〈 1 〉
瑠璃色のカーテンがかすかに揺らめく。目の前を覆ったその吸い込まれそうな青色が、音もなくするすると左右に開いた。
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白く煙った風景がぼんやりと視界に入る。筋状になった薄い雲が次から次へと降りてきては地面にぶつかって広がっていく。昼間の明るさを感じるが、日差しは柔らかくさえぎられて、太陽がどこにあるかはわからない。
霧を通して花畑と草原のようなものが見える。時おり霧が薄まって、鮮やかな色彩が目に飛び込んてくる。青紫の花の色。
足元の真っ青な色から淡い薄紫までのグラデーションを繰り返すパターンで、ゆったりとした風を受けて、波打つようにどこまでも続いている。
しゃがみ込んで、青い花に顔を近づける。
「何の花だろう」
一本の茎に数え切れないぼどの、小さな花びらを持った花がうつむき加減に、つつましく咲いている。見覚えのある花だ。でも、よく知っているはずのその花の名前がどうしたことか思い出せない。
軽いもどかしさを感じながら立ち上がって歩きだす。花畑の中に一本の道が浮かび上がっている。ゆるやかな弧を描いて草原のかなたに続いている。道にそってゆっくりと歩を進めた。見えない力に背中を押されるように、前に進んでいかなければならないような気がした。
道は単調にどこまでも続いている。時おりむせ返るような香りに包まれた。
軽い圧力を感じさせるくらいの強い香り。でも不快さはない。
進むにつれて、わけもなく不安な気持ちに取りつかれてくる。歩みを進めるごとにそんな思いは大きくなった。
知らず知らずに速足になる。この道がどこへ続いているのかは知らない。とにかく進まなければいけない、前へ。
鼓動がだんだん早くなり、少し息が切れてきた。
ふと小石につまづいてつんのめる。反射的に前へ出した右足で踏ん張った。その途端、思い出した。その青い花の名前を。
「ヒヤシンス・・・」
つぶやいたその時、頭の上で鋭い風切音がした。思わず顔を上げる。突然、視界の隅に赤い色彩が飛び込んてきた。赤い色は急速に広がって、霧と草原を禍々しく染め替えていく。
何かとても嫌なものが迫ってくる。
見てはいけないものが近づいてくる。
「逃げなきゃいけない」
そう思った。でも足が動かない。その場に立ちつくしたまま、赤い世界に呑み込まれていく。
赤く染め上げられた光景の中にぼんやりとした影がゆらゆらと現れる。影は佇んだ人の形に輪郭を整える。小学生くらいの男の子の後ろ姿だ。
その姿に見覚えがある。幼なじみの男の子のようだ。少しほっとした気持ちになって、その少年の名を呼びかけた。
思うように大きな声が出ない。口を大きく開けて声を振り絞る。何度目かの呼びかけに、少年はゆっくりこちらを振り向いた。幼なじみの男の子に間違いない。呆然とした表情で両手で頭を抑えている。その姿を見て息を呑んだ。
両手の間から血があふれでている。手で押さえていても止まる気配がない。
禍々しい赤い世界は流れ出る血の色だ。
喉の底から悲鳴がせり上がってきた。
今度は大きな声が出た。
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瑠璃色のカーテンが揺らめきながら静かに閉じた。