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場に漂う魔力の急激な強まりを感じ、私たちは身構える。いつの間にかニコラは練り上げた魔力を手のひらに集めこちらに向けていた。そして、私がそれに気がついた時には目が眩むような光が空間を駆けてきていた。
(っ速い……!)
強力な電撃が渦巻いて私たちに襲いかかる。私は咄嗟に横に転がるように飛び退いてそれを躱わす。その途端、ルーカス殿下の立っていた付近から大きな火柱が上がった。
「えっ、きゃあ!?」
立ち昇る火柱と電撃が接した箇所から小規模な爆発が起こる。私はその風圧に煽られた勢いで床に転がった。すぐにルーカス殿下の様子を確認しようとしたが、爆発の余韻と煙でよく見えない。
「ル、ルカ様! 大丈夫ですか!?」
少し経ち煙が薄まると先程と同じ位置にルーカス殿下が立っているのが見えた。その姿に少し安堵するが、何かが燃えたような臭いが鼻についた。よく見ると彼の前髪や服が少し焼け焦げている。
(あれを避けなかったの……!?)
「……あー、やっぱり強いなぁ」
「な、な、な、何をなさってるんですか!?」
「この前習った攻撃を相殺する魔術あったじゃない? せっかくだから使ってみたんだけどちょっと失敗した。出力が難しいね」
「なんて無茶なことをなさるの……!」
ルーカス殿下はこの緊迫した状況に似つかわしくない気の抜けた笑顔でとんでもないことを言ってのけた。彼の語る例の魔術はつい先日習ったばかり。まだ完全には会得していないはずの魔術を試したというのだ。
「あはは、でも実戦で使ってみないと本当に使えるのかわからないからね。ここで試せて良かったのかも」
「今はそんな呑気なことを言ってる場合ではありませんわ」
「そう? あのくらいなら平気だよ」
「……お前ら、俺を馬鹿にしてんのか」
決して馬鹿にしたつもりなどなかったが、私たちの態度が気に食わなかったのだろうニコラが地の底から湧き上がるような低い声を出しながら再度魔力を練り上げる。
(また来るわ、それに)
ビリビリと肌に刺さる痛みの強さからその魔力は先程よりもずっと強いことが感覚的にわかった。次も無事に避けられるかわからないし、ルーカス殿下の様子から見て相殺魔術で防げるかも怪しい。それなら、どうしたらいいのだろうか。逃げるか、戦うか。あれこれ逡巡している間にもニコラの練り上げた魔力はどんどん膨らんでいく。このままでは危険だ。
(とにかくニコラ様を止めないと!)
思わず私はニコラの方に向かって駆け出す。
「――もう、やめてくださいませっ!」
「なっ!?」
そして、ニコラが電撃を放つ前に、私は咄嗟に魔力を練り魔術を行使した。その魔術が発動した途端に大広間を強い光が広がり、視界が白一色になる。
(なにこれ、眩しい……でも)
目の前が真っ白で何も見えない。ただ、強くて温かい光が全身を包んでいる。まるで大きくて優しい腕で優しく包み込まれたような心地の良い安堵感がそこにあった。
(なんだろう、あったかい……)
今まで氷の魔術を中心に使ってきた。それだからだろうか、魔術を使っていて温かいという感覚はとても不思議だった。ずっと魔術は冷たいものだと思っていた。
咄嗟に勢いで出してしまったため、私が今なんの魔術を使ったのかは頭からすっかり飛んでしまっていたが、これは攻撃魔術ではないということはわかる。
(――じゃあ、これはなんの魔術だったのかしら)
不思議とぼんやりした頭で考えてみたが、なぜか身に覚えがなかった。ただその光の心地良さに揺られていた。
数十秒程だったろうか。大広間全体を包んでいた眩い光は徐々に弱まり、辺りがはっきりと見えてきた。
(痛っ……)
かなりの魔力を使用したようだが、日頃の魔術訓練の成果か年齢的な成長か、今回は少し頭が痛んだだけで以前のように倒れることはなかった。
「な、なんだよ、なんだよそれぇ……」
ニコラは目を見開いたままへなへなとその場にへたり込み動かなくなった。足から完全に力が抜けてしまったようで、この様子だともう攻撃してはこないだろう。ルーカス殿下はただただ驚いたように私を見たままぽかんとしていた。私は座り込んだニコラの前までゆっくりと歩いて行き、そっと声を掛ける。
「ニコラ様」
「なっ、なんだよ……」
ニコラはビクリと体を震わせ怯えるような不安げな表情で私を見上げた。どうにかしてこれから起こるであろう災難から彼を助けたいという気持ちはある。だが、だとしても、またこれを隠蔽することは決して許してはいけない。
「ここで争っても起こってしまったことはどうにもなりませんわ。これからどうするかなんて、私たちだけで決められることではありませんもの」
だからきちんと大人たちに伝えて対応をしてもらいましょう、と彼に伝える。
「でも……お前に、お前らに俺の何がわかるんだよ。俺がどんな思いでここまでやってきたか、わかんのかよ」
「それは……」
国の中枢を担う宰相家の長男という境遇の重さ。それに応えるために彼はどれだけ努力したのか。それが全て無駄になるかもしれない今、彼のその気持ちを理解できるなんて軽々しく言えるだろうか。ヴァロトア侯爵家の家督を継ぐだろう私の兄や、あるいは第一王子であるディオン殿下ならまだ近い立場故にある程度の理解があるとは思うが。ルーカス殿下も私と同じことを考えたのか、ゆるゆると首を横に振って口を開いた。
「……そうだね、きっとわからない。そもそも他人のことなんだからわかるわけがないよ」
「ええ、私にもわかりませんわ。でも、」
一度だけ深く呼吸をして、そして、私は本心からの言葉を紡いだ。
「それでも、ニコラ様の力になりたいと思ってはいけませんか?」
「……」
彼はしばらく床をじっと見つめていたが小さく息を吐いた後、目を閉じて首を横に振った。
(よかった。わかってくれたみたいね)
これでひとまず大人たちに伝えることはできそうだ。問題はその後どうするかだが――
「ベル、ベル。ちょっとこっちきて!」
この先を思案していたところ、突然ルーカス殿下に呼ばれた。声の方を見るといつの間にか彼は壺の近くに立っている。
(壺に何かあったのかしら)
小走りでそちらに向かう。そして、私は目に映ったその光景に息を呑んだ。
「これ、見て」
「これは……なにが起こっているの?」
ルーカス殿下が指差す先で、痛々しく割れた壺が淡く仄かな光を放っていた。
壺が光っている。そのことを後ろにいるニコラにも伝えると、彼は恐る恐る壺に近づいた。
「本当だ。光ってる……ってうわっ!?」
「!?」
ニコラがそっと壺を覗き込むと壺から放たれていた光が急に強くなった。あまりの眩しさに驚き思わず目を瞑る。
(何これ? 壺は? 壺はどうなったの……っ!?)
どうにか薄く目を開いて壺を見て、息が止まった。目に映ったそれは俄かには信じ難い光景だった。床に落ちていた壺の破片が光を放ちながら宙に浮き、割れた部分に集まっていく。破片のひとつひとつがまるで正確にパズルを組み立てていくかのように順番通り間違いなく組み合わさり繋がっていく。
(嘘……何が起きているの?)
割れて大きく開いていた穴がみるみるうちに塞がっていく。放たれていた光は徐々に弱くなり、そして、この突然の出来事に呆気に取られている私たちの目の前で、その壺は元の姿を完全に取り戻した。
「……」
誰も口を開かない。自分の目を疑っているのだろう。その気持ちはよくわかる。だがこのままでは埒が開かないので壺の周りをぐるっと一周してその姿を眺めてみる。先程までの光は全て消え、どこからどうみても元通り、大広間に入った時と同じ壺だ。先程まで割れていた部分をじっくりと見ても傷ひとつない滑らかな美しい陶器がそこにあった。こんなことがあるのだろうか。
「……もしかして元に戻ったの?」
「そうみたいだね」
「な、えっ、何が起こったんだ? 魔術とかか?」
魔術――魔術だったら確かに有り得るかもしれない。だがそれなら誰の魔術だろうか。私たち3人は皆ここで魔術を使った。ならばこの中の誰かの力で壺が修復されたということになる。ルーカス殿下が壺にそっと手を翳し、私を見た。
「この壺からはベルの魔力を感じるね。魔術を浴びたのが影響したのかな。ベル、さっき使った魔術ってなんだったの?」
(えっ、私?)
つまりニコラを止めるために使った私の魔術が何かに作用して壺が直ったということだろうか。だが、先程の魔術は自分でも何をしたのかよくわかっていない。
「えっと……実は私にもなんだかわからなくて。魔術も無意識のうちに使っていたのですわ」
「そうなんだ」
ルーカス殿下に素直に伝えると彼は私の言葉を追及せずそのまま受け取ってくれた。しかし、本当に私の魔術でそうなったのだろうか。直そうだなんて意図していなかったため全く実感が湧かない。それはともかく、今はとりあえず大人たちにこのことを報告しようと私は2人に提案する。
「これ、元通りなら親父たちには言わなくても」
「それはダメかな」
「うっ」
ルーカス殿下が食い気味でニコラの言葉を否定する。それに関しては私も同意見だ。
「そうね。何があったのか、宰相様とお父様にきちんと話しましょう……むしろ伝えなきゃいけないことは増えましたわ」
私たちは仕事の話を終えて応接間に戻ってきた宰相と父の2人に壺が割れたこと、そして直ったことの経緯を話した。ニコラは彼の父である宰相の険しい表情に耐えきれなかったのか目線を下げたままではあったが、伝えるべきことは彼の口からしっかりと語られた。
壺の件は全て話したものの、ニコラがルーカス殿下を攻撃した件は伏せることにした。これはルーカス殿下からの提案だった。まだニコラも子供とはいえ王族を害すことは重罪であり、知られてしまっては重い処罰を受ける可能性が高いため自分たちだけの秘密にしようとのことで、私もニコラもそれに賛成した。ちなみにルーカス殿下の前髪と服の焦げはいつの間にか消えていたが、壺と一緒に魔術で直ったのだろうか。
起こったことを話し終えた私たち3人は大人たちにこっぴどく叱られた。壺の件もあるが、勝手に屋敷の中を彷徨いたことや、魔術を無闇に使ったことなどについても問題ありとのことだ。特にニコラには宰相から厳しいお咎めがありそうだが、廃嫡という事態はなんとか免れそうだ。宰相の言葉から推測するに彼はこれから徹底的に再教育されるようなので結局大変な目には遭いそうではあるが。
(ニコラ様本人はこれから大変そうだけど、どうにかなりそうで良かったわ)
あの壺を国宝としている隣国には今回の経緯を全て報告することになった。ルーカス殿下の申し出によりそこには宰相家だけでなく王族も関わるとのことだ。国同士の関係性に影響が出る可能性があるという事の重大さを鑑みた采配である。この後すぐに我が国の王、そして隣国王族との謁見の手配を行い、速やかに報告に向かうらしい。
そして、壺を修復した魔術について。一体何が起きたのか詳しく調べる必要があるとのことで後々国属魔術士に壺の解析が依頼されるようだ。おそらくこれには私も関わるのだろう。
(私の魔力が付いているみたいだし、きっとそういう話になるわ)
これからの話を終えた私たちは、各々の屋敷に帰ることになった。壺についての以降の対応は王族と宰相家で行うため、私たちヴァロトア侯爵家は関わらない。私がこの件についてできることはもうないのだ。今日の私たちの行動がどのような結果を齎すかはまだわからない。ただただ、あの時の未来よりも良い方向に向かってくれることを祈るのみだ。




