18 宰相の息子視点
【宰相の息子 ニコラ視点】
初めはちょっと変わった女の子だと思った。
彼女の名前はベルティール・ド・ヴァロトア。ヴァロトア侯爵家の令嬢で、友人であるライオネルの妹。可憐だが少しキツそうな顔立ちは穏やかそうな兄とはあまり似ていないと思ったが、よく見てみると同じ紺色の瞳をしていた。
そして何より特徴的であったのがその髪の長さだった。長く美しい髪を維持することが貴族令嬢の中では当然という価値観の中でこれほど短い髪の令嬢は珍しい。そのことついて疑問をぶつけたところ、彼女は少し困ったようにお洒落のためだと言った。この様子だと他に話しにくい理由があるのだろう。聞いて悪かった。
何故かついでにいたルーカス殿下との様子からどうやら彼女が彼の婚約者(仮)だとわかった。王族からの婚約の打診を保留にしているとは結構肝が据わっていると思う。ちなみにルーカス殿下の婚約事情はディオン殿下からそれとなく聞いていたが、その相手はこの時初めて知った。
実際に話してみた彼女は案外普通の貴族令嬢で、芸術に深い理解のある少女だった。そして久しぶりに話がわかる人間に出会ったため、俺は調子に乗ってしまった。そして不注意から隣国の国宝である壺を割ってしまったのだ。
この時の記憶はあまりないし、正直思い出したくもない。おそらく気が動転していたのだろうが、気がついた時には俺はルーカス殿下に向かって魔術を放っていた。しまったと思った時にはもう遅い。俺は王族を害そうとしてしまったのだ。終わったと思い、一気に血の気が引いた。今まで積み上げてきたもの全てが崩れるような感覚がした。
代々この国宰相を担うアルドール侯爵家の長男として生まれた俺はずっと大きな重圧と戦ってきた。次代の宰相候補として求められる能力は非常に高い上、立場を奪おうと足を引っ張ろうとする者もいる。身の振り方一つ、それどころか歩く場所を一歩踏み間違えれば途端に奈落の底に落ちるかもしれない。そのプレッシャーと恐怖がわかるだろうか。
そして王族に次ぐ高い立場ということもあり、周囲に見下されるわけにはいかないと気を張っていたせいか、いつの間にか人に対して下手に出ることが苦手になってしまった。こんな態度では正直、周りから見たら嫌なヤツだと思われてしまうのではないかと今も思っている。だが幸い友人たちは俺の心中を理解してくれているようで、気にせずに接してくれているのでとても助かっていた。……まあそれはともかく。俺はこの時、『ここまで頑張ってきたのに、こんなところであっさり終わるんだな』と思った。それならもうどうなってもいいやとやけになって2人に追撃をしようとした俺の体は突然、強烈な光に包まれた。
最初は何が何だかわからなかったが、これはベルティール嬢の魔術だと感覚的に理解した。その魔力の強さは今まで感じたことのない程の強力なものだったが、温かなそれに包まれるのは不思議と心地良かった。俺は彼女の力に圧倒され、光が消えた後もその場に座り込むことしかできなかった。しかも驚くことにその魔術のおかげか割れた壺が直ったのだ。訳がわからなかった。
その後は2人に促されるまま父たちに起こったことを報告した。もちろん父からは厳しく叱られた。謝罪のための隣国との謁見はすぐに行われ、詳しくは割愛するが、壺の件は許してもらえた。色々と条件を付けられてしまったので今とても大変ではあるが、それでも許してもらえただけ良かったと思う。本当に。
今回のことは宰相家で起きた問題であるが、ルーカス殿下の申し出により、王族の方でもある程度の責任を持ってくれるそうだ。
そのルーカス殿下だが、謁見の際は普段の適当な様子は一切なかった。彼の国の王族たちに対しても臆することなく対応する様を見て同じ顔をした別人かと思ったほどだ。その雰囲気は兄であるディオン殿下そっくりで、見た目は似てないけれどやっぱり兄弟なんだなと思った。そして普段は大きな猫を被っているのだと確信した。間違いない。
また、謁見の際、ルーカス殿下が彼の国の王族たちにチラチラ見られていたことに気がついた。緋色の髪と金色の瞳はどちらもかなり珍しい。その容姿が気になったのだろうが、その様子を見ているこちらとしては少し嫌な気持ちになった。
(品定めするような目だったな)
そういった不快な目を向けられることは俺も幾度もあった。だが、王族であり目立つ彼は俺なんかとは比べ物にならないほどこのような扱いを受けているのだろう。本人には気にしているような素振りは一切なかったが、それは本当に気にしていないのか、それともその笑顔の裏に隠しているだけなのかは俺にはわからなかった。
『俺がどんな思いでここまでやってきたか、わかんのかよ』
あの時の俺の言葉に彼は『わからない』と答えたが、その意味が少し腑に落ちた気がした。
(俺だって、全然わかってないよな)
謁見が無事終わった後、俺は改めてルーカス殿下へ謝罪と感謝を伝えた。頭を下げる俺に対して彼は別に構わないと言った。ただ、壺が直ったことによってベルティール嬢の聖女疑惑が持ち上がることとなった。どうやら壺を修復したその魔術は現在知られているものではないようで、その稀有な力が『聖女』と呼ばれるべきものではないかという。国属魔術士からのその報告は隣国との壺の件についての現状確認の会議中になされたため、それに出席していたルーカス殿下と俺の耳にも入ることとなった。
「ベルが、聖女……?」
それを聞いたルーカス殿下は全く嬉しそうではなかった。ベルティール嬢が聖女として国のために活躍することは王族である彼にとっても喜ばしいことではないのかと思ったが、どこか思い詰めたような様子の彼に声を掛けることはできなかった。
王城で久しぶりの友人との茶会を楽しんだ数日後、俺はベルティール嬢と会う機会があった。彼女にも改めて謝罪と感謝をしたところ、彼女もまた別に気にしなくて良いと言ってくれた。彼女から壺の件での『条件』を問われたが、気を遣わせてしまったら申し訳なく、内容については少し濁して答えた。ベルティール嬢とルーカス殿下。2人が隠蔽しようとしていた俺の行動を制してくれたおかげで俺は今ここにいられるのだろう。助けてもらったのだからいつか恩を返したい。もし2人に何かあった時には力を尽くせるよう、今はやるべきことをきちんとやっていこうと思う。
そしてベルティール嬢は国から聖女である疑惑を持たれていることもあり、彼女はおそらくこれから大変だろう。ルーカス殿下とのことも含めてそっと見守っていこうと思う。
(俺も大変なんだけどな! まあ、俺は自業自得だけど)
そういえば茶会でのライオネルの様子がおかしかった気がしたが大丈夫だろうか。彼と別れる時、いつもより元気がなかったような。何かあったのだろうか。
(……気のせいだといいんだけどな)




