7 第一王子視点
【第一王子 ディオン視点】
ここは私の執務室だ。子供が自由に走り回れるのではないかというほどに広い室内、質の良い木製の大きな机と柔らかな革張りの椅子、そして壁には一部分以外はまだあまり中身の入っていない大きな本棚が並んでいる。まだ幼い私に大人のようなこの待遇は如何かと思うが、いずれ担うものの大きさを早めに認識させておこうという両親の淡い親心を感じるため文句は口には出さない。
椅子に座り机に向かう私の目の前には、弟のルーカスが立っている。彼には1つ聞きたいことがあったため、先ほどここに呼び出したのだ。私は早速本題に入ることとした。
「ルカ、よく来てくれた。……あの時ベルティール嬢がどんな魔術を使ったのか見ていたか?」
「いいえ、俺が気付いた時にはもう魔獣は苦しんで暴れていましたので」
「そうか」
彼はさらりと答える。彼とこれまで接してきた経験則からいうと、この返答は嘘を吐いている。しかし私の直感ではあるがそれを問い詰めたところでおそらく良い結果にはならないだろう。彼は『言わないこと』を選んだのだ。私はその選択を尊重し、何も追及しないことにした。
「兄上」
「なんだ?」
用は済んだため退室を促そうとしたところ、彼は少しそわついた様子で口を開いた。珍しい。どうしたのだろうか。喉の渇きが気になったため、手元の紅茶を一口飲もうとカップを持ち上げる。
「俺、ベルに婚約を申し込みました」
「!?」
危うく紅茶を噴き出すところだった。カップに口をつける前で助かった。急に想定外の方向から爆弾を投げてきた。
「……、それについて父上に話は」
「していませんが」
「わかった。この後すぐにしてきなさい」
彼は少し笑いながら返事をする。わざとだな。完全に個人の判断でそのような重大な行動しただなんて、王族としてもう少ししっかりとした教育が必要だ。
「それで、彼女からの返事は?」
「……時間をかけて考えさせてほしい、と」
これはどうやら断られたようだ。わかりやすい。だが彼はその程度で諦めたりはしないだろう。これは兄としての勘だ。そしてこの勘はよく当たるのだ。
「そうか、では良い返事が貰えるといいな」
「はい!」
彼は私から思い通りの返事を引き出せて満足したようで、嬉しそうな笑顔を浮かべて部屋から出ていった。早速父の元へ報告をしに行くのだろう。少し生意気なところもあるが、私を慕ってくれる可愛い弟だ。それにしてもあまり物事に執着しない彼がそれほどのことをするとは。と思い、笑みを深める。私は少し冷めてしまった紅茶を飲み、一息つく。そして机の引き出しから1枚の紙を取り出した。
まだ父に報告してはいないが、婚約者候補は例のお披露目会が終わった時点で決めていた。元より、ある程度身分により何人かには絞られてはいたのだが、実際にこの目で見て決めていこうという話になっていた。そしてその場があのお披露目会だった。そして私はそこで彼女と出会った。
ところで、この国で貴族令嬢が髪を長く保つのは権力の誇示のためと言われているが、それ以外にも理由がある。我々が魔術を使う際には体内に無秩序に流れている魔力を調節するために一度『練る』必要がある。それは本来肉体の中で行うものだが、実は髪を肉体の一部として使うこともできるのだ。男性と比べて体の小さな令嬢たちの髪は彼女たちの魔術を強化する媒体として大きな役割を担っている。いざとなった場合にそれは自らの身を守るために必要なのだ。
それを彼女はどうだ、自ら切り落としてしまったというではないか。その事を彼女の兄であるライオネルから聞いた時にはあまりに驚いてそのまま笑ってしまったほどだ。そんな私を見たライオネルは困っていた。どんな面白い令嬢が飛び出してくるかと思っていたが、実際に目の当たりにした彼女は可愛らしく礼儀正しい侯爵令嬢で、6歳の普通の少女であった。さらにあれほどの短い髪では簡単な魔術を行使することすら難しいのではと私は思った。
だが、それは違った。彼女はその小さな体で強力な魔術を行使し、自らに襲いかかる魔獣を退けたのだ。幼体だったといっても頂点捕食者である魔獣だ。一般的な人間が対峙してそうそう勝てるような相手ではない。私とライオネルがその場に到着した時には、既に彼女は魔力不足で眠ってしまっていた。しかしそこは何かが大きく爆発したように木は放射状に曲がり、一部は凍りついている箇所もあったのだ。彼女はあの年齢、体格、そして髪の長さ、全てが不利な状況でそれだけの力を発揮していた。
果たしてどのような魔術を使ったのか。いずれにせよ、彼女には特別な才能がある。私の直感はそう言っていた。そして、それ以上に、私は彼女のその勇敢さに心を打たれた。幼いながらも倒れたルーカスを守るため、強大な相手に臆さず立ち向かえる強い心を持った素晴らしい女性だと思った。
魔力を使い果たして眠るその姿は、私にとってとても輝かしく見えたのだ。
そして先ほどの弟の『事後報告』である。……彼はわかっていたのだろう。彼女が私の婚約者候補として選ばれていることを。
「……全く、ルカには敵わないな」
軽く自嘲の笑みを浮かべる。弟に出し抜かれるなど次代を担う王太子として力不足と言われても仕方ないのかもしれない。だが、不思議と今はそれでもいいと思えるような満足感があった。改めて手元の紙に目を遣る。そこには数人の貴族令嬢の名前が並んでいる。そして、
――私はその中の1つを、そっと消したのだった。