手が掛かるんだろう。

 酔っ払った時の父さんと大差がない気がする。

 二つも年上のはずなのに、俺が一応弟がいる兄という立場だからだろうか? 俺の胸の辺りまでしかない身長のせいだろうか? つい甘やかしてしまう。

 ぽんぽんと労わるように頭を撫でてやると壊れた蛇口のように涙が流れている。

 あーあー、ダウンコートって洗えたっけかな? 多分、胸元の辺りが大変なことになっている気がする。まあ父さんから譲ってもらったカシミアコートじゃなくて良かったと思うべきか? あちらは確実に洗えないだろう。

 こういう時、無駄にでかくてよかったなと思う。さつき、泣き虫の癖に泣いている所を見られるのを嫌うから。俺ならちょうど壁になってやれる。


「……生意気になっちゃって。昔はさつきお姉ちゃんって呼んでくれて可愛かったのに。悠くんは今でも呼んでくれるのに。亮くんは大人ぶった態度で可愛くない」


 なんて無茶振りだ。この図体でそれをさせるのか? 183cmの身長+男らしいといえば聞こえがいいが、野太い声でそれをするのか? こっちはもしかしてさつきが笑われるんじゃないだろうかと中学に入った頃から気を遣って呼び方を変えたというのに。呼んで欲しければ呼んでやろうか? つい意地悪な気持ちが湧き上がる。


「今の俺の年で悠みたいにさつきお姉ちゃんって呼んだら結構怖いと思うけど? なんなら学校で呼んでやろうか? さつきの教室に行って『さつきお姉ちゃん呼んでください』って言ってやろうか? 『お姉ちゃん、英和辞典忘れちゃったから貸して?』って言ってやろうか?」

 悠の口調の真似をしてみたけれど、どうやっても悠とは似ても似つかない重低音と台詞が噛み合わない。かといって裏声で呼ぶのは更に怖いと思う。いや、はっきり言って我ながら不気味だ。

「いやーーー、やめてーーー」

 ついうっかり教室で呼ばれる様を想像してしまったんだろう。いい気味だ。人を困らせるばかりするからだ。

「ほら、馬鹿なこと言ってないで、泣きたいだけ泣けばいいよ。俺は今、壁だから」

「これは涙じゃなくて、雨。天気予報外れたから、傘持ってない」

 なんて苦しい言い訳なんだ。大体、今日は大雨の予報じゃなかったか? 

「ああ、そういや天気予報外れたな。大雨の予報じゃなかったっけ? だから俺、部活休みになったはずなんだけどな。雨が足りない分、代わりにさつきが泣いてくれているんだよな?」


 そうだ。俺、馬鹿だ。自分の部活の先輩に電話してみればよかったんじゃないか。そうすれば雨の中、自転車かっ飛ばさなくても電話番号くらい分かったかもしれないのに。そんなことにも気付かないくらい、慌てていたんだな。まあ結果として高校へ来て正解だったんだけど。


 どうやら俺はさつきのことは平常心じゃいられないらしい。


 あーあ、今更気付くか。

 さつきに彼氏が出来た時に気付いても良さそうなものなのに。ぽややんとしたこの姿からおてて繋いでらんらんらんしか思い浮かばなかったんだよな。


「ちがうもん、そらがうそつきなんだもん。ないてないもん。わたしのなかではあめがふるよていはなかったの。なのにかってにあめがふるから」

 大丈夫か、受験生。幼児退行してるぞ。

「ああ、そうだな。こっちの空も嘘吐きだな」


 晴れてるって言ってるくせに大雨だぞ。

 泣き虫の癖に気が強くて。

 あんな奴の為に泣くのが心底悔しいんだろうな。

 苦笑してさつきを胸からぺりっと剥がしてみると、今も尚、雨が降り続いている。

 せっかく可愛い顔しているのに勿体無い。なんとか笑わせてやりたくて。そんな奴の為に涙を流すのが俺が嫌で。何か持っていなかったかポケットを探る。悲しいときは甘いものがきっと効くはずだから。

 転んだ時もいじめっ子に意地悪された時も、さつきは甘いものを食べるといつも泣き止んでいたから。

 柏木さんちのお兄ちゃんは近所でも評判なんだからな。

 顔は怖いけど優しいって……顔は怖いは余計だけどな。

 だからチビたちには滅法もてるから、常時ポケットには菓子の一つや二つ入っているんだからな。


「――壁は喋らないよ?」

 そんな涙で濡れた瞳でいくら睨んでも逆効果にしかならないから。

 なんでだろうな。さつきの彼氏。いや、すでに元彼氏か。さつきはこんなに可愛いのに。お人形じゃないところが可愛いのに。外見どおりのお人形が欲しかったんだろうか?

「そうだな。壁はこんなこともしないよな」

 小さな苺の絵のちりばめられたキャンディの包みを剥いてやると、あーんと口を開ける。

 うん、餌付けだな。どうしてだろう? 昔から俺がさつきの餌付けをしていたような気がする。いや、遠い昔はさつきにも食べさせてもらったな、うん。かなり遠い昔だったな。確か幼稚園くらい。


「あまい……」

 幸せそうに目が細められる。

「これはありなのか?」

「うん、お菓子はOK」 

「そうか。じゃあ、これも許せよな」

 ポケットからハンカチを取り出し涙を拭いてやる。

「ほら、鼻もかんどけ」

 ティッシュを手渡して、一応、乙女心に配慮して後ろを向いてやると盛大に鼻をかんでいる。

 男子高校生を舐めるなかれ。日頃チビたちの相手をしているとハンカチとティッシュとウエットティッシュは標準装備だ。もちろんちょっとした菓子もゴミ袋も絆創膏も持っているぜ。そんじょそこらのママさんたちには負けないぜ? なんだか無駄スキルばかり増えていく気がするが、いやきっとこれは将来役立つはずなんだ。

「ありがとう」

 声を掛けられて振り返ると、まだ眼は赤いけれど涙は止まっている。

 甘いものの魔法は健在だ。


「雨、上がったな」

「うん」


 空の雨もさつきの雨も、やっと上がった。

 そういえば取ってやるのを忘れていたと、髪についた葉を取ってやり、髪を手ぐしで整えてやると、気持ちいいのか目を細めて猫の子みたいだ。柔らかい猫っ毛も俺の硬い髪と全然違ってずっと触っていたいほど心地よくて。

 可愛い……。


 俺はさつきのことが大切だ。

 多分、この感情のことを恋と呼ぶのだろう。


 今更気付いた気持ちをどう扱ったらいいのかまだわからないけれど、きっと傷ついているだろうさつきに《あなたを大切に思う人がいます》ということを伝えたいから。


「俺はさつきの可愛い顔して口の悪い所も子供っぽいところもみんな好きだからな」


 そっと前髪を払っておでこに口付ける。

 精一杯優しく、大切な気持ちを伝えたくて。


「――!! 壁はそんなことしないよ!!」

「最近の壁は高性能なんだよ!」

「亮くんばっかり大人になってずるいずるい。なんか手慣れてる。私の亮くんがオトナになってしまった。昔は私より小さくてさつきおねえちゃんって甘えてくれて、私の差し出すプリンをおいしそうに食べてくれてすっごく可愛かったのに!!」


 全然オトナじゃないよ。こっちも気持ちを自覚したばかりだから、色々といっぱいいっぱいなんだからな。

 あれ? 今、もしかして『私の亮くん』って言わなかったか!!

 もしかして空耳? 俺の耳にはどうして録音再生機能がついていないんだ?!

 どうしよう、すごく嬉しいかもしれない。


「傘、いらなかったな」

 急に早くなった鼓動を誤魔化すように、空を指差す。

「うん。もう傘はいらないね。もし途中で雨が降ってもすぐ傍に丈夫な壁があるから大丈夫」

 とん、と俺の胸を叩く。

「おう。雨が降っても風が吹いても大丈夫。丈夫で長持ちの壁だぜ。いい仕事するぜ?」


 つい冗談にしてしまったけれど、さっきの言葉の意味を聞いてもいいんだろうか?

 こういう時、経験値が低すぎると対応に困る。

 でも、さつきの顔が赤いのが、きっと意味を教えてくれている。


「夕焼けが綺麗だな。さつきの顔も夕焼けだな」

「これは夕焼けの色なの。先輩をからかわないで!」

「あーはいはい、この空は嘘吐きだもんな。さて、さつきの家まで送るから、それまでにおばさんに話せる言い訳考えとけよ」

「亮くんだって、顔赤いよ」

「あー、そりゃ夕焼けの色だな。明日はきっと晴れだな」


 俺の空も嘘吐きだから。

 これ以上顔を覗き込まれないように、空を見上げてみた。

 雨が上がった後は綺麗な夕焼け。



 明日はきっと晴れ。

 雨の後は空が洗われて、それまでよりもっと綺麗な青空になるはずだから。 

 これまでとは違った空がきっと待っている。



初めての投稿です。読んでいただいてありがとうございました。

普段は主に二次創作を書いているのでオリジナルを書くのはすごく久々でした。普段はコメディ調が多いので正統派爽やか路線を目指したのですがどうしてもコメディ要素が抜けきれません。

そんな書き手ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

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[一言] なんか可愛くって、ほんわかしました。
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