28 渡したくない
「王宮内で火事が発生しました! 現在消化中ですが、皆さまは急いで出入口のドアからお逃げ下さい!」
再び声が上がる。貴族たちは指示をされるまま、我先にと足早に入口へと向かっていく。
大広間は一階にあり、テラスからは広い庭へと出られるので、庭から外部へ逃れる事が出来そうなイメージを持たれるのだが、実際は防犯上の理由で庭は塀で囲まれていて、梯子や縄等を使わないと庭の外には出られない構造だった。なので、緊急の際は大広間の出入口のドアへ招待客を誘導する事になっている。
「殿下っ! 貴族たちを誘導致しますので指揮をお願い致しますっ」
ヘンリックの元へ夜会服を着た侯爵家の当主がやってきた。彼は騎士団長の職にあり、今日は招待客としてこの場に来ていた。
王家主催の夜会で緊急事態が起きた際は、国王の指揮の元で騎士団が動く事になっている。今回の場合は火事の発生現場や規模を確認しながら、たくさんの貴族を玄関まで騎士団が誘導をしないと、途中で迷う者や、混乱に乗じて王宮深くに入り込む者が出てくる可能性があったので、要所要所に騎士を配置しないといけなかった。
そして今夜の夜会に国王は欠席しているので、ヘンリックが国王の代理として指揮をとるべき状況にあった。
「分かった、ローゼリアは近衛騎士と共に避難を」
「承知いたしました」
ヘンリックが見回したところ、会場内にエーヴェルトの姿は見当たらなかった。今日は挨拶が終わったら警備の応援をすると話していた。警備が手薄になっている休憩室の辺りにいるのなら、これだけの人々が出入口から外へ出ようとしているので、もう大広間の中へ戻る事は出来ないだろう。
ヘンリックはローゼリアの事を気にしながら騎士団長と共に入口へと向かう。
王族席には近衛騎士を六人置いている。ヘンリックが見た時は、ちょうど近衛騎士たちが王妃と側妃二人と共に移動をしようとしているところで、ローゼリアが彼らに合流しようとしていた。
【ローゼリアside】
王族席へローゼリアが向かった時、王妃を守るように近衛騎士たちが王妃を囲み、その一団の後を二人の側妃が付き従うような並びでぞろぞろと移動を始めていた。
「お前はどうしてここへ来た?」
近付こうとするローゼリアに気付いた王妃が厳しく言葉を放つ。今は周りに貴族たちがいないので言葉遣いが先ほどとは違っていた。
「近衛騎士と避難をするように殿下よりご指示を頂きましたので」
「たわけがっ、お前はこの夜会を取り仕切っているのだろう。緊急時であっても招待客全てがこの大広間より出る前に出る事は許さぬ!」
つまりローゼリアは最後まで残れという事だった。
おそらく先ほどローゼリアが王妃に反抗的な態度を示したので、こんな場合であっても仕返しがしたかったのだろう。
「承知致しました」
そう言ってローゼリアがカーテシーを取っている間に、王妃は近衛騎士と側妃たちを連れて出口へと向かって行ってしまった。
入口は貴族たちでごった返しているので、移動を始めたのが遅かった王妃たちも外へ出るのは遅くなるかと思われたのだが、王妃たち一団がやってくると貴族たちはお互いの間を詰めて彼女たちを通し、あっという間に王妃たちは会場から出て行ってしまった。おそらく近衛騎士たちに声を上げさせて、自分たちが通るスペースを空けさせたのだろう。
王妃がいなくなったのでローゼリアも一人で出口へと向かおうとした時だった。
突然首をぐっと締められる感触を感じ、反射的に首に手をやると何者かに後ろからネックレスで首を絞められているのだと気が付いた。
「うっ……」
首が絞まっているローゼリアに大声は上げられず、僅かに開いた気道からうめき声を漏らすのがやっとだった。
「これは私のものよっ」
耳元で聞こえたのはマリーナの声だった。
ローゼリアが着けているのは昨日ヘンリックから贈られたブラックオパールのネックレスだ。ローゼリアは何とか首を絞めるネックレスから逃れようと、両手を使いネックレスと首の間に隙間を作ろうとするが、マリーナは体重をかけて引いているのか、ネックレスが緩む気配はなかった。
「……い、や。……わた、さ……ない」
珍しい色合いを持ったブラックオパールのネックレスは石そのものの価値が高い。しかしローゼリアにとってこのネックレスの価値は値段ではなかった。
もしこれが自分で買った物だったのなら、手切れ金代わりにくれてやってもいいとも思えたが、これはヘンリックから初めて贈られた物なのだ。
昨日ヘンリックから渡された時は何の感情も抱けなかったのに、奪われそうになった今になって急にこれを渡したくないという強い感情がローゼリアの中から湧いてきたのだった。
「うるさいっ、本当ならこれは私が貰うはずのものなのよ!」
ブラックオパールに入っている色は黒と黒灰色と青色で、他に使われている宝石は石の周りに使われている無色透明のダイヤモンドだった。このネックレスはローゼリアの為に用意されたもので、赤い髪に茶色の瞳を持つマリーナの色はどこにも入っていない。
「ダ……メ……」
意識が遠くなりそうになりながら、それでもローゼリアは拒絶の言葉を言おうとしていた。小柄なローゼリアに比べて背の高いマリーナの方が力はずっと強く、物への執着も強かった。
「何をしている!」
聞き覚えのない男性の声と共に首にかかる力が緩み、ローゼリアはその場に座り込む。
急に気道が確保された為にゴホゴホと咳が止まらない。
「お嬢様、大丈夫ですかっ」
咳をしながらもローゼリアは大きく頷いた。
やっと呼吸が落ち着いて顔を上げたら、ローゼリアの目の前はにフォレスター家の騎士がいた。どうやら彼が助けてくれたらしい。騎士に突き飛ばされたのか、マリーナは床に蹲っていた。
「わた、くしは、……大丈夫よ」
ローゼリアは何とかそれだけ言ってマリーナを見ると、マリーナは一人で立ち上がっていた。
「私からヘンリック様を取ったあなたが悪いのよっ!」
捨て台詞のようにそう言うと、マリーナは背を向けて走り出し、出口の方へ向かって行ってしまった。
「お嬢様、私がお伴いたします」
そう言いながら騎士はローゼリアの手を引いて立ち上がらせる。ローゼリアの記憶では彼は確か子爵家の三男で、今回の夜会の警備の為に急遽、招待状を送った騎士だった。
「ええ、お願いするわ」
「こちらに、外へ出る近道がございます」
そう言いながら騎士はローゼリアの手を引いていく。ローゼリアの視界の隅に濃い金色が一瞬だけ映った。
騎士はローゼリアを連れて出入口のドアではなく、テラスへと向かっていく。
「この庭からは出られないわ」
庭の構造を知っているローゼリアは騎士にそう言った。
「公爵様より事前に抜け道を教えていただいておりますので、こちらから外へ出られます」
言われるままにローゼリアは騎士に連れられて庭へ出た。人の多い会場とは違い、庭はとても静かだった。
今夜は満月なので歩くために灯は必要なかったが、夜会の招待客のために庭のいたるところに蜀台が設置されており、昼間とは違いロマンチックな雰囲気を漂わせている。あのまま夜会が続いていたら、この庭で様々な恋愛模様が広げられていたのかもしれない。
騎士に連れられてローゼリアはどんどん庭の奥へと進んでいく。おそらくそろそろ塀に行き当たる頃だろう。
「ここからどうやって外に出るの?」
ローゼリアは騎士に尋ねる。
「出口なんてありませんよ」
そう言って騎士はローゼリアの手を握っている手に力を込めた。
騎士はひどく冷めた瞳でローゼリアを見ていた。




