3 新婚夫婦の朝
結婚式の翌日、結局一睡も出来なかった自分とは違い、しっかりと睡眠をとったらしいローゼリアは、朗らかな顔で食堂に姿を見せた。
ふわふわとした髪を邪魔にならない程度に軽くハーフアップにして、花と蔓草の透かし柄が入った精巧な銀の髪飾りを着けていた。彼女は昨夜寝室で見た姿と同じで、顔も相変わらず美しいままだった。
王太子宮の食堂は朝の光が差し込むように窓が大きく作られている。ヘンリックには朝の光に反射したローゼリアの白金色の髪がキラキラと輝いて見えた。
窓の外には青々とした木々の緑がほどよく生い茂っているので、窓を背に立つローゼリアは美しく、森の女神のようにも見えてしまう。
これまで婚約者であった頃は月に一度か二度開かれていた茶会で会うだけだったのだが、書類の上だけでも夫婦となったからには、毎日どころか朝と夕の食事の度に顔を合わせる事をヘンリックは今さらながら思い出していた。
これまでランゲル人に好まれるタイプの美しい令嬢と社交界で接した事は何度もあったし、ダンスも踊ってきた。しかし彼女たちはヘンリックと同じタイプの顔立ちをしているせいか特別に思うような事もなく、ただ美しい令嬢だと思う程度の感情しか抱けなかった。
しかし、ローゼリアは自分たちとは全くタイプの違う美しさを持っている。ランゲル人には金髪も青い瞳も少なく、切れ長の瞳が美しいとされているからか、瞳の大きな者も少ない。
ローゼリアのぱっちりとした大きな瞳を長い睫毛が縁取り、彼女が瞳を伏せただけで顔の印象が少し変わるので、つい彼女の顔を目で追ってしまうのだ。化粧をしていない方が美しいなんて、ヘンリックの中ではあり得ない話だった。
「おはようございます」
「……ああ、おはよう」
ローゼリアは昨晩の事など何も無かったかのように、ヘンリックに挨拶をすると静かに席に座る。
壁際に立つ侍女や侍従たちの表情を見ると、彼らも驚いた表情を浮かべている。昨晩の自分と全く同じ反応を見たヘンリックは、知らなかったのは自分だけでは無かったのだと少し安心したのだった。
「……」
これまでローゼリアに全くといってもいいほど関心を持ってこなかったヘンリックは、ローゼリアとどんな会話をしたらいいのか分からず、ただローゼリアの顔をちらちらと見る事しか出来なかった。
(よく見ると彼女は所作も美しいのだな)
一緒に食事をした事がなかったヘンリックは、ローゼリアの所作が指先までとても美しい事に気が付いた。
以前マリーナと街で食事をした時、マリーナはマナーを気にしながら食べるのでは美味しくないし、美味しく食べられない事は作った者に失礼だと言って、子供のように大きな口を開けて笑いながら食事をしていた。
ヘンリックは珍しい食べ方もあるものだと興味深く見ていたが、今思い返すと一応は伯爵令嬢であるマリーナのあの無作法な様子は貴族令嬢としてふさわしくなかった。高位貴族ならば子供でもああいった食べ方はしない。人前で食事をするより早い幼いうちに矯正されているのだから。
(そういえば結局マリーナには何も言っていないまま、随分月日が過ぎてしまったな)
マリーナと最後に会ったのはあの夜会が最後だった。あの時だって二ヶ月振りに会ったというのに、酷い別れ方をしてしまった。マリーナからの白い結婚を願う手紙にも返信をしていないし、彼女から新たに手紙が届くことがないままヘンリックはローゼリアと結婚をしてしまった。
ヘンリックがマリーナを恋しく思う気持ちは、会えない間にかなり薄くなっていた。
そんなヘンリックの変化に気付いているのかは分からないが、ローゼリアは早々に朝食を食べ終えてしまった。
「本日から執務を致しますので、準備もありますから失礼致しますわね」
そう言うと、ローゼリアは食堂をさっさと出て行ってしまう。
「……あっ」
ヘンリックがそう小さく声を上げた時は食堂のドアが閉まる瞬間で、もちろんローゼリアの耳にヘンリックの声は聞こえなかった。
結局その日の朝は、挨拶以外の言葉を交わす事が出来なかった。
婚約者時代のお茶会でもヘンリックから話しかける事はなかったので、これが自分たちの日常なのだが、いつも話題を提供してくれたローゼリアが今日は何も話してはくれなかった。
◆◆◆
王宮で働く者には新婚休暇というものを取る権利があった。それは王太子も例外ではなかったのだが、ヘンリックは新婚休暇を取らなかった。
今日から執務だと言っていたローゼリアも新婚休暇は取らなかったのだろう。そういった会話すら彼らには無かったので、彼らは夫婦であっても他人以上に他人だった。
朝食を終えたヘンリックがいつもよりも少し早く王宮の執務室へ行くと珍しく既に人がいて、窓際に置かれた机に座っていた彼は書類の整理をしていた。
「お早うございます殿下、本日からこちらに異動になりました。よろしくお願い致します」
ヘンリックに気付いた彼は書類から手を離すと、立ち上がってヘンリックに頭を下げる。窓から差し込む光を浴びて、この国では珍しい彼の白金色の髪もキラキラと光っていた。
「ああ、本日から王太子の執務室付きになったのだな。こらからよろしく頼む」
まぶしいものを見るかのようにヘンリックは目を細めて、ローゼリアの兄であるエーヴェルト・フォレスターを見た。
「ええ、私は主に殿下宛ての書類の整理をさせていただきます。宰相閣下の補佐業務の一部も兼任しておりますので、いない時もございますが殿下の為に誠心誠意尽くさせていただきたく存じます」
そう言ってエーヴェルトは青い瞳を輝かせながら笑みを浮かべる。こうしてよく見るとエーヴェルトの顔立ちは瞳の形だけは父親である公爵に似ているが、他は妹であるローゼリアによく似ていた。
どうしてこれまで髪型と化粧で隠していたのかは分からないが、昨晩から見せている方がローゼリアの素の姿なのだろう。
彼ら兄妹がこの国では珍しい色を持っているのは、母親が隣国出身だったからだった。隣国エルランドの高位貴族出身の彼らの母親も同じ色を持っていた。
「ああ、よろしく。まだ勤務時間には早いから楽にしていてくれ。……ところでフォレスター令息、……きみたち兄妹は色だけではなく顔立ちも似ていたのだな」
再び書類仕事に取りかかろうとしたエーヴェルトの指がぴたりと止まる。
「私の事はエーヴェルトとお呼び下さい。妹も私も母から容姿を受け継ぎましたので、我々と同じ色の多いエルランド人の中にあっても、ひと目で兄妹と分かるくらいには似ています」
「女性というものは化粧であれほど変わってしまうのだろうか?」
ヘンリックは純粋な疑問をエーヴェルトに問いかけてみる。
エーヴェルトは軽く首を傾げて見せる。
「はて……。私にとって妹は妹ですし、毎日顔を見ていますので、化粧をしていてもいなくても変わりはありません」
「……そうか、仕事の邪魔をして悪かった」
そう言ってヘンリックも自分の机に置かれある書類に目を通し始めた。ちょうど侍従がヘンリックとエーヴェルトの為にお茶を持って現れたところだった。
自分にとってローゼリアのあの変わりようはかなり違うものではあったが、兄のエーヴェルトから見たローゼリアは変わらないという事は、彼にとっては誤差の範囲なのだろうか?
よくよく考えてみるとヘンリックはこれまでローゼリアと積極的に会おうとした事はなかった。ローゼリアが留学から帰国した頃のヘンリックは彼女を避けていたこともあって、お茶会も最低限だったし、マリーナへの罪悪感からお茶会を早く切り上げたい一心でローゼリアの話には適当な返事しかしてこなかった。
当初ヘンリックは結婚後もローゼリアとはあまり関わらないつもりだったのだが、初夜の時に肩透かしを食らったせいで白い結婚の事も言えなかったし、すっかりペースを崩されている状態だった。
その日ヘンリックは、初めて自分からローゼリアをお茶に誘おうとして、午後に執務の時間が空くように仕事を進めていたのだが、侍従を通してお茶会の時間を相談しようとして渡された手紙には、執務初日で忙しい為時間を空ける事は難しい、という何とも素っ気ない返事が返ってきただけだった。
しかも誰か別の者に代筆をさせたらしく、女性の彼女とは全く違う筆跡での返事だった。ランゲルには女官がいないので、ローゼリアは男性の文官に囲まれて仕事をしている。おそらくその中に誰かに代筆をさせたのだろう。
味気ない真っ白な便箋は執務でも使っているものだった。そこでヘンリックは、彼女の筆跡も、普段のローゼリアがどのような便箋を使っているかも知らなかった事に気付いたのだった。
十一年も婚約者をしていたから手紙を貰う事もあったのだが、彼女からの手紙は侍従に管理をさせていた。ヘンリックはローゼリアから送られたものは全てクロークに入れるように指示をしていただけだった。
【短編】僕の妹はもっさり令嬢
ローゼリアの兄、エーヴェルトが主役のお話になります。エルランドに留学していたローゼリアを追ってエーヴェルトも留学するお話です。
エーヴェルトの一人称なので、いつもセリフの長いお兄ちゃんがヘンリックの事も心の中でアレコレ言っています。




