灰燼のリコリス
眠る人形のまぶたを固定して淡いオレンジ色の瞳ににじむ憂鬱を微睡みの海へと落とす。つるりとした眼球を戯れに転がした。
「微笑みよ来たれ」
鏡像は歪曲されてコッペリアの唇を縫い合わせてゆく。瞳孔を焼く光は拡散し、白く染まった視界では髪に挿した花の区別がつかない。
微笑する人形の首に腕を絡めて抱き寄せて「偽りの笑みは要らない。真実が欲しい。君の魂はどこにある?」と低くうなる声の主は縛り上げた人形の背を見ながら、彼女の笑みを求める。うなじに顔をうずめて手なぐさみに羽根をもぐ傍らで、人形の首の骨は折れた。
月のない夜、焼け跡を裸足でさまよう寡婦などいずれは娼婦で誰でも構いやしないのさと嘲笑うように、いくつものやわらかな慈愛を盤上に配置する。深い眠りを妨げるまぶたの固定具がきりきりと音をたてると無数の針が人形の瞳を穿ち、縫い合わせた唇の間を悲鳴がすり抜けていった。次第に糸がぷつぷつと皮膚を食い破り、人形は悲鳴の合間に壊れたレコードのようにまじないをくりかえす。
真意を問いただそうという思惑のあてが外れた主はいらだった。そうして彼女を競売にかけようかと悩んだり、わざと傷つければある日人形の足が勝手に動き出していなくなりはしないかと夢想した。瞳に深く針を刺して傷つけてみたが、人形の足が動くことはなかった。
かつて陽射しのようだった彼女の眼差しは刺さった針に固定されて動けず、うつつに重なる走馬燈を眺めている。
彼女が懐かしく思い出すのは主が片頬を吊り上げて笑うさまであったし、爪の短い反り気味の指であったし、気まぐれで悪戯な仕草であった。また、片側にわずかに重心の寄った猫のようにしなやかな歩き方であり、やわらかな曲線を描く肩であり、ふとした拍子にとがる唇であった。或いは涼しげな目元であり、整った鼻梁であり、わずかに煙の気配のする美しい声だった。
人形にとって、主は故郷であった。
きれぎれにこぼれる記憶が、主の手によって焼け落ちて灰になる。固定具にわずかに許されたまぶたの裏に故郷を想い描きながら、拷問の果てに灰となったリコリスは静かに瓦礫に埋もれて形を喪った。
未来を歩む主が幸福でありますようにという、何度もくりかえした、ささやかな呪いだけを残して。