15 懐かれた義兄上
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まずエーヴェルトは日も昇らない時間に王太子宮を訪れて、文字通りヘンリックを叩き起こすと、王太子宮の庭で鍛錬を始めた。王宮の鍛錬場を使わなかったのは騎士たちの鍛錬の邪魔になるのを避ける為と、ヘンリックの努力をローゼリアにも見せる為だった。
フォレスターは元々が武門の家系として名を馳せていた。文官志向になったのは現当主であるエーヴェルトの父親の代からで、エーヴェルトは騎士団長をしていた祖父から直接剣の手ほどきを受けていた。
なのでエーヴェルト自身は並の騎士程度には剣を振るう事ができた。そしてヘンリックに剣を持たせて分かったのだがこの王子、めっぽう弱い。
さらに壊滅的に体力が無い。少し稽古をつけただけですぐに息が上がってしまうのだ。
あまりにも出来無い事が多く、驚きのあまりエーヴェルトは開いた口がふさがらなかった。
「あなたはこれまでどれだけ甘やかされてきたのですか? 誰から剣を習ったのですか?」
「はあ、はあ、……これでいいというから、私も、それでいいと思ってきたんだ……。剣はルッカ伯爵から習った、他は知らない」
ルッカ伯爵といえば王妃の実家と遠戚に当たる貴族で、性格は穏やかだが剣の動きと指導も穏やか過ぎる事で有名な講師だった。伯爵は初めて剣を習う小さな子供に教える事が多く、ルッカ伯爵から基本を習ったら本格的な剣術を学べる講師を付けるべきなのだが、王家はそれをしなかったらしい。
エーヴェルトは遠い目をする。自分は確かに実の祖父から剣を習ったが、彼は現役時代には悪鬼と陰で呼ばれていて、剣術にかけては幼かったエーヴェルトにも容赦が無かった。
「まずは基礎体力を作るメニューを考えますから、後はご自身で頑張って下さい。私があなたに稽古をつけてあげられるのは週に一度です」
視線を感じて顔を上げると、テラスへと繋がる大きな窓からローゼリアが様子を伺うように見ている。目が合ったエーヴェルトは、自分のかわいい妹には物語に登場する王子のような笑顔を見せる。ヘンリックはローゼリアが見ている事にも気付かないほど疲れている様子だった。
鍛錬後の朝食はエーヴェルトも入れた三人で摂る事となった。朝からかなり身体を動かしたヘンリックは食欲が無かったのだが、エーヴェルトから吐いてでも食べろと言われてしまったので、仕方なく野菜のスープをちびちびと口に入れていたのだった。
「お兄さま、先日フォレスター領で税をお上げになられたと聞きましたわ。その後はいかがですの?」
エーヴェルトと話しているからか、ローゼリアの声は普段よりも明るかった。
「そもそもフォレスター領は他に比べて税がかなり低かったから今回は税を上げたが、それでもまだ他領より税率は低いのだけれどね。だが増税に納得していない領民も多くいるし、そういった領民に限って橋を直す要望や街道を整える要望はしっかり出しているんだ。それで彼らが中心となって今年の耕作面積を減らすような馬鹿な事を始めているから、いっその事今年耕作しなかった畑はフォレスターに返納という形をとってもらおうと思っているよ。荒地のままで置くよりもこちらで管理した方がいいからね」
「お父様は何とおっしゃっているの?」
「父上も最初は増税は領民が可愛そうだと言っていたが、抜き打ちで領地へ行かせて領民たちの生活がそこそこ良い事を知ったから、今のところは大丈夫そうだよ。あと心配なのが領地を管理させている代官だね。この間、代官の中にヴィルタ家と繋がりのある者を見つけたんだ。前公爵が送り込んだのだろうが、ああいった者が他にもいるかもしれないから、代官たちが管理している書類を父が確認しているところだよ」
「まあ、それはようございました。ヴィルタ様も当主様が変わりましたが、新しい当主様はどのようなお方ですの?」
「僕もまだ会った事は無いが穏やかなお方だと聞いている。これを機に派閥の方針も革新派から穏健派へ鞍替えしてくれればいいんだけれどね。ヴィルタは親族の中に面倒な者も多いからまだまだ注意が必要だよ」
エーヴェルトと会話をしているローゼリアは表情がころころと変わる。それにエーヴェルトの口調も柔らかく、彼らが仲の良い兄妹なのだとよくわかった。ヘンリックには兄妹がいないのでうらやましいとその時思った。
「あの……。今さらなのだが、その、私もエーヴェルト殿の事を義兄上とお呼びしてもいいだろうか?」
食事をしながらローゼリアと楽しそうに談笑していたエーヴェルトの手がピタリと止まり、エーヴェルトが眉をしかめて複雑そうな表情を浮かべる。明らかに嫌そうな表情だった。
「……」
「ローゼリアと私は同じ歳だし、私とローゼリアは夫婦となったのだから、エーヴェルト殿とも義理の兄弟という事になるから、私がそう呼んでもおかしくないと思うんだ」
ローゼリアも固まった表情でヘンリックを見ている。ヘンリックの距離の詰め方は明らかにおかしいのだが、この場にいる者の中で一番身分の高い彼に意見はしにくかった。
エーヴェルトは大きく溜息を吐いた。王妃といい、かつて最愛と呼んでいたマリーナといい、彼はこうやって相手に思慕の念を抱いては彼女たちに都合よく利用されてきたのだろう。そのような思いは妻であるローゼリアへ向けばいいのに、何故か自分が懐かれてしまった。
しかしこのまま放っておけば、別の誰かと同じ事を繰り返す可能性も有り得るのだった。そう思うと、ここで自分が手綱を握っていた方がローゼリアにとってもプラスになるだろうと判断したエーヴェルトの選ぶ道はひとつだけだった。
「……私的な場所でならいいでしょう。ただあくまで私にとっての一番はローゼリアです。それでもよろしければ義兄とお呼び下さい」
「ありがとう、義兄上」
そう言ってヘンリックが笑う。意外にも人懐っこい笑顔で、エーヴェルトには彼が黒い犬のように見えてきたのだった。
ただヘンリックは自分にとっては王宮も私的な場所だと主張し、執務中も義兄上と呼び出した。最初は驚いていた側近や文官たちだったが、いずれ皆慣れて仕事に没頭するようになると、誰もその事を気にしなくなっていった。
そして好奇心の強い王宮侍女たちの間では、黒色の髪と切れ長の黒い瞳を持つ見目麗しい王太子のヘンリックと、異国の雰囲気を強く漂わせた白金色の髪色の公爵家嫡男であるエーヴェルトはとても仲が良いのだという噂がまことしやかに流れたのだった。
エーヴェルトは噂を何とかもみ消そうとしたのだが、理由を説明してもヘンリックは義兄上呼びをやめようとはしないし、週に一度儲けた剣術の稽古の日には、ヘンリックの願いで必ず二人揃って王宮へ出仕をさせられていた。そのうえ自分の前を歩くヘンリックは早朝の稽古で消耗しており、いつも気だるそうな様子で時々フラつきそうになりながら歩いているのだ。二人でまだ誰も出仕していない執務室へ入っていくせいで、想像力が豊かな侍女たちの噂話は加速するばかりだった。




