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「はい、本日の実習はここまで。明日はこの続きから行いましょうか。本日もよくできていましたよ」

「はい! ありがとうございました!」

 よく休んでくださいね、と年配の女性魔術教師は息を切らし疲れ果てた私を優しく労ってくれた。私は額に浮かんだ汗を運動服の袖口で拭い、木陰に入って水を飲み一息つく。


 月日が過ぎるのは早いもので、あの王城でのお茶会――お披露目会からもう1年が経とうとしており、7歳になっていた今回の私の生活は前回のものとは大きく異なっていた。前回の私は第一王子ディオン殿下の婚約者候補として他の候補者数名と共に段階的な王妃教育を受けていたことを覚えている。その過酷な教育に他の令嬢たちは次々と脱落してしまい、最終的に私が正式な婚約者の座を勝ち取ったのは8歳を過ぎた頃だった。しかし今回はなんと私は彼の婚約者候補に選ばれなかったのだ。婚約回避作戦が上手くいったのだろうか、いずれにせよ私は深く安堵した。これで彼と距離を置くことであの不幸な事故を防げるというのなら安いものだ。

(いい調子ね。このまま今できることをしていきましょう!)

 私を第一王子の婚約者にするため心を砕いていた両親は私が選ばれなかったことに納得してくれるだろうかと少し心配もしたが、実際のところ肝心の両親の機嫌はもうすこぶる良かった。それもそのはず第二王子ルーカス殿下から私に対して婚約の打診があったからだ。これは婚約者『候補』ではない、私1人に対する『求婚』だ。これには侯爵家としての力を高めるため王族と縁続きになりたい両親は両手を挙げて歓迎した。彼らにとっては第一王子でも第二王子でもどっちでも良かったらしい。

 しかし意外ではあったがルーカス殿下は私に対し無理強いはせず、私の意思を尊重することを打診の際に伝えてくれていた。両親が私に圧を掛けることのないよう、配慮をしてくれたのだ。そのためか今のところ侯爵家の誰からも婚約の強要はされてはいない。……まあ、大きな期待をされていることに変わりはないが。彼は(あんな感じだが一応)王族だ。そのため我々に一言命令を下してしまえば思い通りにことは進むのだが、それをしないのは案外彼らしいのかもしれない。

(……でも、もしかしたらこれから先、ルーカス殿下にも他に気になる令嬢が現れるかもしれないわ。あの時のディオン殿下もそうだったもの)

(その時に私が婚約者だったりしたら困ってしまうでしょう)

 彼の良心に付け込んだ形で返答を先延ばしにしてしまったことは反省しているが、前回のように愛する2人の邪魔者になってしまう可能性を考えると今はとりあえずこうするのが一番だと思った。

 兄はそんな私とルーカス殿下を心配しているのかあれこれと世話を焼いてくれている。少し前に9歳になった彼は侯爵家の後継者教育が本格的に始まり中々多忙である。そんな中でも私のことに気を遣ってくれる優しい兄だが、私としては少し申し訳ない気持ちだ。

 ちなみに件のディオン殿下とは接点が少なくこの1年ほどでもほんの数回しかお目にかかっていない。だが会う度に何処となく生暖かい目で見つめられてしまうためなんだかむず痒く、居心地が少し悪くなる。


 普段の生活への影響として今回は王妃教育を受けずに済むことは大きい。一度やったことなので内容自体は何ら問題ないのだが、あの厳しい教育をもう一度最初からというのは非常に骨が折れるのだ。単に時間と労力とやる気の問題である。侯爵家での教育でもそうなのだが、19歳までの記憶があるということを周囲に怪しまれないよう、わざと問題を間違えたり簡単な魔術で失敗したりするなど絶妙な小細工をしなければならないことが地味に大変なのだ。もし仮にだが私がルーカス殿下の婚約者となった場合でも侯爵家の教育で十分過ぎるほど事足りるそうだ。楽で助かるが逆に言えばそれほどまでに侯爵家の教育が厳しいともいう。


「ベル、お疲れ様」

「ルカ様こそ。ふふ、すごい汗ですわ」

「うん。炎はやっぱり熱いね。ベルの氷で冷やして〜」

「……うっかり手が滑って氷漬けにしてもいいのならいいですのよ?」

「あはは! じゃあやめとく!」

 個人の実習を終えて木陰にやってきたルーカス殿下とふざけたやりとりをして笑い合う。彼も魔術実習のため私と似たような運動服を着ているが、使用する魔術属性の影響か私よりも汗だくだ。よく目立つ緋色の髪が汗ばんだ頬に張り付いている。そんな彼と私は気がつけば2人きりの時にはくだらない冗談を言い合える、気楽に話ができるような仲になっていた。良い言葉で表せば親友のような関係であった。そう、他にもあの時の未来とは変わったことがある。あの魔獣騒動の後、国属魔術士から直々に魔術教育を受けることになったのだ。

 どうやら私が魔術で魔獣を撃退したことが彼らの間で噂として広まり一目置かれてしまったらしく、彼らから然るべきところできちんとした教育を受けることを強く勧められた。これは強力な魔術を行使できる私の安全のため、そして有用な魔術士を育成することによる国益のためでもある。先ほど受けていた実習はその魔術教育の一環だ。王妃教育がないために時間を持て余していた私にとってそれは嬉しい誤算だった。座学と実習を組み合わせ、さらに実践的な応用を学ぶ。学園での授業や王妃教育では知ることがなかった多種多様な魔術に触れられるまたとない機会。魔術全般に興味があった私はその提案を喜んで受けたのだ。……なぜかいつのまにかルーカス殿下まで参加していたのだが。不思議に思って訊ねてみたところ「面白そうなことをやっているから俺もやりたい」とのことだった。この王子、かなり自由である。

(だからと言って暇という訳でもなさそうだけれど、いいのかしら)

 流石に外せない重要な用事があるらしい時は不参加だが、逆に言えばそれ以外の時はちゃっかりといるのだ。そのため彼とは頻繁に顔を合わせている。最初は会う度に婚約婚約と正直言って煩かったのだが、ある日それを『やんわり』と伝えたところそれからきっぱりと口に出さなくなった。だがその代わりだろうか、髪飾りをことあるごとに贈ってくるようになった。最初はあの魔獣との戦いの際に壊れてしまったものの代わりに、とのことだったのだが、誕生日、感謝祭、そして最近は本当に何でもない日にまで贈られてくることすらある。今日身に付けている髪飾りも彼から貰ったものだ。花を模った繊細なカットを施された紫魔石に金色と緋色の優美な装飾が付いている――その色から彼の圧を感じないわけでもないのだが、かといって嫌なわけでもないので今のところありがたく受け取っている。

 そっと髪飾りに触れる。あれからも私の髪は短いままだ。ディオン殿下との婚約は回避したが、私はそれからも髪を伸ばさずにいる。……いや、正確に言えば伸ばせずにいた。実は一度伸ばしてみようとしたのだが、少し伸びてきた頃に魔力を練った際、体内を巡る魔力の感覚が突然乱れたのだ。不規則に脈打つそれは血流で例えるならば不整脈のような症状だった。そんな状態でまともに魔術を使うことなどできるわけがない。

 これはおそらく強い魔術を行使したため、短い髪で魔力を練ることに体が適応してしまったのだろう、というのが医師や国属魔術士の見立てであった。そのため髪は今もユミィに頼んで定期的に短く整えてもらっている。最近は彼女も手馴れてきて様々なアレンジもお手のものだ。

(動きやすくて楽だし、これはこれで悪くはないのよね)

 そして最後に王城敷地内での魔獣の出現の件だが、これについて例の会に参加した貴族たちに箝口令が敷かれた。余計な緊張を民に与えないためであった。各々の領地では念のため武器の総点検や塀や堀などの設備の整備、騎士や自治団の再教育などが行われたが、今のところ以後の人里での魔獣出現は報告されていない。


 私たちは何処か不安になる程平穏な日々を送っていた。


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