20 新婚夫の悩み
【エーヴェルトside】
結局ヘンリックに押し切られる形でエーヴェルトはヘンリックを連れて行く事になってしまった。
エルランドからの外交官の在任期間は2年もあるので、時間さえ作れればこの先オレクとは何度でも酒を酌み交わす機会はある。ルードヴィグはフォレスター公爵家に挨拶に来るだろうし、彼らとはその時にでもゆっくり話せばいいと思い、エーヴェルト仕方なくヘンリックを連れて王宮へと戻ったのだった。
ルードヴィグとオレクは先に飲み始めていたが、エーヴェルトの後ろにヘンリックの姿を認めると、二人は表情を引きつらせていた。
「殿下の社会勉強の為だ、本日は無礼講にして下さるとの事だから二人共、協力してくれ」
エーヴェルトはそれだけ言うと、もう疲れたとばかりにどかりとソファに深く腰掛ける。
「よ、ようこそいらっしゃいました殿下。……って、ここはランゲルの王宮ですから私からそう言うのはおかしいですよね、ははは」
ルードヴィグはそう言ってヘンリックにもソファを勧めた。嫡男であるシュルヴェスであったならもっと上手く取り繕えるのだろうが、生家を継がない次男であるルードヴィグはシュルヴェスとは違い公爵家の嫡男というプレッシャーに晒される事もなく育ったせいか、ピオシュ家の人間としては珍しくのんびりとした性格をしていた。
ここで意外にも社交性を発揮したのはオレクだった。
「ありがとうございます、殿下。砕けた話し方を許していただけるのは有り難いです。私のような身分の者は王族の方とお会い出来る機会なんてありませんから、礼儀も分からず失礼があったらと内心では恐るべき状況と思っておりました。でも、無礼講にしていただけるのでしたら、もう自分の事も俺って呼んじゃいますね。ちょうどルードヴィグ様とお互いの領地の酒の飲み比べをしていたところなので、殿下のご意見もお聞かせいただけると嬉しいです」
そう言いながらオレクはヘンリックの前に空の銀製のカップを二つ置き、琥珀色の液体と深い紫色の液体をそれぞれなみなみと注いだ後に、自分のカップにも同じように注いで二つのカップに入った酒を続けてぐいっと飲んで見せる。
「毒見ってこんな感じでしょうか? それとも俺も少しだけそのカップの酒を飲んだ方がいいですか?」
オレクはカップ二杯分の酒を一気に飲んだが、酒に酔ったような様子は感じられなかった。
「いや、大丈夫だ」
そう言ってヘンリックは赤紫色の酒の匂いを嗅いでみる。ワイン独特の豊潤な香りが鼻をくすぐった。
「こちらはワインか」
「そちらはピオシュ領特産のワインです。実は我が領ではあまり多くは作っていないのですが、今回叔母に頼まれて持参したのです」
ルードヴィグからそう説明を聞いた後に、ヘンリックはもう一つのカップを手に取る。匂いを嗅いでみたらクセのある甘い香りがする。
「これは蒸留酒か? ランゲルでは作られていないから珍しいな」
「よくご存知ですね、こちらはライ麦を蒸留して作った酒です。ランゲルで蒸留酒は飲まれないと聞いていたのですが、私の家であるシャンデラ領の特産品なので持って参りました。よかったら飲んでみて下さい」
そう言ってオレクはヘンリックに蒸留酒を勧める。ヘンリックは勧められるままに口にしてみると口に含んだ途端、ふわりと甘い香りと共に焼けつくような感覚が口の中で広がる。蒸留酒のように強い酒を飲み慣れていないヘンリックは少し口にしただけでふわふわとした気分になってしまった。
「いかがですか?」
「この酒は少し強いな」
「ええ、でも飲み慣れるとすごく上手い酒なんです。俺はストレートの方が好きですが、キツかったら水で薄めて飲んでみますか? もう少し飲んでみてもっと感想をお聞かせ下さい。あ、ピオシュ領の昨年のワインは味が良いと評判なのでそちらもぜひ」
オレクの笑顔に押し切られる形でヘンリックはワインにも手を付ける。蒸留酒よりもずっと飲みやすく、酸味と苦みの中にもほのかにまろやかな甘味が感じられる。
「どちらかというと私はこちらの方が好きだな、……共に酒を飲むというのは酒について語り合うという事なのか?」
「……そうですね、今日のところはそんなところですが、我々と共にエルランドから旅をしてきた酒なのですから、ぜひもっと飲んでやって下さい。俺も一緒に飲みますから。あ、殿下はワインの方がお好きなんですよね」
そう言いながらオレクはヘンリックの空になったカップに、なみなみとワインを注いで自身も蒸留酒をぐびぐびと飲んでいくので、オレクに合わせるようにヘンリックも注がれたワインを飲み干した。
「オレク、殿下にはそれ以上はよせ」
エーヴェルトは冷ややかな口調でオレクにそう言うが、オレクの方はきょとんとした表情をしている。
「え? だって飲みにきたのでしょう? せっかくだからたくさん飲んでもらわないと。……あ、それとも殿下は何か話したい事もでもあって来ましたか?」
「話したい、こと?」
「そうですね、普段は言いにくい事も言えてしまうのが飲み会というものなのです。例えばご自分が話したい事や俺たちに聞いてみたい事、とか言っても殿下は俺ごときにお聞きしたいことなんてありませんよね?」
「それは、あるっ」
すっかり酔いが回ってしまったのか、顔を真っ赤にしたヘンリックの口調は少し呂律がおかしかった。
「殿下っ」
まだ一滴も飲んでいないエーヴェルトが諌めるような口調で声を上げる。
「どうしてっ、どうしてキミたちはローゼリアと仲が良いのだっ、私などっ、その辺の石よりも関心をっ、持たれていないのにっ」
「あー、そっちの話ですか。俺は別にもっさりちゃんとは全然仲良くないですよ」
オレクはヘンリックよりも強い酒を飲んでいたのだが、口調がへらへらとしているだけで見た目も素面とほとんど変わりがなかった。
「もっさり?……何だ、それは?」
「えーっと、もっ、じゃなくて妃殿下は俺のことも石ころ程度にしか見ていないって事です。ルードヴィグ様とエーヴェルトは親族ですから別枠ですって。そうですね……、つまり殿下は妃殿下のお心を掴めずにいて、ご自分にお気持ちを向けて欲しいって思ってらっしゃるって事でいいですか?」
「ああ、私が悪いのだがっ、……ローゼリアは私を見てくれないっ」
「それは辛いですよね、お気持ちは分かりますよ。俺なんてこの間婚約者に振られて解消したばかりですからねえ……。振られた者同士エーヴェルトと飲もうと思ったのですがね……いえ、その話はいらないですね。あ、ルードヴィグ様のところは関係が良好じゃないですか!」
「えっ、急に僕に話を振らないでよ! 僕は婚約者を冷遇なんてして……あっ、いえっ、僕たちは気の合う者同士なので、たまたま? 僕なんて殿下をお助けする言葉なんて持っていませんからっ」
それまでずっと会話に入ってこなかったルードヴィグだが、エーヴェルトとヘンリックが来る前に飲んでいたので、彼も多少酔いが回っていた。
「……そうか、もう言葉ではどうにもならないくらいという事か、はあ」
ヘンリックは大きく溜息を吐く。
「悩むのなら、土下座でも決めてスカッとしちゃいましょうよ。妃殿下ならきっと許してくれますから」
「謝罪なら既に何度もしているんだ、……土下座? 土下座をすればいいのか?」
「そうですよ、皆の前で殿下が土下座をすれば妃殿下はお優しいですから、きっとそれで許して下さいますよ。前に俺が土下座をした時は嫌そうな顔をしながらも許してくれましたから」
「お前、ローゼリアに土下座をしたのか? 一体何をしたんだっ!?」
突然ヘンリックがテーブルをドンと強く叩いた。少し怒らせてしまったらしい。
「いえっ、ちょっとした勘違いをあの方がされていまして……。もう昔のことですからっ、なあ、エーヴェルトっ」
うっかり口を滑らせてしまったオレクはエーヴェルトに助けを求めたが、エーヴェルトは不機嫌そうに目を細めただけだった。
「あ! そういえばっ、ロゼは恋愛小説がすごく好きなんです。エルランドにいた時は毎日のように母とその話で盛り上がっていました。ですから殿下も読んでみられてはいかがでしょう? 母に聞けばロゼがどういうものが好きだったのか本の題名を教えてくれますよっ」
ルードヴィグは場を取りなすつもりで、あわててフォローをするのだった。酒の席とはいえ、ヘンリックを怒らせてしまってはオレクの上司である自分もただでは済まないかもしれない。そう思って必死に思い付いた言葉を話すのだった。
「落ちつけ、ルードヴィグ」
顔を真っ赤にしているヘンリックはすっかり酔っていると分かるが、見た目ではそう見えないオレクもかなり酔いが回っているのだとエーヴェルトは判断していた。そしてルードヴィグもそれなりに酔っていたのだった。
この場にいて、素面でいるのはもうエーヴェルトだけだった。
「そうか、ローゼリアは恋愛小説が好きなの……か」
そしてそれだけ言うと、ヘンリックはテーブルに突っ伏して眠ってしまった。
「やっと静かになったな」
自分が掻き回した事を棚に上げて、オレクはふうと一息ついて水の入ったコップに口をつける。
「良かった……。どうなる事かと思ったよ、もう」
そう言ってルードヴィグは額の汗をぬぐう。
「オレク、わざと殿下を酔い潰しただろう?」
低くゆっくりした口調でエーヴェルトがオレクを見る。彼の機嫌が悪い時はこういう話し方になるので、ルードヴィグはあわあわと焦った表情を浮かべて二人を見比べる。
「さっきも言ったけど、飲みたいのなら飲ませた方が親切だろう? エルランドでは散々馬鹿馬鹿言っていたのに、ずいぶん懐かれたんだな」
ヘンリックを飲ませ過ぎた事に対して、責める口調のエーヴェルトを相手にしてもオレクは全く気にしていない様子だった。
「こちらも色々あったんだ。今では剣の鍛錬をつけている。殿下はお前よりも根性はあるぞ」
「……うわあ、この人エーヴェルトのしごきに耐えられるんだ」
そう言いながらオレクは珍獣でも見るかのような視線をヘンリックに送る。
「僕はエーヴェルト兄さんを怒らせても平気なオレクの方が怖いよ。……殿下をこのままにはしておけないから、早いけれどもう今夜はお開きにしよう」
ルードヴィグの言葉で侍従が呼ばれ、眠ってしまったヘンリックが運ばれていく。侍従長には殿下をこのようにしてと文句を言われたが、止める間もなく酒を飲んでしまったと、しれっとした顔でエーヴェルトは答えていたのだった。




