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三章【サイフォン】1杯目

お待たせしました。3章の1杯目です。

昨日投稿したばかりですが、意外と早く脱稿出来たのでアップします。

学園編スタートです。

 『槍が降っても』

 困難さがあっても、という慣用句である。通常「雨が降ろうと」とワンセットで使用し「たとえどんな障害があろうと必ずやりとげようとの固い決意」という意味になる。

 最先端技術をつぎ込んだカプチーノといえど、さすがに槍を降らすことは不可能である。つまり、通常ありえない事態が起ころうとも絶対成し遂げる決意の表れである。

 なぜこのような例を挙げたかというと、その困難を打ち破った男がいたからである。

 晴樹である。

 そしてその困難とは『早起きする』こと。 

 本来、決意表明しなくとも学生や社会人はごく普通にこなしている事象であるが、この男の場合はそれくらいの熱量を要するのである。

 

 事の発端は昨夜まで遡る。

 晴樹のサイフォンにカプチーノのAAI『青山』からメッセージが入った。

 内容は《明日の朝、遅刻したくないのなら迎えに来い》それだけだった。

 理由を問い質そうにも返信が無い。

 ただ事ならぬ予感を抱いた晴樹は明朝の早起きを決意し、いつもより二時間早く床についた。その甲斐あっての早起きである。

「やればできるじゃん、俺」

 自画自賛する晴樹は些かの感動を覚えていた。


 八時十分。いつも天雫が迎えに来る時間である。

 天雫のゆっくりした歩みに合わせても、初高まで十分足らずである。

 晴樹は自宅の門を出たが天雫の姿が見あたらない。

 一分ほど待ったが天雫は現れない。

 やむを得ず、三十秒ほど学校とは逆方向に歩き、丁字路角の家にたどり着く。

 天雫の家だ。

 朝、登校前に天雫の家に行くのは初めてだった。

 小学生までは頻繁に遊びに互いの家を行き来した仲だが、中学生になってからは極端に頻度が減った。

 晴樹はいささか緊張した面持ちで呼び鈴を鳴らした。


「あら、晴樹ちゃん」

「おばさん、おはようございます」

 ドアを開けたのは天雫によく似た女性だった。とても二人の子を持つ母親とは思えないほど若々しく「おばさん」と呼ぶのさえ躊躇われてしまう。

「天雫はいますか?」

 もしかして『晴樹を置いて先に登校した』という可能性もゼロではない。念のため確認する。

「天雫ったらさっきから声をかけているのに全然起きないのよ。悪いけど晴樹ちゃん、起こしてきてもらえる?」

「天雫、まだ寝てるんですか? わかりました」

「晴樹ちゃんのキスなら起きるかしら」

 天雫の母は意味深な笑顔で言った。

「朝っぱらからからかわないでください!」

「いいわよ、しちゃっても。いえ、むしろしてあげて。あの子喜ぶから」

 母親の認可を得たが実行する勇気は無かった。


 天雫とは小学生以来のつきあいだが、最後にこの部屋に入ったのは中一の夏休みだった。その後何度か天雫に誘われたのだが、何かと理由をつけて断ってきた。

 勝手知ったる他人の家、とやらで天雫の部屋の場所は知っている。だが天雫と言えど、さすがに女の子のプライベート空間に、しかも睡眠中となれば突然の入室は躊躇われた。さすがの晴樹もそこまでデリカシーがないわけではない。

 とりあえずドアをノックし返事を待つ。二度三度と名前を呼んでみたが返事がないため、仕方なく部屋に足を踏み入れた。

 まだカーテンが閉じられており、その隙間からは朝の日差しが漏れていた。薄暗い部屋からは三年前には感じなかった女の子特有の甘い香りがして晴樹の鼻孔をくすぐった。

 晴樹は部屋を見回し記憶よりも少し狭く感じた。


 ベッドには天雫がくーくーとあどけない顔で寝息を立てていた。掛け布団ははだけてパジャマが露わになっている。天雫愛用のテルテル坊主がデザインされたパジャマは思わず「どこで買ったの?」と良い意味とも悪い意味ともとれる質問をしたくなる。

 頭には赤いマキネッタと天雫のトレードマークであるテルテル坊主が装着されたままになっていた。

 しばし寝顔の鑑賞も悪くなかったが〝遅刻〟という現実が目前に迫っていた。

「天雫、起きろ」

 くーくーと寝息で返事をする。

「起きろって。俺だって眠いの我慢して起きたんだぞ」

 実力行使に出た晴樹は天雫の肩に手をかけガクガクと揺さぶった。これは効果があったようで天雫のまぶたがゆっくり開いた。

「んーー、あ、晴樹ちゃん、おはよう……」

 普通、この世代の女の子はノーガードな寝姿を見られたら一瞬で起きそうなものだが、相手が晴樹だからか取り立てて慌てる素振りはない。

 なぜここに晴樹がいるのか―― という疑問も抱かず、天雫は再び眠りについた。

「って、寝るなよ。こら、起きろって。遅刻するぞ」

「うーん、眠い……」

 おかしい。晴樹は訝しげに首をひねった。

 天雫は朝に弱いわけでない。いつも早起きしている。一瞬、病気の可能性も疑ったが苦しそうに見えない。どういうわけだ?


《無駄だよ、晴樹》

 そのとき、晴樹の脳内に声が響き、視界にキャラ化された青山がARのように浮かんだ。

「無駄ってどういう意味だ?」

《天雫が爆睡してるのはカプチーノの副作用なんだ》

「副作用?」

《カプチーノシステムは使用者の体力と精神に負担をかけるんだ。ましてや融合した初日に六時間以上ぶっ通しで使っていたからな》

「なるほど、お前が原因か」

《引っかかる言い方だが間違いじゃねぇ》

 おそらく天雫のことだ、天気を操れる嬉しさから無我夢中で操作を覚えていたのだろう。

《俺も何度も言ったんだがな、天雫のヤツ聞きやしねえ。おかげで大まかな操作ならもう全部覚えたぜ。まあ勉強熱心なのは分かったけどよ、やり過ぎは良くねぇ。その結果がコレさ》

「カプチーノを使うと毎回こうなるのか?」

 天候を操作する度に寝入っては堪ったものではない。これではまるでどこかの爆裂娘のようである。

《いや、慣れと程々に使う分には問題ねぇ。今回は特別だ》

「そ、そうか」

 とりあえず、外出先で天雫を背負って帰る心配はなさそうである。

《こうなることは予想できたからな。だからお前に連絡した》

「ああ、助かったぜ」

 確かに青山の機転が無ければ晴樹も早起きすることなく、双方共倒れであった。ファインプレーだと言わざるを得ない。意外と役立つAAIである。

《と言うわけで後は頼んだぜ。俺はもう寝る》

 そう言うと青山は自らカプチーノをシャットダウンした。


 これで原因は分かった。残るはこの眠り姫の対処である。

 最優先タスクは遅刻せず登校であるが、タイムロスが甚だしくリミットが刻々と近づいている。

「天雫、頼むからさっさと起きて着替えてくれ。そろそろ出ないとマジでヤバいって」

「ごめん。あたし起きれない…… 晴樹ちゃん、着替えさせて……」

 ぼひゅん。

 晴樹の思考回路にあるヒューズが飛んだ音である。

 幸い良心回路に被害は及んでいないが全体的なダメージは大きい。

 そして一瞬の間を置いて、回路が回復し状況を反復する。


 今天雫は着替えさせてと言った。確かに言った。念のためもう一度思い出してみる。思い出してもやはり「晴樹ちゃん、着替えさせて」と天雫は言った。特に最後の「着替えさせて」はエコーがかかって聞こえた。

 単に寝ぼけているのか、それとも心の奥底に潜む願望なのか、天雫の口走った台詞は晴樹に劣情を催させた。

 かつての融合シーンで天雫の柔肌と下着が鮮明に思い出される。

 再び思考回路に過負荷の兆しが見え始めていたが、焼き付くまでには至らない。

「ばばばばばばか言うな! できるわけ無いだろ!」

「大丈夫。制服はそこにかけてあるから。下着はタンスの一番下の引き出し。今日はね……うーん、上も下もピンクのやつで……」

「下も? 今下もって言ったか!」

 天雫が無自覚に放出する過電流がもはや良心回路にまで流れ始めている。危険水域に達する勢いだが、僅かに残っている道徳心が奮闘した。

「寝ぼけるな! お前の身体を触りまくってやるぞ」

 全回路が暴走したようなセリフだが、これは脅しである。しかし、

「う~ん、優しくして……」

 と、まるで効果は無く、朝っぱらからおバカな返事が返ってきた。

 そして晴樹に一任した安心感からか、天雫は再び寝息を立て始めた。

「おいこら起きろ! 自分で着替えろ!」

 晴樹は先ほど以上に天雫の肩に手を掛けがっくんがっくん揺さぶったが、一向に起きる気配はなかった。


 こうしている間にも刻一刻と時間は無情に過ぎていく。

初高はとりわけ遅刻者に厳しい。昨日は天雫の体調不良――保健室で休んでいる、という体で免除が叶った。

 それ以前、入学時からほぼ毎日、天雫の尽力により厳罰を回避してきた。

 しかし今回、立場が逆転している。体験して初めて分かることもある。

 毎回、自分を起こしに来る天雫の苦労が身に染みて理解できた。

 だが今は反省よりすべきことがある。

 天雫と壁の時計に視線が行き来する。


 倫理的観点からより強引に天雫を起こし、着替えだけでもしてもらうか。

 時間節約のため、天雫の主張――「着替えさせて」を尊重すべきか。

 残された時間は少ない。

 晴樹に決断は迫られた。

ここまでお読み頂きありがとうございました。

日常パートは書いていても楽しいです。

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