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「……市井の魔術調査、ですか?」

「そうそう。今度行くんだけどベルも一緒にどうかなって」


 侯爵家の淑女教育と国からの魔術教育、その2つをこなしながらの生活は目が回るような忙しさであったが得るものも多くとても充実していた。そんな目まぐるしい日々を過ごしていたそんなある日のことであった。今や日常となった魔術実習の後、紅茶を飲みつつしばし休息をとっていたところ、ルーカス殿下から突然のお誘いがあり私は目を丸くした。曰く、国属魔術士と共に王都の民が使用している魔術の調査に向かうそうだ。

 この国では平民だとしてもその大小はあれ皆ある程度の魔力を持つ。彼らは学園に通い教育を受けられる貴族ほど体系化された豊かな知識を得ることはできないが、その生活には人々の間で長年共有されてきた多種多様な魔術が根付いているという。今回より良い魔術環境整備政策のため、その暮らしの知恵とも呼べる彼らの魔術を調査したいとのことである。得られた調査結果は新しい魔術道具の開発や流通などに活かされる予定だそうだ。

(結構面白そうね。でもなぜ私たちに?)

 実は最初は魔術士たちだけで調査を行おうと考えていたらしいが、相手が国属魔術士となると民も気後れするだろうこと、そして先入観の少ない子供の視点からも彼らの生活を見てほしいことなどから魔術実習を受けていた我々に声が掛かった。実習の一環としてどうか、とのことだった。

「それに、1人よりも2人のほうがたくさんの発見があると思わない?」

 きっと楽しいよ、と続ける彼の言葉に私はゆっくり深く頷く。

「それはとても楽しそうね。私も是非参加したいですわ」

「そうだよね! じゃあベルも一緒に行くって父上にも話をしてくる!」 

 すぐに王に許可を取りに行ったルーカス殿下の背を見送る。……実は恥ずかしながら私は今まで1度も王都の街を歩いたことがなかった。侯爵令嬢という立場では誘拐などの危険性を鑑みてそう簡単には出歩くことはできない。王城へ向かう度に馬車の窓から見るあの美しい煉瓦造りの街並みを自由に歩いてみたいと思ったことは数知れずだ。そのためだろう、私はこの提案にらしくないほど心が躍ったのだった。



「楽しみだねー! ベルも楽しみだった? 目がキラキラしてるよ」

「えっ、き、気のせいですわ!」

「ふふっ、本当にそうかなー?」

 待ちに待った調査の日。楽しみでそわそわする私とそれを揶揄うルーカス殿下を見ていた魔術士たちは私たちのやり取りが微笑ましかったのか目を細めていた。私たちの2人の容姿は悪く言えば派手でそのままではかなり目立ってしまう。そのため国属魔術士による変装魔術が施された。これは体の一部分の色を変えるものだ。私の紫がかった銀髪はミルクティーのような柔らかな色合いに、紺色の瞳は濃いブラウンに変化した。もちろん服装も簡素なワンピースに、髪飾りも庶民の着けるようなリボンでできた可愛らしいものに変えた。……のだが、少しキツめの顔立ちのためかあまり平民感は出ず、ちょっと良いところのお嬢さん風になった。少し背伸びしてお洒落をした平民の女の子、という体で行こう。

 対してルーカス殿下の緋色の髪と金色の瞳はどちらも濃いブラウンに変化している。平民の着る動きやすく簡素な服を纏えば、(元々あまりなかった)王族の高貴な風格は完全になくなった。どこかヤンチャそうな普段の彼の雰囲気と相まって、その辺に普通にいそうな平民の子供という出立ちになった。元々初対面で平民かとも思ったくらいだ。その姿があまりにも似合っていて思わず笑ってしまう。

「それにしてもルカ様、結構その服似合いますわね。本当にその辺にいそうだわ」

「あはは、それは褒めてるのかな? でもベル? 今日は平民なんだからその喋り方、変えないとだよ」

「あ、確かにそうね。えーと、ル、ルカ、?」

 私は咄嗟に顔を背ける。どうしてだろう、ただ愛称で呼んだだけなのに不思議と顔が熱くなった。これでは思わず『様』を付けてしまいそうだ。ルーカス殿下はそんなぎこちない私を見て嬉しそうに楽しそうにケラケラと笑っていた。

 ちなみに服装は2人とも似たデザインのものを着ている。今回の調査は『おばあちゃんと双子の孫の初めてのおでかけ』という設定で行うことになっていた。地方からおでかけで王都にやってきた子供たちが好奇心のままに街を見て回るというイメージだ。ちなみにいつも魔術授業をしてくれている年配の女性魔術士がおばあちゃん役だ。もちろん彼女も普段のローブ姿ではなく、平民と見紛うような簡素な姿に変装している。見たところおっとりとして人の良さそうな普通のおばあちゃんだ。

「じゃ、準備もできたし、そろそろいこっか!」

「はい!」

 私はルーカス殿下に手を引かれ、お忍び用の馬車に乗り込んだ。


「すごいわ! なんて素敵なの!」

 石畳の道を跳ねるように夢中で駆ける。初めて歩く王都の街並みは想像していたものよりもずっと素晴らしいものだった。

 美しい煉瓦造りの建物が放射状に並び、その間を縫うように寸分の狂いなく敷かれた石畳の道が張り巡らされている。古くから王国による綿密な区画整理が行われていたことから街並み全体には統一感があり、その風格は最早全てが芸術品と言えるのではと思ったほどだった。その絵画のような美しい光景の中、商店などが建ち並ぶ大通りはたくさんの人々で賑わっており、飲食店で購入した軽食を食べ歩く者、街路樹の木陰で読書をする者など、そこは様々な人々の暮らしを内包し、眩しいほど活気付いていた。

「ルカ! あれは何かしら? あそこにも行ってみましょう!」

「あっ、ねえちょっとベル、そんなに走ったら迷子になっちゃうよ?」

「こら、あなたたち、はしゃぎ過ぎもほどほどに。後でお母様に怒られちゃうわよ?」

「「はーい」」

 街中では至る所に見たことのないものがたくさんあり、好奇心のままに走り回っていたらおばあちゃん役の魔術士に軽く嗜められてしまった。ルーカス殿下はともかく、年配の彼女まで走らせてしまったことはしっかり反省しよう。

 気を取り直して3人でゆっくりと歩きつつ、道沿いに並んだ様々な店に入り、中に並んだたくさんの商品を見ていく。花屋、服屋、雑貨屋。それらのどれもが私にとっては新鮮なものだった。基本的に侯爵家には商人が商品を持ってくるため、使用人はともかく我々が自ら買い物に出向くことはないのだ。例え安価なものだろうが、自分の足で歩いて自分の目で見つけたものと思うだけで不思議とキラキラ輝いて見えた。


 どうしても観光気分は抜けなかったが、もちろん調査も忘れてはいない。街や店を周る中、至る所で簡単な魔術を見つけた。市井で使われている魔術には民のたくさんの工夫が凝らされていた。飲食店では調理のための火や水、飲み物を冷やす氷。人体の強化魔術は肉体労働者に。土による生命力強化は農作物に。風による換気は室内の環境維持に。それらの魔術は一見些細なものであったが、日常に根付いているそれは民の暮らしになくてはならないものだろう。

 そして、なんと単純な魔術の使用だけでなく、それらは魔力と術式と魔石に封じることで簡易的な動力としての利用もされていた。洗濯桶の中で水流を作ったり、かまどの火を弱く付け続けて食べ物を長時間煮込んだり、風で床の埃を集めたり。そのようなことをほとんど魔力を使わず魔石を起動するだけで誰でも簡単に使えるようだ。炊事、洗濯、掃除。我々のような貴族ではこれらは使用人がほとんど手作業でやっていることだ。しかし、自分たちで全てをやる必要がある平民たちはそれらを自らの知恵と工夫で解決していた。そして魔力があまり強くなくともその恩恵を受けられるようになっている。

(すごい……!)

 今まで魔術とはもっと大掛かりなものだと考えていた。思えば学園で学ぶ魔術は日常的に使うことはほとんどない所謂古典のようなもので、生活に密着して進化した民の魔術とは出自が全く異なるのだ。もちろんそれらのどちらが良い、悪いなどはない。しかし、

(私たちの、貴族の生活の中だけでは、民の暮らしを知ることなど到底できなかったわね)

 あの時の未来において侯爵家での領地の経営には私も少しだけ関わっていた。兄の手伝い程度ではあったが領民の生活を向上するための施策を考えもしたのだ。だが私は実際の民の暮らしはどのようなものか理解していただろうか。彼らは愚かで何もできない弱者だと思ってはいなかったか。知識も経験もない状態、貧弱な想像力。彼らにきちんと目を向けなかったあの時の私はそれを知ることはなかった。そして、実際に目の当たりにしたそれは、想像すらできなかったそれは、私の中の小さな世界をぐんと大きく拡げたのだった。

(これからはきっと、もっと、良くできるわ)

 民の暮らし、貴族の暮らし。やり方次第ではそのどちらも向上させることができる。私の中にささやかな未来への希望が芽生えた気がした。


 粗方調査を終え、後は開発の参考になりそうなものを皆でそれぞれ買って帰ることになった。目に付いた手頃な雑貨屋に入り、日常生活用の魔術道具を買い込む。全部はさすがに買えないので気になるものを各人がじっくり選んでいた。私も陳列棚の前をゆっくり歩きながらそれぞれの商品を確認していく。どれも私にとって興味深く、選ぶのが難しい。

(これが炊事用の火の魔石、これが掃除用で、こっちが……?)

 客があまり入らないであろう店の奥、埃被った陳列棚に無造作に並んだ商品。そのうちの1つに目が留まった。思わずその棚に近づき、それを手に取る。

「――これは、何かしら」

 それは、中で不思議な光が渦巻いている小ぶりな魔石だった。透明な魔石の中の光は止めどなく動いており、ずっと見ていてもひとときも止まることはない。その光の美しさに私はいつのまにか見惚れていた。

「おっ、そこの嬢ちゃん。それに目を付けるたぁ、わけぇのに中々やるねぇ!」

 突然背後から大きな声を掛けられ驚いて振り返ると、私のすぐ後ろに恰幅の良い年配男性が立っていた。胸元には『店長』と書かれた札が下がっている。

「店長さん、ですか。これは一体何ですか?」

「そいつぁなぁ、どっかは忘れたけどよぉ、よその国で採れる宝石っつー話よ」

「! 宝石なんですね、初めて見ました」

 白髪混じりの髭を無造作に伸ばした顎を撫でながら彼は得意げに語る。曰く、それは隣国から輸入されてきたもので、とある魔獣の力がその光の中に閉じ込められているとの伝説があるとかないとか。そして魔石としての用途は全くなく、専ら観賞用だとか。そういった豆知識を彼は身振り手振りを入れつつ面白おかしく教えてくれた。その話を聞きつつ石をじっくり見る。私の両手に収まる程度のそれは、良質の水魔石のようにキンと透き通っている。その中をひらひらと渦を巻いて飛ぶように動く光の球は目にも鮮やかな赤色だ。――それはどこかルーカス殿下を思い出させるような、そんな輝きだった。

「……素敵ですね。おいくらですか?」

「ちょっと待ってなぁ。あー、んー、嬢ちゃんの小遣いじゃあ、ちと難しいかもなぁ……」

 と言って店長はササっと積もった埃を払い値札を指差す。見るとそれは他の日用品の魔石と比べて3桁以上の値段だった。石を持った手が強張る。それをこんな埃まみれのところに乱雑に置いていて良いのだろうか、と思いそれを聞いてみたところ「逆にその方が安全」と言われた。それもそうかもしれない。ぱっと見た感じでは埃まみれのガラクタに見えるだろうし、窃盗団が入ったとしても見逃されそうだ。この値段は『侯爵令嬢』としての私ならば普通に買えないこともない。が、しかし今は『平民』なのだ。そもそもこれは今回ここに来た目的とは異なるのだし大人しく諦めるしかないだろう。仕方ない。

「ぅ……今日は諦めます」

「はっはっは! まっ、そいつぁそうそう売れねぇし、売れちまったとしてもたまぁに入荷してっからよ。また今度買えっとき買ってな!」

「そうですね。お話してくださってありがとうございました!」

 店長はニカっと快活に笑って私の頭を少し雑に撫でていった。私はとりあえず研究用として持ち帰るため一般的な洗濯用の水の魔石を購入した。


「ベル、さっき店長さんと何話してたの? なんで? 世間話? 何か欲しいものでもあった?」

「い、いえ、店の奥に珍しい石があったので少し気になっただけですわ」

「珍しい石?」

 店を出るとすぐにルーカス殿下が纏わりついてきた。どうやら私と店長のやり取りを遠くから見ていたらしい。こうなった彼は放っておくと煩いとわかっているので、馬車に乗るまでの道すがら先ほどの店長の話を伝えることにした。

「魔獣の力……」

「あくまで伝説みたいですけれど、結構面白い話よね」

「……そうだねー、それどこの国から来たやつって言ってた?」

「隣国とは言ってたけれど、どこかまでは忘れたそうよ」

「んー、そっかー」

 珍しくどこか歯切れの悪いルーカス殿下が少し気になったが、私はそれを問うことができなかった。


 ――平和な街に似つかわしくない、絹を裂くような悲鳴が聞こえたのだ。


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